13. 無機魔術
◇世界最北部 大神秘の森
「へぇ、お客さんかい? 珍しいね」
執事服を纏った長身の男は宙に軽やかに浮いていた。
そして読んでいた本を閉じて、興味深そうに微笑む。
「通してあげなよ。僕としても興味がある」
男は誰と話しているのかは解らない。しかし、話し相手が存在しているのは確かだ。
「ああ。だって『門』を潜ったんだろう? 門を潜って正気を保てているなら魔力中毒にもならないだろう。相当な耐性がある御方だ。レイほどじゃないと思うけどね」
男は色白く、髪は特徴的な深緑の色で、ちょうどレイのローブの色と同じだ。
容貌は人間以外の何者でもなく、人の言語を操り、魔法すらをも操ってティーテーブルを準備した。
「ああ。歓迎しておくれ」
呼応するように、森の木々たちがアーチ状に開く。
「こんにちは。おじいさん。ようこそ森へ」
男は柔和な表情で恭しく礼をして、長旅に疲弊した老人をまるでホテルに宿泊する客のように出迎えたのだ。
◇応接間
「それで喧嘩になったのね」
藹は脚を組んでレイと一対一で蓮歌との一件の話を聞いていた。その間、藹は全く話しに口を挟まず、ただ静かに聴いていた。
「入るぞ」
応接間の外で阿靈が静かに襖を開け、苒が入室した。
「蓮歌の治療は終わった。いまは煩いから眠らせてある」
「そ。それで、苒はどこから見ていたの?」
「……蓮歌が【磔茨棘】を行使したところからだな」
「そう。わたしは蓮歌が【灼弾】でからくりの腕を吹き飛ばすところからなんだけど」
藹は苒の方を一切見ずに、目を瞑っている。それは暗に「監督不行き届き」を責めていた。
「―――――」
苒は、見ていたなら止めろよ、とも思ったが顔にも口にも絶対に出さない。
「ま、いいわ。この後、お姉ちゃんと二人だけで話しましょう」
苒の背筋が凍てついた。しかし、彼の表情も呼吸も心拍数も全く変わっていない。瞬きの回数も、全身の挙動も、発汗も、魔子波動も。
「解った」
藹は再びレイと目を合わせた。
(――しかし、蓮歌の言ったことも解らなくもないね)
「少年。君は魔法への対抗手段を持っているようだったが」
藹は質問調で訊ねる。
そこに包含された感情が全くレイには読み取れない。
嘘を吐かれたと思って怒っているのか。悲しんでいるのか。
単純な好奇心、興味なのか。
それとも逆に見込まれたか?
そもそも何とも思っていないのか。
「いえ……あれは気が動転していて、僕も半分は無意識的に使っていました」
それはいかにも当たり障りないもので、藹は見透かすような目でレイを貫いた。
「へぇ……」
藹の羽織っていた白の羽織が翻る――。
――《豪華絢爛》――
応接間が瞬間的に藹の高濃度の魔力で支配された。
その濃度は卒倒レベルで、下手したら死にも至るほど。
「――ッ!?」
反射的に反応した黒の蝶がその主とレイを護るように舞う。
「おい! 藹!」
「たまげたな……」
「何言って……!?」
苒の黒蝶がレイに近づいた時、はらり、羽と散る。
「お、オメェ……いいや……」
レイも確かに【豪華絢爛】に圧倒されているが、実害がない。それは苒の【黒蝶】がなくてもだ。
――既にレイの《最凶の能力》は本人も預かり知らぬところで開花を始めていたのだ。
藹は豪華絢爛を解いた。
「レイくん。君はわたしと全く反対の人間らしい」
「それはどういう……」
「それは聡明な君なら、解っているだろう?」
藹は不敵に且つ無邪気に笑む。
「……魔法を解除できる」
蓮歌との戦闘時、レイは平静を保てていなかったが、記憶混濁するほどではない。ある種の興奮状態にあっただけだ。
だから、自分が無意識のうちに【感知】以外の魔法ではない能力を行使したことと、その能力が術式を解消したことは憶えてはいる。
「うん。ああ、いや『魔子を排除できる』が正しそうだね」
「魔子を排除できる?」
「ああ。あたしの【豪華絢爛】は魔法の無意識発動でしか無い。あたしは生まれつき魔力量が大きすぎてね。あたしにとっては基礎付与魔法のつもりが、あたしの身体のすぐ周辺じゃ飽き足らず、空間ごと魔法が付与されちゃうんだよね。それがあたしの【豪華絢爛】」
「……それを部外者の僕に語っていいんですか?」
「ん? 構わないさ。だってこれは公表している事実。苒の黒蝶も公表しているし。ある程度は公にしておかないと変な諜報員とかが月の里に来ちゃうから面倒なんだよ」
藹はあっけらかんと話してしまう。たしかに【豪華絢爛】の魔法の仕組みを知ったところで、対抗する術がない。
属性魔法ならば、対抗属性魔法が有効だが、藹の【豪華絢爛】は基礎魔法。つまり属性を保たない魔法であるから対抗属性がそもそも存在しない。
それに、そもそも魔法が弾かれるのだから、対抗属性魔法云々の問題ではないのだ。
「そ、そうなんですね」
「それでだ。この【豪華絢爛】の中で無事でいるには、さっきの苒みたいに強力な魔法で自分を纏うか、逆にわたしと同じ、【豪華絢爛】を使うか、それとも領域魔法を使うか……。結局相当な魔力と魔法的な支配力がないと失神、気絶、最悪絶命しちゃう。ま、君の場合、嫌気性が強いらしいから死にはしなかったと思うけど」
レイは苦笑する他なかった。どうも零月家の人間は命を重いものと見ていないように思えた。
「でも、君はわたしがあげた三つ以外の方法で回避できた。それが君の能力『魔子を排除できる能力』。わたしには感知できないが、君にはおそらく基礎付与魔法と同じような、魔法を全く受け付けない領域が周囲に展開している。局所的に魔法攻撃をしたら破れると思うけど、さっきみたいな全体的な、【豪華絢爛】だけじゃたぶん破れない」
「――それって」
「ああ。これは魔法への最強の防御手段だ」
藹は間を開けず、続ける。
「それともう一つ。君は変な雷魔法を使うよね? それもたぶん同じようなものだろう?」
蓮歌の術式を全て破った能力――――《紫影》――――。
意識的に【紫影】として扱えたのは今回が初めてだが、実際にはこれまでに三回ほどこれによって魔法解除をしている。
「はい。紫影と勝手に呼んでます」
「それは魔法への最強の対抗手段だ」
レイが放つ紫色の雷撃。術者へのダメージはないものの、通過領域の魔法を解除する。これもおそらく『魔子を排除する能力』の一種だろう。
性質的には電流と似ているのだろう、これを被術者に纏わせば、先の蓮歌のように魔法発動ができなくなる。
そして蓮歌のように錯覚するのだ。魔法を封じる最強の魔法――豪華絢爛――だと。
「どうだろうか。それを無機魔術と呼ぶのは」
「無機魔術?」
「基本魔法であれ、自然系統魔法であれ、超自然系統魔法であれ、有機魔子を必要とするだろう。でも君のそれは明らかに有機魔子を消費していない」
有機魔子を消費するならば、魔法師には発動直前に「魔法の兆候」が観測できる。これは保存しないエネルギーによるものだと言われているが、定かではない。
しかし、戦っていた蓮歌も傍観していた藹でさえも、レイの紫影に対し、「魔法の兆候」が見られなかった。
「逆に活性化状態にある魔法を破壊してしまうということは、無機化していると言えるだろう?」
藹はわくわくしたように、それでもどこか厳かにレイに語った。
「無機魔術……」
「ま、わたしが決められることじゃないしな。とりあえず、これからはその二つの能力、無機魔術の防護魔法と雷攻撃……紫影と呼んだか? をできるだけ磨き上げるんだ。これで話はおしまい」
「……蓮歌さんと喧嘩した件については」
「ん? ああ、アレはただの子供の喧嘩じゃないか。君は喧嘩とかしたことがないのか?」
「……あまりは…………」
「アレ」を喧嘩で済ませるのは寛容と言うべきなのか、無関心と言うべきなのか。
「あんなのは普通のことだよ。むしろ健全なことじゃないか! ハッハッハ」
藹は声高らかに笑う。
「そ、そうですか……」
零月家の少し狂ったような感覚に気圧されながらも、レイは世界で唯一の無機魔術師となった。
◇
「それで。苒。お前はどこまで見えていたんだい?」
レイが部屋を出てから、すぐに藹は苒に目を合わせた。
「何も……」
「でも、なにもないから連れてきたわけじゃないだろう?」
「それはそうだが……。でも、あの試練は……」「諦めさせるためにやった」
苒は言葉に詰まった。
「ああ。あいつは学生会に入るべきじゃねェと俺は考えていた。まず、戦力にならねェ。頭脳だけなら、他に四年から引っ張ってくればいい」
「それならそう言ってやればいいじゃないか……。まさかお前が傷つけたくないからとか、そんなくそったれな理由で言えなかったとかじゃないよね?」
藹は先から一切声のトーン、話す速さ、抑揚は変わっていない。だが、裏には厳しく燃え上がる怒りが込められたのを苒は察した。
これは藹の外側から推し量れるものではなかった。姉弟故の勘に近いものだった。
「そうじゃねェよ」
「ああ、よかった。もしそうだったら、お姉ちゃん、あんたのこと圧し潰してたかも♪」
「……そん時は俺が先に黒蝶で道連れにしてやるよォ」
苒も冗談めかして言うが、それでも「道連れ」が上限だったことに彼は気がついていない。
「フフッ……。そんな強がんなくても、大丈夫よ。ただの冗句よ。ま、一発くらいは殴ってたかもしれないけど!」
苒は藹の無い腕を見て、僅かに目を伏せた。
「じゃ、どうして連れてきたの?」
「違和感だ。あいつは一度学校を襲撃した魔物と渡り合っている」
「それはやるわね。実戦訓練なんて積んだことなんて無いでしょうに」
「その魔物の周りには隔絶系の結界が張られていた、が。あいつが結界内に入った瞬間に解除されたらしい」
「ふーん、その頃から徴候はあったのね」
「たぶんな。それとあいつには探知魔法と酷似した能力を持っていた。ただの第六感かもしれないが、学校屈指の忍術使いの術を破るほどだ。能力と言っても差し支えねェ」
「……それで魔法への対抗手段があれば」
「ああ。あいつはもしかすれば学生会に相応しい力を持つ――可能性があった。それを否定しきれなかった」
「で、結果オーライ。彼は対魔法師最強の能力を開花させた。ふーん。これは偶然なのかしらね」
「さぁ、俺が知るかァ」
藹は眼を怪しく光らせて、微笑した。
「まぁ、いいわ。もしかしたら、彼なら……」
「藹。巻き込む気か?」
苒が初めて自分から藹に強い意識を向けた。譲歩できないものがそこにあると。
「うーん? どうだろうね。積極的には巻き込めないわよね」
それには適当に受け流し、応接間を出ていった。
「苒、少しは先輩らしくなったのね……フフッ」
その後で、すこし幼く微笑むのだ。その歪んだ口元は誰にも見られずに。
ちなみにレイに無機魔術が発現した理由は、この小説を見返すなりすると解ると思います(たぶん、次話に書くと思いますが)