30. 武技競戦 決勝予選
武技競戦最終日。決勝予選及び決勝戦の日である。
本予選までは学年別で進行していたが、決勝予選は競技別に進行する。
午前中に体術、昼休憩後に弓術、終わり次第剣術という流れである。
「さすがに第1クラスともなると格が違うわね……」
「でも、今日レイはここで戦うんだぜ?」
訓練場では既に一学年の体術の試合が始まっていて、カイン、カエデ、ニーナのいつもの三人は観戦に来ていた。
四組の他のクラスメートも複数人会場で見られるが、少し後ろめたい気持ちがあるのだろう、初日から応援に来ていた三人とは距離を取っていた。
剣術まではまだしばらく時間があるが、レイの姿は見受けられない。その理由も三人だけは知っていて、学生会の仕事があるからだ。
◇
コンコンとノック音。
呼応するように学生会の意識が――今は室内に四人しかいないが――扉の方に向く。
「失礼するよ」
巻きたばこを咥えた灰色の髪の男が扉の向こうから現れた。
レイは扉が開く前からその男の正体に気がついていたが、一度書類から目を離し、男の方を見る。
特別一等教諭、ダルド=ラインロード。灰の魔術師という異名を持つ魔法界でも著名な魔法師。
全体的に青を基調とするロングコートを着ていた。
「先生。ここは禁煙……というより学内なので、タバコはしまってください」
「おお、すまない」
アリスに注意され、ダルドは火の着いていない巻きたばこを懐にしまう。
「あ、アーサー君。いま大丈夫かい?」
「大丈夫ですよ。こちらで……」
「あ、いや、外で話そうか」
アーサーは立ち上がって学生会室の続き間を勧めたが、男は手で制止して断った。
それを受けアーサーの表情は変わらないが、学生会のメンバーは険しくなるのだった。
「アリス君。そんな険しい顔をしないでおくれよ。大したことではないんだ」
ダルドは笑いながら言うが、アリスにとっては逆効果で更に険しくなってしまう。
「してません!!」
「ラインロード先生。行きましょうか。……あとアリスも先生にまで突っかかるんじゃない」
アーサーは少しだけ書類を整理してから、立ち上がる。
「会長まで!」
アリスはむっとしたが、アーサーにさりげなく頭を撫でられ、顔を真っ赤にしてしまった。
レイはそれに気づいていないフリをしつつ、ほぼ終わっている事務作業に没頭しているフリをした。
「でも、わざわざ場所を変えてまで話す内容って何でしょうね」
作業が殆ど終わってしまったレイがふと口を開いた。
「……そうね。だいたいこういうときは三つね。まず、本当に最後まで私たちにも知らされないこと。次に特別任務のこと、最後に不祥事」
アリスは指を一本ずつ立てながら淡々と答えた。
「不祥事?」
レイは特別任務があることは知らされていた。しかし不祥事については聞いたことがなかった。
「ええ。不祥事よ。この間の襲撃事件だってそうよ。年に数回は大なり小なり起こるそうね。去年も何回かあったし……」
アリスはため息まじりに上の空で答えた。
「あ、でも詮索しちゃだめよ。会長には私たちと違う守秘義務があるから……」
「はい。ただ、気になっただけなので……」
会話が途切れたところで、扉が開きアーサーが帰ってきた。
「アリス。本当に大したことのない話だったよ。安心してだいじょう……」
「なんで私だけに言うんですか!」
アーサーはアリスとかれこれ一年共に仕事をしているが、未だに彼女の逆鱗の位置をつかめていない。
「ただ、ちょっと仕事が増えてしまって今日は会室を開けなきゃならない……レーリングを代わりに呼ぼう」
アーサーはヴェーランを取り出して耳に取り付けた。
「会長……あの人は居ても居なくても、寧ろいないほうがいいです……」
「そう言わないの……あ、レーリング? ちょっと学生会室に来てくれないかい? ん? ダーメ。会長命令だから。五分以内に来なかったらアリスを出撃させるよ?」
アーサーはヴェーランを切った。
「私行きませんよ?」
「じゃあ、代わりにイクスでも向かわせるし、多分なんだかんだ僕の言うことは聞くからね」
アーサーは「僕、会長だから!」なんて胸を張るが、実際五分後に今度はイクスに連絡をとることになるのはまだ知らない。
◇◇◇◇
アーサーが退室してから数分後、今度はノック音なしに乱暴に扉が開かれた。
全体的に焦げてしまっている男子学生が開口一番、
「ちょっとぉ〜アリスたん〜。なんで来てくれなかったのぉ〜」
言いながらアリスの隣に腰掛け、指で彼女の頬を突く。
レイは一瞥して不審者の挙動をする男子学生が先程呼ばれたレーリングであるのだろうと推察した。
そしてイクスの雷属性魔法で焼かれてしまったのだろうとも推し量れた。
「先輩? その汚い指で私に触れないでください。殴りますよ?」
「うふふ。君に殴られるなら本望だよ……さぁ!」
と言ってレーリングは大きく手足を広げ爛々とした目で「さぁ! さぁぁぁ!」とアリスに呼びかける。
レーリングは学生会の事務部であるが、派遣班に所属していて、基本的に学生会室にはあまり姿を見せない。
したがってレイもレーリングという男を今日ここで始めてみたのだ。
しかし、どうやら警戒せねばならない人物なのかもしれない。
「―――――」
「あ、なんなら上を脱ごうか? 別に服に何も仕込んじゃいないが……」
そう言ってレーリングは上着から脱ぎ始める。真正面にいるアリスの肩がどんどん上がっていくのを心配しながらレイは【感知】で状況を追っていた。
「んぬッ!!」
「かおッ!?」
レーリングの顔面にワンパンチ。殴られたレーリングは空中で二回転し、床に打ち付けられ、ピクリともしなくなる。
アリスは流眄で蔑みの視線をレーリングに向けてから席について作業を再開した。
レイは少し吹き出しそうになってしまい、先からずっと黙り込んでいる英の方を窺った。
英は歳に似合わぬ氷のような静けさを保ち続けていて、まるで見えない分厚い壁があるようであった。
「……ひどいや。というかなんで誰も助けてくれないの? 仲間だよね? ほらほら零月妹もそんなぶすっとしてないでさぁ〜」
しかし懲りないレーリングは今度は英にちょっかいを出し始めた――が。
「イタいイタいイタいぃ!!」
レーリングの指が英の黒髪に触れるか触れないかというところで、鋭く凍てついていく。反射的に手を離したが、離れればその氷は素早く昇華した。
レーリングはその変化を見て、一瞬顔が真剣なものとなっていたことをレイは気がついていた。
「今年の一年生は初対面の先輩にも冷たいのね……ん? 君は」
標的が自分に向いたことを覚ったレイは席を立った。
「アリス先輩。作業終わりました。身の危険を感じたので退室します」
アリスは作業しつつ黙って首肯し、レイの退室を認める。
「おいおい! そういうことならこのレーリングが守ってあげよう!」
レイはすぐに席にかけていた深緑のローブを羽織って急いで部屋を出た。
「お? 鬼ごっこか? いいねぇ。じゃあ、このレーリングが鬼かなぁ?」
レーリングは弾んだ笑顔で軽い準備運動を始める。
「よっしゃ! 行くぜぇ!」
レーリングが扉に手をかける直前に扉が開いた。
「どこに行くと?」
扉の向こう側から現れたのは身長が優に180センチありそうな大男。
グレイヴを装備していて、翡翠の魔眼がレーリングを確と捉える。
「げっ! イクスパイセン……。どうしてここに……」
レーリングは咄嗟にイクスから逃げようとしたが、鋭い眼光に動きを失う。
「グラントワーズ。たった今午前の競技が終わった」
「解りました。それじゃ英ちゃんも準備に行ってきていいよ。潤女も行っちゃったし」
グラントワーズというのはアリスの家名である。
「了解しました」
英はとっくに処理できていた書類をアリスに手渡して、静かに部屋から出ていった。
「お前も休憩したらどうだ。弓術が始まるまでは俺が代わりを務める」
「え、いや、でも……解りました。ではお言葉に甘えて……」
アリスは恭しく返事をしてヴェーランだけポケットにしまい退室する。そうすると、室内にいるのはイクスとレーリングだけになる。
「じゃ、じゃあ私めも……」
レーリングは床に正座してイクスに休憩を乞う。しかし、イクスは黙ったまま何も言わない。
「あ、あの……イクスパイセン?」
「なにか言ってほしいのか?」
「あ、いえ。なんでもないです……」
これが『学生会最強』かとレーリングは再確認する。
◇
「カルミア副学長。アーサー=ゴールドベリルです」
「アーサーさん。よく来てくれました」
カルミアはアーサーに目礼し、
「こちらです。今日一日はよろしくおねがいしますね」
アーサーは一人の学長席に座っている老人の横まで来、様子を確認する。
「シャルル学長はもう?」
アーサーは振り返ってから問う。
「はい。行き先は解りませんが、前期はもう帰ってこない予定だと……」
「……そうですか。珍しいですね。いつもは日帰りの事が多いのに……」
アーサーは先から全く動かないシャルルの形をした物体――人形――に視点を戻して話を続ける。
「それほど大事な用ということでしょう。学長もアーサーさんに何も言わずに頼んでしまって申し訳ないと仰っていましたよ」
「そうですか。これはもう動いているのですか?」
「いえ。今はスイッチを切ってありますので、術を施してしまってください」
起動していないことは解ってはいたのだが、アーサーは黙って頷いて術式の読み込みを開始した。
「では……。【琥珀屈折魔法:花形】術式付与を始めます」
カルミアによって明かりが全て消され、部屋は闇に包まれる。
と、同時に二つの(魔法による)黄金色の円形魔法陣がシャルルの人形の上と下に出現し、術式領域を決定した。
魔法による魔法陣にも術式構築のための軌跡となる、陣記号が出現するが、その内容は見守っているカルミアも術者のアーサーにも読むことはできない。
しかし魔法は順調に発動していく。それが魔法陣というものだ。
「【初期化】……【ロード】」
アーサーの単一詠唱と呼応し、魔法陣が上下に動き始める。
さらに琥珀色の綺羅びやかな粉塵が領域内に不規則に散る。
「【琥珀の欠片よ、呼応せよ……。琥珀の欠片よ、湊となれ】」
その詠唱効果により、不規則運動を行っていた琥珀の粉塵がシャルルの人形に張り付いていく。
「【結実せよ】」
アーサーは懐から金色の小さな鍵を取り出し、
「カルミア副学長。目を閉じて、布などで覆ってください」
「はい、閉じました」
「【セーブ】」
シャルルの人形から超光度の光線がアーサーを襲う。目を黒の布で覆っていたカルミアでも堪えきれず、壁の方を向いてしまう。
「【琥珀屈折魔法:花形 術式終了】」
上下の魔法陣がそれぞれ向かい合い、一つとなって術式が収束する。
「カルミア副学長、完了しました。これが【鍵】です」
アーサーは紅い宝石の付いた小さな鍵を手渡す。
「ありがとうございました、アーサーさん。部屋を出る前に魔眼は閉じていってくださいね」
「おおっと! 危ない」
アーサーの眼には魔法陣が浮かんでいた。
平生のアーサーには見られない、恐れを、畏怖を呼び起こす眼光に、カルミアは情けなくも身の毛がよだつ思いがした。
柔和な笑みさえも悪魔のようで、それは普段のアーサーが安心感の塊のような学生であるから、持つ力が強大であっただけだから、とカルミアは自分に言い聞かせるが、やはりアーサーのことを訝しく思うのは止められなかった。
「それではまた後ほど」
アーサーは一礼してから退室していった。
アーサーはあっさり術式を完了させ、何事もなかったかのように帰っていったが、【琥珀屈折魔法:花形】は登録外であるが、上級魔法クラスの術式で、莫大な術式量により莫大な魔力量が求められ、術式の複雑さにより、高度な魔力制御が求めらる。
体力的にも精神的にもかなり疲弊する魔法のはずである。
しかしそれを簡単とするのはアーサーの実力と人為的に開眼させた強力な魔眼である。
カルミアは扉が閉まるのを待ってから、シャルルの人形を起動させた。




