受賞作にして、未書籍化。全編改稿するから書籍化をしてくれませんか?とは言えないし、でも改稿もしたいし、続編も書きたいので、自分とファンを奮い立たせるような短編を書いてみた。
受賞作にして、未書籍化。全編改稿するから書籍化をしてくれませんか?とは言えないし、でも改稿もしたいし、続編も書きたいので、自分とファンを奮い立たせるような短編を書いてみたんですよね。そしてら、スパ●ボみたいな感じでなってしまいました。
平山雷蔵の声は、市川雷蔵様の声で変換をお願いします。
満月が出ていた。雲も星も無い。墨を塗りたくったような夜空に、一つだけ浮かぶ満月。
夜空を見上げ、前に反り出した大きな二つの前歯を剥き出した畦利貞助は、
(いけねぇなぁ)
と、内心で呟いた。
闇に潜み、その中で生きる忍びにとって、満月は不吉であり忌々しい存在である。月の光は、その夜に潜むもの全てを照らし出してしまうのだ。かつて名人と呼ばれた凄腕の忍びも、満月の夜に死んでいる。この話は、忍びならば誰でも知っているほどの逸話だ。
今夜の満月も禍々しいほどの光を発し、黒装束に身を包んだ貞助だけでなく、武州秩父郡妙法ケ岳の深い森を照らし出している。
こんな夜は、忍びも盗賊も商売は出来ない。自分なら勤めを早仕舞いして、ぬる燗を傾けている頃だ。だが今夜の貞助は、仕事を踏んでいるわけではない。生涯で唯一、親友と呼べる存在になるであろう男に呼び出されて、こんな山奥を駆けているのだ。
江戸の巣鴨にある益屋淡雲の寮にいた貞助に、書状が届けられた。そこには武州秩父郡妙法ヶ岳の地名と、
「来い」
という、言葉だけ。差出人の名前すら記されていなかったが、貞助には誰からなのか、すぐにわかった。
妙法ヶ岳としか記されていないが、山の何処にいるかは調べずともわかる。この山には、差出人が起居する別宅があるのだ。
再び貞助は、夜の山を駆け出した。
桜の見頃も終わろうかという季節だが、夜になると手足の指がかじかむほど冷える。奥秩父の山中ともなると尚更だった。
(誰かいるな)
そう感じたのは、目的地まであと半里ほどになった頃である。
凶悪な殺意が、背後に迫っている。奥秩父の山中だ。狼の可能性もある。
貞助は、犬除けの煙玉を二つ放り投げた。追跡者を遮るかのように、白い煙が吹き上がる。この白い煙は、独特の悪臭を発する。犬ならこの臭いで、悶え苦しむはずだ。
しかし、追跡の気配は消えなかった。むしろ、前よりも近付いてきている。
(狼に犬除けは効かないってか)
そんな冗談を言えるほど、余裕はまだある。これぐらいの追跡など、どうという事ではない。大名行列の斬り込んだり、唐土のやくざとやりあったりと、踏んできた修羅場の数が違う。あの時の絶望感に比べれば、この追跡など子供の遊びのようだ。
「って……迅ぇな、あんたら」
いつの間に正面に回り込まれていた。
山中のぽっかりと空いた、拓けた場所である。相手は六人。全員が山伏の格好をしていた。
「逸殺鼠の貞助だな?」
正面の男が言った。
頭には白いものが多い、老年の男だ。
「へぇ、おいらも名が売れてきてんだ」
「独狼の密偵」
「へん、せめて相棒とか片腕とか言ってはくれねぇかい」
「密偵にしては、活躍が派手だねぇ。去年、玄界灘で玄海党とやりあったそうではないか」
「嘉穂屋ともやりあったぜ? 他には鄭行龍という唐土のやくざともねぇ。ま、おいらは閻羅遮さんの手伝いだがね」
すると正面の男は冷笑を浮かべて、仕込み刀になっていた錫杖を引き抜いた。
「あんたら誰の差し金かい? 嘉穂屋の残党? 一橋? 夜須藩って線は……無いな」
「言わぬよ」
恐らく一橋治済の手先だろう。今年の正月に、貞助は独狼と共に阿芙蓉の密売現場を襲撃し、大量の阿芙蓉を奪い取っている。その密売人は加賀で北前船を営む船荷問屋だったが、その後ろ盾が治済だったのだ。一橋の手下は襲撃を計画しているという話は、今までに何度か耳にしていた。
「相手にとって不足はない」
六本の切っ先が向けられる。獰猛な殺気。全身に快感が駆け巡り、前歯を剥き出しにして笑む。
「そう来なくっちゃ」
腰の小太刀に手をやる。久し振りの、俺一人だけの闘争。殺しは好きなのだ。逸殺鼠という渾名は、殺しの腕前が達者という意味がある。いいだろう。この俺の、殺しの術を見せてやる。
その時だった。上空から影が舞い降りてきた。
一人ではない。四人。いや七人だ。影は武士の格好で、着地すると抜刀して山伏に斬りかかった。
(おいおいおいおい)
目の前で、股座を開いた生娘を奪われた気分だった。しかも七人の武士は凄腕で、一息で山伏を斬り捨ててしまった。
「危ないところだったな」
武士の一人が進み出て言った。掃討を終えた他の六人は、背後に控えている。恐らく、この男が指図役なのだろう。
「危ないところじゃねぇですよ。あっしが殺ろうと思っておりやしたのに」
「そう強がるな」
武士が、また一歩踏み出す。月光の下に、その姿が完全に露わになった。
ぶっ裂き羽織に野袴。筋骨は逞しいが、背が低い。顔。地味な相貌に、何人にも心中に踏み込ませない暗い眼。
西の丸仮御進物番、長谷川平蔵である。
「強がってはいねぇですよ。しかし、田沼様の賄賂係がなんの御用でしょうねぇ」
「私は命の恩人だよ。何か言う事はないのかね?」
「だから、あっし一人で片付けられたと言ってるでしょう。そもそも、こやつらは一橋の手先でございますよ。田沼派の長谷川さんが殺っていいんですかねぇ?」
すると平蔵は足元の骸を一瞥して、冷笑を浮かべた。
「別に。今まで散々殺り合っている仲だ」
平蔵は血脂を払うと、刀を鞘に納めた。
「それで、あっしに何か?」
「おぬしではない。独狼に用事があってな。助太刀はたまたま見掛けたからさ」
「へぇ。独狼の旦那なら、もうすぐ来ますぜ」
月に照らされた道の先に、こちらに向かってくる影があった。
「あれか」
貞助は頷く。
黒羅紗洋套を羽織り、塗笠を目深に被った男。独狼の平山雷蔵である。
雷蔵は、二人の前で歩みを止めた。塗笠の庇を摘まみ上げる。潰れた左眼には、黒い眼帯。一緒に大名行列に斬り込んだ時に受けた傷だった。
「遅いぞ」
雷蔵が、相変わらず熱感の無い声色で言い捨てた。
「遅いって、雷蔵さん。そりゃないですぜ。見てごらんなさい、この骸の山を」
「別にお前が殺ったわけではなかろう」
「それはそうですが」
「お前が遅いせいで、久し振りに夢を見てしまった。嫌な夢をな」
そこまで言うと、雷蔵が唯一残った右眼を平蔵に向けた。
狐のように切れ長で、それでいて美しい右眼である。
「蛇の平蔵さんが何の用だ?」
「ああ、ご機嫌伺いですよ。田沼様のご命令でね」
「ふん。まだ田沼は俺を麾下に加えたいのかい?」
「そのようですね」
「俺はもう武士ではない。髷も結っていなければ、腰には大刀一本だけだ」
雷蔵は、もう二度と武家には仕えない。その決意を込めて、髷を切り蓬髪にしていた。腰の一刀も、代々平山家に伝わる扶桑正宗だけだ。
「それは構わないそうですよ。田沼様のご家中には、百姓なり商人なり浪人なり多種多様ですから」
「こちらが勘弁なのだ」
雷蔵が貞助に目配せをして踵を返した。ついて来い、という意味だろう。
「平山殿。実は用件はもう一つありましてね」
「何だ?」
「夜須藩。あなたの故郷に関する事です」
その時、雷蔵が振り向いた。
微かに口元に力が入ったのを貞助は見逃さなかった。それは貞助も同じで、夜須藩は貞助の故郷でもある。
「棄てた故郷だ」
「相賀舎人殿が、田沼様を通じてあなたをお呼びしたいと」
「相賀……」
「藩が潰れるかどうかの問題だそうで」
平蔵の言葉に、雷蔵が小さく溜息を吐いた。
相賀舎人。かつて雷蔵の父である平山清記や栄生帯刀、添田甲斐と共に栄生利景を助け、そして栄生利重に抗った男だ。しかし、土壇場で清記たちを裏切っている。
「何処へ行けばいい?」
「まずは江戸へ」
「わかった」
雷蔵が平蔵と貞助の前を通り過ぎた。この山を下れば、江戸へと続く街道に出る。
貞助と平蔵は、慌てて雷蔵の後を追った。六人の手下は、いつの間にか消えている。
「雷蔵さん、どんな夢を見たんで?」
貞助が後ろから声を掛けた。勿論、返事は無い。
「私もそれは聞きたいですね。独狼と畏れられる人斬り雷蔵がどんな夢を見るのか?」
「昔の夢さ。親父が生きていた頃。初めて人を斬った時の事だ」
珍しく雷蔵が語り出した。変な事を言うと、この男は口を閉ざしかねない。
江戸までは長い。しかも、夜須藩に関わる問題が待っている江戸への道である。雷蔵の昔話を聞くというのも一興というものだ。
「あれは、日向峠だったか。雨が激しく降っていた」
〔了〕
illustration by アマリさん
僕はこの「念真流サーガ」を生涯書き続けたいんです。
「狼の贄」を書き終えた今、その続編たる「狼の裔」をどうしても書き直したくなった。
でも、その時間があれば公募用の作品を書くべきだと思う。そんな迷いに頭を悩ませていたら、こんな短編を書いてしまいました。
「狼の裔」を書き直さないと、自分自身に納得出来ないという思いも強いですし。
しかし、書籍化の形は何もコンテストだけではないですねぇ、と色々思ったりもします。