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慎重な異常者

作者: 朝倉神社

 くねくねとしたカーブの続く道を俺は愛車に乗って走らせていた。

 走っている道はほとんど利用する人間のいない道路なので事故の心配はほとんど無かった。何しろこの先にある民家は俺の家のほかに、一軒の農家しかない。道路は行き止まりというわけではないから、誰かが通る可能性もあるが、5年前に作られた県道に車の流れは移ったために、地元以外の人間が年に一度か二度迷い込む程度である。


 3連休を利用して、隣の県でキャンプをしてきた帰り道である。山奥に住んでいながら、何でキャンプに出かけるのかと周囲の人間には不思議がられるものだけども、自宅と他所とでは雰囲気は違うし、俺は基本的にキャンプ場を利用することは無い。誰も来ないような山奥を散策して、適当なところにテントを張ったりして過ごすことにしている。


 キャンプ場のよさを否定するつもりは無いが、俺の求めているものはそこには無い。残念ながら、今回の三連休でもここぞという場所にはめぐり合えなかった。自分の中にある理想の場所を見つけることが簡単でないことは良く分かっている。


 何年も休みの度に、走ったことの無い山道を走り、時折車を止めては歩いて中に入るというのを繰り返している。でも、どうしても一つ二つ条件に合わないことが多いのだ。人が全く来ないというのは最低限の条件だが、ある程度山の中に入ったつもりでいても、山菜の生えているようなところであれば、春先には地元の老人達がビックリするようなところに現れることもある。


 人の足跡も無く、なんだったら獣の糞が落ちているような人外の領域を見つけたつもりでいても、今度は鹿狩りの猟師に遭遇したりするものである。こんな山奥に、と思っていても案外に人は入ってくるらしい。そんなこともあり、今回のような三連休を利用して、山深いところまで足を進めてみることもあるのだけれども、結局のところアクセスがし難くなるのだ。


 アクセスがしやすく人が来ないなどという相反する条件の場所など早々見つからないというのは百も承知である。それでも、いささか疲れてきた。場所を見つけることは入り口に過ぎず、やりたいことはもっと別にあるのだから、早くケリを付けたいものだと思っていた。


 ハイビームの明かりに照らされた暗い山道を慣れた感じでハンドルを切っていく。特徴の無い道であっても、周囲に生えている植物や僅かな景色の違いで、いま走っているところがどこら辺なのかはおおよそ分かる。たぶん、あと1キロほどで自宅に着くだろう。


 前方にあるUターン並みの急カーブを前に、ブレーキを踏んで減速する。

 直後、大きな影が車の前に飛び出してきた。軽く踏んでいたブレーキを全力で踏み込んで急停車する。下手にハンドルを切ると崖の下に真っ逆さまに落ちるので、山道で動物に遭遇したときはブレーキを踏むだけでいい。

 甲高い音を響かせて車が急停止すると、ボンネットを力強く叩かれた。何かが乗り上げたわけではない。寸前で停止した車に両手を突いた人の手によるものだ。


 車のエンジンを掛けたまま、ドアを開けて外に出ると髪の長い女の人がバンパーの前に立ちすくんでいた。


「大丈夫ですか」


 幽霊など微塵も信じていないけども、背中をゾクゾクとしたものが駆け上がってきた。車すら通らない山奥で、歩いている人などいるはずがないのだ。目の前の女が実在しているのか怪しいものだ。


「た、助かった」


 震えるような声をあげる女性にはちゃんと足が付いていた。よく見ると長い髪の毛に隠れた顔は、至って普通のもので、口が裂けているわけでも白目をむいているわけでもない。20代前半の大学生かOLというところだろう。ただ、藪を突き抜けてきたためか服のところどころが破け二の腕からは僅かばかり出血も見られた。


「ちょっと待ってて」


 いったん車に戻り未開封のペットボトルを一本手にとって彼女へ渡すと、安全かどうか確認するそぶりも見せずに一気にあおった。よほど喉が渇いていたのだろう。


「すみません。ありがとうございます」

「いえ、それよりどうしてこんな山の中に。ここ普通に車が通るところじゃないですよ」

「…彼氏と喧嘩して、山の中で下ろされて」

「それは大変でしたね」


 恥ずかしそうに顔をゆがめるが、まあ想像通りだ。車も走らないような山奥まで歩いてくる酔狂な人間はいない。登山の格好ならともかく、ワンピースにヒールなどありえないにもほどがある。


「この道歩いたら街までたどり着きますか?」

「一箇所T字路があるので、そこを右に行けば大丈夫ですけど歩いたら3時間くらい掛かりますよ」

「はあ」


 大きなため息をついて座り込む女性を見て、どうしようかと思案する。歩いて3時間でも、車で行けば30分程度で下山は可能だ。だが、集落にホテルなんて施設はないし、路線バスが走っている時間でもない。駐在所の夫婦をたたき起こして、一晩泊めてもらうのが確実だろうけど、何よりも6時間も運転してきたのでへとへとなのだ。


「二つ提案があります」

「なんですか」


 希望に満ちた目で見られるけども、提示できるのはそれほどいいものではない。


「勘違いしないでくださいね。私は親切な人間ではありませんから」


 一言釘を刺しておいてから、提案を口にする。


「一つはこのまま山道を歩いて降りることです。車通りは少ないので、他の車にあう可能性は時間帯も含めて著しく低いです。でも、行くというのならペットボトルは提供します。二つ目はこの車に乗って、私の家まで一緒に来ますか?部屋は余ってますし、泊めるのは問題ないですが、私は一人暮らしです。明日であれば仕事のついでに、街のほうまで連れて行くことも出来ます。ただ、今日は疲れているんで、下まで送るのは正直面倒です」


 女性は引きつったような笑みを浮かべた。いつから山道を彷徨っていたのかはわからないが、道路でない道を歩いていたとは考えられない。急カーブしている道路に飛び出てきたということは、おそらく道沿いを歩いていて足を滑らせて崖を駆け下りたところが、車の前だったのだろう。月明かりでどうにか道は見えているはずなので、それほどまでに疲労が蓄積されているということだ。


 どちらを選んだところで、デメリットが目立っている。それほど疲れている状態で集落まで歩くのは危険であるし、山奥に住む男の家に向かうのも出来れば避けたいだろう。男に酷い目にあった後ならなおさらだ。


「私の家はここから数分の距離ですが、そこから1時間くらい歩けば家族で住んでいる家もありますよ。たぶん、来る途中通ったと思いますが、林道を進まないといけないから気付かなかったのでしょうね。挨拶程度しかした事はないので、どんな人達か知らないですが、私の家よりマシかもしれない」


 どうしたら良いのか考えているのだろう。さっさと帰って休みたいというのが本心だけど、さすがに車の前に立たれていては発進も出来ない。疲れきった頭では考えもまとまらないのだろう、たっぷりと時間を掛けて女性は結論を出した。


「あの、泊めてもらってもいいですか。正直、これから3時間歩くのは…」

「そうですか。構いませんけど、じゃあ助手席にどうぞ」


 女性を促して自分は運転席に乗り込んだ。助手席に乗り込んだのを確認して、もう一本のペットボトルを手渡すと、車を発進させる。急カーブを曲がり、アップダウンを繰り返して少し走ったところで林道に入る。程なくして我が家が見えた。

 古い日本家屋を安く買い取って、DIYで内装だけはキレイにしたけども概観は築100年越えの古びた建物だ。山奥にある古ぼけた家というのはホラー映画に出てきそうな雰囲気もあり、初めて訪れる人には軽い恐怖を植え付ける。案の定、横に座っている女性の顔がわずかばかりに引きつっているのが分かった。


「見た目は古いですが、中はきれいにしてますから」


 そんなことを口にしつつ、車を適当なところに駐車する。特に駐車場という区画を設けているわけではないので、家の前の砂利の部分であればどこでも構わない。


「こっちです」


 エンジンを切って玄関へと案内する。古い横に開くタイプの扉で、一応鍵は付いているもののその気になればマイナスドライバー一本で開きそうなほど脆い。キシキシと音を立てて、扉を開けると玄関マットの上に一匹のデブ猫が座していた。


「ただいま、ポー」


 ポーと呼ばれた猫はお帰りというように大きなあくびをすると、部屋の向こうへ消えていった。


「かわいいですね。何猫ですか?」

「さあ、雑種だと思いますよ」


 ポーは5年ほど前にこの家に移り住んだときから一緒にいる。どちらかというと、ポーの住んでいる家に俺が引っ越してきたというほうが正しいのかもしれない。全体的には白をベースに茶色と黒のぶちがある目つきの悪い猫だ。初めて見たときは、これほど太ってはいなかったが適当に餌を与えているうちに見る見る大きくなっていった。


「こっちです」


 女性をダイニングの椅子に座らせると、風呂を沸かしに移動する。この家を選んだ二番目の理由が、前の住人がこだわって造ったと見られる岩風呂だ。残念ながら温泉が引かれているわけではないが、外に面した窓を全開にすれば、露天風呂のようにもなる。浴槽の大きさは普通より少し大きい程度なので、お湯を張ったところでそれほど水道代を気にする必要も無い。

 蛇口の栓をひねり、湯温を確かめると勢いよくお湯を溜めていく。


 キッチンに戻る途中に、薬箱を棚から取り出しテーブルの上に広げた。


「これで、消毒をするといい。風呂が沸いたら入りなさい」

「ありがとうございます。でも、そんなに親切にしてもらわなくても」

「親切ではないよ。悪いけどそんなに泥だらけの体で布団を汚してほしくないだけです」


 恐縮するような女性に本心で答えると、彼女は自分の体に視線を落として恥ずかしげに小さな声で「すみません」と言った。女性は見る限り汗まみれだし、泥まみれで服だけでなく、顔や髪の毛も砂埃で汚れているのが部屋の明かりの元だとハッキリわかった。


 女性が消毒液を手にして、二の腕の傷を治療している間に、車に乗せていたキャンプ道具やらを倉庫の方に収納する。テントやタープを洗うのは今度にして、とりあえず袋から出して物干し台に掛けておく。少なくとも湿ったまま片付けるのはよろしくないから。ランプやナイフセット、キャンプ用の食器セットに、スコップなど雑多なものを2畳ほどの小さな倉庫の所定の位置へと片付けていく。


 部屋に戻ってくると、女性は治療をとっくに終えて手持ち無沙汰で椅子に座っていた。若い女性ならスマホの一つでも操作しそうなものだけど、彼女は持っていないのだろう。もっとも、ここには携帯の電波が通っていないのであまり意味は無いのだけれども。


「電話をかける必要があるなら、そこの固定電話を使うといい。ここでは携帯が使えないから」

「そうなんですね。でも、大丈夫です。スマホは無いですし、電話も明日お借りします」

「そうですか。それと、お風呂もそろそろ良いと思います」


 女性を風呂場のほうに案内し、洗濯済みのバスタオルとスウェットを手渡す。温度調整の仕方などを一通り教えてから脱衣所を後にする。


「ここは一応、鍵が掛かるようになっているので、それではごゆっくり」

「すみません。何から何まで」


 女性を寝かせるための客間に入ると、押入れから来客用の布団を取り出す。事前に分かっているときにはあらかじめ干しておくのだけども、急だったため若干埃っぽいが気にすまい。敷布団と掛け布団、枕を準備して部屋を後にすると、キッチンに戻り冷蔵庫を開けた。


 普段から自炊するようにしているので大抵のものはそろっている。食パンを手に取り、バターを塗ってレタスを千切り、ハムとチーズを乗せる。トマトをスライスして載せたところでマヨネーズを適当にかけてもう一枚のパンでサンドする。寝る前なのでコーヒーよりココアの方がいいだろうかと、牛乳を弱火で温め始めた。

 部屋の時計を見ると、12時を少し回っていた。


 仕事は8時に家を出れば良いので、まだいくらかゆとりはある。

 それにしても疲れたなとリビングのソファに体を沈ませた。これからどうしようかと思考する。今回のキャンプでも収穫は微妙だった。悪くは無かったと思う。ただし、アップダウンが激しい上に、獣すらも通らないのだろうか、地面の生える植物の絨毯が思いのほか分厚くて砂漠の中を歩くよりも前に進むのが難しい。


 人が来ないという点においてはおそらく合格点だと思う。

 ほかに調べるべき問題は季節の違いだろうか。

 いまは秋の入り口くらいで、落ちた枝葉の多い時期だった。春先や夏場であればもっと歩きやすいのかもしれない。


 一年を通して人が来ない。そんな確証を得るというのは無理だろう。どこかで妥協すべきかもしれない。そんな風に思いはするものの、妥協することは許されない。


 火の弾く音が聞こえて、あわてて立ち上がった。

 牛乳がナベから溢れそうになっていた。いや、一部はすでに溢れているのだろう。思考に没頭しすぎていたようだ。疲れているのだろう。それに、適切な場所を探すことよりもまずは、風呂場にいる女性のほうが先だ。


 沸騰した牛乳にココアパウダーと砂糖を入れてかき混ぜる。火を止めてカップにココアを注いだところで、女性が湯気を上げてキッチンに戻ってきた。割と早かったなと思いつつも、見ず知らずの他人の家の風呂で長湯する厚顔無恥なものなど稀だろうかと納得する。


「すみません。ありがとうございます」

「汚れたものは洗濯機に入れて、洗ったら良いよ。乾燥機も付いているから、明日の朝には乾いているだろう」

「でも、うるさくないですか」

「私は特に気にならない」


 風呂場から寝室は離れているし、そもそも騒音の中でも熟睡できる自信がある。


「それから、腹も減っているだろう。大したものではないが、これを食べるといい。それからあっちの部屋に布団を用意した。干してないから多少におうかもしれないが、そのくらいは我慢してくれ。では、私もお湯を頂くことにするよ」

「あの、ありがとうございます」


 何度目のありがとうだろうかと思いながら、キッチンを後にして風呂場へと向かった。自分の入った湯に他人が入るのは若い女性なら嫌がるものだろうかと、ふと頭をよぎったが自分の家で遠慮する必要は無いだろう。そもそも、そういう考えなら、湯船に浸からずにシャワーで済ましているはずだ。


 適当に体を洗い温かいお湯に身をゆだねる。

 全身から疲労物質がお湯に溶け出していくのを感じながら、自分自身も一体になるような錯覚を覚える。なんでお湯に浸かるというのがこれほど安心して、気持ちが良いのか不思議に思う。


「さて、どうしようか」


 状況を整理しよう。


 女性は男性とドライブしている途中で、喧嘩をして山中で下ろされた。そこから山道を歩いていたのだろう。二人が通っていたのはおそらく新しい県道のはずだ。旧道に迷い込んだのはおそらくT字路を間違って曲がったのが原因だ。明るいときなら看板を見て気付くだろうが、暗がりになっていたら看板を見逃す可能性はある。その場合、いったん下り坂になっている旧道を選択するというのは山を下りたい人間なら普通の思考だと思う。


 新道にしても、一日の通行量はほとんど無い。そこで人に見られた可能性はどれくらいあるだろうか。地元の人間なら、あの山道を歩いている人を見かければ声をかける可能性が高い。閉鎖的な田舎ではあるけども、集落の人間は基本的に親切なものが多い。歩行者を見れば声をかけている可能性が高いだろう。


 だとしたら、女性は誰にも会わずに旧道に入ったかもしれない。旧道は新道に輪を掛けて車どおりはない。何しろ俺か少し先の一家以外に利用するものがないのだから。やはり、女性は俺以外の人間と接触していない可能性は高いかもしれない。


 それとなく聞いてみようか。 

 最後の目撃者は女性の彼氏ということになるのだろうが、山道で彼女を置き去りにしたなどということは、そうそう口に出来ることではないのだろう。男から情報が漏れる危険は薄いかもしれない。


 これはチャンスだろう。

 これほどの好機は次にいつ現れるか分からない。

 

 人を殺したい。

 そんな欲求が芽生えたのは10年以上も前のことだった。

 人を殺すことが目的で、殺したい相手がいるわけでもない。自分の欲望が異常であることは理解していたし、自分が異常者だと言う自覚もあった。ただ、人殺しにはリスクが伴う。


 自分の欲望には、トライ&エラーを繰り返すことは出来ない。失敗はすなわち刑務所行きという大いなる罰則が強いられる。下手をすれば死刑ということすらあるだろう。だが、この気持ちを抑えることは出来なかった。


 だったら、失敗しないように全力で挑むしかないと考えた。

 そのために、各地を走り、人里はなれた山奥の一軒家を手に入れた。自分の庭先に人を埋めるのはリスクを伴う。しかし、だからといって山奥に埋めたところで、どういうわけかニュースを見ていると死体は発見されるらしい。人が決して近づかない、死体を埋めるのに適した場所を探して毎週末出かけている。


 しかし、人が近寄らない場所は、歩くことが困難で、とてもじゃないが人一人を抱えて歩けるような場所ではない。歩きやすく、且つ人が来ないという矛盾した場所を5年近くも探しているのに見つけることはできなかった。

 

 10年以上も抱える異常な欲望をよく抑えられているなと自分でも感心する。おそらく、こんな風に実行の機会に迎えて、計画を立てながら奔走している所為だろう。それが、ギリギリのところで精神を安定させ、凶行に走らせていないのだと思う。

 

 この家には地下室もあり、しばらく監禁することも十分可能である。悲鳴を聞かれる心配も無い。後は捨てる場所を見つけて、得物をじっくりと選ぶだけだと思っていた。

 だが、捨てる場所よりも先に得物が現れてしまった。


 地下に監禁しつつ、捨てる場所を選別したほうが良いだろうか。

 いままで確認した場所は全て記録しているし、その中から選ぶことも出来る。人を抱えて進むには厳しい山奥でも、バラバラにしてしまえば運搬の苦労は減るだろう。同じ場所に何度も足を運ぶというのはそれだけでリスクを背負うことになるかもしれないが、これは好機なのだ。


 しかし、人を刻めば血が流れる。この家に証拠を残すことには抵抗があった。そのため、殺しの方法は首絞めにしようと前々から計画していた。女性を家に招きいれた時点で、彼女のDNAはそこかしこに付着しているだろう。そう考えるとすでに手遅れかもしれない。


 女性の失踪と自分とを結びつけるものがなければDNAの採取も行われないはずだという風にも思える。彼女の男が探しに来るだろうか、或いは友人や家族はどうだろうか。

 来たとしても「知らない」と言い切れる自信はある。


 だが、準備が足りないのかもしれない。不確定要素が多すぎるのだ。

 異常者でありながら慎重さを併せ持つがゆえにいままで逮捕されることは無かったという自負はある。あいにくと刑務所に入っても構わないとは思えないし、普通の社会生活に対する未練もたっぷりとある。だからこそ、慎重に事を進めてきたのだ。


 やはり、今回はただの親切な山奥の男ということにしよう。


 少し長湯しすぎたかなと火照った体を起こして湯船から上がった。キッチンに戻ると、サンドイッチを乗せていたお皿やココアのカップはきれいに洗って水切りにおいてあった。悪い人間ではなさそうだ。まあ、悪い人間はこちらの方だろう。と心の中で呟いた。


「すみません。色々とありがとうございます」

「いえ、大したことではありませんから。それと、私は大体8時ごろに家を出ます。下の集落だとバスも本数が少ないので、その先の駅までお連れしますが、スマホがないとおっしゃっていましたが、財布はお持ちですか?」

「いいえ、バッグをどこかで落としたみたいなんです」


 はやり手を出さなくて正解だったかもしれない。山のどこかに財布の入ったカバンがあれば、それが見つかったとき近くに住む俺の元に警察が来る可能性は否定できない。


「お金を貸しても良いですが…」

「そこまで甘えるわけにはいきませんので、電話をお借りできれば駅まで向かいに来てもらいます」

「そうですか。そのほうが良いですね」

「はい。親切にありがとうございます」

「では、そろそろ寝ましょうか。何か飲み物等が必要になれば、コップはこちらにありますし、冷蔵庫も勝手にあさってもらって構いませんので。では、おやすみなさい」

「ありがとうございます。おやすみなさい」


 彼女が客間へと向かうのを見送り寝室へと入った。

 ベッドにもぐりこみ、天井のシミを見つめながら考え事に没頭する。


 俺はこの黒い欲望をどこまで我慢できるだろうか。いっそのこと、女性の首を絞めてやりたいという思いが渦巻いているのも確かだ。女性の細い首は絞めるにはちょうどいい。両手で力強く締め付ければ、あっという間だろう。だが、それはもったいない気もする。


 せっかくの初めての殺しなのだ。じっくりと味わいたいと思う。首を絞められたらどんな声を上げるのだろうか。気管が締まれば声もでないのだろうか、かえるを潰したときのようなグェというような声で鳴くのかもしれない。徐々に呼吸がつまり顔は一時的にゆでだこのように真っ赤になるだろう。そして、しばらくすると青白くなるはずだ。意識を失う寸前には目玉が上に行き、白目になる。


 どれだけキレイな女でも最後はいつも一緒だ。

 だから得物を選ぶときに、見た目の良し悪しは気にしないことにしている。

 キレイな女も、不細工な女も、変わらない。

 妄想を抱きながら俺は意識を沈ませていった。


 翌朝、目を覚ました俺はまだ昨日の疲れが残っているのか酷く重い倦怠感に見舞われていた。人の通れないような山道を歩き、6時間以上も車を走らせていればそんなものかと思う。40目前で決して若くも無いのだから仕方がないだろうと思った。


 キッチンに行くと、ポーが擦り寄ってきたので餌と水を新しくして自分の分のトーストを焼いた。冷蔵庫から牛乳を取り出して、思ったより減っていることを不思議に思う。トーストが焼きあがったので、お皿を取り出そうとして食器棚の皿が一枚減っているのに気が付いた。流しの方を見ると洗ってある食器が目に付いた。キャンプに行く前のものだろうか。


 よくよく思えば、トーストも記憶にある枚数より少ない気がする。まだまだボケる年齢でもあるまいと思うけども、疲れている所為かと気にしないことにした。


 身支度を済ませて、いつも通り仕事に向かう。

 いつになれば人を殺せる日が来るのだろうかと、今週末に向かう山奥を考える。今度はどこに向かおうか前に行った小さな沼地の先を探索してみるか、それとも春先に行った渓谷の様子をもう一度確認してみようと、そんな風に考える。


 赤信号で車を止めると、太陽光に照らされて薄汚れたボンネットの上に手形が二つ付いていた。

 誰がつけたのだろうかと小首をかしげる。

 信号が青になると、ゆっくりと加速して法定速度守って仕事場に向けた走っていく。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

ホラーを書くのは初めてですが、ちゃんと怖かったでしょうか。

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