第1話:出会いは突然に
小さな村の穏やかな朝。
鶏の鳴き声とともに村人が起き出し、いつもと変わらぬ日常が始まる。
男達が家畜と畑の様子を見に行っている間に女達が朝食の支度し、朝食の良い匂いが村に立ちこめる頃、その匂いに目覚める者が一人。
村から少し離れた丘の上に建つ洋館、村人から厚い信頼を一身に受けるこの村の領主。
年の頃30前後とまだ若く、しかも独身、一人暮らし。
長く艶やかな黒髪を一まとめに結わえ、瞳は草原を映す翡翠色、整った容貌が冷たい印象を与えがちだが、心根は村の誰よりも暖かいと評判で、少し陰のある印象がまたいいと特に若い娘達に人気がある。
普段ならば目覚めの紅茶を飲み、優雅に朝の時間を過ごす。
そう、普段ならば。
ドッゴォォォォォン
突如、村中に騒音が響き日常を打ち壊した。
それが全ての始まり。
村の広場に何かが墜落した。
小さな村はパニックに陥り、誰か領主様を呼んで来いと、村の老人が思い付いた時には領主はすでに広場に到着し、陥没した穴を覗き込んでいた。
見事に陥没した広場に、今年の収穫祭は別の場所でやるしかないなと、見当違いの事を考えつつ中心を見ていると、もぞりと地面が動き、地面から手が――悲鳴が上がるより先に領主が動く。
地面を滑り、中心に着くと、土をどかそうとしている手を迷わず取った。
誰か縄を――叫ぶや誰かが走ってゆく気配。
まだ小さな手だった。
大人になりかけの子供の手。
子供を大事にする領主は、頑張れと声を掛けながら必死に土を掘り返した。
掻き分けても掻き分けても土が崩れてきてきりがない。
このままでは窒息してしまう、焦りだけが募る。
「くそっ」
悪態を付いたその時だった。
「あの……」
か細い声が土の中から聞こえた。
「生きているんだな、待っていろ、今助ける!」
「いや、あの、そうじゃなくてね」
焦る領主に反し、どこか申し訳なさそうな声が領主の足元を指した。
「ちょっと退いてくれる?」
「……」
緊迫した状況下、どことなく暢気な喋り方に少し気が抜け、冷静さが戻ってくる。
「領主様!」
声に視線を上げれば、村人らが縄を調達してきたらしい。
投げる動作をした村人らを制し、掴んだままだった手に視線をやる。
「……」
一歩後ろへ下がると、軽く礼を言われた。
「ん」
二本目の手が出てきたのは、ちょうど膝を付いていた場所だった。
「悪かった」
「気にしないで」
見えた掌を取り、引っ張ってやると、面白いほど簡単に体が土から出てきた。
村人の歓声が響く。
現れたのはまだ10にも満たない金髪碧眼の美少年。
土まみれでも損なわれない美貌に天使かと一瞬誰もが息を飲んだ。
「助かった」
領主の顔を見てへにゃりと笑う。
途端に体中の力を抜いて領主にもたれ掛かる。
「縄を!」
叫び投げられた縄を少年の体にくくり付け、引っ張るように指示する。
次いで投げられた縄で領主が穴から引き上げられ、少年を館に運ぶよう伝えた。
「女達は家に戻って子供らに朝食を、男達は穴に子供が落ちぬよう柵を作りなさい」
長老の言葉にそれぞれが動き出す。
朝から疲労に見舞われた体を引きずりながら館に戻った領主は、ふと後ろを振り返って広場のある方角を見た。
「……」
何もない。
広場だった周囲には障害物が一切なかった。
木の一本さえ生えていない。
あれだけ地面を派手に陥没させたのだから、相当な高さから落ちたのだろうと思っていたのだが……冷静になってみれば不思議な事ばかり。
少年は一体どこから落ちてきたのだろうか。
そして何より、なぜ地面の中で喋れたのか。
今は非日常にパニックを起こして気付いていない村人達も、明日辺りになれば同じ事に気付くだろう。
それまでに少年に事情を聞かねばならない。
村人に害をなす者ならば対応を考えねばならない、村を護る領主として。