おはようは言いたくなかった
ふわりと意識が覚醒する。
随分と長い間眠っていた気がする。頭の働きがおぼつかない。
開いた目で周りを見ると、ここはどうやら屋内で、私は寝台に寝かされているらしい。
『ふぁあ……。なんや、起きてしもたわ。寝て起きたら消えてなくなりゃいいと思っとったけど、そう甘くはいかへんか』
「……ルージュちゃん?」
『せやで。おはよーさん、ミーチェ。具合はどんな?』
柘榴石の瞳がひょこっと私を覗き込む。艶やかな赤髪ははらりと肩を滑り落ち、白くほっそりした喉をより一層印象深く際立たせた。
綺麗な赤だ。手を伸ばせば溶けて消えてしまいそうなほど、美しい紅がそこに居た。
『あかん……。うちの細部を具現化するまでに深刻化しとる……』
「おはようルージュちゃん。今日も綺麗だね」
『あんなぁ、うちは元々ミーチェの一部なんやから、それって熱い自画――』
言葉を聞き流しつつ寝台から体を起こすと、違和感に気がついた。
寝ている間も左手に強く強く握りしめていた、火の消えた松明。なんで私はこんなものを後生大事に持っているんだ。
邪魔なそれをぽいっと投げ捨てると、ルージュちゃんは更に頭を悩ませた。
『依存対象が松明からうちそのものに移っとる……。やばい、本格的にやばいで……!』
「それよりルージュちゃん、あの後何があったの?」
『ええー……。そうやなぁ』
状況説明を求めると、ルージュちゃんは少し考え込んだ。
『ミーチェが寝た後、勇者のやつが現れたんや。そいつに聖剣突っ返したろうとしたんやけど』
「したんだけど?」
『……渡しそこねて、逃げられた』
「だめじゃん」
『堪忍や』
ふっと違和感を感じる。ルージュちゃんが言ったことは間違いじゃないけど、大事なことが抜けているような、そんな違和感。
ふるふると頭を振って違和感を飛ばす。ルージュちゃんが言うことに間違いなんて無い。あるわけがない。
事実、私の枕元には変わらず聖剣が置かれていた。これは未だ私の手元にある。結局それは変わらない。
いち早く本来の持ち主である勇者に返さないといけないそれを片手で掴むと、ルージュちゃんが息を呑んだような気がした。
「? どうしたの?」
『……いや、なんでもあらへん』
「変なの」
ひらひらと手を振って、ルージュちゃんは状況説明を続ける。
『どうもこうも無いから、生き残っとった冒険者のにーちゃんと協力して一旦街まで引き返したんや。そこまででえろうくたびれたもんやから、後のことにーちゃんに丸投げして、寝た』
「寝たって」
『そんなわけでここはギルド併設の診療所やでー。うちらは正規のギルド組員ではないんやけど、にーちゃんの手引で使わせてもろとる。体の方もちゃんとした手当されとるやろ?』
そう言われてみると全身包帯まみれだ。体を動かすと少しぎこちない。
まるで怪我人のような有様というか、怪我人そのものだった。
『痛いとこあるか? 回復魔法で誤魔化すくらいならできるけど』
「ううん、大丈夫。魔法で治すのって長期的には良くないし」
『ん。しばらくは不便かもやけど、我慢してな』
オツムの方も治ればええんやけどなー、とルージュちゃんは遠くにぼやいた。失礼なやつめ。
診療室の扉がノックされる。どうぞーと返事をすると、ギルドのお姉さんが入ってきた。
「目覚めていらしたんですね。……話し声がしたと思ったのですが、気のせいですかね」
『気のせいやでー』
「気のせいだそうです」
「なんですか、それ。お体の具合はいかがですか?」
簡単な問診を受けて、体の調子を確かめられる。包帯まみれだけど重傷は無し。
しばらく安静にしているようにとのお達しを受け、処置は終了。お世話になりました。
「ミーチェさん。あなたにはいくつか聞きたいことが有ります」
ここからが本題とばかりにお姉さんは切り出した。
「あなたが南方の山に入ってからの経緯を詳しく聞かせていただけますか?」
「……? どういうことですか?」
「既に冒険者の方より報告を受けているのですが、いささか信じがたい内容でして。一般人であることは承知しておりますが、ご協力いただければ幸いです」
なんだなんだ、事情聴取か。私は悪いことしてないぞ。
どうしよう、と考えると、ルージュちゃんが『好きに答えてええでー』とのんきに言っていた。
「えっと、山に入って進むうちに私はゴブリンの死体を見つけて――」
かいつまんで説明する。
ゴブリンの死体を勇者の痕跡と考えて、跡を辿ったこと。
ゴブリンの棲家らしき洞穴の内部に特攻したこと。
内部の広間でゴブリンと冒険者の戦闘に出くわし、巻き込まれて剣を振るったこと。
その後のことはよく覚えてない。私の意識があったのはそこまでだ。
「覚えてない、ですか?」
「はい。その後のことは無我夢中でしたので」
「奇妙ですね……。あなたと協力して、その、敵に挑んだという報告が上がっているのですが。こんな人里近くにあんな大物が出るなんて、やはり報酬目当ての虚報……」
『あーっと』
それは困る、と言わんばかりにルージュちゃんが声を上げた。
何か言いたいことがあるらしい。『喋ってええか?』とルージュちゃんが言うから、口の支配権を彼女に渡した。
「なんや、思い出したわ。その後妙な奴さんが現れてなぁ。馬鹿でっかいゴブリンに出口を塞がれたんや。にーちゃんはゴブリンキングってゆーとったで」
「ゴブリンキング……。それは本当ですか? 間違いなくゴブリンキングだと?」
「うちは素人やからよーわからんけど、そんじょそこらのゴブリンとは明らかに格が違ったわ。目ぇなんかギラギラしとったもん」
「ところで急に口調変わりましたけど」
「気のせい気のせい」
それで納得したのか、お姉さんは考え込んでいた。「いずれにせよ要調査対象ですね」とひとりごち、お姉さんは話を続ける。
「で、そのゴブリンキングからどのように逃げ延びたのですか」
「いやもうほんま大変やってんな。どーすっかなって手をこまねいとった時、あいつが現れたんや」
「あいつとは」
「決まっとるやろ。勇者のドアホよ」
勇者のドアホて。ルージュちゃんはよっぽど勇者に恨みがあるらしい。
まあ、気持ちはわかる。人類の至宝たるミーチェちゃんがこうまで振り回されているのは勇者のせいだ。私だって言いたいことはある。
さっさと聖剣返して、とっとと村に帰りたい。今の私にはその一心しか無かった。
「聖剣つこてずばーって斬り裂いて、そんで終いや。綺麗な太刀筋やったでー。さすがは本物の勇者様ってとこやな、腐れ外道のくせに」
「……事前に受けた報告とほぼ一致していますね。口裏を合わせているという筋もありますが……」
「確認すりゃ済む話やないの? あのにーちゃん、ゴブリンキングの死骸かなんか持って帰ってきとるやろ?」
最後に「返すわ、ありがとな」と小声で付け加えて、口の支配権が戻ってきた。これで十分らしい。
っていうかおい、ルージュちゃん。なんだよゴブリンキングって。そんな大冒険聞いてないぞ。
『大したことあらへんかったから割愛したんよ。ほんまに。死にかけたりなんかしとらんしとらん』
本当かなあ。でもルージュちゃんがそう言うならそうなんだろう。私はルージュちゃんを信じる。
「貴重な情報ありがとうございました。それとまだ確認はできていませんが、先にお礼を言っておきます」
「お礼? お礼って、なんのですか?」
「ゴブリンキングの討伐に寄与したことにですよ。あれは野山のゴブリンを束ね上げて、時に人里に壊滅的な被害を出すこともある大きな脅威です。何事か起きる前に討伐したとあれば、あなた達は間接的ながらこの街を救ったことになります」
そんなこと言われても。私はただ、聖剣ぶん回してゴブリンなます斬りにしただけだし。
ルージュちゃん曰く、聖剣使ってゴブリンキングぶっ飛ばしたのは勇者だし。私がしたことと言えば、その場に聖剣を持っていっただけだ。
『そーゆーことなら、報酬の方も期待できるな。ミーチェ、貰えるもんはもらっとくで』
あたぼうよ。救ったのどうのは興味ないけど、金くれるってんなら喜んでもらってやるぜい。
着の身着のまま飛び出してきたせいで路銀には極めて心もとない現状だった。多少なりとも報酬が出るってなら大いに助かる。
最後にお姉さんは「確認が取れるまでの数日は、ここで体を休めていても問題ありませんよ」という極めて重要な情報を残し、去っていった。
よっし、宿ゲット。