少女の幻想と幻想の少女
それからまた、しばらくして。
「うえぇ……。気持ち、悪い……」
頭が冷えた私は、自分が築き上げた屍の山を見て著しく気分を害していた。
転がる死体の数は10や20じゃない。これ、全部私がやったの? 私が命を奪ったの?
「殺しちゃった……。殺しちゃった、殺しちゃった、私が、私が殺しちゃった……」
『あーあー、冷静になったら冷静になったで難儀なもんやなぁ。ほな、余計なこと考えんと生き残ったわーいで済ませられへん?』
「ダメだよ……。だって、私が、私が殺したんだもん。いたずらに生き物を傷つけてはいけないって、母上様が」
『……しゃーなし、やな。ごめんなミーチェ、ちょっと眠っとり』
ふっと頭に霞がかかって、落ちていくように意識が薄まって、眠るような感覚に包まれる。
その一瞬の間に支配権を制御し、うちは表層に浮かび上がった。
「よし、成功っと……。はーあ、幻想のうちが宿主様の支配権まで奪うとか、ほんまごっついわ。ミーチェ、ちょっと休んだらしっかりするんやでー?」
体の中で眠りに落ちる頼りない宿主様に呼びかける。
堪忍してほしいわ。生み出されて数時間後には人格交代とか、いくらなんでもしんどすぎるで。
そもそもうちなんてモンが生まれてくることすら間違いやったんやから、そこんとこしっかり頼むわ。
「ってか、剣重っ……! ミーチェのやつ、よーこないなもん振り回しとったな……!」
十数キロはある金属の塊を思わず取り落としかける。なんとかかんとか鞘に収めて、紐を付け替えて背中におぶった。こうでもせな運べんわ。
なんなら左手に握る松明も捨てたろ思たけど、ミーチェが嫌がるからそれはできんかった。
愛されとるようで、歪んどるようで。うちははよ消えたいんやけどな。
「体の方もズタボロやし……。よく見りゃ全身傷まみれやんな。はー、しんど」
「これ、良かったら使ってくれ」
「あ、おおきに。助かるわ」
ただ一人生き残っていた冒険者のにーちゃんが包帯と傷薬を分けてくれた。礼を言って受け取り、簡単に手当をする。
戦闘中は必死で気づいとらんかったみたいやけど、致命傷こそないものの細かな傷が体中に作られていた。下手すりゃ失血死しかねないくらいに。
……傷跡、残らんとええけど。嫁の貰い手がなくなったら困るわ。
「助太刀、感謝する。君のおかげで生き残ることが出来た」
「大仰やなぁ、迷い込んだら巻き込まれただけなんやけど。ま、そう言うなら礼は受け取っとくわ」
正直懐が心許ないし、報酬のなんぼもせしめたりたいんやけど、仲間を失って傷心のにーちゃんにたかる気は起きんかった。
そんなことしてもうたらミーチェのかーちゃんにど叱られるわ。母上様は宿主様の心の支えやし、無碍にすることはできん。
自分の出血をとりあえず止めて、にーちゃんの手傷にも処置を施す。包帯でハートのリボンもこしらえてやろう。
「随分手慣れてるな。ひょっとして医療院上がりか?」
「ちゃうで、宿屋の娘や。しょっちゅう怪我した冒険者が担ぎ込まれるもんだから、嫌でも手当くらい上手なったわ」
厳密にはうちじゃなくてミーチェが、なんやけどな。
元はうちもミーチェの一部やったんやし、体に刻み込まれた経験は変わらん。ミーチェができることならうちも大体できる。
「宿屋の娘がなんでこんなところに……」
「ふっかい事情があってなぁ……。あ、そや。人探しとるんやけど、勇者ってここらに来とらへん?」
にーちゃんは黙って首を振った。
何度か質問を重ねても、うちらが追っとる勇者の特徴に合致する人は見てないらしい。山中に残されたゴブリンの死体も、彼と今は亡き彼の仲間が作ったものだと言う。
「……空振りやったか。あー、万策尽きたー!」
「つまり、君はその勇者を追っているうちにここに来たのか……。君には悪いが、俺はとんでもない幸運に救われたらしい」
「あー、ええよええよ。結果的に人命救えたんやし。むしろお仲間助けられんくてすまんな」
誰かを助けることを躊躇ってはいけない。これも母上様の教えってやつや。なんや、ミーチェのかーちゃんええこと言うなぁ。
そういうことならここにはもう用は無い。一度街に帰って、ミーチェが起きてから今後の相談でもしよかな。
悪いけど先帰るでー、と断って、立ち上がって。
粘ついた重々しい悪意に、身を貫かれた。
「っ……!?」
広間に続くひとつの縦穴。その奥に広がる深淵から、猛り狂った双眸が浮かび上がる。
這い出てきた豪腕が岩を掴む。丸太ほどの太さもある腕には骨飾りがジャラジャラと鳴り、続いて姿を表した巨躯もまた多彩な骨飾りに彩られていた。
姿形はゴブリンによく似ている。しかしこれは明らかに並のゴブリンではない。錆びた大剣を軽々と操り、醜悪に歪んだ顔には歴戦の傷が幾重にも刻みこまれている。
子鬼らしからぬ巨躯を持つそれは、見上げるほどの体躯に暴威を纏わせて、地響きを立てながら広場に降り立った。
「おい……、マジかよ。いくらなんでも、これは……!」
冒険者のにーちゃんが乾いた笑いを漏らす。笑いたくもなるだろう。さっきまで相手していた魔物とは、明らかに存在の格が違う。
「にーちゃん、こいつは?」
「ゴブリンキング……。そのまんま、奴らの王だ。指導者となった個体が変異して生まれるそれは、並のゴブリンとは比較にならない力を持つと聞く」
「倒せるか?」
「君が無理なら、俺にも無理だ」
いけるか、と考える。
聖剣の力があれば倒せるかもしれない。が、さすがに素人仕事じゃ手に余る相手やろうな。
体は傷だらけ。正直剣を振り回すのはしんどい。逃げられるもんなら逃げたいわ。
「あれは無理やな。にーちゃん、ここは退くで」
「退くと言っても、なにか手段はあるか?」
「知らん。宿屋の娘言うたやろ? こういうのはお門違いや。走って逃げるのが妙案ってなら話は別やけどな」
姿を表した敵の大将さんは、出口へと通じる道の前に陣取っている。
言葉は通じずとも言いたいことはよーわかる。うちらを絶対に逃がさない。ぎらつく瞳が、同族を殺された憤怒に燃え盛っていた。
「そうか。なら、ひとつ手がある」
「聞くわ」
「二手に分かれる。俺が右で、君が左だ」
「運が良かった方は生き残れるってか。もうちょっとええやつ無いのん?」
「走って逃げる」
「そら妙案やな」
左右に別れたとして、生存率は50%。低すぎる数字やけどゼロよりはマシやろ。
頭の中で魔法を編み上げる。移動時にはもっぱら大活躍の風翔靴の魔法。すぱっと走れば、生きる目も少しは出てくるんやないの。
「言うとっけど、何を犠牲にしてもうちは生きるで。悪いな兄ちゃん、人類の至宝のため死んでくれ」
「せっかく拾った命だ、俺は必ず生きて帰る。君のことは忘れない」
「恨みっこなしやな」
「幸運を」
グッドラック。作戦会議を手早く片付け、うちとにーちゃんはカツンと拳を響き合わせる。
タイミングをあわせ、狙いを定め、呼吸のタイミングを揃えて。
うちらは同時に駆け出した。