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山中道中魔物道

 ヘルンリートの南側。広大な原野を踏み越えた先、人里離れた山間部。

 勇者の足取りを追ってそこまで来ていた私は、早々に魔物にからまれていた。


「無理無理無理無理! 無理だってばー!」


 がむしゃらになって剣を振りまわす。幸か不幸か、へなちょこの切っ先が私を追い回していた大きなムカデの頭部に当たり、ムカデは体液を噴出しながらばらっと砕け散った。

 これで、4匹目。荒い息を吐いて震える体を落ち着かせる。もう散々だ。


「なんで……。なんでこの私がこんな大冒険しなきゃいけないんだよ……」


 帰りたい。早く宿屋に戻って、安全と平穏にくるまれた日常の中で埋没したい。死ぬのも痛いのも大変なのも全部ごめんだ。

 ……行かないと。早く先に進まないと、勇者に追いつけなくなってしまう。泣き言もほどほどに切り上げて勇者の後を追う。


「素人に……。一介の村娘に……。なんてことさせるんだよあのクソ野郎……!」


 人手の入っていない山道は険しく、ただ歩くことでも体力を消耗する。

 時折姿を現す奇っ怪な魔物たちの襲撃に怯え、周囲に警戒を張り巡らしながら、それでいて勇者に追いつけるほどの速度で進むこと。

 それがどれほど高等な技術を要するか、身をもって徹底的に教えられている最中だった。


「このままだと、体力が切れるのも時間の問題だ。力尽きて動けなくなる前に、何か、どうにかしないと」


 なんでこんな事になってんだろ、という極めて自然的な現実逃避はさておいて、少し手管を考える。前みたいな目に遭うのはご免だ。

 プランA。一度引き返し、装備を用意し、移動手段を使って確実に追いつく。

 なるほどなるほど、良さそうだ。ミーチェちゃんてば冴えてるじゃん、さすがは人類の至宝。

 で。そんな金はどっから生える。


「……プランB。ささっと行って、ぱっと渡して、ぴゅーんと帰る」


 事実上の無策だけど、悲しいことに一番現実的な手段だった。

 都合よく世界が私を中心に回れば実現できるかもしれない。理想の自分を追い求めよう。夢はでっかく持ちたいね。

 ひいこらひいこら言いながら山を登る。またしばらく進むと、不思議なものを目にした。

 死体だ。


「ひっ……!?」


 こみ上げる吐き気を抑える。生き物の死。突如として身近なものとなってしまったそれは、私の脳裏に確かな忌避感を刻みつけた。

 足がすくみ、体がこわばる。ダメだ、こんなものに恐れをなしていてはいけない。気持ちを落ち着かせようと深呼吸して、派手に失敗した。


「血臭が……。気持ち、悪い……」


 割愛。

 しばらくして落ち着きを取り戻し、水筒(旅人さんのものだ。これも借りっぱなしになってしまった)で口の中をゆすぐ。一息つき、覚悟を決め、鼻をつまみ、逡巡し、気を強く持って、死体を検分する。

 それは限りなく人に近いものだったが、よく見れば細部が違っていた。体色が全体的に緑がかっていて、体のパーツがところどころ小さい。粗末な衣服を身にまとい、錆びたナイフを握りしめたまま息絶えるそれは、冒険者の話に聞いたことがあった。


「人間じゃない……。これ、多分、ゴブリンってやつだ」


 人に似た人ならざるもの。亜人。

 彼らは人里離れたフィールドで原始的な生活を営み、コロニーに近寄る外敵に対して集団で強い敵意を抱く。

 個々の力は低いとは言え、知恵を持ち群として生きる彼らは、決して侮ることのできない原野の脅威だと冒険者は言っていた。


「それと、社会性が発達していて仲間を殺されようものなら必ず復讐に出るとも」


 ばっと周りを見渡す。周囲に気配は無い。

 他のゴブリンに見つかる前にすぐさまこの場を離れるべきだ。鳴り響く警鐘に従い、音を立てないよう静かに去ろうとした時、ふと頭のなかに閃いてしまった。

 このゴブリンを殺したのは誰だ。


「……まさか、ね」


 これは勇者が残した痕跡かもしれない。そう考えて周りを見渡すと、もっと嫌なものを見つけてしまった。

 緑色の強い風景を確かに彩る力強い赤の雫。点々と続き、道を示す血痕。落ち葉を踏みしめた人型の足跡と、それらが続く先にある二つめの死体。

 嫌な予感をひしひしと感じる。これを追えと、まるでそう言わんばかりの痕跡に、私は強く躊躇った。



 *****



 山中に残された痕跡を追い、幾度も見たくないものを目にしながらたどり着いたのは、小さな洞穴だった。

 洞穴周辺にはごろごろと死体が転がって、咲き誇る赤が入り口を彩る。強い血臭に鼻を抑え、湧き上がる忌避感を飲み下した。


「うっ」


 洞穴の内部。備え付けられた松明に照らされるその場所から甲高い悲鳴が上がる。

 この中で、今、何かが殺されている。おそらくは人の手で。


「……行かなきゃ」


 だとしても行かなくてはいけない。ここまで来たんだ、今更逃げるな。覚悟はもう十分にしただろうミーチェ。

 一歩、足を踏み入れる。足の踏み場もないほどぐちゃぐちゃに撒き散らされた**を踏み、お気に入りのブーツが赤く汚れた。

 汚れちゃった。帰ったらこれはもう燃やそう。全部、燃やすんだ。全部、全部、何もかも。


「同じ赤なら……。こんな血よりも、炎のほうが綺麗だよね……」


 洞穴に備え付けられた松明を外す。艶かしく燃えるそれが妙に魅力的に見えて、もっともっと、大きな炎が見たくなった。

 そうだ、燃やそう。燃やして洗おう。そうすればもっと綺麗になる。

 なんだか不思議と楽しくなって、へらっと笑って、ほいっと松明を投げ捨てた。

 血溜まりに落ちた松明の赤は、何を燃やすこと無くくすぶって消えた。


「……何をしてるんだ、私は」


 少しだけ落ち着きを取り戻す。

 正気を失いかけている、と遠いところで自分が納得していた。精神が軋みを上げている。限界が近いのかもしれない。

 なんだっていい。心に安らぎを与えてくれるなら、私はそれにすがりたい。


「やっぱり綺麗な赤だ……」


 もう一本松明を外し、恍惚と眺めた。暗闇をぽうっと照らす赤が踊るのを見ると、少しだけ気分が高揚する。

 危険な領域に踏み込んでいるのは百も承知だ。それでもギリギリの均衡を保たないといけない。この赤は誰にも渡さない。

 そうだ、名前をつけよう。こんなに綺麗な子なんだ、綺麗な名前をつけてあげなくちゃ。

 ルージュちゃんと名付けられた松明を片手に装備し、不快な赤の奥へと歩を進めた。

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