旅立つつもりはなかったのに
「来ちゃった……。ついにここまで、来ちゃった……」
旅人さんを追って、私は隣町への門をくぐっていた。
迷ったけれど、結局私は旅人さんを追うことにした。だってあの人勇者っぽいし、この剣かなりの業物だし。
もし万が一あの人が本当に勇者でこれが聖剣だとしたら、こんなもの村に置いておくわけにはいかない。聖剣は勇者の手元にあるべきものなのだ。
生前の母上様がそう仰っていたのだから間違いない。母上様が聖剣とは勇者が持つべきであると仰った以上、ミーチェは身命を賭してその言葉を守り抜く。
「でも、勇者なんて、そんな。さすがに本物じゃないとは思うけど」
母上様が読んでくれたおとぎ話の勇者様はもっと綺麗でかっこよかった。
おとぎ話をそのまま夢見るほど少女でもないけど、あの旅人さんが纏う雰囲気は私の想像していた勇者像とはちょっと違う。
かと言って勇者ではないという確信も無いし、本当に勇者だったら大変だからどのみち追うしか無い。
「逃がすかよエセ勇者……。この私にここまで手間をかけさせたこと、必ず後悔させてやるからな……」
どう始末をつけてくれようかと算段をつけながら街へと踏み入ると、単身遠くまで来てしまったことへの後悔も吹き飛んだ。
ニルムの村よりも数倍活気があるこの街ヘルンリートには、幼少のみぎりに父上様母上様に連れられて一度だけ来たことがある。
あの時は目も回るほどたくさんの人々に怯え、母上様の背に隠れるばかりだったけど、今は活気と熱気にあてられて心が躍る。
宿の手伝いを始めてから中々村を離れる機会も無かったし、ちょうどいい小旅行になってしまった。
「っと、観光より先に。旅人さん探さないと」
浮かれる気持ちを引き締めて、忘れ物を届けに行こう。ついでに愚痴のひとつもぶつけてやる。苦労させやがって。
ニルムの村より東方に行くには必ずこの街を経由しなければならない。やつはこの街のどこかにいるはずだ。探せ。そして始末するのだ。
人探しの基本は酒場から。お腹も空いたことだし、食事がてらちょっと寄ってこよう。
そんなわけでふらっと寄った酒場。うちの村では宿屋と併設されている酒場だけど、こういった大きな街の場合は冒険者ギルドの一角に置かれている。
ご多分に漏れずギルドとは荒くれ者たちの穴蔵だ。私のような可憐でか弱い人類の至宝たる純情乙女が立ち寄る場所ではないのは違いないが、ともかく私はそこに立ち寄った。
だってお腹空いてたし。
「失礼しました」
むくつけき男たちの視線に晒されて、私は戦略的撤退を敢行した。
聞いてないよ。なんだよあの筋肉カーニバルは。なんか獣みたいな匂いしたし。旅人さんはあんなタイプじゃなかったぞ。
一刻も早くこの場から逃げたくてくるっと踵を返し、他に探す宛も無いことを思い出してもう一度くるっと踵を返す。それからぐっとつばを飲み込み、意を決してギルドの中へと突入した。
「回った……」
「回ったぞ、一周。くるっと」
「ああ、確かに見たぜ。あいつ、回りやがった……」
居心地の悪い視線に晒されながら、カウンターへと忍び寄る。途中二回足がもつれた。もう帰りたい。
「ニルム村のミーチェさんですね」
挨拶も抜きに、カウンターのお姉さんは唐突に切り出した。
「……何故私の名を」
「覚えていませんか? 数年前、あなたは同じようにうちのギルドの前で見事なターンを決めていましたよ」
むしろ何故お前は覚えている。
父上様母上様に連れられてこの酒場に寄った時、私は大層戸惑った覚えがある。あの時も私は回っていたというのか。
歴史は幾度も繰り返す。しかしてそれは螺旋のようなもの。人は回りながらも先へと進み、かつての己を越えていくことができる。
かえりたい一心の気持ちを飲み込み、私は用件を告げた。
「人を探しているのです」
「お父様なら来ていませんよ」
「そうではなくて。剣の立つ人だったので、こちらに顔を出しているのではないかと寄ったのですが」
「どのような特徴の方でしょう」
「鳶色のクロークを着た黒髪の青年で、体系は細身の高身長。顔にはあまり特徴が無くて、剣技の他にも魔法の心得もある人です」
「お名前は?」
「えーっと……」
名前、なんだっけ。
旅人さんの名前は確かに聞いたはずだけど、早い話がど忘れした。皆は勇者様勇者様って呼んでたし。
私もいちいち覚えるのが面倒で、「旅人さん何食べますー?」とか普通に言ってた。
「……多分、勇者」
ダメ元で言ってみた。笑われるかもと思ったけど、カウンターのお姉さんは平然としていた。
「うちのギルドで勇者と呼ばれる人は、一人しか居ませんね。特徴も合致しています」
「え、あの人本当に勇者なんですか?」
「そうですよ。聖剣の担い手であるあの人こそ、人界の雄たる勇者様です」
ああ、やっぱり勇者だったんだ。まあいかにも勇者って顔してたし。もちろん私は最初から一度たりとも疑ったりはしてなかった。
っていうか聖剣と来たか。私が持ってるこれが聖剣だと。だったら尚更届けなくてはならない。
こそっと声を忍ばせて、お姉さんは小さく続ける。
「お気持ちはお察ししますが、勇者様は止めておいたほうが良いですよ。村からここまで追ってくるだけでも大変でしたでしょう。悪いこと言わず、あなたでしたら他にいくらでも選びようがあるでしょう」
「……? 何の話?」
「そういう話では無いのですか?」
だから何の話だよ。よくわからん。
私はただ忘れ物を届けに来ただけだ。他に選べって言われても、聖剣は勇者のものでしょう。
「失礼しました、ご用件をお伺いしましょう」
「これを届けに。あの人に渡してください」
カウンターに聖剣を置く。国家機関であるギルドの人なら信用できるだろう。少なくとも私みたいな村娘Aよりはよっぽど社会的信用のある人だ。
面倒事は他人に押し付けてミッションコンプリート。今頃父上様もさぞかし心配していることだろうし、土産のひとつも買って村に帰ろう。
「……これって、ひょっとして」
「そのまさかです。あの人、うちの村にこれ置き忘れていったんですよ」
「勇者が聖剣置いてったんですか? あの人にしては珍しく抜けてますね」
「随分とお酒を召していらしたので。そういうこともあるんじゃないですか?」
はあとため息をひとつ。手間かけさせてくれたもんだよ、まったく。直接面見て文句も言いたかったが、これで良しとしよう。
「申し訳ありませんが、これを預かることはできません」
その目論見が崩れ去った瞬間であった。
「ここだけの話ですけど、聖剣なんてもの置いておくわけにはいかないんですよ。ほら、冒険者ギルドってどこも腐敗してるじゃないですか」
「待って待って、井戸端会議みたいな軽いノリで国家の暗部を教えないでくださいよ」
「公然の秘密ですよ?」
知りたくなかった。ずっと田舎者のままでいたかった。この国大丈夫なのかな。
「こんなところに置こうものなら、半日もせずに上層部が適当な理由つけて持っていって、それを使って勇者様を飼いならして自分の派閥に取り入れるのがオチです」
「お姉さんよくここで働いてますね」
「金払いはいいんですよ。それが全てです」
お姉さんは少し遠い目をしていた。むくつけき男たちに囲まれた腐敗した職場。気苦労もさぞかし多いんだろう。
生きるってのは大変だ。私とお姉さんの間には、初対面とは思えないほど(向こうにとっては初対面じゃないんだけど)奇妙な連帯感が生まれていた。
「そうだ、誰か信用できる冒険者の方を紹介してくださいよ。その人に、勇者まで届けてもらえれば」
「それは可能ですが、依頼という形になるので報酬をご用意いただく必要が生じます」
「……相場は?」
「拘束期間にもよりますが、手早く済んで金貨数枚は固いですねえ」
なにせあの人中々捕まりませんしと、お姉さんはありがたくない情報を付け加える。
金貨数枚。それがどれほどの大金かと言えば、うちの村中全ての貨幣をかき集めてようやく金貨になるかならないかといったレベルだ。
私の所持金に限定すると銀貨にも満たない。止めだ止めだ。そんなのやってられっか。
「じゃあ私はどうすればいいんですか……」
「ご自身で持っておられるのが一番安全ですよ」
はっはっは。何をおっしゃるか。
世界の命運を左右しかねない聖剣なんですよ。一介の村娘Aに預けるのが安全だと。正気かテメエ。
「都合よく親切な冒険者が現れて、「対価は嬢ちゃんの涙で十分だぜベイベー」みたいなありがちなノリでキザっぽく無償で解決してもらう方針はいかがでしょう」
「その可能性はゼロではありませんが、あなたが今口にしたことでゼロになりました」
「正直な生き様が信条です」
「今度飲みましょうか」
私とお姉さんは固く握手を交わした。都合よくいい感じに生きたいね。世界が私を中心に回ればいいのに。
聖剣を取り直し、仕方なく覚悟を決め直す。母上様、母上様。ミーチェはかくも大変な試練に見舞われております。
「……最後に。勇者は、どちらへ」
「行かれるのですか? やめておいたほうが良いですよ?」
「逃げるわけには行きませぬ。このミーチェ、母上様より義を見てせざるは勇なきなりとのお言葉を賜っております」
勇なんて無くてもいいし安穏と暮らしていたいけれど、母上様のお言葉に背くような真似だけはできない。
ならばこれは、私がやらねばならないことだ。誰のためじゃない。私のために。
私の覚悟がどれほど伝わったか、お姉さんはしかと頷いた。
「勇者様は南方へ行くと。ついで、道中の魔物を討伐する依頼を受けておりました。危険な道です、追うとあらばお覚悟を」
「やっぱり帰りたい」
「本当に正直ですね、あなた」
魔物はダメだよ魔物は。
ここまで来る道中だって熊さんに襲われたし。ああいうのは私には無理なんだってば。ミーチェちゃんは村娘だぞ。
いやーな予感をひしひしと感じつつ、逃げるわけにもいかずに私は勇者に呪詛を吐いた。