踏みだせ聖剣の旅
夜分、のそっと起き上がる。
ついさっき眠りについたばかりの体を引き起こすのは正直言ってしんどい。でも、やらんとならんかった。
「すまんな、ミーチェ。体借りるで」
ミーチェが寝ている間に意識を掌握し、うちは活動を始めた。明日には引き払う予定の診療室を出て、きいきいと音を立てる木床を踏む。
併設されている酒場は夜も更けてきたというのに変わらずのどんちゃん騒ぎ。酒場なんてこんなもんやんな。
「こんな時間に1人で出歩くするなんて感心しないな。ここはあまり良い場所ではない」
「知っとるよ。うちの宿屋、酒場も併設しとるもん。酔っぱらいの相手も慣れとるで」
うちがヴィンターのにーちゃんを見つける前に、向こうから声をかけてきた。好都合。
空いたテーブルの一角に身を潜め、2人向かい合う。うちはこいつに話がある。
「まずは自己紹介しとこか」
「名前なら既に聞いたが」
「そっちはミーチェやろ? うちはルージュ。最初は幻覚みたいなもんやったけど、今は自我を持って動き出す副人格にまで成長したわ。おおきに」
相変わらずのプロフィールに吐き捨てる。うちの存在なんてミーチェにとって決して良いことではないんに、たくましく確立する自己に嫌気が差した。
さっさと消えてなくなりたい。でも、この分やと当分は難しいやろうな。
今は落ち着いているミーチェだけど、きっかけさえあれば簡単に爆ぜる。そうならんようにうちが守ってやらなならん。
うちの庇護が必要な間は、まだ消えることは許されん。
「なるほど……。あの時とは別人のようだと思っていたが、そういうことだったか」
「そゆこと。面倒ですまんな、よろしく頼むわ」
テーブルに頬杖をつき、にーちゃんの顔色を伺う。多重人格なんて関わるには面倒な相手や。それくらいは自覚しとる。
だと言うのに、にーちゃんの顔色はさして変わらんかった。
「……本題に入ろか。昼間の話やな」
「パーティの件か?」
「それ、断るで」
そう言ってもなお、にーちゃんの顔色は変わらない。目を閉じて、ただ「そうか」と呟いた。
「理由を聞いてもいいか?」
「正直な、経験積んどるにーちゃんとパーティ組めるなら大助かりや。所詮は毛の生えた素人一匹、どこまでやれるかなんて目に見えとる。でもな、それってうちらのメリットに過ぎないんよ」
ミーチェが胸のうちに抱きつつも、あえて言語化しなかったシビアな考え。感覚がリンクしているうちにも、それはよーく分かっていた。
あの子は他人に敵意を向けることには慣れとらん。内心あーだこーだ思っとっても、根は優しい子やけんな。
せやったら、その役目はうちがやろう。
「パーティって言うからにはにーちゃん側にもメリットが要るやろ。聖剣持った村娘とっ捕まえて、にーちゃんは何が嬉しいのん?」
「命の恩人と言ったろう。借りを返させてくれないか」
「要らん。そないな曖昧な自己満足に背中は預けられん」
ずばっと切り捨てる。はっきり言うことも必要やから。
「うちなんてもんが存在してしまうくらい、ミーチェは今不安定な状況にある。わずかな可能性でも危険因子は近寄らせたくないんよ」
「つまり、俺は危険因子だと」
「ちょっぴりだけやけどな。気ぃ悪くしたなら謝るわ」
早い話、背を預けるにはまだ足りない。都合の良い話だからこそ慎重にせにゃならん。
ええ人やとは思うけど、最後の一線を踏み込むにはこいつの思惑が見えん。そんなわけでこの話は蹴る。万が一は絶対に許されないんやから。
「君とは共に戦った仲だ。多少なりとも信用してもらえると思っていたが」
「個人的にはにーちゃんのこと信用しとるで。でも、ミーチェにとって害か否か、大事なのはそれだけやから」
「一つ聞きたい。君は自分のことをどう考えている」
「うちのこと? それが何か大事か?」
いかにも、とにーちゃんは頷いた。そうなん、大事なんか。
「うちはミーチェの心を守るために生まれたもんに過ぎん。いずれミーチェがしっかりしたら、それを見届けてうちは消えるわ」
「そこまで自己を確立しておいて、自らの消滅を受け入れるのか?」
「当たり前やろ。そもそも生まれてきたことすら間違っとるんやから」
こうして意識乗っ取って好き勝手動いたりもするけど、あくまでもそれはミーチェのため。
本体であるミーチェのためにうちが在る。何処まで行ってもその事実だけは変わらない。
それを聞いて、ヴィンターのにーちゃんはしばらく考え込む。数分ほど沈黙が続き、睡眠を欲する体が大きくあくびをした不意に、にーちゃんはぽつりと言葉を漏らした。
「ルージュ。俺は君が好きだ」
「はにゃっ!?」
急に言われた何かを脳が認識しきれず、変な声が出る。感情が大きく揺らいでしばし呆然。
え、ちょっと、待って、好きって。今好きって言った!?
「すまない、驚かせてしまった。好きというのは少し短慮だったかもしれない。ただ、俺は君に消えてほしくないと思った」
「え、ちょ、待って、それって、どういう」
「君には幸せになって欲しい。それが俺の望みだ」
待って待って待って待って!
展開が早い早い、早すぎるってば! うちまだ生後数日なんやで!? 何この音速超特急!?
「うー……。んなこと急に言われても、困るわ」
「すまない」
「自分、不器用すぎやろ。ド直球ストレートすぎて心臓破裂したわ」
「すまない」
「……撤回するなら、今やで」
「それはできない」
なんか急に暑くなってきた。顔がゆだって思考がぐるぐると回っていく中、自分の意識というものが定まっていく。
他による自己の存在肯定。それは自意識の確立において極めて重要な要素を担うんやな、と、他人事のように思っていた。
確立してどーすんだ。うちは消えたいって言っとるやんかー!
「……寝る。ほな、また明日」
「パーティの件、もう一度考えてはもらえないか」
「知らんわ、ミーチェと話し合えや。うちはもう口出さんから」
……悪い人では、ないんやろけどなぁ。
少なくともミーチェに害は無い。そこさえ確認できるなら、うちとしては言うことはない。
ただ、無害では無かった。というか全力でポイズンやった。うちにとってやけども。
「なんちゅーこと言いくさんねんドアホがー……!」
逃げ帰った診療所で枕に顔を埋める。
こういう時どーすりゃええねん。ミーチェの経験にもこんな事態無いし、これを生後数日のうちに対処しろ言うんか。
ぱたぱたとゆだる頭が暑くて暑くて。今夜はしばらく眠れそうになかった。
*****
翌日、私は盛大に寝坊した。
「……なぜ」
心当たりが無かった。昨日は早めに寝たはずなのに。時計の上では12時間以上は寝た計算になるのに、なぜだか寝足りないような気すらしている。
ひょっとしたら成長期が訪れたのかもしれない。人類の至宝ミーチェ、未だ限界を見せず。いいぞ、どこまでも行ってやろう。
「ルージュちゃーん? いるー?」
声をかけると、極限まで薄くなっていたルージュちゃんからほのかに反応が帰ってきた。
一応居るみたいだけどお疲れらしい。いいや、寝かせといてあげよう。そういうこともある。
それから診療所を引き払ったり、活動拠点となる宿を取ったり、冒険者として簡単な講習を受けたり。
冒険者ライセンスが発行されるまでに結局丸一日かかって、酒場のカウンターで夕食を取っていると、隣の席に彼が座った。
「邪魔する」
「どうも」
ヴィンターさん。彼が現れると、息を吹き返し始めていたルージュちゃんがぴゅーんとどっかに飛んでいった。
「パーティの件、考えていただけただろうか」
「そうですね」
考えたけど、この人は別に悪い人じゃないと思う。
ルージュちゃんがそう思っているような気がするから、そっちに引っ張られてるのかもしれないけれど。どっちにしろ、ルージュちゃんの判断なら間違いは無いだろう。
「私は勇者を追うという目的がありますので、そちらを優先してしまいますが。都合の合う間で良ければ、ぜひともお願いしたいと思います」
「そうか。それは、良かった」
「でも、本当に良いんですか? 別に私じゃなくとも、ヴィンターさんならもっと稼げるパーティ組めるでしょうに」
「稼ぎたいわけではない。なに、俺も一度は死にかけた。しばらくはゆっくりやるのも良いだろう」
それだけじゃない気がするんだけどなー。
この人の考えは読み切れない。なんでもかんでも信用するほどお花畑じゃないけど、なんでもかんでも疑えるほど余裕があるわけでもない。
多少のリスクは承知の上でパーティを組むことを承諾する。手伝ってくれるってなら使い倒してやろう。助かるには助かるし。
「……アホなことしたら、しばくで」
ふっと口をついて出た言葉。それは私の言葉じゃなくて。
それを聞いたヴィンターさんは、少しだけ苦笑したように見えた。
ひとまずここまでです。続きはあるかもないかも。
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