ちょっとそこまでいってくる
一夜明け、昨夜の狂乱が残した傷跡を目の当たりに、私はただただ立ち尽くした。
宿屋に併設された酒場に散乱するのは酒宴の跡。そして、それに対峙するのは『宿屋の娘』なる肩書を持つ選ばれし者。
「……私なんだけども」
ここ辺境の村ニルムに『勇者様』なるものがやってきたことに端を発する大騒動。
そのしわよせは今、罪なき宿屋の娘こと、私ミーチェの双肩に降り掛かってきていた。
*****
親愛なる父上様より「お前、片付けてこい」なる崇高な使命を頂戴した私は、二日酔いに頭を悩ませる父上様の代理としてこの地に降り立った。
「くっそ、ふざけんなよクソ親父……。自分は好き勝手酒かっ食らっといて、面倒事は全部娘任せかよ……!」
毒づきながらも手を動かす。本来なら今日の掃除当番は父上様だ。なぜ私が冒険者共のゲロに始末をつけねばなるまい。
とは言えこの宿屋兼酒場は、今は私と父上様の2人で切り盛りしているのだ。父上様がダウンした今、この地獄を浄化せしめるのは私をおいて他ならない。そうせねば天におわします母上様に怒られてしまう。
母上様、母上様。ミーチェは元気でやっております。父上様の言いつけを守り、母上様の遺したこの宿屋を懸命に守っておりますとも。
「みーちぇちゃーん……。あさごはんー、つくってー」
「おれもー」
「ぁー……。みず、くだ、さい。みず……」
二日酔いに苛まれながらも、死人のように起き出してきた冒険者たちが食料を求める。私は彼らに対してにっこりと笑顔をつくり、隠す気もない舌打ちを轟かせた。
「……ゴキゲンナナメ?」
「あーっと……。今日はパン屋さんに行こうかな―」
「みずだけはー。おじひー、おじひー」
斜めになったテーブルを蹴り飛ばして元の位置に戻し、カブトムシのようにひっくりかえったスツールを3つ並べる。
座れ。アゴでそう指示を出すと、冒険者たちは子鹿のように震えながら椅子に座った。
「あいにく昨日の今日で食材が切れていまして、スープとハムエッグしか出せませんがよろしいですか? あ、こちらレモン水のサービスです。さっぱりしますよ」
「なんだかんだちゃんと対応してくれるミーチェちゃんすきー」
「修羅のような笑顔から繰り出される心温まる神対応」
「みずー、うまー。みずうまー」
うるせえ黙れ金づる共。こうしねえとリピート率が下がるって、母上様が仰ってたんだよ。
フライパンに卵とベーコンを3セット放り込み、指を鳴らして炎魔法で着火する。スープは作り置きのものを温めるだけ。後は丸パンをいくつかバケットに放り込んで、食卓に並べれば終了だ。
手抜きとか言ったら殺す。足りない分は私の笑顔で腹ぁ膨らませろや。文句あっか。
「ミーチェちゃん、卵焼くの上手くなったよねぇ」
「昔はしょっちゅう焦がしてたもんな。あれはあれで美味かったが」
「みず、みず、みず。せかいれべる」
「もう、やめてくださいよ。あ、オレンジ切りますけど食べますよね?」
はにかみながらこめかみに走る青筋を抑える。その話何度目だよクソッタレ共。これだから昔を知ってる馴染みの客ってやつは嫌いだ。
「ごちそうさまー」と手を振りながら宿屋を後にする冒険者たちを作り笑いで見送り、唾を吐き捨てる。余計な時間を取らされた。
「はーくっそ、こちとらこの惨状を片付けるのに忙しいっつーのに……。二度と来んじゃねえぞ」
もし万が一次来るとしたらキジでも取って来い。最近ハーブ詰め練習してんだ、テメエらを栄えある毒見役にして進ぜよう。
さて、クズどもが失せてようやく静かになった酒場の片付けを再開する。
テーブルをもとに戻し、ひっくり返った椅子を片付け、ころころと転がる分厚い酒瓶を一箇所にまとめる。散乱する酒場には誰かが置いていった、財布代わりの革袋なんかも落ちてたりして。
「確かこの袋、丸太小屋のルドーさんの財布だったかな」
シケた中身から銅貨を一枚スリとってポケットに放り込む。財布は後で返しに行こう。まったく、面倒な仕事増やしてくれた。
どれもこれも、こんな惨状になったのは全てあの旅人のせいだ。勇者だかなんだか知らんけど、静かだったこの村に面倒事をフルコースで持ち込みやがった腐れ野郎。
「はあ、くそ、あの野郎。今度会ったら――いや、もう会うこともないか」
剣を片手にふらっと旅人さんが現れたのが数日前のこと。それからあいつは、この村の近隣に根ざした賊をふっ飛ばし、うちの村に呪いをかけていた吸血鬼を締め上げて、贄を求めて飛来した竜の首を叩き落とした。
村のあらゆる問題を根こそぎにしていった奴は賓客として迎え入れられたのは言うまでもない。明朝――今朝早くだ――旅立つ彼のために昨夜は祝宴が催され、彼は私が起きるより早くにこの村を去っていった。
「あれが勇者様、ねえ。本物が居るとはおみそれしたわ」
本人は否定していたけど、村人たちは彼を勇者様と呼んでいた。
並の傭兵には有り得ない破格の強さと、冒険者らしからぬ清廉な人格。実際はどうだか知らないけど、私たちにとって彼が勇者だったことは間違いない。
「不思議な人だったな……。元気でやってると良いんだけど」
ふとぼやいた言葉が信じられなくて、ぱしんと頬を張る。今のナシ。寝ぼけてただけ。
ああいう当然のように人助けするやつが近くにいると、自分が汚れてるみたいに思えんだよ。いい迷惑だ、二度と面見せんじゃねえ。
「よし、大体片付いたかな。昼前には終わって結構」
なんとか綺麗になった店内を見て満足。綺麗ってのは良いもんだ。人間とかいうクソみてえなゴミより千倍は愛せる。
くっと体を伸ばし、あくびをひとつ。客もいないし、カウンターで二度寝するかな。親父も寝てんだから文句無いでしょ。
そんな算段をつけていざまどろまんと身構えると、ふと何かが目の端を捉えた。
「……ん? なにか、いま、あったような」
酒樽と酒樽の間に、何かが見えたような気がした。探究心にさしたる疑問も抱かず、間にあるものにひょいっと手を伸ばしてみる。
引き抜く。すっぽりと手のひらに収まっていたのは、鞘に包まれた一振りの剣だった。
「剣? ……随分と上等な剣、金になりそう」
鞘から剣を抜いてみる。曇りひとつ無い太陽のように優美な刀身は、鏡面のように輝いてきらりと私の顔を写した。
こんな良い剣、村の中じゃ見たこと無い。昔村の近くまで寄った騎士の奴だってここまで美しい剣は持っていなかった。
だとすると、誰の剣か。心当たりはひとつしか無い。
「……まさか」
これ、ひょっとしなくとも。
旅人さんの剣だよね。
*****
「ああくそっ、面倒くせえええええ! 親父! 出かけてくるよ!」
「おーう、どこいくんだー?」
「ちょっくら忘れ物届けてくる!」
作業用のエプロンからばばっと着替えて、母上様お下がりの旅装を纏う。旅人さんが出ていったのは今朝のことだ。すぐに向かえば、きっとまだ間に合う。
剣を片手に村の中を駆け抜け、村の外とつなぐ門番さんにまくし立てた。
「おはようございますっ! 今朝ここを通った旅人さん、どっちに行きました!?」
「おおう……。朝っぱらから元気じゃないの、ミーチェちゃん。旅装なんて決め込んでどうした?」
「いいからっ! 答えて、早く!」
門番さんの襟をひっつかんで振る。とっとと答えろ、なんで私がお前のために貴重な時間を浪費しなきゃいけないんだ。二度とその臭い口からクソを垂れられねえようにすんぞボケが!
「おおお落ち着け落ち着けって! あっちだ、東の道を道なりに歩いてったぞ!」
「ありがとうございます! 失礼しますね、では!」
それだけ聞けばもうお前に用は無い。門番さんを解放し、村の外に飛び出て、脳裏に魔法を組み立てる。
編み上げるのは風翔の魔法。足を中心に風で編んだ魔法の靴を形成し、機動力を大幅に引き上げる。
母上様譲りの魔法の才。普段はめったに使わないけど、緊急時なら話は別だ。
「待てって! 今外に出るのは――」
踏み込んだ一歩で風を捉え、抑えの二歩で風を掴む。三歩足を伸ばせば滑るように風を踏んで、私は矢のように駆け出した。