第三章2 『男子会』
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「柳静ちゃん!いりゃっしゃあぁい!」
「・・・・・・・・・・・・・」
室弥家に戻り、二階の祥の部屋へと戻ってきた柳静は、新●さんいらっし●いばりの決め台詞で出迎えられた。顔を真っ赤に染め、箸を左右一本ずつ持つという奇妙な姿をしている祥は、上機嫌に柳静を迎えた。が、柳静はそんな祥の姿を見た瞬間、無言で部屋の扉を閉めた。
「ちょちょ!間違ってないよ!静かに閉めないで!おかえりなさい⁉」
「ただいま・・・・・、で」
「ちょお、この状況でその無表情さは恐怖やわ!鬼さんそこは思い切りツッコまなあきまへんえ!」
「・・・・・・・嗚呼すみません。あまりのハイテンションに今から面倒臭くなりまして。帰ってもいいでしょうか?」
折角扉を開けた柳静だったが、再び扉を閉めようとした、その瞬間。
「あかんあかん!今まともなんは俺だけなんや!一人でこの阿呆二人相手にすんのは酷や!」
柳静が部屋を出て行ってからの小一時間。ずっと一人で酔っ払い二人の相手をしていた柚緋は、ようやく戻ってきた柳静に助けを求めるように、しがみ付く。
「柚緋さん。祥はお酒に強くないとメールでお教えしたはずですよ?それを何缶もお酒を飲ませて・・・・自業自得としか言いようがありませんが・・・」
「冷らいらぁ~柳静ちゃん。俺は弱くないの!」
「呂律が回っていない時点ですでに酔っているんですよ」
「鬼さん怖いわぁ~。もうそない不機嫌そうな顔をせぇへんとき?あはは、鬼さんったら怖いわぁ~!」
「この方は他人の顔を見て笑いながら怖がる不思議な性格をしておられたのですね。それと、酔っ払うと中々に絡みますね」
「す、すまん・・・・。こいつは酒は弱いっちゅうより、少量で鎧を外せられるよって、変化してみえるんやけど・・・・。これがこいつの本性やねん、堪忍したってや」
普段人見知り寄りの他人に壁を作る蒼羽だが、酒を飲めばもはや壁があったことなど感じさせないくらいの親しみやすさと絡みで、相手を圧巻させる。おそらく、数ある友人の中で一番気が合う柳静と会ったのが余程嬉しかったのだろう。普段よりもハイペースで酒を飲みまくったために、このような結果に至っている。
「いえ、別に彼に対してはなんとも・・・。ただ、その箸で掴んでこちらに向けている卵焼きは、私に食せと申しているのかが気がかりでして」
「そうそう、鬼さんにあげるんよ。ほれお食べ~」
「犬・・・・・」
まるで餌付けのようだと柳静は冷静に分析した。すると五月蠅い叫び声で横槍を入れられた。
「柳静!俺を無視するとはどういう料簡だ!いっつも俺を軽くあしらいやがって・・・・、今日こしょは、その無表情を変化しゃせてやる!」
「・・・・・うざい」
ただ噛んだのかそれとも呂律が回っていないのか、中途半端な口調に少々苛立つ柳静だったが。
そこで、ずっと柳静の後ろで、扉が邪魔で今まで姿が確認出来なかったが、今までの流れを静かに見ていた一人の男がここで、口を開いた。
「どうした?柳。入らないのか?中は修羅場か?」
「!!?」
「菊。いえ、貴方を紹介しようかと思ったのですが、最悪な状況でして・・・・。まさか小一時間会を離れただけでここまで酒まみれになっているとは思いませんでした」
黄土色の腰まで伸びた長い髪。二段カットの髪は普段ならば短い段はポニーテールのように結んでいるのだが、今日はもう髪を結んでおくのも億劫だと言わんばかりに、適当に手梳きで整えただけで、後ろ姿だけだと女性に勘違いされても仕方が無い感じになっている菊。
それはさておき。祥は突然現れた菊に不快感を表す。
「え・・・・柳静ちゃん。誰よ、それ」
警戒モード発動。
「新顔さんやねぇ。お名前なんて言わはるん?」
「あ、菊です。双葉菊。どうも・・・。柳とは抹茶好きってことで知り合いました。どうぞよろしく」
「お菊はんか。ええ名前やねぇ、ほれほれ。そない廊下で突っ立っとらんと、こちらへおいでやす。お酌してぇな」
「阿呆。舞妓さんとちゃうねんぞ、お前は水でも飲んどれ。ほれお兄ちゃんが飲ませたるわ!」
「あがっ!い、いらんいら・・・うぶぐっ!す、すんばべん!べぼっ、ええぶっ。め・・・・目ぇ覚めたわ、水はもうええ!」
「中々に愉快な双子だな。微笑ましい」
「あれを微笑ましいと言いますか・・・。騒がしいの間違いでは?」
「柳はもう少し周りを愛おしんだ方がいいぞ。中々楽しいぞ、観察」
菊は初めて会う双子のやり取りを見て微笑む。癒されているようだ。
普段、男友達よりも、二人の女性と共に過ごす方が多い菊は、久々の男同士のやり取りに満足しているようだ。なんともいい笑顔を向けている。
しかし、隣で柚緋が蒼羽に強制水責めを行っているその横で、未だに不快感で黙って様子をみていた祥が叫んだ。
「ちょっと!皆シャラーップ!新顔だかなんだか知らないが、いつから浮気に走ったのさ、柳静ちゃん!」
「はい?」
「お、俺というものがありながら・・・・・柳とかあだ名まで付けられちゃって、俺に内緒で婚約発表でもする気だったのか!今、ここで!!?」
「貴方のそのファンシーな花畑のウザい彼女風脳内を一発リセットさせれば・・・・楽になりましょうか」
「違う!」
「何が違うのです?」
「彼女風じゃねぇ・・・・・旦那風だ」
ボキボキッ!と柳静は指を鳴らした・・・・・・・祥ので。といっても、鳴らしたいから鳴らしたのではない。指を反対側に曲げ、へし折ってやろうとしたが、先に鳴ってしまったのでそこで一旦ストップしているだけだ。
柳静は知らないが、先程まであだ名がどうのという話題で盛り上がっていた祥は、まさかの大親友の柳静に「柳」というあだ名が付いており、自分の知らない友人が存在していたことに、脳内処理が追いついておらず、パニックを引き起こしていた。
「・・・・・・・祥。菊は私の数少ない友人です。失礼な物言いはよしなさい。それと、暴走するのは結構ですが、場と物言いは選びなさい。でなければ・・・・」
「なんや修羅場みたいやね。浮気がバレて、それを棚上げして場を切り抜けようとする夫婦みたいやわ。うぶっ・・・・、あ・・あ、かん。僕の体も修羅場来てもうた・・・・・」
祥と柳静の言い合いを傍観していた蒼羽は、突如訪れた吐き気に襲われ始めた。さっきから次々と何をしているのだろうか、こいつらは。そう、誰かがツッコミを入れた気がした。
「ほぼ空きっ腹な奴がロングビール三缶も飲むからや。阿呆」
ため息を吐きながら蒼羽の背中を擦る柚緋は、弟の周辺にある空き缶を見て自業自得だと発した。自分の飲み方をまだ見つけていない蒼羽はほぼ何も食べない状態で酒を体内に流し込むため、すぐに酔ってしまう。そもそも、いくら楽しい席だからといって、ロングビール三缶とは何を考えているのだろうか。
すると、横から新参者、菊が柚緋に話しかける。
「双子のお兄さんの方はお酒強いんですか?」
菊に関しては自己紹介もまだ済ませていないのに、何故自分が兄だと知っているのだろうかという質問より、髪長いなという感想の方が上回った柚緋。
「いや、俺はただ単に飲み方を知っとるだけや。こいつらみたいにがぼがぼ飲まへんわ」
「素晴らしい。俺は酒が好きじゃないんで、いつも炭酸ジュースばっかですね。そもそも運転役が多い」
「そうなん?ほな、こない騒がしゅうて酒臭い席は嫌なんとちゃうか?」
「いえ、酒の席は普段見れないものが見れるから中々に楽しんでますよ。例えばほら」
そういう菊が指差した方へ素直に柚緋は視線を向けると、そこには未だに続く修羅場が更に泥沼化していた。
「ごめん!ごめんって!もう人前で嫉妬しないから!普通に接するから!俺、頑張るからぁ!実家に帰らんといて‼」
「どこが普通なんですか!今のご自身の姿を御覧なさい!いえ、その前に離しなさい、祥。暑苦しい、鬱陶しい、女々しい!」
「嫌だねぇ、お前が声を荒げてる姿は久々に見たなぁ!ははははは!」
「気色が悪い!ヤンデレ行為を今すぐやめなさい!御覧なさい、皆さんが貴方の行動に驚愕していますよ!」
「ふっふ、いいだろう。俺らのラブメーターがどんなもんか見せてやんよ!」
「く・・・・縊り殺す!」
自分から招待した菊をこの場に置いて帰ってやろうとする柳静を、祥が下半身にしがみ付く形で引き止めていた。酔っているせいか、力が制御出来ず、柳静の着物は皴が寄り、引き止めの声もかなり大きい。まるで応援団の団長のようだ。
等々帯にまで手を掛けようとする祥の指を、反対側へと折り曲げようとする柳静。その表情は普段の冷静無表情ではなく、苛立ちと鬱陶しさ、嫌悪感が混ざり合って、凄まじいとしか言いようがない。
「ね?」
「ね?やあれへんわ!ね、で可愛く済ませられる事態やないで!なんやあれ!友人同士の交わす会話やないし、鬼さんが本性現しとるやないか、怖いわ!」
あの日、ショッピングモールで初めて見た表情と同じだ、と柚緋は呟いた。まさかこんな短期間で再び見るとは思わなかったようだ。
「俺は初めて柳が無表情に怒りを付け足した顔見ました。普段は素を隠すためにわざと感情を抑えたりしてるって事は聞いてましたけど、やっぱり二歳差だけでこうも迫力?違うもんなんですね」
「あれはもう無表情ちゃうで・・・。俺、今後鬼さんを怒らせんよう、ここに誓うわ。あんなん俺が標的やったら、完全に失禁してんで」
「まるでそこのビールのようですね。すみません」
菊はグラスに半分程残っているビールを指差した。のと同時に、柚緋に叩かれた。
「脳内レベル皆小学生の餓鬼か。あんたが鬼さんと友人なんも分かった気するわ」
「それは嬉しい。でも話を戻すと、今の柳に怯えているようじゃ、覚醒というか“本当の本性”にはとても耐えられないだろうなぁ」
「え、何かの回想入ったりするか?」
「んー、アニメだったら五秒以下で入っただろうな」
「よくある流れやな。とりあえず、俺は柳静さんという人間に、警戒心を少しは残しとかなあかんっちゅうことやな」
「そういう事です」
今のやり取りで菊の真意を知った柚緋は、ふと、別の疑問を口にする。
「ん?そういえば二歳差?あんた、もしかして俺らと同い年か?」
「え?お兄さんもしかして二十三?」
「そうや。あそこの修羅場中の人らは年上やし、さっきタメ口で鬼さんと会話しとったであんさんもそうなんかと思うとったんやけど、まさかのこっちと同じやったんか」
「嗚呼、タメ口なのは柳がそうして構わないって言ってくれたからかな。あ、じゃあ、柳が祥さんには内緒でって言ってたのはこのことだったのか」
これで祥以外は互いに年齢を知る仲となった。
「それじゃあさ、タメでもいいか?俺、敬語って正直苦手なんだよ」
「おお。構へん構へん!俺がすでにタメ口きいてしもうてるし。なんや、今日は友人が増える日やな。えっと、そういや名前は・・・・菊、やったか?」
祥と柳静に続き、菊とも友人になれたことに柚緋は嬉しそうだ。柳静が菊を呼びに出掛けていった後、祥が一度トイレに立った際、蒼羽から祥と柳静が年上だということを聞かされ、そしてその事実は祥だけには話してはいけないという事も聞いていたので、あまり大声では言えないが、同い年の友人が出来た事にかなり嬉しそうにしている。
それは菊も同じらしく。
「そうそう。俺双葉菊。柳とは抹茶好きから知り合ったんだ。たまたま同じ店に抹茶スイーツ買いに行ってて、何度か顔を合わせるうちに一緒に抹茶スイーツ巡りとかするようになったんだ。えっと、そっちは名前教えてもらっていいか?柳からは“短短兄”と“暢長弟”としか聞いてなくて」
「それあそこで昼ドラのヒロイン並みにどろどろ展開繰り広げとる白黒兄ちゃんが勝手につけたあだ名や!なんでそないどうでもええ情報教えとんねん、あの鬼さんは!」
本名よりも長いし!とも付け加えて叫んだ柚緋。ちなみに、短気で短髪な双子のお兄ちゃんと、暢気で長髪の弟くんのそれぞれの略だそうだ。本当ならば大阪弁と京都弁という情報も入れたかったが、あの時は妹の蛍の目撃情報が最優先事項だったため、とりあえずで付けただけなのだが。柳静は本名ではなく、祥が勝手につけたあだ名の方を菊に教えたようだ。
「あ、そうなん?俺てっきりそれが本名なのかと。だから中国人の知り合いがいるんだなと勝手に想像してたんだけど」
「ばりばりの日本男児や」
「あはは、そりゃ失敬」
「俺は柚緋。苗字はあんま言いたくないんやけど、紅葉柚緋」
「僕は・・・弟の蒼羽どすえ。よろしゅうな、お菊はん」
井戸から這い上がる貞子ばりに這いずるように、柚緋の肩に掴まりながら起き上がってきた蒼羽も、一応は自分から挨拶を交わす。顔面蒼白なのは言うまでもない。
すると、菊はふと疑問に思ったことを率直に口にする。
「柚緋に蒼羽、インプットした。お互い植物の名前だな、なんか親近感が湧いたわ。ところで、柚緋は大阪弁だけど、蒼羽は京都弁なんだな?」
「嗚呼・・・、一応言っとくけど、僕も柚緋も生まれも育ちもこの辺や。ただ高校は柚緋は大阪、僕は京都にそれぞれ三年間だけ・・・・、寮生活しながら通うてたから、少しばかり話し方が寄っただけなんえ。標準語が混じっとるから、本場の人からすれば気色が悪いただの異端者やないかな」
「へぇ、そうだったんだ。すげぇな」
「おおきに」
蒼羽はあっさりと言うが、正直言ってこの双子。中学卒業間近に盛大な喧嘩をしていた。それはもう、周囲を構わず巻き込むパターンの迷惑極まりない大喧嘩だった。何でもかんでも双子だからと同一扱いをされてきた柚緋と蒼羽。思春期にもなると、好きな女性が被ることも、以心伝心が出来るためお互いのプライバシーを勝手に暴露し合ったりすることも、活発な柚緋と温厚な蒼羽で差を勝手につけられたりと、何かにつけて比較対象とされてきたため、その鬱憤晴らしが大喧嘩へと繋がってしまった形となった。
いついかなる時も共に行動してきた双子は中学卒業、つまり高校入学を気に、一度離れることになった。柚緋は大阪に、蒼羽は京都に、それぞれ高校を選び寮生活で実家にも帰らないようにした。だが、喧嘩の末に決めたとなっては、地味に持ち合わせているプライドが許さないか何かで、周囲には互いに行きたい高校がそこにしかなかっただの、将来やりたい事のためにはそこしか無理だったなどと、過去を捏造している。思い出を捏造出来るのならば、過去も捏造していいだろう、という考え。
よって、まんまと捏造情報を入手した菊は、疑うことなく信じてしまった。
「今はもうこっちで生活しとるからな、あちらさんとはあんまり関わってへんな。メールのやり取りくらいをたまにするくらいや」
「僕はあんまり人付き合いはしてへんかったわ。授業中とか寝てるばかりやったし、部活動も帰宅部か、たまに茶道部にお邪魔して、座りながら寝るくらいやったな。ふふ、懐かしいわ」
徐々に収まってきた吐き気に気を許した蒼羽は、まだ行けると言わんばかりに再び残っているビールをグラスに注ぎ、ぐびぐびと体内に流し込んでいく。本当に学ばない人種だ。
「蒼羽はのんびりさんっぽいもんな。俺の幼馴染と気が合いそうだ」
「幼馴染?」
「まぁ、幼馴染っつーか、家が隣同士で赤ん坊の時から一緒だからな、兄妹も同然な関係だな」
「へぇ、僕らみたいやね。血は繋がってへんけど、双子みたいな感じなんやろうね。あ、以心伝心とか出来るん?」
「それを、本物の双子に聞かれる機会って滅多にないことだな・・・・・以心伝心は出来ねぇけど、まぁ、あいつの考えてることは大体分かるようにはなってきたな」
長年共に時間を過ごしていれば、大体の事が分かるようになってくる。といっても、柚緋と蒼羽のように全てが分かるとまではいかない。が、そこは様々な意思疎通法を編み出しては使用しているため、本当に兄妹や双子のように見られても仕方が無い。
「凄いやないの。努力型やわぁ。僕らも何か意思疎通法見出さへん?柚緋」
「そんなん俺らの場合いらへんやろ?お前の仕草とか見ただけで何したいんか分かるし」
「確かにそうやけど。そうや、菊はん、何飲まはるん?」
「そういやぁ、何も出してへんかったわ。酒やのうて、炭酸ジュースがええんやったか?サイダーならあんで」
「ほんならこれあげるわ。カルピスソーダや」
「ありがとう」
すっかり意気投合した菊と双子。まだ飲み物も用意していないことに気が付いた柚緋は、とりあえず皿と箸を渡し、飲み物を用意しようとした。すると、すっと横から蒼羽がグラスを差し出した。白い液体、カルピスソーダだと言って。
だが、それを受け取った菊が飲もうとしたその時、柚緋が取り上げた。
「あ・・?どうかしたか、柚緋。カルピスソーダ飲みたかったのか?」
「ちゃう。これカルピスソーダやない」
「何言うてんの、柚緋。僕が間違えるわけないやろ?」
「ほんなら蒼羽。これ一気飲みしてみぃ。ほれ」
「うぐっ・・・・・・・」
カルピスソーダだと言い張る蒼羽に、ぐいぐいと柚緋はそのグラスを押し付ける。本当に蒼羽の言い張る通りカルピスソーダならば、一気に飲んでもゲップ一つ出るだけで事は済むのだから、さっさと飲んでしまえばいいのだ。
だがしかし、蒼羽は飲めなかった。なぜなら。
「ほれみぃ、飲まれへんのやろ?全く、酒好きやない言うとる人間に、酒強要すんなや」
「大丈夫や。ジュース感覚で飲めるタイプやし、菊だけ飲まへんやなんて寂しいやん。今日、どうせここに宿泊するんやろ?」
「蒼羽は俺に気を使ってくれたんだな、ありがとう。だけど、俺はここには泊まらねぇんだ」
「え、泊まらへんのか?菊だけ帰宅か?」
「いんや、俺は柳んとこにお邪魔することになってんだ。大人数で宿泊ってのも申し訳ねぇし、俺は今日柳の紹介で来ただけだからな」
元々、本日の招待者は柚緋と蒼羽の二人だけ。新たな友人との楽しい時間を過ごすのならば、ついでに菊も紹介してしまおうと考えた柳静が、内緒で連れて来たため、用意も何もしていないだろうと、柳静が責任を持って自宅に招くことになっている。それを知った蒼羽は、もう我が家気分で菊を引き止める。
「ええやないの、泊まらはったら。僕と柚緋の布団の間に入れたるから」
「え、俺挟まれるのか?」
「男の川の字なんて、小学校の修学旅行以来の体験を、二十三にもなってやろうっちゅうんか、この弟は。けど、楽しそうやな。俺は賛成やで」
思春期真っ盛りの中学時代ではやらなかったが、小学五年生の修学旅行時には、友達と布団をくっつけ、何枚の布団で何人寝られるかと、馬鹿な遊びをして先生にさっさと寝ろと怒られたことを、双子は思い出した。
「んー、俺らだけで決めても・・・・、家主さんに聞いてみないと・・・・」
「それなら大丈夫やと思うよ?あとで話付けたるわ。今は・・・・・修羅場の真っ最中やから。というわけで、菊はん。それまで、幼馴染の話でも聞かせてもらいましょか」
「絡むな・・・・・お前。ほんで、飲み過ぎや。後でツケが回ってきても知らへんで?」
折角の料理を他所に、キムチをポリポリと貪る蒼羽は、新しいビール缶を空け、グラスではなく、直に口を付ける。もう面倒なようだ。柚緋も止めるのを諦めたようで、自分も焼酎を体内に流し込む。
その横で、菊は折角用意してもらったものだからと、柚緋からカルピスソーダに近い味のするお酒をちびちびと飲んだ。
幼馴染の話がぶり返されなければ、噴き出さずに済んだのだが。
「うぶっ・・・・う。続けるか・・・その話。別に隠すことはないけど、こんな話聞いて楽しいか?」
「「楽しい」」
「え、柚緋まで参戦⁉」
「あ、すまん。つい・・・・。他人と幼馴染の話をする機会は中々あらへんよって、興味が抑えられへんかったわ。そもそも性別はどっちなん?」
「おお、強制執行か・・・。女だな。小中高とずっと一緒だ。保育園も、まぁ、何をするにも必ず横にいたな」
「へぇ、女の子なんやね。僕らにも幼馴染って呼べる子はおるんやけど、男の子なんよ。でも、家庭的な子で、料理も裁縫も何でもこなすよって、僕らからしてみればお母さんと同等な位置やけど」
「・・・幼馴染、だよな。しかも男」
「そうや」
親が旅行好きなことからよく双子宅に預けられていた幼馴染――爽磨は、誰が教えたというわけでもなく、自分のことは自分で済ませる力を身に付けたため、料理を始めとした裁縫、洗濯、掃除。主婦なら誰でもやっている仕事をそつなくこなす立派な主夫へとレベルアップを遂げた。
それを自慢するかのように蒼羽は語る。少しはそれを見習って自分もレベルアップをすればいいと思うのだが。
「すげぇじゃん。俺は料理とかあんましねぇから、純粋に尊敬するわ。そうだなぁ、ちょっと伝言もあるし、ビデオ通話でもしてみる?」
「え、ええわ・・・・・・」
「なんでだよ!人見知りか!なんでそんな奴がぐいぐい幼馴染トークし出したんだ⁉」
「や・・・、えらい柚緋ばりのツッコミしてくる人やね・・・・。嫌いや・・・ないわ」
「ツッコまれるのを快感にしたらあかんで、蒼羽。もっと面倒臭さが増すやろ。ビデオ通話なんて、そない勝手に決めてええんか?相手さん嫌がるんとちゃうか」
興味本位で話題を振ったのはこちらだが、いざただの電話を通り越してビデオ通話となると、一歩下がる双子。一体どうしたいんだと、菊はツッコミたくなったが、面倒だったので、さくさく無料通信アプリで無料ビデオ通話を起動させた。普段相手している奴らに行動が類似しているため、扱いには慣れている。
すると、五秒も待たぬうちに繋がった。画面の向こうでは、すでに入浴を済ませ、パジャマ姿でこちらに手を振る白石雪霧の姿があった。やはり邪魔なのだろうか、左右一房ずつ伸びている髪を、頭上でピンを何本か使い留めていた。
【なんじゃ、菊。男子会とやらは終焉を迎えたのか?それならば大人しく布団に巻かれてしまえばよいじゃろ。わざわざビデオ通話をしてきたということは、我の顔を就寝前に見ぬと寝付けぬ・・・・いわゆるホームシックなあれになってしまったのか?】
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
【何か言えい】
「・・・・ヘアークリップ失くしてんじゃねぇよ」
疲れた。相手の言葉にものの数秒で疲れてしまった菊。どうやら雪霧の大量のピンは、普段使っているヘアークリップをまたどこかに置き忘れてしまったサインのようだ。帰宅したら探さなければならないのだろうな、と思うとどっと疲労感が菊を襲った。
しかし、そんな菊などお構いなしに、柚緋と蒼羽が菊を挟む形で画面を覗き込んだ。全くもって、遠慮というものを知らない。というより、さっきまでの人見知りはどうした。
そんな双子の存在に気付いた雪霧は、じろりと双子を見遣りながら口を開く。
【む?菊よ。その顔の良く似た人らは誰じゃ?新しく出来た友人か?なれば、我にも紹介して欲しい。これから菊と仲良くしてもらうのじゃ、挨拶くらいしておくのが礼儀というやつじゃろ】
「分かったよ。こっちの短髪の方が柚緋、長髪の方が蒼羽だ。お前の大好きな双子だ。とくと御覧じろ」
【で、でかしたぞ菊!イケメンホイホイじゃな!】
「嬉しくねぇ言い方すんな」
その言い方はまるでゴキブリホイホイ的な感じだと、菊は嫌悪感で一杯になった。そんなことなど露知らず、柚緋と雪霧は自己紹介を始めた。
「まいど。あんさんの幼馴染さん借りとる柚緋や。よろしゅう。えっと・・・・」
【柚緋さんね。我は雪霧じゃ。白石雪霧。菊の幼馴染じゃ。今日は菊を招いてもらってありがとう。ところで、菊の後ろにすっと隠れちゃったのが、蒼羽って子?ふむふむ、今まで柚緋としか深い関わりを持たなかったために、他人との接し方が分からぬ・・・・というわけでもないが、初対面の相手を品定めしてしまうようじゃな。大丈夫じゃ、我のことはすぐにでも慣れる。多分三十分後には仲良しじゃ】
「何この子。研究者並みの分析してきはるやないの」
「安心しろ。こいつはイケメンを見るとすぐに携帯アプリの王子様と比較して、一番近い奴を見出し、興奮するやつだから」
アプリで好みではなくとも、それに近しい人間をリアル世界で見つけ出した時、様々なイフを脳内で並び立て、妄想の世界へと情報を送信し、それを期にその人物と関わり合おうとする雪霧。人間関係は全てアプリ中心で考える、なんとも面倒臭い友人との関わり方をする雪霧。こう見えて人見知りで、自分から話に行けないので、ゲームや漫画、アニメ等から共通点を引っ張り出し、それをきっかけに緊張を無くして絡みに行く事しか出来ないと言ってしまえば、こちらとしても楽なのだが、もうこの説明をしている時点で色々と回りくどく、面倒臭い。
そんなことは露知らず、女性に先手を取られてしまった蒼羽は、少なからず男としてのプライド傷付けられたようで、まだ菊の肩越しではあるが、雪霧に会話を求める。
「乙女ゲーム大好きっ子なんやね。僕もゲームは好きやけど、携帯ゲームは全くしてへんわ。あ、でも、戦闘系やったらたまにするわ」
ちなみに、柚緋は動物育成系、蒼羽はパズルや育成込みの戦闘系が好きだ。ここは逆の方がしっくり来るとは思うが、柚緋に関しては、ちょっとやんちゃな男子が雨の日に捨てられている子犬を拾っていくシーンを想像すれば、嗚呼なるほど、と納得してしまう部分はあるだろう。だが、柚緋が戦闘系ゲームをやらなくなった理由はもう一つある。それは。
「たまにするわって、お前いっつもストーリーだけ読んで、あとは俺に丸投げやないか」
「丸投げやなんて失礼やね。ちゃんと主人公操作してミッションクリアしとったやないの」
「おんまっ!そのミッションクリアするために装備やら武器やらを強化させたんは誰やと思うてんねん!お前は一瞬でミッションクリア出来て嬉しいやろうけどな、それをさすために俺が使うた労力はたかだかプリン一個寄越してきただけでは割りに合わんのじゃ!」
「その前にプリン一個で動いたのか・・・・柚緋」
報酬としては安すぎることに菊は愕然とした。きっと、そこまでの労力を費やすとは思っても見なかったのだろう。戦闘ゲームにおいて戦術や技術が重要なのと同時に、操作対象キャラの強化が最も重要事項だということを知らない柚緋に、敢えて頼み込んだ蒼羽が一番の悪役キャラだろう。意外といっては失礼だが、やり込み派な柚緋は、全くレベルの上がっていないキャラを見た瞬間、このままでは絶対にミッションをクリアする事は出来ないと瞬時に判断、これでもかと育成に勤しんだに違いない。そしてその性格を分かっていて頼んだ蒼羽。勝つためには手段を選ばない双子弟。
「う、うっさいわ。あん時はキャラを育成すんのに疲れとって、何でもええから糖分補給したかったんや。まさかそれが報酬やなんて夢にも思うてへんかったけどな」
「そういえばそないなこと頼んどったような気するわ。あんまり覚えてへんけど、柚緋おおきに」
「二十三年間ずっと見続けとるそのスマイルに、何の価値もあらへんで。整形してから使うてこいや」
蒼羽の必殺技。敵意のない澄んだ笑顔。だが、相手には気取られぬように隠し潜ませている悪魔的邪悪な心を、双子の兄は見抜いている。そもそもこれを使用している姿を何度も目撃しているので、最初から効果など全くなかったのだ。
「酷いなぁ。何根に持ってはるん?心が狭い人やわぁ」
「あん?」
【いやいや、ここで双子の喧嘩を見れるのはレアケースで良いのじゃが、菊よ。そういえば報告があったよ】
携帯でムービーを撮れないことが残念だと言う雪霧は、すっかり置いてけぼりをくらい、手招きをして菊を呼び寄せる。画面越しでなければ、菊の長い黄土色の髪を掴みぐいぐいと引っ張ってやるのだが、と雪霧は見えない所でぐいぐいと引っ張る仕草をしていた。
「報告?なんだ?」
【パズルなんじゃが、千ピース一枚、五百ピース四枚を完成させたから、明日帰ったら糊付けよろしくじゃ】
「なんで増やしてんだよ!ふざけんな!」
突然の菊の怒鳴り声に、双子は喧嘩をプツッとやめさせられた。初めましてからまだ数十分も経っていない男性の怒号を聞いて、静止しないやつがいるだろうか。
【こら菊。そのように怒鳴っては周囲の人達がびっくりするじゃろう。見てみ、双子さんが固まっておるわ】
「す、すまん・・・・」
ちなみに、祥と柳静はこちらとは別空間にでもいるのだろうか、全く反応しない。もう押し問答が止まらない様子。
それはさておいて。
【それに、ふざけてはいない。普段いなくてもいいのに当たり前のように隣にいる菊が、今日はいないから、久々に寂しくなって、その寂しさを埋めるためにパズルを無心で作り続けたら・・・・・・こうなったんじゃ!】
「雪霧・・・・・・お前、そこまで俺を・・・・」
【と言っておけば、ウルっとくるのか?どうじゃどうじゃ?】
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰ったら今日糊付けした分全てへし折る」
【己のかけた時間を道連れにしてまで⁉】
夜遅くまで仕事をしている父親の帰りを待つ間、いつも呼べば隣の家から駆けつけてくれる菊が、本日男子会に呼ばれているため、一人寂しくパズルに没頭していた雪霧。まさか、楽しんでいるであろう相手からビデオ通信が来るとは思ってもみなかっただろう。ついでに報告をすることにした雪霧。
だが、まさかの糊付けバイト継続報告を聞いた菊は発狂寸前だった。それもそうだろう、ここに来る前にも散々パズルに糊付けしてきたのだ。もう当分はパズルを見たくもなかっただろう菊にとって、雪霧からの一言は強烈な一撃だった。
「つーか、お前徹夜なんだろ?寝ろよ大人しく!」
【いやそれが、眠気覚ましに珈琲を馬鹿のように飲んでしまっての。もう一睡も出来る気がしない】
「お前って、馬鹿な所は本当に馬鹿だな」
【失礼な!】
「まぁまぁ、女の子に対してそないきつうもの言うたらあきまへんえ?可哀相やないの」
「こいつに関しては可哀相だの憐れみなどの感情は持ち合わせてねぇよ」
【全く、もうすぐ本物のき・・・・・・・】
プツッ
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
突如、通話が途切れた。
「え、何!ごっつ気になる所で通話が切れよったで!」
「無料通話時間が十分までだから仕方が無いな」
無料通信アプリのビデオ通話。通話時間十分を超えると自動的に接続を切られる。雪霧が何を言いかけたとしても、容赦なく切られてしまった。とてつもなく気になる言葉の途中で。
「いや、めっちゃ気になるやないの!菊はんは今の続き分からへんの?」
「分からん」
「えー嘘や!分かってはるわ、分かってはってわざとはぐらかすやなんて、菊はん鬼畜やわ!」
「うるっさい!今度のお楽しみにしとけ、それまではシークレット!な?ほら俺がビール注いでやるから飲んで飲んで」
今度本物と会わせてやるから、と菊は蒼羽のグラスに缶ビールを新たに開け、宥め賺す。ちびちびではあるが、自分もカルピスソーダに似た味の酒を飲みながら場を取り成す。蒼羽を黙らせるにはとりあえず酒を注ぎ、飲ませ続けることだけだろう。
「お・・・おおきに!」
「おお、いい飲みっぷりだな。一気飲みとはやるねぇ」
「僕こない大量にお酒飲んだの久しぶりやわ。なんや頭がふわふわしてきて、体がポカポカして・・・、うっく・・・・・今にも、ふふ・・・吐きそう」
「待て待て待て!突如吐き気に襲われるなよ!今の今まで普通にしてたじゃん!」
「んうぅ、今の一気飲みで一瞬にして激しい吐き気が蘇ってきた。酒という回復薬で吐き気がレベルアップして僕を襲ってきよった・・・・」
「無理してゲームで例えてこなくていいんだよ!回復薬というより毒じゃねぇか!ちょ、柚緋何暢気に酒飲んでんだよ!弟のピンチ⁉」
蒼羽が吐き気に苦しんでいるというのに、柚緋は暢気に酒を飲み、冷めかけている料理を小皿に取っていた。宅飲み並に一人のんびりと酒を楽しんでいる。
菊が蒼羽の背中を擦りながら柚緋に問いかけるが、しかし、柚緋はこちらには目も暮れず言葉だけつき返してきた。
「しらん。俺は数分前に止めたで。それを無視して酒を飲み続けたんは蒼羽や。本人の責任や、俺には関係ないわ。ほっとき。菊もこっちにきて飯食いや、折角の料理を残すんは食材に失礼や」
「え・・・・あ、でも」
「ええんや、ええんや。いつものパターンや。俺の忠告を一度でも聞いたためしもないさかい、もううんざりやわ。俺はそいつのお守り役ちゃうねんで」
いつものパターンである蒼羽を、柚緋は冷たくもしかし正論で突き放す。楽しい席だからと己の体に見合わぬ飲み方をする蒼羽をこれまで何度制止に入ったことか。しかし、それを受け入れたことなどこれまで一度もないため、もう飽きれと疲れが溜まっていたのだろう。柚緋は放置を決め込むことにした。今までが甘かったのだと。
双子の兄に見捨てられてしまった蒼羽。起き上がることさえ出来ないのか、口を押さえながら俯いたまま動かない。なにやら小声で「やっぱり飲む前にヘパ●ーゼ飲んどけばよかった」と後悔と反省の言葉を呟きまくっていた。
反省すべきはそこではない。
「蒼羽、大丈夫か?し、仕方がない。蒼羽をトイレに行かせるとして、柚緋。頼みがある」
「あ?運ぶの手伝えっちゅうんはお断りやで」
「いいや違う。柚緋には、あそこの修羅場続行中の二人を止めて来て欲しい」
「・・・・・・・・はぁ⁉」
すっかり忘れていた祥と柳静の修羅場。苛立ちMAXの柳静の特攻を右手で顔面を鷲掴みする形で阻止している祥と、目が塞がれたため身動きが取れず歯を食いしばりながら祥の両頬を思い切り引っ張るという反撃をしている柳静、の二人。どちらも一度枷が外れれば収拾をつけるのに時間がかかるため、来客を放置したままずっとやり合っている。とんだ年上組だ。
丁度ドアの前で争いを繰り広げている二人を止めて、突破口を開いていこうという無茶振りをしてくる菊に、柚緋は顔を真っ青にさせながら反論する。
「ばっかか!あんなん止められるわけないやろ!止めにいったらもれなく俺まで修羅場の仲間入りや!そんなん死んでもお断りやで⁉」
「じゃあここで蒼羽が嘔吐物で塗れ、それの後片付けに駆り出されるのが良いか、それとも修羅場の中に飛び込んで巻き込ま・・・・・止めるのがいいかどっちがいい?」
「お前今、巻き込まれるって言おうとしたやろ!もうお前ん中では俺は犠牲者になっとるやないか!ほんなら俺が蒼羽をトイレに連れて行くさかい、お前が突破口開きに行けや言い出しっぺ!」
「俺は祥さんにライバル視されてるから、火に油を注ぐ結果になるから、やめておいた方がいいと思う」
「いや俺かて、今日一緒に夜を過ごすんやで!ここでしこりを作ってもうたら後が気まずいやろ!」
「大丈夫!出来る!柚緋なら出来る!ムードメーカーの力見せてやれ!」
「ムードメーカーの苦労も知らん奴が力に関して語るな!ほんであの二人は何をあそこまで争っとんねや!」
そもそもは祥のテンションの高さとウザイ絡みが原因なのだが、もうそんなことはどうでもいいようで。今の二人の争いは、久々の取っ組み合いに絶対負けたくないというプライドと意地によって長期戦を生み出していた。要するに相手よりも下にはなりたくない、ということだ。きっとここで負けた方は、これからしばらくはこのネタで散々弄られるのだろうから。
「多分、珍しく取っ組み合いをしたから負けたくないんだろうな。俺もたまに雪霧とああなるけど、その時はもう相手には絶対に負けたくないっていう思いに駆られるからな」
「・・・・・・お前もお前で女の子と何してんねん。そこは負けたりや。力ではお前の方が絶対上やろ」
「ちっちっち。柚緋・・・・、柚緋は雪霧の恐ろしさを知らないからそう言えるんだ。確かに力では男である俺の方が上だ。だけど、知能ではあっちの方が断然上手だ。以前些細なことで喧嘩になって取っ組み合いをしたんだが、あいつは力では俺にあと数十秒も持たないと悟り、瞬時に俺の・・・・俺の股間を蹴りやがったんだ・・・。それも、足のつま先を突き刺さんばかりの鋭さで・・・・っ!!?」
その時の激しい痛みを思い出してしまったのか、菊は悔しそうに、そして股間を押さえた。女には分からない男の急所攻撃が引き起こす激痛は、一生忘れられないものだ。そしてもう二度と味わいたくないトラウマ的存在。
「お・・・おう。つーか、それ知能言う問題やないやろ。ただの女が男に誘われた際の護身術の一つや」
「うう・・・・・思い出したら少し痛くなってきた・・・・。つーわけで、柚緋・・・。後は任せた!」
「下手な任せ方すな!」
「出来る!柚緋なら出来る⁉」
「それ言うたら俺が動くみたいな感出して二度目のチャレンジすんな!お前あくどいやっちゃな!」
会って数十分の相手の特徴と性格を分析して自分の都合のいい方へと誘導する菊。観察力が長けている菊ならではの作戦だろう。普段の雪霧の扱いの応用だと思えば簡単なことだ。
柚緋陥落まで、あと一押し。
「俺、柚緋のその頭の回転の速さには尊敬するものがあるんだ。柳も言ってた」
「は?鬼さんが俺を何やて言うとったんや?」
「柚緋は、自分がひらがなでしかメールが打てないことを知っても時間がかかっても、文句一つ言わずに、逆に小文字の打ち方の詳細まで丁寧に教えてくれたって言ってた。凄く喜んでたぞ。だから、その優しさを今、あの二人の喧嘩を止めて、仲良く酒を酌み交わす元の姿に戻すために使ってくれ!だから・・・・・頼む、柚緋!」
「そ・・・、そない褒めても、もうこれ以上料理も酒も、何も出されへんで⁉」
落ちた。
「「あぐっ!!?」」
柚緋ではなく。修羅場中だった祥と柳静が。
柚緋が菊に唆されて二人の仲裁に入ろうかと立ち上がったのと同時に、祥の部屋のドアが思い切り開かれたのだ。漫画ならば確実にバァン!という効果音が大々的に表記されるであろうそれを、容赦なく遠慮なく無慈悲にも行ったのは、この室弥家に住まう一員、祥の妹にして十九歳にして一家の財務大臣を担う、蛍だった。




