第二章2 『お約束は必ずするもん』
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滝ヶ瀬は買い物に出されていた。
主である朔が優雅に喫茶店で残りのピーチティーを飲み終える前までに戻ってくるよう指示されて。猛ダッシュで走らされたのが十分前。
喫茶店のすぐ近くにあるスーパーまで来たのはいいが、黒のタンクトップに黒の羽織、黒のハーフパンツに下駄という服装はやはり目立つものだそうで。買い物に来ている主婦の皆様の注目を一斉に集めてしまった。
「なんだよなんだよなんだよ。そんなにおかしいのか?この格好。別に私服なんてどれ着たって本人の自由じゃないのか?むむぅ、そんなにじろじろ見んなよ、恥ずかしいだろ。なんか自分が途轍もなく大きな失敗をしてしまったのではないかと、思い知らされてるみたいじゃないか!」
小声でぶつぶつと心境を語っている滝ヶ瀬。みたいな、ではなく実際意図せずとも周囲の人達は奇抜なファッションに対し、評価を下している。買い物籠を持つ主婦の方々は、滝ヶ瀬のその奇抜なファッションを見て、「うちの息子があんな格好したらもう恥ずかしくてご近所の方に挨拶も出来ないわ」「どういう教育をしたらあんな風になるのかしら」などと、一切の交流のない滝ヶ瀬に陰口を叩いていた。
「はぁあ、なんで俺が買い物なんか。いや、普通にお店って色んなもの売ってるから、買わなくても見てるだけで一日過ごせるくらい興奮するけどさ。っていうか、『そうだね、買い物して帰らないとね』って言っておきながら、結局雑用を俺に押し付けるんだから!なんて主なんだ、なんて横暴で人使いの荒い主様なんだ!なぁんて、はは、やっぱり俺って頼れる人材なんかな。いつも外出するときに俺を付き添い人にしてくれるし、なんだかんだ言って朔様は俺のことが好きなんだな」
怒ったり喜んだりと忙しい滝ヶ瀬。外では二つ結びはやめなさいと注意されてしまったので髪は下ろしたのだが、普段結んで生活をしているため、ゆらゆらと視界の横に入ってくるのがなんとも気がかりだ。
そもそも、金色の髪に真っ黒なコーディネートとはまた目立つ。結局、その派手さに奥様方が酷評したわけだが、そんなこと滝ヶ瀬にとっては普通なのだから気付くわけもない。甚平に着替えたかったのだが、そんな事している時間が惜しいとこれまた注意を受けてしまったので、結局そのままの服装でここまで来たのだが。そのとき、ポケットからワン!という音がした。犬の鳴き声の受信音だ。初期設定のままでよかったのに、いつの間にか設定をこれにされてしまったのだが、変えても変えても気付いた時にはこれに設定されてしまっているので、もう諦めている。その受信音のしたポケットから携帯を取り出す。
スマホなのだが、カバーはサービスでくれたシンプルなもののままで、壁紙も何も設定しておらず、受信音以外は全て初期設定のまま。
このスマホにメールを送ってくる人物など知れている。その中で一番率の高い人物はただ一人。
【別にお前の事は特別好きってわけではないよ。ただ扱いやすいし、面倒ごとが少ないから付き添いに選んでいるだけだから。勘違いしないでくれ】
主の朔からだった。
「エスパー!?なんで俺が思っていることが伝わってんの!怖い!GPSとかどっかにつけているんじゃないよね!怖い怖いマジで怖いっすよ!」
リアルタイムに心の声を受信しているのかと疑いを持ってしまう朔の文面に、滝ヶ瀬は驚愕する。まだ買い物籠にコピー用紙しか入れていない滝ヶ瀬。段々腕が疲れてきているのを感じるが、ここでカートに頼っては男ではないと、変なプライドを見せる(ただ単にカートを一度も使用したことがないため、使い方が分からないだけ)。
【あのさ、コピー用紙を先に籠に入れるってどういう神経?カートを使ってれば別にいいけど、手持ちでましてや重さのあるコピー用紙を最初にって、お前はドMだったのか?それならば追加で炭酸飲料二リットルの三本と牛乳二パック買ってきて】
「どんな要求の仕方っすか!何重たいものをわざわざ選択して追加寄越してくるんだ!それ絶対朔様飲まないですよね、炭酸飲料なんて飲んでるところ一回も見たことないし、牛乳なんてパックじゃなくて家に瓶に入ったやつあるのに、なんで敢えてパックの要求するんすか」
【ほらほら、ツッコミ入れてないでさっさとしないと、俺、紅茶飲み終わっちゃうよ?罰ゲーム、罰ゲーム~】
「な、なんてお人だ。使用人をここまでいじめるなんて、これってパワハラで訴えれば確実に勝てるんじゃ・・・・・・・。いや、無理か」
【うん、無理だね。お前程度簡単に捻り潰せるよ。俺にはその自信が大いにある】
「もううるさい!」
なんでこうも自分の思考が駄々漏れなのか、滝ヶ瀬は訳が分からずパニックに陥ると同時に、スマホの電源をオフにした。これでもう主からメールが来ることはないだろう。いや、きっと、電源を入れた瞬間に未読メッセージがドバドバと送られてきているのだろう。しばらくはスマホとは距離をおくことにしようと、滝ヶ瀬は心に決めた。
「はぁ、本当にもう。朔様は俺達で遊ぶのが好きなんだから。・・・・・・・・・・はっ」
そして、滝ヶ瀬は重要なことに気付く。
勢い余ってスマホの電源を切ってしまったが、それは絶対にしてはいけない行為だった。なぜなら。
「やべぇ。買う物、全部携帯のメモ帳機能に記入したんだった・・・・・・・」
文明の利器に頼り、メモ帳機能を使用しまくっていたツケが今ここで回ってきた。
「くぅ~!なんで三好さんがいつも携帯じゃなくて、手帳に書いていたのか今ここで分かったあ!きっと朔様からの嫌がらせメールを考慮して、苛立ちを最小限に抑えつつ、もし電源を切った時にも困らないように手帳に記入してたんだ!なんて頭のいい人だ、そして主からの連絡をこちらから容赦なく断ち切るのって、使用人としてどうなんだって少し考えてしまった俺!」
普段ならば主に何かあったとき、即座に連絡が取れるように常に万全な体制を整えておかねばならない使用人の滝ヶ瀬と三好なのだが、朔からの嫌がらせに近いやり取りは常日頃から悩まされており、最終的にこちらから遮断する方法を取っているわけだが、それは使用人としてやってはいけないことだろう。もし朔に何かあっても、連絡を取れないのだからどうする事も出来ない。といっても、そうさせてしまうレベルまで嫌がらせをしている朔の自業自得と言っても過言ではないのだが。
それはさておき。
今滝ヶ瀬が直面している問題といえば、朔からの連絡を絶ち切ったことで、買い物リストまでもブロックしてしまったことだ。一応は頭の中に入れているが、先程追加注文が入ったおかげで、少々頭の中がこんがらがっている。
とりあえず確実に合っているコピー用紙は籠の中で重さをもって存在を主張してきている。
「くぅ~!物覚えが悪い方ではないけど、全て暗記しているか?って聞かれればそうでもないから、もう目の前の商品を見たら、これが正解だってなっちゃうっす。もーう!どうしてメモ帳機能なんかに書いたんだ俺!そういえば、三好さんに言われてハーフパンツのポケットに小さなメモ紙とボールペンを入れておいたのに、なんで使わなかったんだ!」
その答えは単純明快。
朔の一番最初の使用人となった三好。滝ヶ瀬と他多数の使用人を束ねる役を担っているその三好に、朔の行動によってスマホが機能停止になるかもしれないと分かっているあの三好から、メモ紙とボールペンを受け取った滝ヶ瀬。だが残念なことにそのやり取りをたまたま朔が目撃してしまっていた。それを知らない滝ヶ瀬に買い物を頼む際、朔がこう告げたからである。
『そうそう、忘れた時にすぐチェック出来るように、携帯のメモ帳機能使っとけ。あれ俺も使っているけど、中々に便利だ』と。
素直というかなんというか、人を疑うことを忘れている滝ヶ瀬は、まんまと朔に引っ掛けられたというわけだ。もちろん、朔は自分の行動によって、使用人が携帯の電源をオフにしていることくらい前々から知っている。そして、何故に文明の利器を使用せずに、手帳を用いているのかも。
「な、なんてこった。朔様は全て知っていてそれで俺が困るようにわざわざ携帯の電源を切らせるような文面を送り、メモ帳じゃなくて携帯のメモ帳に買い出しのメモを取らせたのか。あ・・・・・あ、あぁ・・、頭が良い~!」
滝ヶ瀬は馬鹿だった。というよりポジティブだった。
ここは普通、見事に誘導されていたことに対し何らかの負の感情を湧き出させれば良いのだが、滝ヶ瀬は逆に自分を嵌めるだなんて天才に匹敵する頭脳の持ち主だ、とでも思っている。
これをポジティブと分類するか馬鹿と分類するか、はたまた別の何かに分類するかはさておき、今ここで携帯を復活させれば確実にまだまだ送られているであろう朔からの大量メールに苦しむことになる。
なので、滝ヶ瀬は電源を入れる前になんとか頭の中で買い物リストを復活させるよう、試みることにした。
「えーっと、コピー用紙とA四ファイルと、トイレ用洗剤、砂糖と卵二パック、あとはなんだっけ・・・・。や、やばい。この六つとさっき頼まれた飲み物しか浮かんでこない!嗚呼!俺の記憶力は虫以下かも!くっそぉ、思い出してくれぇ。えーっとえーっと・・・・・」
商品を見ればそれだと思い出すかもしれないと、歩き出した滝ヶ瀬。しかし、商品を見ていく内にもう全てリストに入っていたんじゃないかという錯覚に陥ってしまった。
「うう、この滝ヶ瀬一生の不覚!メモがないと買い物も出来ないとは、幼稚園児にも負けている気がする!えっと、五千円貰ってきたから、もしかしたら五千円ギリギリまで買えるものを頼まれたってことかもだから、じゃあ、なんかそれっぽいもの買って帰ろう!ないよりマシってもんよ!俺も中々の天才だ!」
自分の財布を持たない、そもそもお金自体持っていない滝ヶ瀬。朔から小さなポーチに入った五千円を受け取り、意気揚々と買い物に来たのだが。
ここで、滝ヶ瀬は気が付かなければならなかった。朔が頼んだ買い物は、先程滝ヶ瀬が口にした六点で全てだということを。
滝ヶ瀬は気が付かなければならなかった。先程、カフェで細かいお金を使ってしまったため、朔の財布には五千円札しか入っていなかったので、それを渡すしかなかったということを。
滝ヶ瀬は気が付かなければならなかった。毎回毎回、朔からの嫌がらせは、滝ヶ瀬が電源をそろそろ切るだろうことを見越して送られて来ており、もうすでに嫌がらせメールを朔は送っていないことを。
なので、携帯の電源を入れてメモ帳を確認すればよかったのだ。電源を入れても、メールはたった一件【余計なものは買ってこないように】とだけしか受信していないのだから。
滝ヶ瀬は己を卑下し過ぎてしまった。記憶力は普通にあり、余計な事を考え過ぎなければ大丈夫だということを、本人は気付きもしない悲しい現状を、いつか知って欲しい。
滝ヶ瀬は自覚しなければならなかった。自分が馬鹿ではなく、ただの間抜けに分類されるのだという事を。
そんなことには一切気付きもしない滝ヶ瀬。とりあえず頼まれたものを籠に次々と投入していく。そして、大体これだろうというものを計算しながら足していく。
その後、滝ヶ瀬が買い物を終え、両手にパンパンに商品が入った買い物袋を手に持ち、陽気に主人の下へと戻っていったのは、想像出来るだろう。俺やったぜ感満載に帰ってきたところを、朔に「この駄犬が」と一言投げかけられ、説教を受ける羽目になることも。
ただ、これが滝ヶ瀬を虐めたい朔の歪んだ愛情表現だという事だけは分からない。わざわざ滝ヶ瀬を失敗に導くために嫌がらせメールを送り、それを滝ヶ瀬が拒否することも、きっと思い込みの激しさ故に余計な買い物をするだろうことも全て見越して。
とんだ歪んだ性格の持ち主の主人の下、哀れな使用人、滝ヶ瀬。彼の主人から受ける愛情は、終わることはない。永遠に。




