第一章3 『自室は最大の秘密基地』
3
「おい。こっちは完璧に糊付けが終わったぞ」
「・・・・・・・」
双葉菊は糊の付いたヘラを手にしながら、部屋の主に話しかける。が、それに対する返事は無い。
「これ、ここに置いとくのはいいけど、前みたいにあるの忘れて踏みつけんなよ?」
お構いなく再び部屋の主に話しかける。が、それに対する返事は無い。
「今日はこの一枚だけか?それは崩すのか?それとも糊付けするのか?するんなら片付けねぇし、しねぇなら片付けるし、どっちだ」
「うるっさい!あと四十ピースで完成するわ!ちょっと黙ってて!」
キレられた。
朝の九時に電話で起こされ(ちなみに電話の内容はたった一言『緊急事態!今すぐ助けに来て!』だった)、急いで駆け付けたのに、呼び出し内容は単純明快。ジグソーパズルの糊付けをしろ、だった。
それを黙って文句も言わずに一時間作業した菊が受けたのは、感謝でも労いでもなかった。
「だったら完成してから呼びやがれ!俺はなぁ!このあと!すぐ!用事で出掛けなきゃいけないんだよ!なのになんでいきなりジグソーパズルの糊付けしろって言い出すんだよ!」
だからこちらも逆ギレしてやった。
「そのパズルとこのパズルは五回もやったら飽きたんじゃ。じゃから誤って崩してしまう前に額に入れたかったのじゃ」
「それを出掛ける前の奴に言うなよ!この一時間を出掛けるためだけに使いたかった!」
「知らぬ!」
「知ってる!昨日の夜に教えたぞ!最新ニュースだ!」
「メールは見ておらぬ!」
「直接!お前の耳に!情報入手させたんだがな!」
菊の幼馴染であるところのお隣さん、白石雪霧は昨晩から千ピースのジグソーパズル二枚を組み立てていた。一種類につき五回くらいは組み立て遊ぶ雪霧は、大体どのピースがどの場所か分かるようになったら、糊付けをして額に入れ、別の部屋で飾っている。飾っているといっても、雪霧が物置として使用している部屋なので、普段鑑賞することはないのだが。
ジグソーパズルを購入すると、必ず付いてくる糊を塗る役目。
本来ならば責任を持って本人がやるものなのだが、雪霧は菊の方が器用だからと押し付けているのが現状。
そしてその糊付けバイト(無給)はいつも突然で。雪霧が飽きたと思ったその日に、隣の家だからと遠慮もなく無限召喚するのだ。
「にゃー!終わったー!糊付けOK~」
「OKじゃねぇよ、さっさと寄越せオラ」
「ヤクザじゃな」
ずっと同じ体制でパズルを組み立てていた雪霧は、ゆっくりと亀並みの速度で立ち上がると大きく背伸びをする。完成してから動かすのは大変なので、最初から額も一緒に購入し、付いてくる大きな板を敷き、その上でパズルを組み立てていくため、ほぼ四つん這いの状態での作業。これを八時間以上寝ずにやっていたため、もう体は限界のようだ。
「今はイベントが嵌らんかったから、別のことをしたかったんじゃ。ドミノは禁止令で出来ないし。じゃったら、溜め込んでいたパズルをやりまくろうと思って、この一週間で十二種類の千ピースパズルをやりまくった」
「どんだけやんだよ。あ?だけど、糊付けはこの二つ入れて五種類だよな。あとのはどうすんだ?」
「嗚呼、他のはまだやるつもりじゃ。多分明後日にはまた糊付けを頼むんじゃろうな」
「知りたくなかった・・・・。いや事前予約だからいいのか?」
雪霧の依頼はいつも突然なので、初めての事前予約に菊は感覚が少し鈍ってしまったようだ。そしてパズルの糊付けをちゃっかり押し付けられていることについては、頭の外に飛ばされてしまっているらしい。こうして菊は今日も雪霧にいいように使われている。
足蹴りで雪霧を退かし、新しく糊の封を開け、パズルに付けていく。
本当は腹いせに雪霧の左右一房ずつ伸ばされているその髪を引きちぎって、『切り忘れですか?』と言わないで済むように処理してやりたいが、そこは大人な菊。敢えて他人のアイデンティティには手を出さない。
糊付けの前に、よくパズルを整えておくのは雪霧の役目。菊はパズルとパズルの隙間に糊が入り過ぎないよう、外側から内側へと、丁寧に塗り付けていく。最初の頃は適当に糊を付け、隙間に糊が入り過ぎてしまったため、パズルが大きくなってしまい、額に入らないという事態になってしまった事があり、同じ轍は踏まないと、ネットできちんと調べてから慎重にいくことにした雪霧と菊。特に失敗した時の菊の絶望感というのが計り知れない。
「それで、用事というのは何時からじゃ?」
「ん?夕方から。隣の市だから土地勘無いっつったら、近くのコンビニの前で待ち合わせにしてくれた」
「ほほう。確かにどこぞの店や施設とかが目的地でなければ、菊の力は発揮されんようじゃしな」
「お前それ、いつも俺の運転で出掛けるからって、俺がどこぞのドア並に色んな場所にいけると思うな。どれもちゃんと下調べしてから行ってっから。今回は住宅街にある中の一軒だからな。流石に住所もねぇのに無理」
もう一人の友人、宮内甘海とよく三人で出掛けている菊と雪霧。日々の移動手段が徒歩か自転車な甘海と、外すら出たくないとごねる雪霧が相手だと、菊が車を出すしか他はない。
旅行とまではいかずとも、遊園地やショッピング、海や川、プールに花火。花見や温泉など、近くにあるのならば三人で今まで様々な場所へと赴いてきた。それもこれも、菊の下調べと企画立案、そして強制執行のおかげだ。
それのせいだろうか、雪霧からしてみたら、菊はなんでも知っている情報屋のように見えてしまっているみたいで。新聞配達員か郵便配達員でもない限り知りえない細やかな住宅情報を知らない菊に、少し残念そうにしている。いい迷惑だ。
「菊でも知らぬことがあるのじゃな・・・・。ならば我が手伝ってやろう!・・・と言いたいところじゃが、流石に住所なしは無理じゃ。力になれなくてごめん」
「いや別に期待はしてないから大丈夫だ」
「それはそれで、なんか虚しい」
頼って欲しかったのか、と菊。面倒くさい奴だ。
しかし、本当に冗談なしで、雪霧に頼ったら住所を見ただけで、その場に連れて行ってくれるのだろう。区画整理や建て壊しなどで変わっていない限り、県全体は無理でも近くの市程度ならば、全ての住所を口にするだけで案内してくれることだろう。
昔から図鑑(虫は駄目)や、電話帳に地図帳といった分厚い本のページを捲るのが好きだった雪霧。捲ったことのある本ならばほぼ内容を覚えているほど、記憶力が良い。勉強が出来なさそうに見えて、少し教科書を読んでしまえば大体は解ける。ただし、完全ではない所が虚しいのだが。例えば画数の多い漢字は何回か書かなければ無理だし、熟語の意味まで全て覚えても実際使用する事は出来なかったり。理科の実験で方法は覚えても応用することは出来なかったり。人って平等なんだな、とここまで説得力のある存在はいないだろう。
白石雪霧は、面倒くさがりな性格のせいで、色々と複雑な感じになっている。それを知っている菊は、敢えて頼ることはしない。百パーセントではないからだ。己自身がやるとさして変わりはないのだから。幼少期の吸収力と記憶力が少々地味な形で継続しているだけなのだから。だから、こう告げておく。
「気持ちだけは受け取る」
「ならいい。って、ちょっと待って。今ってまだ十一時過ぎたばかりじゃよ?夕方からの約束なのに、ちぃとはしゃぎ過ぎでは?初めて出来た彼女との初デートに浮つく彼氏か、菊よ。気持ちが悪い」
「お前のその発想の方が気持ちが悪い。大体、お前のせいで俺に彼女が出来た事など一度もないだろうが」
「おお、それもそうじゃ。そりゃ失敬」
「はぁ・・・。嗚呼、約束の時間だがな、確かに夕方だけど、ギリギリでバタつくのは嫌だし、近くのファミレスで最新作の抹茶デザート食って、その感想を伝えようかとな。あっちは準備とかでそれどころじゃないだろうし」
「そ、そこまでして話のネタを作らなければ会話も出来ないなんて・・・、可哀相な菊!」
「・・・・・・・・・・・・。わー、こんなところに糊の付けたてパズルがー。今ぶっ壊したら果たして乾いたらどうなっているのでしょーかー。テレレレテレレレテー」
「にゃー!?すまん、すまんかったの!」
千ピースパズル二枚が(糊付けしたばかり)人質に取られた。今ここでパズルを崩されたら、もちろんパズルもぐちゃぐちゃになってただの塊になってしまうが、一番被害が大きいのは崩した際にもれなく糊まみれになる菊の足ではないだろうか、そして今まで糊付けに費やした時間を無駄にすることは、菊にとっても結構な打撃だと思うが、そこに気が付いているのだろうかと雪霧は冷静に分析した。
「・・・・・・・・、まぁ、元々そっち方面に行く用事が出来たら行こうと思ってたからな。ファミレスだからって馬鹿には出来ないデザートを一人で思う存分堪能したい」
雪霧の必死な懇願に気を許した菊は、話を再開することにした。期間限定抹茶スイーツを出しているファミレスは残念ながら菊達の家の近くには出店していない。来月の下旬までが期間のため、菊は早く行きたくて仕方がなかったようだ。
「ふぅん。それおいしかったら今度我も連れてってよ。そのスイーツはなくとも、他にも色々あるじゃろうし、菊が一押しするのなら間違いはないじゃろう。甘海・・・・・には内緒で」
「おう。きっとあいつは別で食いまくってるかもしれねぇな・・・・・・・・、おい」
冷静になり、糊付けし終えたパズルを部屋の隅に移動させた菊は、ふと、視界に入ってしまったものを凝視した。凄く見たくなかったものだ。何で見てしまったのだろうと己を恨む。
「ん?何じゃ?」
「その放置されたパズルは・・・・なんだ」
「む?これは五百ピースのパズルじゃ。海シリーズできれいじゃからな。嗚呼、大丈夫。三枚じゃ、たったの・・・・の」
「うぶぐぅぼああああぁッ!」
雪霧の糊付け用パズル生産攻撃は菊の精神にクリティカルヒットした。心の中で大量に吐血をしてしまった。
どうして“後で一気に頼むかー”的な軽いノリで糊付け用パズルを重ねておいておくのだ。そもそも、もうないかと思ってヘラも糊もゴミ袋に入れてしまったのに!
「海シリーズってなんだ!お前五百ピースなんてすぐ終わるからつまんないって言ってしねぇだろ!なんで今日に限って三枚もやってんだ、馬鹿か!あるんなら最初に言えっつってんだろうが!!」
「ふっふっふ。菊へ我からのサプライズプレゼントじゃ。どうじゃ、驚いたじゃろ・・・・・あいだだだだ!!」
怒りに任せて、菊は雪霧の髪を両手で引っ張った。左右だけ切り忘れたの?と言われても仕方が無い、左右一房ずつ伸びている髪。白に近い水色の綺麗な髪は、無残にも鷲掴みされている。地味に抜けないギリギリのところまで引っ張ってくるのが腹立たしい。しかし、本当に腹が立っているのは菊の方だ。さっき引っ張らなかったことをこれほどまで後悔することになるとは思いもしなかっただろう。
「人が優しくしてりゃ調子に乗りやがって!ドミノん時も言ったが、お前は重要なことをなんでサプライズ形式にしたがるんだよ!サプライズって普通心躍るものじゃねぇのか?お前のはダークサプライズだ‼」
「ダークサプライズ!!?」
「喜ぶな!俺はな、パズルをすんなとは言わねぇよ。ただ糊付けを頼むんなら頼むなりの気遣いを見せろやってことが言いてぇんだ‼」
「いだだ!五百ピースの一枚や二枚、さして変わらんじゃろ。千ピース一枚分と五百ピース二枚とはほぼ一緒なんじゃから、耐えてよ!」
「耐えてるわ!日々のお前の言動に!」
ドミノ禁止令が出されたきっかけがある。雪霧がパズルに手を出すきっかけとも言えるドミノ禁止令。
簡単に説明すると、最初は少量のドミノを床に並べて円や波など、簡易な形で遊んでいた雪霧。しかし、やはり飽きというものと、探求心が芽生え始めてしまった。床オンリーでのドミノを卒業し、机や椅子、箪笥やベッドなど、室内のもの全てを使い、盛大なドミノをするようになった。だがそれでも飽き足らず。父親がいない隙に、一切の休憩もなしに家全体を会場とし、大規模なドミノ制作を開始し出したため、とうとうブチギレた親に片付けを命じられるのと同時に、しばらくの間はドミノに触れる事すら許されない契約書を書かされてしまったのだ。
その横に。その隣に。菊も座らされていた。ドミノのピースを運ぶ役割や、雪霧の特殊な髪型がドミノに触れないように縛ったり、高い場所にドミノを並べたりと、サポート役に徹していた菊。それも無理矢理付き合わされたというのに、罪状は理不尽にも雪霧と同じだった(結局ドミノは完成間近でスタート地点である玄関を父親が知らずに開け、足でドミノを蹴散らしたことで発動させてしまったため失敗に終わったのだが)。
それについても文句一つ言わずに共に叱られたというのに、と菊は箍が外れたようにストレスを爆発させた。溜め込むタイプのようだ。
最近少なくなってきたが、他人の子供も自分の子供同様、叱ることの出来る雪霧父。普段は“怒”が少ない温厚なお父上様なのだが、雪霧の行き過ぎた言動には雷を落とす。ストッパーだ。
「むぃ~。今回、今回だけにするから怒りを鎮めたまえ!今日の報酬として、今度おしるこ作ってあげる!」
「!・・・・・・、しる・・・・・・・・こ、今回だけだぞ」
大好物のおしるこに釣られ、菊は怒りを少しずつ鎮めることにした。取り引きは無事成立。作るのは面倒だが、おしるこ一つで事が収まれば安いものだ。しかし、雪霧の髪が解放されたのは、鎮静に時間がかかったため、今から十分後のことであった。