序章 『都市伝説』
――今噂になってる最新の都市伝説って知ってる?
――あー、あれでしょ?最近ネットとかでも検索上位のあれ。
――そうそう、うちらみたいな子供でも知ってるあの都市伝説。
――都市伝説に子供も大人もあるか?
――ええの、そんなのは気にしなくって。
――話の腰を折るやつは無視して話を戻すよ。
――そうだね。都市伝説の呼び方はそう、『日常を買う者』。
――それそれ!それに関する噂も結構広まってきてて、でもまだネットの中だけだけど。
――え、何それ!まさか人身売買とか、闇のルートを知り尽くし、密かに世界をひっくり返そうと企む悪の組織とか!
――ばっか違うよ。漫画の見過ぎ!聞いた話だけど、日常話を買うだけなんだってー。悪の組織ならぬ、不明の組織だねー。
――は?なにそれ。
――地味っていうか、情報屋みたーい。
――情報屋!それいい!不明の組織より断然ネーミングがいい!
――悪かったね‼本当は透明でもよかったんだよ。
――どっちみちセンスゼロだな。
――でもさー、ネットで見る限りでは特に売ったりしないんだってー。買うだけで。
――自己満?
――じゃない?あーでも、話によっては高額で買い取るって話だから、それに売りつけようとする人が急増してるみたい。
――高額っていっても、高が知れてるでしょ。
――それが百万とか、一千万とかだって話だよ。
――まじで!
――まじで。
――働かなくていいじゃん!
――俺も便乗しようかな~。
――無理無理。そういう人らを寄せ付けないように、登竜門としてサイト作ってて、パスワードを入力しないと、その人のアドレスが手に入らないんだってー。
――なぬ!パスワードプリーズ!
――それってもしかして、そのアドも何回か変えてるとか?
――うわーめんどー。
――でも、本当どうするんだろうね、日常話なんて。
――つーか、日常話って・・・・・どれの事だよ。
「だってさ」
「だってさって・・・・・・。で、何?って言ったら、その手のカップ投げてきますよね?」
「さぁ、どう出ようかな」
ひそひそと話しているつもりになっている学生服(おそらくこの場から十分とかからない場所にある高校の制服を着ているので高校生だろう)の男女四人の会話を、特に聞くつもりもなかったが、耳に入ってきてしまったのでキリの良いところまで聞いていた男は、同席していた男に同意を求めた。といっても、同席している男は、答えるのが面倒なのか、それとも同意できないのかは分からないが、適当に答える。
優雅に紅茶を嗜む男――朔。
目の前でオレンジジュースをストローでちびちびと口に含む同席の男――滝ヶ瀬がはっきりと返答しなかったため、涼しい顔をしながら脛を蹴ってやった。
「あぐっ~~~~~~~~~~~~~~~――――――――――・・ッ!!?」
オーバーキル。
「向こう脛。またの名を、弁慶の泣き所という。痛みと共に覚えておきなさい」
「べんーーー!!?」
「それ、略し過ぎだよ」
弁慶ほどの豪傑でも痛がって無く急所、向こう脛。皮膚の下に筋肉がないために、皮膚と骨の間を通る神経に衝撃が届きやすくなってしまう為、激痛を引き起こす。それを知らずにこれまで何十年と生きてきた滝ヶ瀬は、激痛に耐え切れず机に突っ伏し、ギリギリギリと爪を立てる。幸い机はコーティングされているため、滝ヶ瀬が爪を立てても傷一つつかない。というより、そもそも職業柄、肉より下になるよう爪を切り、やすりできちんと整えるなどして手入れをしている滝ヶ瀬は、もとより傷など心配していない。それよりも。
「な・・・、なんで、カップを投げるでも、紅茶をぶっかけるでもなく、そのむこう何たらの泣き所を蹴るんすか」
「そうそう。弁慶の泣き所って、実はもう一つあるんだよ。中指の第一関節から先の部分、爪側だ」
「え、無視っすか」
「手を開いた状態で中指の第二関節を曲げると、第一関節から先の部分に力が入らなくなるからだって。まぁこれは痛いとかという以前に、弁慶でもどうにもならないからそう言われてるだけで、浸透はしていない。そもそも、向こう脛をぶつける事はあっても、中指の第一関節を曲げられるなんて中々ない」
「まぁ、確かにそうですけど・・・・」
「まぁ、親指潰し器とかで粉砕されたり、爪を剥がされた後にされるといった拷問なら、今後される機会があるだろうけど」
「そんな機会はないっす!それってもう弁慶関係ないじゃないっすか!」
「そうだね。話がかなりそれてしまった」
「分かってやってますよね。つーか、朔様なら裏で拷問道具を集めて秘密の密会でもしてそうっす。悪魔召喚とか」
「金持ち共の道楽じゃあるまいし、イメージ悪過ぎでしょ。俺はこんなに日々公明正大に生きているというのに」
「うそくさ・・・・ああいやッ!何でもないっす!」
「・・・・・そうだね。別の目的のために拷問卿になるというのも・・・・・」
「え、その話まだ有効にするんです!?痛いのはいい!」
「ん?いい?いいってことは、痛いのが好きってことか?ドМなのか、滝ヶ瀬」
「そのイイじゃない!嫌とか遠慮って方です‼」
蹴るに至った理由にはならない事ばかり言い出す朔に、滝ヶ瀬は少々涙目だ。結局、何故にそんな事をしたのか、答えは目の前の人間から帰ってくるとは思えない。きっとこのまま彼に喋らせておけば、拷問部屋の設計図を紙ナフキンに書き出しそうだ。悲しいことに、それを実現できる力を持っているので、何とか止めなければ。ので、滝ヶ瀬はそれ以上の言葉を発することをやめた。その代わりにティーポットを手に持つ。
「さ、朔様。紅茶注ぎましょうか?」
「ん?嗚呼、ありがとう。話題を切り替えるためだとはいえ、段々気が利くようになった。俺の教育のおかげ・・・・ではないことだけは確かだ。帰ったら彼を褒めてやることにしよう」
「俺ももっと頑張らなきゃ。今みたいに、ありがとうって言ってもらえるように」
「・・・・・・・・・・」
たった一言。流れで告げた“ありがとう”の言葉を心の底から嬉しそうに、それも幸福として受け取った滝ヶ瀬は、、胸に手を当て、にっこりと笑う。それに対し、朔は微笑みながら、じっと目の前の連れを見つめた。じっと、ずっと、観察するように唸りながら。
とそこで、そういえば、と思い出したかのように滝ヶ瀬が口を開く。
「朔様の格好って、若作りなんですか?」
特に思い出してまで口にする言葉ではないだろう、と朔は心中穏やかではなくなったので・・・・。
「・・・次、その五文字を口にしたら、耳と鼻に穴を開ける」
と、滝ヶ瀬が嫌がっているピアスをなんと豪華な、耳と鼻に付与してやると脅し文句を口にしてやった。案の定、滝ヶ瀬からは求めていた反応が返ってきた。
「!ふぉ、ごめんなさい」
「分かればいい」
二十代後半の朔。滝ヶ瀬がいう若作りと思うような格好とは、白のYシャツに黒のネクタイ、その上から黒のカーディガンに、下は黒のパンツ。髪色も、左耳に付けている薔薇とパールのイヤリングも黒なので、全体的に黒々しい。ファッション関係には無知な滝ヶ瀬は、なぜそこまでして黒一色にしたいの?という疑問と共に、彼の格好を若作りと判断したらしい。
「人のファッションセンスをとやかく言う前に、お前のその格好だって、俺にとっては違和感が凄いけれど」
「これっすか?これは三好さんがこの前くれたものなんですよ。妹さんがプレゼントしてくれたものらしいんですけど、サイズを間違えたらしく、三好さんには小さかったみたいで」
「きっともう一人の方と入れ替わっちゃったんだね。だとしても、まさかここに着てくるとはね。すごいよ、その度胸」
滝ヶ瀬の今日のコーディネート。黒のタンクトップに黒の羽織、黒のハーフパンツに下駄という何とも言えない格好だった。めちゃくちゃもいいところだ。というより、主人共々、何故黒メインにしたがるのだろうか。そして、散々主人の黒一色に疑問を抱いていた滝ヶ瀬だが、自分自身の格好を見てからにしてほしかった。
「えー?そんなに変かな?普段の格好とあんまり変わらないと思いますけど。あ!もしかして今日髪結んでないからかな?」
「そこじゃない。折角上等な羽織をもらったのに、何故中がタンクトップなんだ?せめて着物じゃなくてもYシャツとか、それ以外に選択肢があったと思うが」
「俺の服の中にYシャツはありませんでした。今度三好さんに付き合ってもらって買いに行ってきます」
私物にYシャツが一枚もなく、Tシャツかタンクトップしかない滝ヶ瀬。だったらせめてTシャツの方を着て来いよ、何でタンクトップの方を選び取ったんだ、と朔は一人でツッコミを入れた。
「そのハーフパンツもなぁ。それを穿くならもう全体的に甚平の方がよかったと思うよ。少なくとも今の状態よりはマシに見える」
「あー!確かに!和にこの組み合わせは違ってたかも。後で着替えます。いやそれよりー、外でも仕事服着たいっす」
金の綺麗な髪を慣れた手つきでツインテールよろしく左右で結ぶ滝ヶ瀬。そこまで長くもないため、結ばれた髪は所々跳ねている。
「あれを着ていた方が皆の注目を浴びると思うけど。よさこいでもやる気か?みたいな。まぁそれより、今日は久しぶりの休日なんだからのんびりいこう」
「のんびりって・・・・・、今家で交代してるあいつらが頑張ってますよね」
有言実行と言わんばかりに、朔は椅子に座ったまま背伸びをする。それを見た滝ヶ瀬は残りのオレンジジュースを一気に飲み干し、氷を掻き込みバリボリと噛み砕きながらそう主人に意見する。滝ヶ瀬の他にいる使用人は、今この時間も働いている。それが気がかりなのだという仲間思いの仕事人間だ。
「分かっているさ、だからお土産買って帰ろう。それに彼がついているから、俺は何も心配はしていない」
「ちゃんと考えてくれていたんですね」
「当たり前だ」
「ならお土産はケーキがいいかもっす。あいつら好きなんで」
「そうだね。じゃあ、少し早めに帰って、俺も仕事しようかな。頑張って今までの分を整理しないといけないし、夕食前にケーキを食べれば夕食が食べられなくなり、彼に叱られるという末路を辿ってしまう前に」
「うへぇ。俺あれ苦手・・・・」
「知ってる。だからお前はファイリングに回す」
「あ、それなら好き。挟むだけだし」
「本当に君が彼らのリーダーなのかという疑問と、心配になってくるな・・・」
「?」
事務系の仕事は大の苦手な滝ヶ瀬だが、そんな彼でもこう見えて数いる使用人をまとめるリーダーの役割を担っている。二回も言うが、こう見えて、指示出しや仕事をこなすスピードは誰よりも早く、そして正確。中々に個性が強いその他の使用人を動かすのは簡単に難なくやってのける。が、残念ながら事務系だけは本当に無能だ。
そんな使用人のリーダーを事ある毎に連れ出す朔も朔だが、何かと便利な彼を相当に気に入っているようだ(本人には絶対に言わないが)。
「あ、そうだそうだ。帰りにコピー用紙買っていかないと。もう残りが少なかったはずだ」
「それなら、ファイルも予備買いましょう。三好さんがそろそろ買わなきゃって言ってましたから」
「そうか。じゃあ、三好に何が必要かメールして聞いておこう。返信が来たら出発しようか。それまでは、のんびりとあの子達を観察していようか」
「・・・・いつか、ご主人様に前科がつくんだろうなぁと思う。罪状は盗撮・盗聴で・・・ッぎゃ!」
先程から、都市伝説で盛り上がりを見せている高校生四人を再び視野に入れた朔に、ただボソリと呟いただけなのに、よくもまぁ聞こえたものだと感心するよりも先に、二度目の弁慶の泣き所攻撃が繰り出された。二度目は威力が増していた。涙目で少しでも痛みを和らげようと向こう脛を高速で擦る滝ヶ瀬に朔は一瞥をくれる。しかし使用人よりも高校生達の方に聞き耳を立てることを優先し、そして冷淡に。
「ほら、いつまでも擦ってないで、さっさと紅茶のおかわり買ってきてよ。今度はピーチティーってやつ。興味をそそられるね」
レモンティーを飲み終え、カップを滝ヶ瀬の前へと返却する。さっさとその痛む足引きずって行って来いと言わんばかりに。
「うぅ~。じゃあ俺はミルクココアにする・・・・・」
「ココアを飲んで少しでもカルシウムを摂取しようという算段なら、あまり意味はないと思うけど。帰りに牛乳も買っていこうね」
今度のためにも骨を丈夫にしようと企む滝ヶ瀬に、笑いながらお金を渡す。骨を丈夫にした所で、結局神経に届く衝撃をどうにかしなければならないので、滝ヶ瀬の企みはただ頑丈さと気にしている背丈を伸ばすだけになるのだが、本人のやる気を削ぐのも可哀そうなので、ここは黙っておくことにした。
それにしても、むすっとしながらもきちんと「ありがとうございます」と口に出来る彼は、本当にいい子だ。よくこんな主人に耐えながら付き従っているものだ。
空きグラスをお盆に乗せ、新しい飲み物を買いに行った滝ヶ瀬を見届けた朔は、観察対象へと意識を戻す。まだ同じ話題で盛り上がっているようだ。どうやら例のサイトを探しているらしい。
「ははは、ダメダメ。どうせサイトを見つけ出したところで、君達はアドレスをゲット出来ない。俺の・・・・・『日常を買う者』を理解しない限りは、さ。ただの金欲しさ共に、俺が本当に求めているものを持っているとは思えない。時間は大切なもののために、だよ。お若い学生諸君」
聞き耳を立てるだけで、この場限りの観察だけで十分と言わんばかりに、朔はじっとじっと観察する。だがしかし、あの中に一人くらいはいるかもしれない。欲しいものを持っている者が。
「うん、・・・早くピーチティーが飲みたい」
滝ヶ瀬がミルクココアをホットかアイスか、どちらにするかで時間を食ったせいで、朔の手元にピーチティーが差し出されるのは、これより十五分後の話。




