終章 『次なる明日へ』
ポロン。
広く静かな空間に、メールの受信を知らせる通知音が鳴る。PC画面にも、それが文字として表示されている。
合計受信件数七十二件。
まだまだ受信音は鳴り続く。件数は更に増え続け、あっという間に百件を超えた。
「はぁ。これは駄目だな・・・・・うん」
カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチッ。
部屋の主の呟き以外は、マウスのクリック音のみが響く。
何十通ものメールに一通一通目を通しては、転送を繰り返す。転送先は左右に設置されている別のPC。
転送は大きく分けて二種類。左PCには再度目を通してから送信するものを。右のPCにはすぐに送信を行えるものを。それぞれ間違わぬよう、転送を繰り返していく。
ただ今の作業件数、三十五件。のち、左PC十四件転送。右PC二十一件転送。
まだ半数以上も残っている。
そんな作業を全く持って自然な流れで繰り返していく部屋の主は、傍に置いていたすでに温くなってしまっているブラックコーヒーを一気に飲み干し、ガンッと力強く机に置いた。
怒っているわけでも、うっかり力のコントロールを制御できなかったわけでも、苦さに悶えたわけでもない。
呆れ。
それだけの感情しかなかった。
「つまらない。つまらない。つまらない。最大限につまらない事柄が、こうもそこらに転がっているとはね。意外とは言わないけれど、これだけ落胆する内容ばかり手元にくると、どうにも購入意思が削がれてくる」
カツカツと、人差し指でマウスを叩く。何か行動を起こさなければ、呆れで何かしでかしてしまいそうな、変な予感がしたからだ。
『送信者名:犬大好きよ
夕方に犬の散歩行ったら、うちの犬が他の犬に敵意剥き出しで・・・・・・・』右PCへ。
『送信者名:殊音
今の今迄寝てしまっていましたよ。その間にうちの嫁が・・・・・・・・・・』右PCへ。
『送信者名:無題様
買い物に行ったら入れる材料を間違えてしまって、今晩の献立が・・・・・・』左PCへ。
『送信者名:会社員
今日は研修があったのですが、そこに社長がいらっしゃって実技が全て社長の武勇伝を聞く会になってしまったんですよ。おかげで今日学ぶはずの・・・・・・・・・・・・・・・・・』右PCへ。
『送信者名:佐久間
今日ようやく新しいお父さんと会って食事をしました。中々に無口だったので緊張してしまったのですが、行動を見ていて・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』左PCへ。
『送信者名:三久里
イベントに行ってきました!そこまで大きなイベントじゃなかったんだけど、でもお客さんがたくさん来て・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・』右PCへ。
内容を一通一通確認しては転送。読んでは転送。
カチカチカチカチカチッとマウスは音を止めない。
「なんかなぁ、もっとこう・・・・。その中にもう一つ別の何かでも生み出せないものかなぁ?あ、駄目駄目。そんな事言っては失礼。俺の悪い癖悪い癖だ。そうだな、普通の中にも異常を。異常の中にも普通を。そんなものがほしい。普通の普通なんて、少し観察と予想であらかた想像出来るのだから」
きっと、中二病認定されてしまうだろうその発言を、平然と口にする部屋の主。特に気にした様子もなく、この程度で認定されるのならば、この世の全ては中二病でまみれていそうだ、とこれまた平然と言って退けるだろう。
とりあえず、百十三ものメール全て分別し終える。
メールの受信時刻は設定してある。サーバーがパンクしないよう、ある程度に時間割をし、それに合わせて送信するよう向こう側には伝えてあるが。が、一対○○人でのやり取り。一人のこちらとしては何かと忙しい。
右脚で机を軽く蹴り、左のPCへと椅子を滑らす。きっと行儀が悪い、と叱られる項目の一つに挙げられるだろう。
左PC専用のマウスを握り、一番最初のメールをクリックする。ただメールのやり取りをするためだけのPC。払っている電気代他諸々を考えると、これほど勿体無いことはないだろう。
しかしそんな事は気にしない。
金など気にするような事ではない。
消灯時間四時間弱。残り二十時間は主につけたままのPCはクーラーをつけているとはいえ、少々熱を帯びている。
しかしそんな事は気にしない。
PCの寿命等気にするような事ではない。それよりも三月でクーラーをつけているため、こちらの方が寒くて死にそうだ。
左のPCに転送したメールを次々と目を通しては、次々とその場で送信していく。その表情は仕分け時とは違い、とても満たされているような。
左PCは、部屋の主が興味を持った内容ばかり。
「いいね、こちらの持っていないものの譚は本当に素晴らしい。嗚呼、こちらには手に入らない事を、さも当たる前に、日常に、無意識に、手に入れるあちら側は、一体どのような心境なのだろう。知っているのも罪だけれど、知らないものはもっと罪だ」
誰かがいつの間にか用意したのだろう。手元には持ちやすさが重視されたティーカップに淹れられたハーブティーが置かれていた。それを部屋の主は極当たり前のようにカップの取っ手に指を掛けた。
「ん、うまい。これに砂糖を入れてしまう人の心境、というのも知りたいな。今度彼に聞いてみよう」
カップを片手にマウスを操る。
自分の知らないことは他人が知っている。意図しても、意図しなくても。まだまだ楽しいメールが待っている。つまらないなんて言っては罪だろう。いや、右PCは・・・・。
左PC、残り未確認件数三十二。
これからが楽しみ、これからが愉しい。
「あの子のメールまで、あと三十二件・・・。早く知りたいな、あの子の続きを・・・」
送信者名を見つめ、部屋の主は頬を綻ばせながら、再びハーブティーを口に含んだ。
一番の楽しみは、勝手に最後に回ってくれる。
この中で一番楽しみで、一番遅くて、一番日常で、一番異常で。人間的なのだから。
右PCの送信はあいつに手伝わせよう、部屋の主はそう呟いた。
これは、日常の中に非日常を求め。
異常の中に日常を求め。
普通の中に異常を求めた者達の。
無意識の日常の『戯れ』物語。




