第一章1 『お会いもの』
1(AM 10:00)
室弥祥は朝から楽しげに歩いていた。
近所に三年ほど前に建てられた、朝十時開店の大型ショッピングモールへ買い物をしに上機嫌で向かっている。
田舎に大型ショッピングモールが出来たとして当初は物珍しさに騒がれ、様々なメディアが訪れていた。しかし、チェーン店をただかき集めただけの花のないものだった事や、周りのショッピングモールとの競争もあり、数ヶ月経つと一気に熱は冷め、賑やか過ぎるほどだった客足は徐々に遠のいていった。このままでは一周年の記念イベントをする前に泣く泣く潰れてしまうと焦った経営陣が、若者を始めとした全世代に人気のショップを増やし、限定店舗を取り入れ、様々なサービスを常に実施するなど試行錯誤していった結果、最近では他県を含め多くの利用者が訪れるようになってきた大型ショッピングモール。
おかげというかなんというか、近所ではあったがやはり物珍しさでしか興味を示さなかった祥や蛍も、こうして数日に一回は足を運ぶ程身近に利用するようになったわけだが。
今日の祥はお気に入りの黒いテーラージャケットに白いTシャツ。下は黒いズボンと、外出用の服の中で一番のコーディネートを身に纏い、鼻歌交じりで陽気な様子で歩いている。
その横を歩くのは朝早くにメールで起こされ、また逆に送信者を起こし身支度まで手伝う羽目となってしまった凪原柳静。
今時な格好の祥とは対照的にベージュ色の着物に草履姿は、見慣れない者には物珍しく思うだろう。いくらここが田舎だからといっても、常日頃着物着用の若人を見て振り返らないほどではない。その証拠に先程から行き交う人たちの異様なものを見る視線を受けまくっている。
「やばい。俺今この道において・・・・超モテ気!」
「・・・・貴方のお兄様がまた意味不明な言葉を述べているのですが」
柳静への視線を自分に向けられたものと勘違いした祥は、なにやら嬉しそうに髪をかき上げたり、くるりと一回転したり、どうでもいいアピールをしている。
その姿を横で見ていた柳静は一緒に歩いている祥の妹、蛍に話しかけた。
「いえ、今はあれを実の兄だとは思いたくはありませんわ。むしろ数十メートル距離を置いて歩きたい気分ですの」
「その気持ちには同意いたします。勘違いまでは別に気にしませんが、あの俺やっぱり格好良いんだよなもっと見てくれて構わぬぞ、と見せ付けるようなあのポーズが腹立たしい事この上ない」
「仕方がありませんわ。今日は髪型がいつもより決まったようで、先程から機嫌がいいんですの。ですから今日は私服の中で一番のお気に入りを身に纏っているんですのよ」
「なるほど」
黒髪に前髪は白のツートーン。
肩に掛かるくらいの長さの髪は、毎日ハードタイプのワックスでセットしているが、今日は自分の理想通りにセット出来たため、えらく上機嫌らしい。普段から持ち歩いている手鏡を取り出し、十五分に一回は鏡に向かってキメ顔を披露している。
横を歩く二人にとって、今の祥は超絶ナルシスト系ウザイ男である。
「おーい!何二人して離れてるんだよ!え・・・・ちょっとまッ・・・まさかッ!二人は・・・俺の知らないところで・・・・そんな、俺は何で気付かなかったんだ・・・親友と妹がまさかそんな、あぐッ!?」
同類と思われたくないため、離れて歩いていた柳静と蛍の二人に対し揶揄していた祥の言葉は途中で悲痛の叫びへと変換された。
「柳静様。ナイス蹴り技でございます」
着物だという事を無視し、勢い良く走ってきた柳静が思い切り飛び蹴りをかましたのだ。スタート地点ではパチパチと蛍が拍手している。妹に心配どころか拍手を送られている兄の祥は熱烈キスをしたコンクリートの地面と素早く離れると、その勢いで柳静に掴みかかろうとした。だが。
「はぁ・・・・はぁ・・、ふ・・・ッ、、・・・うぇ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「・・・・は・・・はぁ、・・・あっつ・・」
「飛び蹴り一回で力尽きてんじゃねぇよ!!?」
「うる・・・さい・・。い、今・・・、こ、呼吸を・・・はぁはぁ・・・・」
「お前体力無さ過ぎるにも程があるだろ!蛍んとこからここまでたった四メートルよ!?ジャンプか、ジャンプが辛かったのか!!?」
立つ事すら出来ないのか、地面に両手を付き呼吸を整えている柳静。彼の体力の無さにぎゃあぎゃあ文句を垂れる祥だが、扇いだため乱れた着物を軽く整えてやるというさり気ない優しさを見せた。
「ったく。お前は運動音痴なんだから攻撃するなら言葉による精神攻撃だけにしとけよ。全く。ほら、いつでもかかってこーい!」
「・・・・・・・・。で、では・・・・お言葉に甘えて・・・。今しがた私の素晴らしい攻撃により、貴方のナルシストの礎を一つへし折ることに成功しました・・・」
「え?」
よく見れば、祥の髪はぼさぼさになっていた。セットされた、というより「寝癖にそのままワックスを塗りつけてきました!」感が半端ではない。
柳静の一言に祥は素早く手鏡を取り出し頭髪チェックを行う。手で触り、形がおかしくなってしまった箇所を必死に直し始めた。
「何してくれやがったんだ、柳静この野郎!おまっ・・・・、これッ・・・!今日は今迄で一番キマッてたのによぉ!」
「柳静様の体力の対価としてお兄様のセットが崩れただけではありませんの。焦ることでも、悲鳴を上げることでもありませんわ?」
ゆったりと歩いてきた蛍は、兄の嘆きをどうでも良さ気にバッサリ切り捨てた。
「あぐっ・・・・我が妹よ・・・。お兄ちゃんが格好良くなくて嫌じゃないのか?」
「え?特にどうとも・・・。お兄様はナルシスト系ウザテンションなお方というイメージは健在ですので、何も感じておりませんわ」
「・・・ぐはッ!!!?・・・・っは・・、りゅ・・・柳・・・・せ・・」
妹からの素直な言葉に祥は違う意味でハートを折られた。心の中ではショックの余り吐血しながらばったりと倒れ伏した。
必死に手を伸ばし、息を整え終わった柳静へと助けを求めるように手を伸ばす。さっきから忙しい人間だ。それに応えるかのように祥の手を握り、すでにぼさぼさになってしまった哀れな髪に触れながら、柳静は静かに呟いた。
「しっかりなさい」
「うぅ・・・柳静ちゃん・・・」
心の中の祥も口を拭い、がくがくな足で必死に立ち上がろうとした所に。
「貴方がナルシストなのは、今に始まったことではないでしょう?大丈夫です、モテたいからとツートーンにしてみたり、女生と出かける際は気合を入れて必ずジャケット着用、格好良く見えるかもとキメ顔練習をしたりする頑張り屋さんなところ。私はちゃんと見ていますから。テンションがウザイのは皆を盛り上げようとしてくれているのですよね、ウザイを取ったらもう祥ではありません。偉いですよ祥」
「・・・・ッ!?」
超憐れみを含めたフォロー。
基本無表情の柳静による憐れみを含む微笑みなんて求めてはいない。さっきまで息切れで苦しんでいた男は何処へいった。もはや別人のようにつるつると潤い、満足気な柳静がそこにいた。
「おや、大丈夫ですか?貴方が肉体ではなく精神でとおっしゃいましたので、そのように従っただけなのですが・・・。全然受け止められていないではありませんか」
「いえ・・・、今のは受け止められる許容量をゆうに超えていると思いますわ。お兄様、自覚の無いナルシストですから」
ナルシストの割りにハートは弱すぎる祥。妹からの雪のように冷えた言葉に上乗せで、霰のような攻撃性を持つ言葉を浴びせられたことにより、魂が半分口からでているのをため息交じりで柳静が強引に詰め直した。
「そうでしたね。私としたことが失念しておりました。祥、祥」
折れた心を自力では持ち直せない状態までぼきぼきになった友人の横で膝をつき、耳元で柳静はなにやら囁き出す。蛍には聞かれないようにするために手で口元を隠し、時々様子を窺ったりしながらひそひそと続ける。
「え、そうなのか?」
「ええ」
「マジでマジか?」
「はい」
「きゃっはー!そっかそっか!うんうんそうだよな!頑張るぞぉ!よぉし!さっさと大型ショッピングモールに行くぞ!」
「はい、さっさと出発しましょう」
何を吹き込まれたのだろうか。萎えていた祥は、水を得た魚のようにぴっちぴっちと跳ねながら復活を果たし、再び陽気に道を歩き出した。
「あの・・・。何をどう言い包めたんですの?」
兄の復活に首を傾げた蛍は、着物を整え膝についていたゴミを払っている柳静に復活させた方法を聞く。
柳静は置いていかれないように歩き出し、(どうでもいいが柳静は基本歩く際は腕組みをする)はしゃぎながら前を歩く祥を見つめる。
「簡単ですよ。先程の蛍の言葉は、いくら顔馴染みである私の前でも素直に兄を褒めることの出来ない蛍の中のツンデレのツンが生んだ言葉。本当の意味は『お兄様は格好良くて一緒にいて楽しい私の大好きなお兄様』という意味ですよ。デレの少ない蛍のツンに隠されたわずかなデレの部分を見抜き、汲み取れるようになりなさいと言っただけです」
「・・・・・・・」
「妹が大好きで愛おし過ぎて仕方が無い程妹ラブなシスコンには、最適な説得方法でしょう」
「・・・・そうですわね」
「そんな事よりも」
と柳静は前文をあっさりと打ち切り、歩を進めながら視線を下に向けた。それにつられ蛍も視線を下、柳静の足元へと向けた。
「踵を地面につけた状態でしゃがめるようにならなければ・・・」
「どうしてですの?」
「これからも先のような体勢をしていては、着物の膝部分のみが汚れで黒ずみそうですから。それに石が地味に痛いです」
そう告げる柳静の膝元は、間近で見なければ分からないかもしれない程ではあるが、少々着物がほんのり黒くなっているような気がする。といっても元々が紺色の着物なので、ほんのり黒いという言葉はニュアンス的には適切ではないかもしれないが。
「お兄様や私は出来る側ですので、今柳静様が出来ないという事実に少々驚きですの」
「・・・・・申し訳ありませんね。出来なくて。憧れなのですよ」
出来る者が無意識のうちに出来ない側を見下す発言をするというのは、相手が無意識故に悪気がないという部分が加わり、一段と腹立たしいものである。
「あ、えっと・・・・ごめんなさいですの。そうですわ、今度少しでも出来る様にストレッチをお教えしますわ」
「ストレッチですか?」
「はいですの。私の友人もストレッチで足首を柔らかくして出来る様になりましたのよ。まぁ、当初の目的はそれではありませんが」
踵をつけた状態で屈む行為は、足首の固さが原因として挙げられる。それをストレッチにより柔らかくする事で出来るようになる。
女性の中では毎月のデリケートな部分の要因でもあり、特に美脚を目指す者やむくみ、ラインを気にする者は生活の中で美容プログラムにちょっと組み込んでおいて損はないだろう。
「そうですか・・・。私は女性ではありませんが、着物の質のためにここは一つ、お願いする事にします」
「お任せくださいですわ」
そんな二人のやり取りを、再び目撃してしまった祥は「デジャヴ!」と無意味に叫んだ。ただのストレッチ講座の予約をしただけなのだが、そんな説明をしても信じる祥ではない。
「・・・・はぁ・・。次はどれを選択しましょうか・・・・」
頭を抱え、やはり二人は・・・・等と一人妄想へと意識を飛ばした祥の許へ、柳静は違う目的のための軽いストレッチを開始した。