第四章1 『締め括る夜』
1(PM 21:30)
『以上が今日一日の報告です』
暗い一室。
約六畳程の部屋は、壁が薄ピンクに染まっているのだろうが、今は唯一付けられているPCの光によって青白くなっているので、本来の色を失う形となっている。
その部屋の主は、風呂上りで、まだドライアーをかけておらず、肩にかけているタオルが滴り落ちた水滴で湿っている。
カタカタと、PCのキーボードを打つ。音が響く。ドライアーをかける時間さえ惜しいのか、休む暇なくキーボードを打ち続ける。まだタイピングが上手くないのか、backspaceキーを押す回数が非常に多い。最後まで打ち終えるのに十分も掛かってしまった。わずか五行程に。
報告書を送信する。
一通受信した。
【うん。ありがとう。ご苦労様。相変わらず君のところは普通過ぎて、イレギュラー過ぎて、矛盾し過ぎて面白いね。それに普通ならそれが一人で十分なものを、こうして三人も集めてしまうなんて。まぁ、この世で通常という言葉の方が異常なんだろうけれど。そこはどうだっていいし、君は関係ない事柄だね】
わずか二分で返ってきた長文に、こちらは遅めに、短文で返す。
『三人、というのは、私を含めてのお言葉で?それとも別の、以外の者を指しておいでで?』
少々不本意そうに、打ち込んだメールを左クリックして送信する。
メール相手は返信が早い。こちらとは違い、タイピングが早いのだろう。わずかな待ち時間を”急いでタオルで髪を拭く”に費やすことにする。しかし、そんな時間も再び二分で終了。
【もちろん。君という人間を指しているよ。あれ、不満だったかな?だって君という存在をなくして、今日というストーリーは生まれなかったわけだし。主人公だよ、聞こえはいいからこれで納得してよ。中二病といえば聞こえは悪いし、こちらも言葉を発するのも億劫になってしまうけれど、前者ならばいいだろう】
これでも褒めたつもりだけど?と、心底怪訝そうなハテナ文が送られてきた。いや、違う。一方的に理解しろという文だ。
タオルを肩に掛け直し、カタカタとキーボードで打ち込んでいく。
『それは私だけでなく、この世に生きる人全てに当て嵌まる事では?私が言いたいのは、私のどこにイレギュラー性があるのか、という部分です』
【あれ、イレギュラー、嫌?響きが気に入っているんだけど】
『嫌とかそういうレベルの話ではありません。そもそも普通でイレギュラーって、矛盾もいいところで意味がわかりません』
中々休む機会を与えられないので、返信する前に、ドライヤーのコンセントを差し込む。
初日に比べてタイピングがほんの少し早くなったとはいえ、まだまだ遅い。打ち終わればすぐにドライヤーのスイッチをオン。お気に入りのボブヘアーを乾かしていく。
その間にもメールは届く。
【ふむ。これは説明しずらいな。俺と君の解釈は違うから、説明した所で俺の真意は伝わらない。いいや、分かりやすくはないけれど、例を挙げよう。そうだな、君なくしては生きられないって言う人がいる。けれど、ハートが強いからたとえ振り向いてもらえなくても、君がいなくなっても生きていけるだろう。人間はそう簡単には死ねない】
【そして、その人は実は君よりも大切にしている人物がすぐ傍にいる。無意識に。でもそれに全く気付いていない。この辺り、これは異常とか無神経とかじゃなく、普通】
『え、普通なんですか?』
右手オンリーでのタイピングは更に辛いが、ドライヤー片手では致し方ない。
【そうだよ?人間エスパーじゃない。これに気付ける人はそういない。といっても、何かしらの経験がある人やそうした力を身に宿している人は別だけど。ほら、よく一番大切にしていた人がいなくなったら、今迄当たり前のように、常に、すぐ傍で支えてくれた人の存在を認識するでしょ】
『よくドラマとかでそういうシーンはありますね。ラブストーリーでは、幼馴染とかですね。身近な人、というイメージですけど』
【そう。身近であればある程、見落としやすい。そこまでは普通だ。ただ、問題なのは。同じ無意識で行われる別の部分。なんだと思う?】
説明中での突然のクイズに、ドライヤーの熱風を顔に当て思考を巡らせる。ドライアイなため、熱風はすぐに髪へ当て直したが。
『イレギュラーが関係するんですよね?予測不可能な行動を起こす、とか?ネジが一本外れてるから、通常の人では想像も出来ないことを起こすって人、とか?』
【当たらずとも遠からず。さっきの例でいくと、君やそれらに関わった事柄が起こった場合。その人はどうすると思う?全力、もっと言えば死力を尽くして解決しようとするだろうね】
はっきりしない、何を言いたいのか分からない解答に、さらにクエッションマークが頭上を浮遊する。
『それって、どこがおかしいんですの?大切な人に何かあったら、私だって法とか、それが無理なら自分の手でって、思いますけど』
【ほら、最初に言っただろ?僕と君では解釈が違う。だから真意は伝わらない。問題はね、方法じゃないんだよ。問題はさ】
『?結局、何がどうなんです?普通でイレギュラー・・・・・。・・・・貴方の意思を早く知りたいです』
【じゃあ、今度教えてあげるよ。その間に考えておきなよ。嗚呼でも、ヒントあげようかな。優しいよ、実に。『僕が何故、こんな事をしているのか』。これ事態何のことだが分かっていないのなら、君との関係をここで終わりにしないと】
【一応、会員として表現するのならゴールドの位置だ。こうして自由な時間に送受信を許可しているのは君だけなんだから】
メール相手のヒント。何故、『こんな事をしているのか』。
最終的に人間は、自分以外全てがイレギュラーだという思考を持つことが多い。だって、何を見て、何を目指して、何を考え、何を見据え、次にどんな行動を取り、どんな影響を与えるのか、そんなもの、他人なのだから分かりはしない。己では考え付かない行動をするし、発するし、また、予想通りに行動する事もある。それらが集合する事により、日常が生まれ、異常が生まれる。
こんなこと、誰でも分かっている。本能的に、気付いている。
そう、メール相手が欲しいもの。
そういう者を含めた、様々な人の生活が、日常が、異常が、観たい。人生は一度きり。自分だけでは手に入らない、様々な日常が観たい。
故に、今、この時間のように、あらゆる提供者から、買っている。譚を。日常を。出来事を。
「・・・・・・・・・・・」
ドライヤーのスイッチを切る。
ある程度乾かした髪を、右手で梳きながら画面を見つめる。
「貴方にとっては、全ての日常が普通で、全てがイレギュラーというわけなのですね。まるで、コレクションを集めるが如く、楽しそうに、他人の日常話を買うだなんて・・・・。私にとってそれこそが・・・・・」
そこで言葉を切った。メールを受信したから。
その内容に、息を呑んだから。
【そうそう、君ってさ。守られている事を気付いているくせに、何故気付かないフリをしているわけ?今時ツンデレ過ぎるのはどうかと思うよ。それに、人ってさ、自分の事を分析できているようで、実は出来ていないんだよね。よく言うだろ?自分が一番正しいってさ】
相手は何が言いたいのか。しばし模索する。が、結局分からなかった。
いや、分からないフリをした。
認めたくないから、黙っている。
メールは返信しない。これ以上何か言えば、興味津々に追求してくるに決まっている。そういう相手だから。日常を売り買いする間柄。深くは入ってこないで欲しい。とても自分勝手な自分自身に、何だか他人事のようにイラつく。
ドライヤーのコンセントを抜く。コードを折り重ね、輪ゴムで止める。
PCの画面の光で位置を把握し、ヘアセット関係の道具が入った引き出しにドライヤーを仕舞った。
背中からメール受信音が聞こえた。きっと、無言になった自分を心配した内容ではなく、「おやすみ」の挨拶か、続きを一方的に再開するかのどちらかだ。三年もこのやり取りを続けていると、段々相手の行動パターンが分かってくるものだ。これを相手に言えば、驕るにも程がある。とでも返してきそうだ。
メールを開封するのも面倒なので、とりあえず後回しにする事に決めた。
とりあえず、目が疲れたので少々休息。
それ以上に慣れないタイピングに疲れた指をマッサージしながら部屋を出る。
「やっぱり、PCより、携帯メールの方が楽でいい・・・・。早く慣れなくてはですね」
部屋のドアが閉まるのと同時に、二通のメールを、受信した。