第三章2 『○難去ってまた一難』
2(PM 19:30)
蒼羽は大量の買い物袋に囲まれていた。
それは全て、本日の大型ショッピングモールで購入した服だ。
ジャケットに始まりVネックケーブル編みニット、ロングコートやハット帽といった、ズボン以外の衣類。それらによってリビングは、わずか五分足らずで制圧されてしまった。
まず、ソファは満席状態。テーブルは本来の役目ではない、箪笥の一部分へとシフトチェンジ。椅子も、本来人間が座るんだけどな、と言いたげにニ、三着服を掛けられたハンガー状態だ。
家具達の通じない不満に気付きもしない、ちらかし大魔王の蒼羽は、まるでファッションショーを開催中かのように、衣服を身に纏っては、壁に立て掛けられている等身大の鏡という観客に、自分のコーディネートを披露していた。
モデルのようなポーズを決めては頷き、また別のポーズを決めては鏡に向かってドヤ顔、を衣装が変わる度に繰り返していた。ナルシストと言われても反論出来まい。
リビングには蒼羽一人。
誰もいない。他の部屋にも。一軒家にたった一人でお留守番というわけだが、もうかれこれ一時間以上経過していた。
「うん、寂しい」
ポツリと呟いた言葉に返事はない。
当たり前だ。
ぽいっと、被っていた紺色のハット帽をソファに投げ捨てると、キッチンに備え付けられているカウンターの椅子に腰を下ろす。
何かバーみたいでいいじゃない!と母親が豪く気に入り、家計簿を付けるにも、献立を考えるにもいつもこの場を利用する。幼い頃はよくバーテンダーごっこと称し、母親がキッチンからジュースやお菓子を出していた。
身体を横向きにして足を組み、右肘をカウンターにつく形で座る蒼羽は、己の髪を掴むと、脱いだ。
ウィッグ。
ネットを外すと、本来の明るめの茶髪が現れる。ウィッグは腰までの長さだったが、元は肩を少し越す程度の長さだ。
「はぁ・・・あ。ファッションショーも柚緋がおれへんと退屈やわ。アドバイスも、拍手一つもあらへんし。つまらんわ」
普段なら共に互いのコーディネートに賛否を送るのだが、今はその相手はいない。
実はかれこれ約二時間程行われているファッションショー。前半の一時間は柚緋がこのカウンターに座り、ショーを観賞していた。しかし、ショー開幕時から買出しに行っている爽磨が帰って来ないと心配になり、様子を見に行ったのだ。
そして二人とも戻ってきていない。
「ちょお、なんで買い物に二時間もかかってはんの?そりゃあ、こっからスーパーまでは徒歩往復三十分やけど?僕料理出来ひんから、留守番はいつものことやけど?それにしたって遅いわ、寂しいわ、お腹空いたわ!」
先ほどから鳴り続いている腹の虫は、誰もいないリビングによく響く。
昼食にハンバーガーセットを食べたからといって、あれからすでに五時間は経過している。
さすがに胃袋も限界だ。
それとプラスして、結構寂しがり屋な、特に双子の兄である柚緋と常にいることが当たり前である蒼羽にとって、一人の時間というのは何をして良いのか分からない地獄のようなものらしい。
おかげで、現在、蒼羽は心が折れそうである。
「そもそも何で冷蔵庫空やの?普段なら、これ食い切れるんかっちゅう程詰め込まれてはるやん。今時メールやのうてメモ書き冷蔵庫に貼り付けて・・・・母さん今は笑われへん」
両親不在という一報は、三人が帰宅して喉を潤そうとし、冷蔵庫を開けようとした際に発見した、チラシの裏に書かれたメモによって知らされた。
内容は『今日イベントの日だってすっかり忘れてたわ!だから夕食は自給でね♪あ、帰りは明日の夕方くらいだから、柚君は掃除、蒼君は洗濯、爽君は食器洗い、よろしくね~♪母上より』とのこと。
両親が部類の旅行好きの爽磨は、よく双子宅に預けられる。本来ならば、爽磨も一緒に行くはずなのだが、落ち着く家で寝ていた方がいいと、昔からお留守番組を希望していた。その代わり、子供一人で留守番は危ないと、高校の同級生で大の仲良しの双子の母に頼み旅行中に預けさせてもらうことになっている。爽磨にとってもプチ旅行気分だ。
それが数十年ともなると、もう家族同然の、もう一人息子が増えたようになる。極当たり前のように、爽磨は家事の役割分担に組み込まれ、双子母から司令をもらうことも少なくはない(役立たずの双子より仕事が多いのだが)。
そして、今日もチラシの裏という簡素だがしっかりとした指令書が。料理レベル上昇中の爽磨への、遠まわしな夕食作りをちゃっかり押し付けていく双子母は恐ろしい。
双子の両親は、たまに友人達とイベントという名のパーティーに出かける。今回は忘れていたらしいが。そうならばそうと、メールの一通でも入れてくれれば、ショッピングモールの大型食品店で食料調達が可能であったのに・・・・、何たる二度手間、と三人は落胆したものだ。
おかげさまで、ただ今可愛い息子は絶賛空腹でございます。そう心中で呟いた蒼羽はため息を吐いた。
「遅いなぁ、柚緋と爽磨。はよクリームチーズパスタ食べたい」
「ほな、まず部屋の掃除から始め!どんだけ散らかしとんねん!!」
「あ、おかえり」
「おう、ただいま。やない!俺が出てったん時の三倍やん!あの後もショーやっとったんか」
「まぁ・・・・。一人で寂しかったんよ?」
「すまん。っと、蒼羽、ウィッグ脱いだんか。ちゅうことはショーはもう終了なんやな」
「疲れたからもう終了する事にしたんよ。そろそろ限界やろうし?」
「そか。ほなウィッグは後で回収するよって、分かる所に置いといてくれや」
「分かった。それにしても遅いやないの、何してはったん?」
「え?いやぁ・・・・」
ガチャン、と会話を遮る様に扉が閉まる音が響いた。
買い物袋を二つ手にした爽磨だった。しかし、その表情は、どこか拗ねたような不服のような。
「おかえり・・・・・ってどないしたん?」
「・・・・ん、ちょっと。その前に、俺の次の一歩の餌食になるこれは、いいんだな?」
「あああああああああぁ!?まちぃまちぃ!あかん!」
あちこちに脱ぎ散らかしたうちのセーターが。爽磨に一歩前に出られる前に、急いで救出する。ついでに爽磨周辺と、台所までの道筋にある服達も回収すると、一旦ソファへと避難させた。これだけで、結構な運動量だ。
「・・・・ん、ご苦労様。ねぇ、蒼羽。今日のパスタ・・・・、クリームチーズパスタをご所望だったよな?」
「え?うん、そうやけど。それが?」
ガサっと買い物袋をキッチン台に置く。とりあえず要冷蔵物を冷蔵庫へと仕舞い込み、残った袋の中からあるモノを手に取ると、ずいっと前に突き出してきた。
「ただのパスタじゃつまらないから、アボカドいれない?」
「は?」
爽磨の手に握られていたのはアボカド。皮を剥く前の状態のため、蒼羽はそれがアボカドだという事が認識出来ないようで。唐突な提案に戸惑うばかりだ。
しかし、そんな蒼羽を他所に、同じ顔で、赤髪短髪の、関西弁の兄が反論する。
「何言うてんねん!アボカドなんか邪道や!そんなん入れんとシンプルにした方がええんや!あんな味せえへんもん入れてなんになるんや!ズッキーニの回しもんが!」
「何言うてんねん、はこっちの台詞だ!それはただ単に、他の食材の引き立て役に徹しているだけなんだよ!お前は昔からアボカドとかズッキーニとか、毛嫌いするなよ!」
「うっさい!必要ないもんは入れんでええねん!何でもかんでも入れたがりよって、女子か、己は!」
突如繰り広げられたアボカドを巡る争い。
帰路に着くまでずっと花火バチバチで、バトルは続けられていたのだろう。通報されなくてよかった、と蒼羽は他人事のように安堵した。
結局、言い争いの内容は実にくだらない、食わず嫌いの子供に、夕食の献立にケチをつけられて苛立つ母親とのケンカのようなもの。要するに、クリームチーズパスタの具に、アボカドを入れるかどうかだ。
健康面や、栄養を考慮する爽磨は、入れたい。
昔から、よく分からない食材を遠ざける傾向がある柚緋は、断固拒否。
そして、急な論争に、これはクリームチーズパスタと提案した自分にも責任があったりするのかな?とのんびりな蒼羽。
とりあえず三人とも空腹なのは変わりがない。
続きは作業をしながら再開された。
「あのな、アボカドは栄養バランスがいいんだ。世界一栄養価の高い果物として、ギネスにもなっているんだから!」
爽磨はキッチン側から鍋を取り出し、綺麗に手を洗う。エプロンは下半身のみに巻き付ける派。
「そんな事くらい知っとるわ!全体の約二十%が脂肪分やさかい敬遠されがちみたいやけど、ほんまは良質な油っちゅう話や」
柚緋も綺麗にハンドソープで手を洗う。ちなみに、エプロンはきちんと全体を覆う派。更に続ける。
「ほんで、その油のオレイン酸は、血液中の悪玉コレステロールを減らしてくれて、血液をサラッサラに、そんでもって動脈硬化予防にもなるっちゅうこともな!」
「いや、詳しいな!!?」
「ズッキーニもカロリーが低うて、ビタミンA、C、カロチン豊富。利尿作用があつよって、便秘症にも効果ありや!色んな料理で大活躍しよるで、世の女性達は重宝しとんねん」
「・・・・・お前、否定側か賛同側か、どっちなんだよ!つうか、毛嫌いするわりにはちゃんと情報持ってんな!?」
鍋でお湯を沸かしながら、フライパンでクリームソースを作る爽磨は、手伝いのために隣でパスタの袋を開ける柚緋に、負けじとツッコミを入れた。
「柚緋って、嫌いになる前にちゃんと相手について調べる癖があるから。特に食べ物の好き嫌い克服も、調べてから判断するし」
一切の手伝いをしない蒼羽は、暢気にカウンターで二人の調理姿を見つめていた。唯一出来るのがスクランブルエッグ、と本人は言っているが単なるぐちゃぐちゃ卵。全て目玉焼きを作ろうとして割るのに失敗、証拠隠滅作業の末である。牛乳もバターも使用していない時点で、もはやスクランブルエッグと名乗る事もおこがましいのだが・・・。
「蒼羽。お前はどっちに票入れんのや?俺やろ?」
「いや、僕どっちでもええし。たまには入ってんのもええんとちゃう?柚緋も気になってはるんなら、少なめで試さへん?爽磨のご飯おいしいんは変わらへんのやし」
「んむっ・・・・・、まぁ、せやけど・・・。まぁ・・・、蒼羽がそういうんやったら、今日は引いたってもええで」
「そうそう、一回でもおいしいと思えば後は徐々に好きになれるわ」
弟(一切の手伝いをしていない見物人)にほだされ、柚緋はツンデレ気味に身を引くことにした。
なんでお前が偉そうなんだ、と心中でツッコミを入れた爽磨。フライパンと箸で手が塞がっている為、顎でリビングに散らかっている服たちを指す。
「・・・・ん、話がまとまった所で蒼羽。さっさと服片付けろよ。どこで飯食う気?座布団にしていいならいいけど」
「ちょ、僕の服を座布団扱いて、どんな高級座布団をご所望なんよ」
「・・・・高級かどうかは聞いていない。とにかく早くせい」
服にお金をかけない爽磨にとって、散らばっている洋服達はどれも座布団にしか見えない、らしい。確かに、セール品で二千円弱なものや、出血大サービス品で千円ぽっきりのものもある。中には五千円以上の財布と相談しつつ購入した服も含まれている。
蒼羽は「はぁい」と素直に立ち上がり、のんびりとしつつも、無駄のない動きで片付け始める。もうここは、蒼羽が片付け終わるのが先か、調理を終えた爽磨に容赦なく座布団にされるのが先かの勝負だ。
そんな蒼羽の様子を見届けたところで、ついに、アボカドに包丁が入れられた。ソースに溶け込ませるため、なるべく小さく、しかし、食感を残すため一センチ角にカットしたものも用意しておく。
アボカドへの不信感が残っているため、柚緋はパスタを茹でながらじっとまな板へと視線を向け続けている。
「柚緋、アボカドに鋭い視線は駄目だよ・・・。びびって旨味成分出さなくなったらどうすんだ」
「そない言うたかて、ほんまにこいつがパスタと合うんか?もう不信感しか生まれへんわ」
「不信感云々以前に、そのパスタいつまで茹でる気?さっさとフライパンに移して。湯きり忘れないで」
一点集中なのは良いが、料理にそれは不要なものだ。いかにスピーディーに効率よく調理するかで決まる、キッチンは戦場なのだ。一分多く茹でてしまっただけでも、パスタにとってはまずさの原因になりかねない。
本来、料理は爽磨一人で行う方が早くて上手いのだが。一切料理が出来ない双子は、このままでは駄目だとちょっとずつではあるが、助手を務め勉強している(蒼羽は初日で断念)。
料理の先輩に指摘され、まな板の敵から急いでパスタへと視線を戻した柚緋は、クリームソースが出来ているフライパンへ湯きりをしたパスタを投入していく。
爽磨はそれと同時にアボカドも投入すると、慣れた手つきでトングを使って絡めていく。アボカド単体ですでに調理済みなので、パスタとソースを絡めれば完成だ。
「・・・ん、そんなに茹で過ぎてない。安心」
爽磨は出来立てのパスタを一本味見すると、出来栄えに納得したように唸る。
「んー、こうなると・・・、まぁ、彩りとしては大いに引き立てとるみたいやな。その前に、見た目がどこぞのレストラン並みやんけ、うまそうや」
「美味いに決まってます。あ・・・、柚緋。一つ指令出していい?」
「なんや?」
皿を取り出し、コンロ脇に並べた柚緋に、フライパンを持ちながら爽磨は告げた。びっ!とトングである方向を差して。
「あそこのおさぼり弟の処理を」
トングの差す方には、「あー、これとこれどこに仕舞おうか。あ!これええやん。この組み合わせしてみな」等と、独り言で全く作業を進めていない蒼羽の姿が。ミッションの一つである、机はそれこそ手付かずのまま。
「ああ・・・・。ほんま、学習という二文字がよぉ欠ける弟やで」
このまま放置しておけば、数分後には再びファッションショーを開催してしまいそうだ。頭をボリボリと掻き、サボる弟の下へと向かうため、エプロンとウィッグを取る。ウィッグの下からは、本来の茶色のショートヘアが現れた。
「俺はな、アボカドを調査したいねん。せやから、今日は鬼になんで。悪く思いなや、弟」
とりあえず、綺麗に畳むことは出来なくとも、一箇所に集めておくことは出来る。皺がどうとかは後回しだ。
さっさとミッションコンプリートで次なるミッションへと進みたい柚緋は、そこで、ある事に気がついた。
視線を再び爽磨へと戻す。そして告げる。
「なぁ、それ・・・。クリームチーズやのうて、豆乳投入しとらへんかったか?」
「ダジャレ?」
「ちゃうわ!いや、そうかもしれへんけど、今はちゃうわ!」
料理をしない柚緋だが、助手を務めるようになってから、今迄作ってきたレシピはぽつぽつとだが覚えている。以前作ったクリームパスタには、ソースにクリームチーズを使用していた。しかし、今回はクリームチーズではなく、豆乳を使用した。これはつまり。
「うん・・・。実はクリームチーズを買い忘れて。アボカドに気を取られ過ぎた。冷蔵庫にあった豆乳で代用した。まぁ、クリームチーズではないけど、クリームパスタには変わりないから。チーズが欲しければ、とろけるチーズ乗せてやるよ」
『クリーム』『パスタ』が合っているのだから文句はあるまい?とでも言いたげに飄々として語る爽磨。ついでに、よく豆乳を入れたところをチェックしていたな、偉いぞという謎の師匠気取りな台詞も付け加えてきた。キッチンでしか頭角を現せない男の、唯一の威張り所。
「・・・出来ればとろけるチーズは分からないように紛れ込ませといてくれへんか。蒼羽のだけでええから」
「おっけー」
お安い御用と、トングでカチカチと合図した爽磨に嘆息を漏らすと、柚緋はとりあえず一向に作業を進める気配の無い弟を蹴り飛ばしに向かった。




