第一章9 『お会いもの』
9(AM 11:05)
「angel's wing」。
大型ショッピングモール二階、西側中央部に位置する祥お気に入りの衣服店「スパイラル」とは反対に、東側に位置する衣服店。
レジカウンター前。
そこに室弥蛍と宇佐木侑李は待っていた。目の前では店員が値札取りや袋詰めの作業を行っている。
結局、下見といいつつ一着だけ購入してしまった蛍。決め手は、侑李と会話しながら店を徘徊中、京都弁の赤色長髪ポニーテールの男性の言葉だった。女性モノの店で、なにやら真剣に服を見ており、色々と悩んでいた男。珍しいとその時は放っておいた蛍と侑李。
「何かお探しですか?」という台詞は自分たちではなく店員の役目だから。だが、店員が声をかける前に蛍が見ているポンチョに目を付けたらしく、一瞬のうちに隣に移動してきた。背中に天使をイメージした羽がついたポンチョ。実際に羽がパタパタと動かせられる実物タイプと絵として描かれているものの二種類。
相当自信があるのか、POPには「今年の新作は自信作!」と堂々たる文字にプラスで「angel's wing 店員イチオシNO.1」とも書かれていた。こうしたものは店員が実際着用しているのだが、先程奥の部屋へと入っていってしまったため、今はいない。
ポンチョの色は水色、薄桃色、薄黄色、黄緑色の四種類。長髪ポニーテールの男はそれぞれの色を手に取った後、薄黄色のポンチョを手にしたまま動かなくなった。
「その色が気になりますの?」と何も考えずに蛍は声をかけてしまった。自分も凄く気になっている同じポンチョを手にしている者が目の前に現れたことに、変な仲間意識を感じてしまったからだ。
その言葉がきっかけとなり、蛍がガイドする形で(侑李は後ろをついていくだけ)長髪ポニーテールの男と見て回った。一応女性用なので、大きめのサイズは店内にはなく、店員にサイズを伝え取り寄せてもらう事にし、他に気に入った服を試着しまくったりと、楽しそうに買い物をして過ごした。
無事に長髪の男が店を出て行ったのは五分程前。
お互い楽しい時間に浸っていたが、長髪ポニーテールの男の連れが来たため途中で切り上げとなった。「また店であったら一緒に回ろうね」と手を振りながら言い残し、長髪ポニーテールの男は、同じ赤髪色のそっくりな顔をした短髪の男に引っ張られながら去っていった。
「とは言ったものの。あの方何者ですの?」
レジ前で袋詰めと、ついでに入荷待ちの服の取り寄せ手続きを行っている蛍はふと呟いた。
侑李は買い物と昼食までの暇つぶしでずっと蛍に付き合っている。
「何者ってぇ~?」
「このお店、値段は三千円程が平均。リーズナブルで可愛い服が多いと人気なのですけれど、それでも新作や限定もの、人気商品はそれ以上の価格はしますわ。あの方はそういった服も含めて八点も購入したんですのよ?さすがに合計金額は恐ろしくて見れませんでしたけど、相当なものですわね」
「確かにぃ~、あの人他の店でも結構買ってたみたいだしねぇ~。僕お気に入りの店でも沢山買ったみたいだしねぇ~」
「社会人というのはそんなにも金銭面で余裕が出来るものなんですのね。お兄様を見ても特に裕福というわけでもありませんし、もう片方は・・・・比較してはいけませんわね」
「あははぁ~。あの人はもはや別格だからねぇ~。庶民の僕らと比較する事事態間違いだよぉ~」
「ですわね。私達は私なりに頑張りませんと」
「そうだなぁ~。僕も頑張って今以上の耳付きパーカーに巡り合えるようにしたいもんだよぉ~」
「・・・・も、もし着るとしたら・・・・・・、白い兎耳がいいですわね・・・・」
様々な耳付きパーカーの持ち主を見つめ、蛍は照れたように頬を赤らめながら、小さく自分の好みを呟いた。羽根つきポンチョは着れるくせに、耳付きパーカーは抵抗があるようだ(恥ずかしさという面で)。その言葉が聞こえたのかそうでないのか、侑李は微妙な反応を示した。
「まぁとりあえず、またあの方にお会い出来る日を楽しみにしましょうか。名前は確か、アオバ様・・・でしたわね。次はもっとゆっくりとお話をしてみたいものですわ」
蛍はほくほくとした笑顔を浮かべる。余程好きな服の理解者に出会えたことが嬉しかったのだろう。ほくほく顔をしていた蛍だが、いつの間にか入荷状況を調べに行っていた店員が戻ってきていることに気が付いた。おそらく入荷状況をメモしてきたのだろう、メモ紙を手にしている。
しかし、蛍は違和感を覚え、怪訝な瞳で店員を見る。
同じ疑問を持っているのだろう、横では侑李も怪訝そうに店員を見つめていた。何故なら、店員はメモ紙を手にしたまま固まっているからだ。時間が止まっているのか?と思いきや、そうではなく固まったまま表情は青ざめ、ある一点から目を背けられずにいるようだった。それを何とか蛍と侑李に伝えようとしているのだろうか、メモ紙を手にしたまま必死に指を差そうとしているが、わなわなと震えてしまってそれは叶わない。
「あの、どうかなさいまして?」
それに気が付いた蛍は、明らかに挙動がおかしい店員に声をかけた。しかし。
「あ・・・・ぁ・・、・・あ・・・・の・・・」
店員は言葉が出せない。これでは埒があかないと、侑李は思い切って後ろを振り返った。
「ひっ!!?」
侑李は小さな悲鳴と共に、バッと顔を戻した。その表情は店員と同じで青ざめていた。唯一違ったのは、震えながらも侑李はまだ指をさせたことだろう。
左手人差し指を振り向かずに後ろへと向け、その勇気ある行動に蛍は怯えつつも素直に従う。
「・・・・・・・・っあ、・・・・・あら・・・・・・」
従った先にあったのは、元は黒髪に前髪のみ白のツートーン。現在は白一色になってしまった男の姿。
蛍の実の兄にして、妹とはぐれてしまったショックに耐え切れずに脱色してしまった室弥祥だった。そして、白髪になってしまった兄の表情は凄まじいものだった。
もし、どんな感じの?と質問されれば、とにかく凄まじい顔、としか答えようがない、まさにそんな顔をしている。
「ま、まぁお兄様・・・。数十分ぶりにお顔を拝見いたしましたわ」
凄まじい顔をした兄に蛍は臆する事無く話しかける。その言葉に祥は俯くと身体をわなわなさせ始める。
周りの人間が祥の次なる行動に意識をとられる中、合掌をした手を左頬にくっつけるポーズをしている妹の蛍は冷や汗を流す。ただ、冷や汗の原因は周りの人間とは全く正反対のものであった。なぜなら・・・。
「わ・・・」
「わ?」
「我が愛おしい蛍よーー!!?ようやく巡り会えたなぁぁぁああ!?もう!お兄ちゃん二回もここに来たのにいなかったもの、お兄ちゃんは・・・お兄ちゃんは腹を斬る覚悟だったぞー!!!?」
「そんな大袈裟な。二回もって、私ここから一歩も出てはおりませんわよ?いついらしたんですの?」
むぎゅーッと強く妹を抱きしめながら突如泣き出す兄の姿に対し、妹の蛍は特に動じる事無く会話を続ける。この状況に少しでも恥じらいと焦りの感情を持ってくれないかな?と、今一番この場で恥ずかしい思いをしている侑李は小声で心中を吐露する。
当人たちは家族であり、兄弟であり、血の繋がりを持っているので、こうした事態は日常の一部として無意識の内に処理する事が出来る。隣にいる侑李も付き合いが長いことから無意識に日常の、極当たり前の光景として受け入れる事が出来ている。
しかし、周囲の人間には非日常の状況故に怪訝な視線や、兄妹という事を分かっていない店外からは、男女が店内で堂々とイチャコラしてくれやがってコノヤロウ、と嫉妬や妬みの視線を投げ飛ばしてくるのだが、侑李以外はその視線に全く気付かない。これが室弥兄妹と侑李の違いだろう。
店内にいる他の客や店員の一部からは予想通りの反応が見て取れる中、中心人物の祥には、周囲などどうでもよく(気にしている余裕がないだけだろう)、妹からの問いかけに涙をぼろぼろ流したまま返答する。
「はっきり覚えてねぇけど、ぐすっ・・・三十分くらい前と二十分くらい前だな。お前、迷子アナウンス流しても全く反応しねぇし、今日に限って俺の”愛しの妹センサー”は壊れてるし、店員に聞いても分かんないって言われるし・・・・・。俺はお前にもう一生会えないのか、それともこれは神から俺に対しての『お前は果たして妹を何処まで愛しているか、持てる力の全てを尽くしそれを証明してみせよ!』という試練を与えられたのかなって」
「ア、アナウンスまで流していただいてましたのね。全く気が付きませんでしたわ。でもこうして再び巡り会えたという事は、神様もきっとお兄様の頑張りをお認め下さったという事ですわね」
「そうなるな!良かったぁ・・・お前を見たという人がいなかったらおまわりさんを総動員させて捜すところだったからな!見つかってよかったぁ!」
心の中で「それは本当に良かったですの」と兄の脅威的な行動を阻止する事が出来て良かったと心底安堵する蛍。さすがに警察を投入されるのは事が大きくなり、ある種の大公開羞恥プレイを体験する破目になるわけで、もうこの店に来辛くなっていただろうから。
まぁ、蛍が言っている「おまわりさん=警察」という意味は的外れであり、正解は警備員だということまでは気付いていないようだ(果たして警備員だと分かる者はいるのだろうか)。
感動の再会をするのは構わないがまずは涙を止めて欲しいという妹心を無視する祥は、ここでようやく視野を広げる。
「お、よく見たら侑じゃん。蛍と一緒だったのか?こんにちは~」
「こんにちはぁ~。祥兄。相変わらずだなぁ~。今日は蛍を見つけるのに珍しく時間かかったんじゃないのかなぁ~?」
いつもは「蛍発見!」とすぐに”愛しの妹センサー”ですぐに見つける事が出来るのに珍しい、と付け加えつつ侑李も挨拶。第二の妹として接してくれる祥を兄と呼び、祥も侑李を「侑」と呼ぶ。一人っ子の侑李にとっては、血は繋がってなくとも気軽に会話が出来る大切な「兄」という存在だろう。
「今日はちょっと不調みたいでな。案内所とか行ってたら時間かかっちゃったみたいだ。侑は買い物か?一人?」
「うん、頼まれ事しているけど、まだ少し時間あるから適当にぃ~。そしたら蛍を見つけたからずっとぉ~」
「きっとお兄様のことですから、すぐに私を見つけだすでしょうと、一緒に店内を見て回っていましたのよ。途中、お兄様を忘れてしまう程楽しく買い物をしていましたし」
「ぎゃん!」
蛍にとっては悪気のない一言。しかし、祥にとっては五万の精神的ダメージを食らった。
ちなみに精神メーター、満タン時十万。この短時間で数字が跳ね上がっているが、結局受けたダメージは大きい事には変わりがない。
そろそろ妹に関してのみ胃潰瘍を発祥し吐血するのではないだろうか、と必死で耐えていた。
その時。
突如抱きついていた蛍から、無理矢理剥がされた。
状態把握をするよりも先に、首を締め付けられていることによる息苦しさが襲う。脳に酸素が不足していくのを祥は実感する。どうやら後ろから襟を引っ張られた勢いで蛍から轢き剥がされ、その流れで腕を回され、首を絞められたらしい。
「かふっ・・・ぇ?」
誰がそんな行為をこんな公共の場で行うのか?そもそも護身術を身に付けていない人間にこんな事をしていいと思っているのか、と目をぱちくりさせている祥の耳元で、その犯人と思しき者は艶めかしい声色で囁いた。
「おやおや・・・。暢気に感動の再会を果たし、公衆の面前でいかに妹であろうとも堂々と女性に抱きつくとは・・・、良い御身分ですねぇ。主様?」
その声に恐る恐る振り返れば。
そこにはふわっとしたくせっ毛のクリーム色の短髪に、茶色の瞳、若人で私服としては珍しい着物姿の男――凪原柳静が。普段無表情故に愛想のない奴と思われているその男は今、笑顔だった。不気味な程爽やかで・・・。
ドクンッ!と一瞬心臓が機能を停止した。涙なんてもう出ない。今顔を伝い落ちるは冷や汗のみ。まるで蛇に睨まれた蛙の如く、祥の全ての機能は停止した。
「あ・・りゅ、・・・・柳静ちゃん。お、お元気?」
干からびた口から発せられる精一杯の言葉。普段と変わらぬ口調ではあるが、使用状況はまるで違う。
相手は爽やかさを身に纏う笑顔なのに、此方は頬を引き攣らせ必死に笑顔を作ることしか出来ない。そんな祥をまるで嘲笑うかのように、柳静は笑顔のまま静かに続ける。首を締め付ける腕の力を軽く強めながら。
「ええ、とても。主様が無事妹君と再会できて私めも大変喜ばしい事ですよ。たとえ主様が走り去った後でご迷惑をおかけしたインフォメーションの女性や警備員の方々、それに親切に情報提供して下さった双子の方に謝罪と感謝といった後始末を一方的に押し付けられたとしても・・・・ね」
「・・・・oh・・・」
目先のことしか見えていなかった祥は、正直言って柳静の事も世話になった他の人達の事も全く頭の隅に置いていなかった。というより、完全に忘れていたと言った方がいいだろう。
そんな祥の去った後に一人で後始末を行っていた柳静。他人との会話を拒む、あるいはある程度共に時間を過ごさなければ口を開くことすらしようとしない、協調性ゼロの無口系と思われているあの柳静が、だ。
それがどれだけのストレスだったかは、隠す必要もないとばかりの今の表情で窺えた。
ついでに付け加えると、柳静が祥を「主様」と呼んでいるのは、幼少期、よく遊ぶ「○○ごっこ」というもので祥考案「主従ごっこ」というものがあった。これは単に祥が王子様役が苦手であり、柳静はいつも面倒臭がって一緒にやってくれないため、必死に考えたもの。本来ならば柳静を主にして祥が執事役をやれば、柳静は確実に遊びに参加する破目になると祥は考えていたのだが、結局逆の役をやることになり、執事役の柳静から冷酷な言葉を浴びせられ続けるという、遊びに付き合ってはくれたが何とも過酷なごっこ遊びになってしまった伝説の遊び。祥は忘れていたが柳静はえらく気に入ったらしく、今でも祥の行動で我慢出来なくなった時は祥を「主様」と呼び、精神への攻撃力を増加させているのだ。
「柳静様・・・・・・、あの、お兄様が何か」
インフォメーションでの出来事を詳しく聞かされていない蛍は、珍しく表情を変化させている柳静に恐る恐る問いかける。兄の幼馴染ということで幼い頃から知ってはいるが、祥とは違い無表情以外の表情をした柳静を見た事は忘れてしまう程少ない(多少の表情の変化は除外)。故にきになって仕方がないのだ。
それ以前に、兄が親友に首を絞められている事態にノータッチな蛍は凄い。
「こちらの話ですから蛍は静かに。元はといえば貴女がいなくなった事から始まったことですので、これ以上余計なことをしないよう、大人しくしていてもらえますか?」
「あぅ。ご、ごめんなさいですの」
「ちょ、蛍に当たるんじゃ・・・・・ねぇよ。げほげほっ、俺の起こした事なんだ、俺だけにしろよ」
蛍まで譴責し始めた柳静に黙っていられなかったのか、首を絞める腕を振り払い妹を庇う祥。悪気はないにしても迷惑をかけてしまった事に頭を垂れて落ち込む蛍。その肩をぽんぽんと慰める侑李は「どんまい蛍ぃ~」とふんわり言葉をかけた。
「そうですね・・・。兄らしく妹を庇った兄心を汲みましょう。では祥。こちらへ来ていただけますか?」
と言うと柳静は払われた方の手で今度は襟を掴むと、笑顔のままずるずると引きずりながら店の外へと歩いていった。去り際に「蛍、買い物を済ませて来なさい。途中なのでしょう」と目の前で繰り広げられている状況についていけず、先程から硬直している店員を一瞥すると小声で告げた。
後に残された蛍の隣で侑李がふと呟く。
「君達兄妹に恐怖を与えられるのって、親以上に柳静さんなんじゃないかなぁ~」
「ええ・・・。確かにお母様よりも恐いですわ。お父様はお兄様とよく騒いでいますからこちら側ですので分かりかねますが・・・」
「僕は初めて見たけどぉ~、確かに恐いもんだねぇ~。柳静さん、いつも無表情で冷静だしぃ~」
「あの方はお兄様以外には中々心を開きませんので。普段は無表情でもお優しいお方ですわ」
「なんだか祥兄は温、柳静さんは冷って感じだなぁ~。でも最近柳静さんの微妙な表情変化に気付けるようになったよぉ~!」
「あら凄いじゃないですの」
「でもきっと僕らの場合、ほんの一握り程度しか柳静さんの表情を見分けられていないんだろうねぇ~」
「そうですわね。お兄様は全てお分かりみたいですけれど」
「僕らも見習わなきゃねぇ~」
侑李が付け加えると、「そうですわね」と苦笑気味に蛍も賛同する。
幼少期からの付き合いで、凪原柳静がどんな人物なのか、大体のことは分かっているつもりだった二人。甘々な性格の祥とは違い、厳しくも優しいもう一人の兄のような存在。
そのもう一人の兄に言われた通り、蛍と侑李は買い物を済ませることにする。
まずは、未だに硬直したままの店員に声をかけることから始めなければ・・・・。




