第一章8 『お会いもの』
8(同時刻)
「もう、ご飯食べ終わってすぐに甘いもんなんか食ったら、またダイエットしなきゃとか喚くことになるぞ?まぁ、お兄ちゃんはそんなぷくぷくのお前でも大好きなんだけどなぁ、えへへ」
現在、祥は脳内迷宮にいた。
喜怒哀楽等どうでもよく、ただただ”蛍”という存在で作り出された祥だけの世界に立て篭もっていた。出入り口は用意しておらず、ずっとここにいても構わない(むしろここにずっといたい)というくらいの、祥にとっては引き篭もるにはもってこいの空間だ。
「でもなぁ、今ある甘いもんっていったら・・・、冷蔵庫に何か入ってるかな?嗚呼、あったあった!そういえばケーキ買ってたんだ!どれ食べたい?俺は余り物でいいから、蛍が好きなやつ選べばいいぞ~」
リビングと思しき場所から台所へと移動すると、冷蔵庫からケーキの入った白い箱を取り出す。中にはチョコレートケーキ、ショートケーキ、チーズケーキ、抹茶ケーキ、モンブランの王道五種類のケーキが一つずつ並んでいた。
祥は野菜ケーキでない限り、甘いものに関しては嫌いなものはないため、堂々と妹に選択権を渡した。それに蛍は「ありがとうございますわ」と満面の笑みを向け、どれにしようか悩み最終的にチーズケーキを選択した。
「へぇ、蛍はチーズケーキかぁ。じゃあ俺はモンブランにするか。見た目豪華そうなのっていうな。モンブランはあんまり食べないから、たまには食べないと嫉妬されちゃうからな!」
馬鹿な台詞を言う兄を無視し、蛍はお皿にそれぞれのケーキをフォークを添えてテーブルに置く。それから祥の好きな珈琲も。
「あれ、今日はキリマンジャロ?」
蛍は祥の言葉に「今日はそれしか」と答えた。祥は何種類かの珈琲豆を購入しており、在庫を切らすことは滅多にないのだが、何故かキリマンジャロしかなく「それしかありませんから我慢してくださいまし」と付け加えてきた。
珈琲が好きなこともあり、カフェでバイトをしている祥。まだまだ勉強不足と言って、店長を質問攻めにしたり、常連のお客さんと仲良くなると様々な談義をしたり、お客さんの身の上話を聞いたりしている。勉強のためもあり、家にも何種類か珈琲豆を取り揃え、飲む量だけ店で挽いて持ち帰り家で楽しんでいる(いつか自分専用の珈琲ミルを購入する予定だ)。
室弥家で珈琲を飲むのは祥と母。蛍と父は好んで飲むことはない。誰かが飲む時についでに飲む感じだ。そのため、今回も祥の分を淹れるついでに自分の分も淹れた蛍。
「じゃあ、珈琲も淹れた所でさっそく!いただきまーす!」
最愛の妹が淹れてくれた珈琲にご満悦な様子で手を合わせると、フォークでケーキの端を切ろうとした瞬間。
横からすっと何かが・・・・・。
「え、我が愛する妹よ・・・・。こ、これは・・・、何か不吉なことが起こる前兆なのか?それとも・・・それともっっ!!?」
すっと差し出されたのはフォーク。その上にはケーキが。ケーキは三角形で、祥が今まさに行おうとしていた、モンブランでは端、三角形のケーキなら先端を切り取ったそう、第一口目だった。
ケーキを食すにあたって、一番重要ともいえるケーキの先端、第一口目。それをケーキの所有者である蛍は自分ではなく、兄に譲ろうとしていた。
これを食べてしまったら後から何かを請求されるのではないか。それか妹の超貴重なデレを素直に頂けるのか!・・・・嗚呼分からない!だか後者がいい!後者であってほしぃぃいい!!と祥は悶絶していた。
そんな兄の悶絶を知らない蛍は「食べないんですの?折角お兄様に私の一口目を差し上げると言っていますのに」と頬をぷくっと膨らませた。
ドッキューーーーーーーーン!!
室弥祥のハートがバズーカで打ち抜かれたと同時に、「いただきます!いただかせてください!」と口を大きく開けた。その口ならケーキ一つまるごと食えるのではないかという程の大きさで。あんな顔を見せられたらもう、もう!頂かないわけにはいかないだろう!なんて、もう祥は変態であり、変質者であり、変人だった。
「あーん」と蛍も微笑みながら祥の口にフォークを進め、ぱくっと食べさせた(祥が蛍のフォークを舐め回しているのに気付いたので、笑顔のまま思い切り引き抜いてやった)。
妹からの初あーんを頂いた祥は、至福と歓喜と悦喜と狂喜で頭の中がぐるぐるぐるぐるとし始めていた。
「は・・・ぁ、美味・・・・しい。やば、もう俺、天国に逝けそう・・・・あ、鼻血でて・・・・。ふわぁ・・もう、もうどうなっても・・・・・っっつ!!?」
この世で一番高級なチーズケーキを味わった後、鼻血で手と顔半分が真っ赤に染まるのも気に止めず、興奮でぷるぷると身体を震わす。超絶キモイ変態状態になった祥が完成された瞬間だった。
「蛍にこんなご褒美・・・・して・・、は・・・っ、今日は記念日にしよう!蛍からの”初あーん記念日”に設定完り・・・・・・・・・・・」
「それはよかったですワ。蛍、ウレシイ」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
言葉を遮る形で返ってきた蛍の言葉。だが、妹であって妹ではない。蛍だけれども蛍ではなかった。
目の前には薄桃色のタンバル盛りのくりくりっとした茶色の瞳。お気に入りのポンチョにスカートを身につけた相変わらず可愛い大好きな蛍がいる。幼い頃から使用しているお嬢様口調なのだがしかし、声が違った。
高く澄んだ声を持つ蛍とは真逆の抑揚のない冷めた低い声。祥はその声を聞いた瞬間、全ての機能が停止しかけた。なぜなら・・・・・。
「お兄様に、このような行為をさせていただけたんですモノ、蛍も今日という日を大切にシマスワ」
「ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!?」
がばっ!と目を覚ます。
そこはインフォメーションの前に設置されているソファの上だった。悲鳴を上げながら飛び起きると、荒げた呼吸を必死に整える。額からは冷や汗が流れるのを感じた。
「あ・・・れ、ここは?俺、今家にいたと思うんだけど・・・・・・ん?ん?」
状況が理解出来ず、首を捻っていると耳元から声が聞こえて来るのに気付く。その声は先程聞いたものと同じ声。抑揚のない冷めた低い声。
「お兄様、煩いですワヨ?こんな公共の面前で大の大人が悲鳴を上げるだなんて・・・・、ほら悲鳴を聞きつけた警備員さんがこちらへ走ってきましたワヨ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「?どうかしましたか、お兄様?」
「・・・・・・・・柳静。何蛍の真似してんだ」
「何って・・・・。祥が念仏を唱え始めたと思ったら、いきなり倒れると同時に妄想世界へと入り込んだようですので起こして差し上げようかと」
「わざわざ声音を微妙に変えてまで真似するんじゃねぇ!悪夢だ!」
「何言っているんですか。結構幸せそうな顔をしていましたよ?途中、喘ぎ声に変化して・・・・子供が大勢いるショッピングモール内でその状態は十八禁ですよ。早く目を覚まさせてあげませんと。あ」
「それはさっき聞いた!だからって・・・・・・」
妹とのラブラブシチュエーションが途中から友人の気持ち悪い声真似(全く似せる気のない)によるものだったという事実に、文句の一つでもぶつけないとやっていられない。確かに、倒れて勝手に現実逃避という名の妄想世界に立て篭もった自分が一番悪いだろう。しかし、起こすにももっと方法があっただろう。わざわざ妹の声音を真似てまで、漏れてしまっていた寝言に返事をしなくてもよかっただろうに、と祥はぶつけたい文句を脳内で整理する。しかし、完全に整理する前に背中に声がかけられた。
「お客さん、何の騒ぎですか?」
声をかけてきたのは警備員。突然の悲鳴に何事かと走ってきたようで、呼吸を整えながら近付いてきた。普段ならばすれ違うだけでお世話になることなど滅多にないだろう警備員。丁度祥達の上、二階の通路を歩いていたのだろう。エスカレーターではなく階段で下りてきたため、少し歳のいった警備員はまだ呼吸が整わない。
「あー・・・・えっとぉ」
警備員は目の前に立つ白髪の青年と、着物の青年を交互に見ながら状況説明を求める。はたから見れば珍しい容姿ですぐに疑われる二人(特に祥はただ今綺麗な白髪だ)だが、この警備員は冷静のようだ。
そんな警備員からの問いかけに、説明ベタな祥は口を噤む。祥が口を開けばきっと、理解出来なければ警察行き決定になるかもしれないからだろう。それを庇うかのように柳静が一歩前に出る。無表情のまま代表して返答する。相も変わらず抑揚のない冷めた低い声で。
「申し訳ございません。連れの一人が迷子になってしまいまして。携帯を忘れたために、連絡手段としてインフォメーションを利用していたところなのですが・・・。迷子アナウンスに全く反応を見せない連れに、心配を通り越して発狂してしまっただけなのです。お騒がせして申し訳ございません」
簡素な説明に警備員はしばし沈黙していたが、インフォメーションの女性とはよく迷子や道案内の際に顔を合わせているようで、目配せだけで得たい情報を手に入れた。
「状況は理解しました。そうですか・・・・。先程から掛けられているアナウンスは貴方方のお連れ様宛てでしたか」
「はい、三回ほど」
「・・・そうですか・・・・。いらっしゃるのですよ。余程買い物に夢中なのか、アナウンスを聞いていないのか。時には周囲にいる方が気付いて教えてくださることもありますが。もしよろしければ特徴を教えてもらえますか。私も捜しましょう」
「ありがとうございます。そうですね・・・・」
柳静は警備員の好意に遠慮なく甘えることにした。さっさとこんな状況から抜け出して、何処かで休みたいというのが本音だろう。そういえば朝食を食べたのが七時。少し小腹が空いてきた。
「名前は室弥蛍。性別は女性。薄桃色の短髪で・・・・・・・・・・・こんな感じの女性です」
途中、言葉で説明するよりはとインフォメーションの女性に紙とペンを借り、似顔絵を描きながら説明を続けた。
「本来ならば祥の携帯に入っている蛍のすと・・・・・コレクション画像で一発なのですが・・・。ないもの強請りをしても仕様がありませんから。・・・・ふむ、多少問題ありなのはご勘弁願いたいですが、完成しました」
「いや、多少どころか・・・半端なく問題ありだ」
「?何がですか」
柳静の描いた似顔絵を覗き込む警備員と祥は驚愕した。する以外の選択肢などあるのだろうか。いやまず、これを似顔絵と呼んでいいのか微妙な路線である事に戸惑うしかないだろう。
「これは・・・こ、個性的で・・・」
やっとこさ紡ぎ出された警備員の言葉も空しく思えてくる程、柳静の絵は破壊的なものだった。せめて色ペンで書いてくれたらどれが髪で、どれが顔で、どれが胴体で、どれが手足なのか、少しは判断材料が増えて助かったに違いない。しかし残念ながら黒のボールペン一本での作製された似顔絵。もうバケモノ級の破壊画となってしまった。はっきり言って、期間限定で通路の壁に貼り出されている地元の幼稚園児が描いた家族の絵の方が、レベルとしては上をいっていると思う。それを本人には言わず、当たり障りのない言葉を選ぶしかないのが空しいところだ。
「お二人の言わんとすることは分かります。別に気にはしていませんが、文句がおありなら祥も描いて御覧なさい。ほら」
気にしないと言っておきながら、無表情に目を細めて拗ねている様子の柳静はぐいぐいと新しい紙とペンを祥に押し付ける。
「い、嫌だね。俺は今似顔絵大会を開催している場合じゃな・・・・」
「あんなに妹LOVEと発言しておきながら。画像一枚一枚に題名をつけているくせに。愛おしい妹の似顔絵一枚も描けないとは・・・・その程度でシスコンを名乗るとはおこがましい」
わざと癪に障る言い方で。自分の絵に幾度となく文句をつけれくる祥への嫌がらせの意を込めて柳静は祥を挑発した。
「おっとっと・・・柳静ちゃん・・・」
ふぅ、と。前髪をかき上げ、相手を蔑むに等しい瞳で見返す。
「この俺に絵で挑もうなんて、一千年以上早いんじゃねぇか?教えてやるよ、この俺の・・・・・妹を愛して十五年。室弥祥様の。お前の超ド下手恐怖絵画との違いを見せてやるよ!」
「一千年も生きられませんが」
「例えだよ!揚げ足とんな!」
妹のことになるとどうにもならない祥。暴れたら止まらない、語り出したら止められない。やめられない止まらない妹への愛。妹の悪口を言おうものなら相手を半殺しにしかねない(また嬌声と称し、三日三晩寝ずに「我が妹」と題したひたすら蛍の可愛さ愛おしさを聞かせ続けるという一種の拷問講演会を行ったことがある)、普段とは真逆な凶暴凶悪的な一面を持つ。
そんな危険極まりない相手に、体力がなく特技は言葉攻めの心理戦でしか勝ち目がないのに喧嘩をふっかけるのは柳静くらいなもの。
同級生からは好かれているが一方で恐れられている祥を唯一言う事を聞かせ、暴走も止められる男という異名を持つ柳静は、自覚があるのか分からないが、たまにこうして祥相手に勝負という喧嘩を吹っ掛ける事がある。
柳静から売られた喧嘩は買うのがポリシーになりつつある祥は、まんまと乗せられ頬に押し付けられているペンと神を剥ぎ取るように奪った。
ソファを机代わりにさらさらと似顔絵作製に取り掛かる。突如開催された似顔絵勝負に、インフォメーションの女性と警備員の二人はこれ以上は口出し出来ないと、静かに見守ることに決めた(祥の精神状態が常軌を逸していると判断した為)。
十分というたっぷりの時間を費やした祥。いくらその場だけの似顔絵勝負だとしても、手抜きは許せないらしい。何せ大好きな大切な愛おしい妹を描くのだから。
この馬鹿が真剣に絵を描く姿なんて中々見られない貴重映像だと暢気にしている柳静は、勝負をしかけた張本人のくせに無表情で、しかも少し開き始めたのか何度も腕組みと欠伸を繰り返し始めていた。
そんな時・・・・・。
「でっきたーーぜぃ!これを元に捜して下さい、おまわりさん!」
警備員=警察と勘違いしているところは面倒なのでもう放っておこう。びらんと自信たっぷりに掲げてきた絵は、はっきり言って超絶上手かった。少し美化していないか?と言いたくなる程に。
警備員はインフォメーションの女性と共に絵を見つめ、心の中でこう思った。『こいつただのシスコンじゃなかった!』と。
「写真をコピーしてきたようだ・・・。この絵なら他のお客さんに見せながら捜すことも出来る。さっそく他の警備員に協力要請して店内を見回りさせましょう」
「では私がコピーいたします」
「ありがとうございます!なにとぞ妹をよろしくお願いします!」
インフォメーションの端。
三人のやり取りを静かに傍観している一人の男。
会話を聞くだけで割り込む事も意見する事もなく、さらに耳に入る会話に頷いたり、相槌を打つ事もしない。ただ無表情に目の前の景色を眺めているだけだった。
友人はようやく妹を捜し出せる喜びに涙していても、一緒になって喜びもしない。
これが凪原柳静のスタイルである。
着物姿で腕を組み、無表情でいる事を指しているのではない。
とにかく周囲に興味を抱かない。この事である。
目の前に家族がいても、友達と遊んでいても、結局は全てが風景の一部でしかない。好きでも嫌いでもない。感情の出し方を知らないわけでもない。ただただ興味を抱かないだけである。
周囲の人間を馬鹿にしているわけではない。見下しているのではない。孤独が好きなわけでもない。ただ興味の抱き方を知らないだけである。
しかし、そんな柳静でも祥に対してだけは違った。別に祥に何か特別な力があるとか、魅力的な部分があるとかそういったものを持ち合わせていたとかは一切ない。「凪原柳静は室弥祥にしか心を開かない」、いつからかそんな噂まで流れ出してしまったが、それに対してもやはり柳静は何も反応を示さなかった。
ただ柳静の中で”祥”という存在は自分の世界の中で重要な何かである、という認識だけしていれば他は問題なかったから。
ただ、それだけだ。結局、柳静本人もよく分かっていないのである。
先程までツッコミまくったり、勝負を挑んでいたが、警備員やインフォメーションの女性が祥の似顔絵をコピーしたり、無線で仲間とやり取りを始めた辺りから、何かが切れたかのように柳静は静かになった。
突然無口になってしまった柳静に祥は特に気にしない。どうした?とか、黙っちゃうなんて寂しいよ、なんて空気を読まず、いきなり肩を叩きながら話しかけて来る事もしない。
その代わりという感じにただ口パクで言葉を伝えてくるだけで。今も警備員を待つ間、口パクで『もう少しだから待っててくれるか?』と問いかけてきた。柳静はそれに対し、腕組みをしたまま右手の人差し指をぽんとするだけを返事とした。更にそれに対して祥は投げキッスを返事代わりにしてきたので、一瞬無表情に苛立ちの感情が加わった。絶対投げキッスに『さすが柳静ちゃん。俺の愛する親友よ』という気色の悪い言葉を添えているのだろうなと、吐きそうになりながら柳静は投げキッスを右手で受け取り(思い切り握り潰し)、静かに次の行動まで待機する事に決めた。
そんな柳静の小さな拒絶に気付いているのかそうでないかの祥は、警備員と一緒にコピーされた似顔絵を確認中。
そこへ二人の男が現れた。
こちらの方ではなく、インフォメーションの方へ。
「どうされましたか?」
インフォメーションの女性は、似顔絵のコピーをバトンとして渡し、捜索は警備員に託したため、椅子に座りながら別の作業を開始していた。これでも忙しい身なのである。
二人の男はどちらも赤い髪で、片方はきりっとした細目に黄色のカラコンを入れた短髪の男。もう片方は同じく細目に黄色のカラコンだが、少しほんわかしたような印象の腰まで伸ばされたポニーテールの男。誰がどう見てもすぐに双子だと分かる。一卵性双生児。
インフォメーションの女性の言葉に返答したのは短髪の方。
「迷子アナウンスをかけてもらいたいねんけど、今大丈夫ですか?」
敬語を使おうとしているのだろうか、少しアクセントと標準語の混じりに違和感を覚える話し方。だが、その違和感の正体はすぐに判明した。
「はい、大丈夫ですよ」
「はぁ~、助かった。いくら電話かけたかて応答する気配あらへんもんやから、もうここしか頼る手段のぉて。ほんま助かりますわ~」
聞いてもいない情報をべらべらと語り出した短髪の双子の片割。口からは関西弁が。大阪の人かな?と思ったところで、後でソファにのんびりと座り込んでいる片方が口を開く。
「よかったやないの、兄さん。これであの子も無事見つかる事やし、一安心やね」
「・・・・てんめぇ。何一人だけ暢気に座っとんじゃい!一番疲れとんのは誰や思うてんねん!毎度毎度外に出るたんびにふらふら~っと旅立ちよってからに!」
「はいはい。その話はさっきも聞きましたわ。耳にタコやわ。そない何べんも同じ事言わはらんと、馬鹿やないんやからいっぺんで分かるわ」
短髪の関西弁兄と長髪の京都弁弟。双子なのに話し方は全く違う。大坂と京都。確かに隣同士ではあるが、どういう流れでそうなったのか・・・・、でも少し標準語も混ざっているし住んではいないのか?嗚呼~聞きたい聞けない!と横で祥は疼いていた。と同時に、早く迷子について話を進めてやれよ!と目の前でいきなり喧嘩をし始めた双子に、どうしたものかと戸惑うインフォメーションの女性を見て哀れに思った。今日一番忙しくストレスが溜まっているのはこの人だろうな、と感想も心中で吐露しながら。
喧嘩中(兄が一方的に怒り、弟は華麗に受け流している)の双子に、祥は空気を読む事を拒絶し間に割って入るようにぺらっと一枚の紙を突き出した(インフォメーションの女性への罪滅ぼしの意を含め)。
「あ?なんやこれ」
「似顔絵やね。ちょ、これ誰が描かはったん?えらい上出来やないの」
「ほんまや。一瞬写真か思うたくらいや。兄ちゃんこれ職業にしたらええんとちゃうか?」
突き出された一枚の似顔絵を見た瞬間、双子は喧嘩をピタリと止め、今度は絵に対しての評論を始めた。こんな絵一枚で喧嘩が収まるなんてまだまだ平和だなこの日本は、と祥はほんわかした。
「え、えへへ、ありがとう。俺の妹なんだけど今絶賛迷子中で・・・。見た事ないか?」
「あ、この子」
祥の言葉に双子のポニーテール京都弁弟が似顔絵を指差しながら反応する。
「僕この子見ましたえ」
「え!!?」
「うんうん。やっぱりこの子やわ。この子さっき僕と同じ店にいはったわ。可愛い言葉使いの子やろ?」
「こんな子おったか?」
「兄さんが来る前に店の服について教えてくれた子がいはったんよ。その子店員さんと仲良ぉて、僕の欲しい服を全部取り寄せるよう手続きしてくれはったし、試着ん時、おすすめ持ってきてくれはったりもして。もう本来の店員さんより親切でよう働く子やったわ」
さすが自慢の妹、と胸を張ろうとした祥は、ふと、双子の弟の言葉に引っかかりを覚えた。
そう、試着という言葉に。
「・・・?・・・っ!!え・・・試着の時って・・・、まさか試着室の中まで入って着せたり脱がしたり・・・。ありとあらゆる手伝いをッッ!!?」
「いや・・・何妄想しとるんか知らんけど、さすがにそこまではしてへんから。僕かて初対面の女の子にそこまでさせへんよ」
シスコン故に行き過ぎた妄想をしている祥に、双子の弟は釈明した。それに続いて兄の方も口を開く。
「俺がこいつと店におったんはついさっきの話や。俺は見てへんけど今やったらまだそこにおるんとちゃうか?」
「せやね。僕の買い物に最後まで付きおうてもろた時に兄さんが来はって。別れ際にもう少し見て回る言うてはっら、行きはったら?」
「この子のおかげでほら、こんなに買うてもうたわ」と両手で持つ大量の買い物袋の中から、白い袋を二つ嬉しそうに見せびらかした。中には女モノの服がたくさん入っており、「あの子勧め上手やわ」と笑顔で語った。男が女モノの服を買ってどうするんだ着るのか?彼女へのプレゼントか・・・・?どっちだと考えたが、祥はそれよりもある一点に注目した。
双子の弟が手に持つ白い袋に水色で書かれた文字。
「angel's wing」という店名を。
「※○☆#*△%$○・・・・・・・ッ!!?」
店名を見た途端、祥はもはや言葉にならない叫びを上げた。今日一日で何回呼べば気が済むのだろうか、と誰かが心中で吐露した。今回はそこまで大きな叫びではなかったため(ムンクの叫び状態と言えば分かりやすいだろう)、傍にいる双子と警備員しか反応しなかった。
「ど、どないしはったん!?」
「そ・・・・な、えぇ・・・」
「いや、分からへんから。はっきりしゃべり」
「しっ・・・・・あぐっ・・・・」
白髪の男は気絶寸前だ、双子はそう思った。店名を見ただけでそこまで衝撃を受けることがあるのだろうか、と互いの顔を見合わせることしか出来なかった。
まるで、得体の知れぬものに生気でも吸い取られている最中かのように、どんどんしよしよになっていく祥は最後の力を振り絞るかのように手をひらひらとさせながら、
「り・・・・柳静ちゃん・・・・柳静ちゃん・・・・・・ッ」
と、か細く助け舟を求める。
少し離れた場所で傍観していた柳静は、今の祥の状態にもはや呆れ果て、ふぅとため息を吐きながら近寄る。出来ることならば巻き込んで欲しくはなかったと言わんばかりに腕組みをしたまま。
「ん?あんた誰や?この白髪兄ちゃんの知り合いか?」
双子から見れば、無表情なのにかなりの不機嫌オーラを放っている着物姿の柳静は異様な存在といえよう。
双子の兄はそんな柳静に警戒心剥き出しで問いかける。
「そう見たって知り合いやないの。さっきから後ろにおらはったし、傍観のふりしてちゃんと僕ら見張られとったし」
一方双子の弟は警戒心をあまり出さないものの、後ろから兄の右肩に両手を置きながら笑顔で述べた。しかし、何かあるのか兄の背中に隠れたまま、前に出ようとはしなかった。
そんな双子の言葉に柳静は無表情のまま何も答える事はない。代わりに横で自分の左腕にしがみ付いてきた祥に返す。
「祥。落胆するか喜ぶかどちらかになさい。親切な情報提供者のお二方が驚愕しておられますよ」
「いやだってぇ・・・・」
「だってではありません。言い訳よりまず自力で立ちなさい」
「・・・・・むり・・・、だって・・・俺そこ・・・っ、二回・・・二回も探しに行ったのにぃ!!!?」
「祥。ぐしょぐしょの顔で抱きついてこないで下さい。離れてください。・・・殴りますよ」
左腕から勢いよく這い上がり、横からがばりと抱き着いてきた祥の顔は、色々な感情で溢れ出た涙と鼻水でぐしょぐしょでかなり汚い。柳静は懐からポケットティッシュを取り出すと何枚か祥の顔面に叩き付けてやった。
「うぶっ!もう有言実行しちゃってんじゃん!」
「殴ってはいません」
「グーかパーかの違いだけだろ!」
左手で柳静の着物をしっかりと握り締めながら、顔から放出されている液体に張り付いてしまったティッシュを剥ぎ取り、残りの面で顔を拭った。
話を戻すが、祥はアナウンスに反応しない妹を捜しに出掛けた際、妹が立ち寄りそうな場所や行きつけの店などもう全店舗見たのではないか?と思うほど見て回っていた。その中でも妹が一番気に入っていた衣服店「angel's wing」は二回来店し、店員に聞いてもいた。しかし写真はなく、息切れ切れ+妹がいないというテンパリ状態での説明ではいくら馴染み客で顔を覚えられている妹のことでも、店員は分からなかった。
いつも服を買う時はそれぞれ別行動を取っており、終ったら集合場所で落ち合うという方法だったこともあり、祥は来店するのが実は今日が初めてだった。
今後の捜索の為にも、場所のみの確認だけでなく店員に顔を覚えてもらえるように、一緒に買い物するなり策を講じておこうと祥は心に決めた。
近代技術に頼りきりな己の不甲斐なさに頭を垂れる始末。こんな思いは二度としたくないものだ。
店員さんもまさか常連の、今まさに来店中(試着中)のお客さんのことだとは想像もしなかったことだろう。
「まぁ・・・。今日はドアに頭をぶつけて妹センサーが故障してしまったと思いなさい。次はそうならないよう、教訓にすれば良いだけです」
「うう・・・・・そう・・・、そうだな・・。教訓教訓・・・」
「それよりも、今は早急に店に行く方が先決ではないのですか?」
柳静の言葉に、今迄静かに状況を見守っていた双子の弟が賛同するように口を開く。
「そうやねぇ。僕が店出る時に、残り一つの棚チェックしたらレジ済ませる言うてはったし。はよ行かんとまたすれ違いになって、一から捜し直す破目になりますえ?そんなん君にとっては酷やないの?」
「そ、そうだな!ありがとう、双子の短短兄さん!暢長弟さん!俺は今から愛する妹の元に行って、感動の再会を果たしてくるぜ!」
「!?ちょお待ちぃ!何や捨て台詞で際どいあだ名つけて去んなや!」
だがそのツッコミに返事はなかった。祥は律儀に双子に深くお辞儀をしたと思いきや、もの凄い勢いで走り去っていってしまった。遠くの方でエスカレーターでは遅いと階段を必死に駆け上がっていく姿が見えた。
「ぷくく、僕らのどちらが兄で、どちらが弟か。それと容姿くらいしか情報が得られてへんからって、即興にしては面白いあだ名やね」
「短短兄って、何や中国人みたいなあだ名やのぉ」
「短気で兄で短髪。僕はのんびりで暢気で長髪やから暢長弟か。面白いけど、何やろうね。そのまんま感が凄いわ」
「ネーミングセンスがあんのかないんか微妙やな」
「せやけど、初対面の人間相手にすぐさまこないあだ名付けて去ってく人、初めてやわ。僕好きやで」
「ほんまやで。面白い兄ちゃんやな。色々とマッハ級やで。そない必死になる程のべっぴんさんなんか?妹はんは」
後に残された双子はもう姿が見えなくなってしまった祥が相当気に入った様子。初対面の人にあだ名を付けられて去っていかれるなど、初めての経験に多少興奮気味でもあるようで。また双子の弟の方は妹も気に入ったらしく、店で会った時の様子を兄に語って聞かせる。
「確かに可愛い子やったよ。愛想もええし、笑顔も素敵やし。何より服選ぶ時のあの子の張り切りよう。初対面の人間にあそこまでしてくれるとは、最近の子にしてはえらい積極的やね。果たして他の子に真似出来るんかいなぁ」
「お前は若い娘さんにほんのちょおっと優しゅうされただけで感動する、どこぞのジジイか」
「失礼な。僕がジジイやったら、兄さんもジジイになるっちゅうこと、忘れんといてください」
初対面の兄弟に相当な興味を持った双子は、自分たちにも捜し人がいるという事をすっかり忘れていた。買い物袋を見て「ええもんばっか買わせてもろたわ」と双子の弟は満足気に話し、双子の兄は次に会えたらちゃんと名乗ってあだ名を付け替えさせなあかんな、と返していた。
が、双子は笑顔のまま、頭は動かさず黄色い瞳だけをある方向へと向けた。
「まぁ・・・・・今一番気にせなあかんのは・・・」
「嗚呼・・・・」
「あのお兄さん。えらいもんを置き土産にしていきはったなぁ・・・」




