親の責任2
世間では、親孝行すべきという思想が長らく蔓延していますが、僕にはこれがなぜ重視されているのかが分かりません。一般的には、親が自分を生み、育ててくれたことには報いるべきだという考え方のことのようですが、親は自分の意思で子供を生み育てることを選択したにもかかわらず、どうして子供はこのことに報いなければならないのでしょうか。親が自分で選択した苦労に子供が報いなければならない、感謝しなければならない理由はないと思います。親は子供を生み育てる苦労を分かった上で子供を生むので、子供にはこの苦労の責任はないはずです。
それに、親が与えてくれた人生はそんなにありがたいものでしょうか。
生きていれば、様々な不条理な出来事を体験します。また、肉体を持つ以上、老いの煩わしさや病の苦しみと付き合って生きていかなければなりません。楽しいことももちろんありますが、苦しいことの方が多いように思えます。
人生に苦しみが付きものであると理解しているにもかかわらず、親は子供を育て上げたいという自らの願望を叶えるためだけに、子供を生むのです。親は自分の願望を叶えるのであれば子供に苦しみを与えることを厭わないのです。
子供が大事と言うなら、親は我が子に生きる苦しみを与えたことについて、反省や後悔をして然るべきだと思います。もちろん、生んだことを反省したところで、子供が人生を生きることの償いにはなりません。しかし、自分の幸せのための道具ではなく、一人の人間としての子供と向き合う真摯さと誠実さがここにはあります。これが本当の意味で子供の存在を尊ぶことだと思います。
子供を生んだことを重く受け止めることは、子供に対する振る舞いを律する効果があるのではないかとも思います。親が、子供を生むことが子供に人生の苦しみを与えることだと認識していれば、子供を虐待することは起こりにくいかもしれません。生むことで既に子供を傷つけていると分かっていれば、この上さらに傷つけようとは思わないだろうし、育児に悩まされることがあっても、それだけのことをしたんだから仕方がないと受け入れることができるのではないでしょうか。
子供を生むことが子供に生きる苦しみを与えることだと書いていますが、親が与える苦しみには子供が自分の意図した行為によって傷つけられたり、不利益を被ったりすることは含まれません。親に責任があるのは、子供が自分の意図とはかけ離れ、それ故に、自分の力で乗り越えられない出来事に直面した時です。
自分に何の非もないのに、傷つけられる体験はもちろん、傷つけた人間の責任ですが、必ずしも自分の思うままにならない人生を与えた、親の責任でもあります。人生には不条理が付きものと分かった上で子供を生むのであれば、子供が理不尽な目に遭えば、その責任の一端は親にもあるのです。
親に子を生んだ責任がないのは、子供が年も取らず、何の病気にもかからず、不条理な出来事も体験せずに、人生を送れることが保証される場合だと思いますが、そんなことは絶対にないでしょう。
親はやはり、子供に人生を与えたことを生涯反省するしかない。そんなことをしても何の償いにもならないけれども、子供の存在の重さと向き合うとはそういうことだと思います。そして、生きる苦しみが何をもってしても償い切れないなら、親孝行すべきという発想は尚のことおかしい。
子供を生むことの重大さについて延々と書いてきましたが、僕は別にこのエッセイを通じて子供を生むなと言っているのではありません。お子さんのおられる方に子供に人生を与えたことの重さと向き合って欲しいと言いたいだけです。