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黙想の散歩道  作者: 智康
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親の責任

 多くの親は自分の子が傷つけられたのを知ると悲しみます。

親がこのような感情を抱くことを否定するつもりはありません。しかし、僕はここでは抱くべき感情が欠けているのではないかと思います。

 子供は自分の意思でこの世に生まれてきたのではありません。親の都合で有無を言わされずに、この世に連れて来られたのです。親は人生では様々な辛い出来事を体験することをよく理解しています。つまり、親は人生そのものが子供を傷つけると分かっていて、子供を生んでいるのです。

 悪事を働いて、人から非難・攻撃を受けるのは仕方がありませんが、子供が何の非もないのに、傷つけられたとしたら、その責任は傷つけた人間だけにあるのではなく、子供を生んだ親にもあるはずです。それなのに、どうして親は傷ついた我が子に対して、申し訳ないと思わないのでしょうか。

 親は、生まれてこなければ体験せずに済んだことを子供に体験させたことについて、責任を感じるべきではないでしょうか。これは何も子供を生んだことを否定するのではありません。むしろ、逆です。親が自分が与えた人生に責任を負うことは、それだけその人生の価値を認めることになります。

 大抵の親には、世の悪や不条理を根絶する気概も力もありません。親は我が子さえ無事ならそれでいいのであって、よその子が傷つけられても気に留めるのは一時だけです。子供の受難を防げないのなら、親は子供に人生を与えた者として、人生の不条理を体験させることの責任と向き合う覚悟を持つべきではないでしょうか。

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