8 魔物と街と中年と 後編
街中を歩いていくと、ティルシアの視線が一つの店に留まった。綺麗な衣服を売っているところだ。
ティルシアが綺麗な模様の衣服に気を取られる一方で、ディナードの視線は値札に行く。
(……そんなに高くはねえな。これくらいならいいか)
そう考えていると、レスティナも値段とティルシアを見比べていた。
ただでさえ世話になっているというのに、衣類まで買ってもらうのは申し訳ない。その上値段まで高ければ、もう申し訳なさで押し潰されてしまうだろう。
「寄っていくか?」
ディナードが聞いてみると、ティルシアは嬉しげに何度も頷く。肩の上にいるため、落っこちてしまいそうなくらいの勢いだ。
そんな姿を見せられては、ディナードもすげなく返すことなんてできやしない。子供の笑顔は、どんな魔物も食ってしまう冒険者をも倒してしまう最強の武器なのかもしれない。
店内に入ると、ティルシアは衣服を眺めては嬉しそうにする。しかし、彼女は小さいため、あまりサイズが合うようなものはない。
だからディナードは子供服を探し始めるのだが――
「ゴブッ!」
彼の前にゴブシがやってきた。手には可愛らしいワンピースドレスを持っている。
(お、ゴブリンのくせになかなかいいセンスしているじゃねえか。俺よりも人の文化に詳しいかもしれねえな)
ディナードは基本的に魔物と食い物のことくらいしか興味がない。しかしこのゴブリン、人の言葉や文字を理解するだけでなく、文化にまで及ぶ知識があるらしい。おそらく、森や街道で襲われた人々の荷物などを漁り、習得していたのだろう。
ゴブリン程度では人を倒すことなんてできやしない。しかし、強力な魔物や獣は、人の肉や運んでいる食材に興味を示すことはあれど、書物などはほったらかしにしているはずだ。それを拾い集めていたのだろう。
知識こそあれど、実体験はないようだから。
ディナードが感心していると、ゴブシが「ゴブッ!」と声を上げた。そしてワンピースドレスを頭から被った。
「……お前が着るのかよ!」
思わず突っ込みを入れるディナード。ゴブシは可愛らしいワンピースドレスを着てご満悦だ。
しかし、似合わない。とても似合わない。
ゴブリンが可愛いのを着たところで、あまりにもミスマッチなのだ。
「あの、お客様。申し訳ございませんが、当店では試着を受け付けておりません」
店員がおずおずと申し出る。
綺麗な女性が着たならまだしも、汚らしいゴブリンが着てしまったのだ。売り物にするのは厳しいのかもしれない。
買い取らざるを得ない状況になったディナード。お金を支払うのは別にいい。だが……
(ゴブリンが着ている姿、見たくねえな)
目に毒である。
代金を支払いつつも困っていると、ティルシアがディナードの肩から下りていく。そしてゴブシの服をまくり上げた。
「ゴブゥー!」
身をよじり恥ずかしそうにするゴブリン。
「お前、元々なんにも着てなかっただろうが」
ディナードが突っ込むと、ゴブシははっとする。いくらなんでもこのゴブリン、人の文化に馴染みすぎである。
さて、ティルシアは元々の衣服の上からワンピースドレスを着てみる。そして服の裾をつまんだり、ひらひらさせてみたりしながら、はにかむ。
「へえ。可愛いじゃねえか」
ディナードはティルシアの頭を撫でながら、ゴブリンとは大違いだ、着ている者が違うだけでこうも変わるとは、と感心せずにはいられない。
「えへー」
ティルシアが浮かれている一方、レスティナは彼女を見ておろおろしている。これではティルシアがディナードにおねだりしたも同然だからだ。
「あの、ディナードさん」
「お前さんもなにか買っていくか? といっても、今のほうが綺麗な服か」
レスティナは幻惑の魔法で人化しており、衣服もそれで生み出している。人を惑わすためには顔だけが綺麗でも不十分なのだろう。容姿以外の要因でも印象はずっと変わってしまうのだ。
そして天性のものか、このレスティナは、ちょっぴり抜けているところもあり、それがあまりにも自然で人を惹きつける魅力がある。これをわざとやっているのであれば、歴史に名を残す希代の悪女であろう。
「ディナードさんが贈ってくださるのなら、喜んでいただきますよ」
いつもからかってばかりだから、レスティナが反撃に出た。
はて、女性に贈り物をするなんて、いつ以来のことだろうかとディナードが考えた辺りで、彼女は頬を緩めた。
「冗談です。ティルシアに買っていただくだけで十分ですよ。この上なくよくしていただいていますから」
微笑む彼女を見ていると、ティルシアの母親なのだな、とディナードは思うのだ。
それから、ここに来た目的を達成すべく、中を見始める。
まずはティルシアの帽子だ。しかし、ディナードは帽子を使うことはないため、よくわからない。冒険者であれば兜を装着するため、帽子を被っている余裕なんてないのだ。
もっとも彼は、「蒸れるから」という理由で兜を使わなくなってからどれほどたったか数えられないくらいなのだが。最近は頭皮へのダメージも気になってきているお年頃だ。
そちらはレスティナに任せると、ディナードはゴブシの服を買おうとする。そのゴブリンはお洒落で高いものばかり見ていた。
「この店で一番安い服とズボン、帽子をくれ」
「かしこまりました」
「ゴブッ!?」
ゴブシは自分に似合うものを買ってくれると思っていたのだろう。しかし、先ほどやらかしたばかりである。そんな金を使う気などなかった。
けれど、簡素なズボンがやってくると、ゴブシはそれを穿いてご満悦。服を着るとにっこり。帽子を被ればふふんと鼻息を鳴らす。
なんとも単純なゴブリンだ。
さて、そうして一瞬で買い物が済むと、ティルシアのところに行く。彼女は可愛らしいベレー帽を被っていた。
これならば、狐耳もしっかり隠れるし、脱げる心配もさほどない。
「へえ。可愛いじゃねえか」
先ほどと同じことしか言えないディナードであった。けれど、ティルシアは嬉しそうにしている。気に入ったようだ。
そうして支払いを済ませると、ゴブシのお腹がぐう、と鳴った。
「さてと、メシにするか」
ディナードは店を出ると、街中を歩き始める。そうして進んでいくと、家々は民家が減ってきて、立派な建物が多くなってくる。
すでに日が暮れ始めており、人々は夕食時だと家に帰る時間であるが、むしろ賑わいを見せているようにも思われるくらいだ。
ティルシアとゴブシは、それぞれの家に視線を向けては、なんの店だろうかと首を傾げる。
その一方で、レスティナは困惑気味にディナードを見てくる。
「あの……気のせいでしょうか。繁華街に向かっている気がするのですが」
「そうだな。なにしろ、ご令嬢方に粗相のないよう、丁寧なもてなしをしないといけないものでね」
おどけて言うディナードは、それからティルシアに、
「どうだ。街明かりが綺麗になってきただろ?」
と聞いてみた。
あちこちの店の前では明かりが灯されており、夕暮れの中で美しく存在感を放ち始めている。これからもっと暗くなれば、よく見えることだろう。
ティルシアは身を乗り出してまであちこち見ているため、ディナードは彼女を支えつつ、頭を撫でた。
それから一軒のとりわけ綺麗な店が見えてきた。
木造ではあるが壁に汚れや破損はなく、安っぽい店とは構えからして違う。ガラス窓のの向こうには、明るい橙色の光が輝いている。
これまで見てきた飲食店と異なって、所狭しとテーブルが敷き詰められていることもなければ、床が油で汚れていることもない。厨房の暖かさに虫が住み着いていることも当然あり得ない。
そして個室が用意されているようで、外から見える席は多くない。
「今日はここにしよう。この街で唯一、魔物メシが食える店でな。……ゴブシ、礼儀正しくしろよ?」
ゴブシを見れば、メシと聞いてうずうずしている。
これはなにかやらかしてしまうかなあ、と思いながら、ディナードは店内に足を踏み入れた。
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次回は皆でお食事です。
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