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6 マンドレイク湯



 しばらく森を歩いていくと、視界が開けてきた。

 長く歩いてきたため狐の姿になっていたティルシアは、平原の向こうに見える市壁に、驚きの声を上げた。


「……ティルシアは街を見るのは初めてか」


 彼女は頷く。

 レスティナも遠くから街を眺めることくらいはあったが、人里にまで下りてきたことはないため、緊張気味である。


「それで、結局どうするんだ? 人化していくのか?」

「が、頑張ってみます!」


 レスティナはスカートや帽子で狐耳や尻尾を隠してみる。そうすると、ティルシアも真似して人化する。こちらはぶかぶかのスカートで尻尾はなんとかなったが、帽子まで出すことはできなかったようだ。


 ディナードは袋の中から布を取り出すと、ティルシアの頭にくるくると巻いていく。


「痛くないか?」


 尋ねると、彼女はこくこくと頷く。

 狐耳も一緒に中に入ってしまうため、彼女はもぞもぞと耳を動かして具合を調節し、ちょうどよくなったところで笑顔を見せる。


「えへへ」


 彼女はぺたぺたと頭を触って、楽しげにしている。

 綺麗な格好とはほど遠いが、今のところはこれでいいだろう。あとで彼女が気に入るような帽子でも買ってあげればいい。


 ディナードはそんなことを考えてから、ティルシアを抱き上げて肩に乗せた。レスティナはそんな姿を見て慌てる。


「あ、ディナードさん――」

「高いところからの景色はどうだ?」


 レスティナの言葉をディナードは遮ると、


「すごい!」


 ティルシアの嬉しそうな声が返ってくる。それを聞きながら、ディナードは「そうか」とだけ返した。


 彼女がまだうまく歩けないことに配慮したのだが、レスティナは申し訳なさそうにしている。


「お、レスティナも高い高い、してほしいのか?」

「違いますよ、そんなんじゃないですからね」


 レスティナはからかわれて口を尖らせる。

 けれど、先ほどの様子とは違っていたので、ディナードはそれでいいと思う。彼女はゆったりしているときのほうが綺麗だから。


 さて、そうして都市にやってきた一行は、門のところで止まるように指示を出される。


「少し調べさせてもらうがいいか?」

「ああ。この子はちょっと足を怪我してしまってね。うまく歩けないから、このままでもいいだろう?」

「そちらは構わない。だが、このゴブリンは……」


 背嚢を背負っているゴブシは、まったく物怖じしていない。人の街に入るのはおそらく初めてだというのに。


(案外、大物なのかもしれないな)


 ディナードも苦笑い。


「こ、これは契約紋ですか!」

「ああ、俺のと合致するだろ?」


 ディナードが契約紋を片手に浮かべると、門番がかしこまって頭を下げる。契約紋により擬似的に魔法を用いる者はそこそこいるが、生きている魔物と契約している者は滅多にいない。


 となれば、高名な者に違いないと判断したのだろう。

 そしてこちらの門番とは別の男が駆け寄ってくると、慇懃に頭を下げる。


「失礼いたしました」

「ん? ああ、気にするな。門番は疑うのが仕事だからな。お勤めご苦労だ」


 彼はディナードの包丁と鍋を見ていた。

 こんな格好をしている者はほかにいないため、それだけですぐに彼とわかるのだ。


 ディナードたちは街中に入っていくと、ティルシアが感嘆の声を上げた。


「ひと! たくさん!」

「まだまだ、少ねえほうだ。結構田舎だからな。首都に行けば、もっともっとたくさんいるぞ」


 嬉しそうにしているのはティルシアだけかと思いきや、ゴブシはなんだか感動しているように見えるし、レスティナもそわそわしている。


(子守が必要なのは、一人だけじゃなさそうだな)


 苦笑いするディナードであった。


 街中を歩いていくと、どうしてもゴブシの姿が気になるらしく、視線を集めてしまう。


「……服でも着せるか?」

「多少は隠れますよね」

「とりあえずあとで買いに行ったときに考えるか。まずは冒険者ギルドに行くぞ」


 依頼を受けて森に行った結果を伝えなければならない。まして、ロック鳥などという大物が出たのだから一大事だ。


 そんなときに呑気に目玉焼きを食っていたのだが、それはそれである。


 そうしていると、特徴的な匂いが漂ってくる。

 ティルシアは身を乗り出して、そちらに目を向ける。薬師が開く露店の前には、たくさんの生薬が並べられていた。


 ディナードはそれにざっと目を通すと、「おっ」と声を上げた。


「それはマンドレイクか。それも魔物の」

「旦那様、お目が高い。お安くしておきますよ」


 そう言われてレスティナは顔を赤らめ、ディナードはまじまじと品を眺める。そしてティルシアが首を傾げた。


「まんどれーく?」

「人間の形に近い植物でな、普通の植物と魔物のがあるんだ。前者は麻酔作用があるが、幻覚を引き起こすから、よほどの痛みじゃないと使わない。そんでもって魔物のほうは、引き抜くと絶叫を上げたりするが、精がつくと言われていて、風邪なんかにも有効な薬になる。飲んでみるか?」


 疲れているだろうからちょうどいいだろうとの配慮に、好奇心たっぷりのティルシアは頷いた。


「四人分頼む。ここで飲んでいく」

「かしこまりました」


 店主は熱湯に乾燥させたマンドレイクを入れて、振り出していく。

 そうしてやや濃い色がつくと、早速四人は飲んでみる。


「にが!」


 ティルシアが顔をしかめる。そしてゴブシは神妙な顔をしながら碗に向き合っていた。

 ディナードはマンドレイク湯を飲むと、温かさとにじみ出た独特の味わいを堪能する。


「このほどよい苦みがなかなか、癖になって悪くないんだがな。子供にはわからないか」


 ディナードは子供と大人の味覚の違いも考慮すべきか、と考えるのであった。

 しかし、体は温まったのだろう、ティルシアは「ぽかぽか!」などと言いながらはしゃいでいた。


 それからしばらく行くと、やや古びた木造の大きな建物が見えてきた。看板には冒険者ギルドと書いてある。ディナードのようなあちこちをふらふらしている者にとっては、重要な拠点だ。


 なにしろ国がある程度管理しており、国ごとによって差はあれど各国のギルドは提携しているため、他国に行っても業務を継続できるのだから旅をするにはちょうどいい。そして身分を保証する面倒な手続きが省ける。


 中に入ると、そこには昼間から酒を飲んでいる男たちがいる。彼らの柄は悪く、比較的みすぼらしい。


 簡素で薄汚れた衣服の上に錆びた鎧を纏っており、ひげや髪はぼさぼさの者が多い。浮浪者とさほど変わらない。


 というのも、冒険者ギルドは各地の魔物の調査のために設立されたという経緯があるが、時代とともに各地の様子が明らかになるにつれて、冒険というよりは雑多な依頼を斡旋するのが主な役割になってきたからだ。ディナードのようにあちこちの魔物を探し回るような人物はそう多くない。


 そんな酒臭い者たちは入ってきた彼らの姿に目を留めた。


「おい、あれ。魔物食い(イーター)じゃねえか?」

「まさか。いや、あの包丁に大鍋! 間違いねえ」

「……おいおい、ゴブリン連れてるぞ!?」

「晩飯か! 晩飯になるのか!」

「嘘だろ、ゴブリンだぞ!? 食えるのか!?」


 小声ながらも聞こえてくる話にディナードは気にした素振りも見せず、カウンターへと向かっていく。ゴブシはうろたえ気味で、目を泳がせていた。


 カウンターにいた受付嬢は、お辞儀をしてくる。レスティナとティルシアが気になっているようだが、不躾に聞いてくることもない。


「ディナードさん。お疲れ様でした」

「ああ、その件なんだがな、厄介なことになっちまった」

「と、言いますと……?」


 依頼は魔物の駆除だ。そんなたいそうなものではなかった。だから失敗するなどとは思っていなかったのだろう。


「途中でコカトリスをやったんだが、どうにも違うみたいでな。探していると、ロック鳥が見つかった――」

「ロック鳥がですか!? ……おほん。すみません」

「あー……それでだ。とにかく、おそらくロック鳥の子供がいて、そいつがやらかして農民に露見したらしい。まだ卵もあるみたいだから、早いうちに仕留めちまったほうがよさそうだ。孵っちまうと、親子丼も食えねえしな」


 ここに来てもまだ親子丼のことを考えているディナードである。

 そんな言葉を聞き、冒険者たちがざわつき始める。


「マジかよ……食う気でいるぞ」

「やっぱりゴブリンも前菜にする気だ」

「信じられねえ……」


 ぶるりと震えるゴブシ。ディナードを見上げると、彼は考える素振りをしている。


「ゴ、ゴブッ!」

「ん? ああ、そうか。お前さんも登録しておくか。……すまん、契約している魔物の登録はできるか?」


 ディナードが受付嬢に尋ねると彼女は頷いた。


「ええ、承知いたしました。ですが、先にロック鳥のほうの話を進めてもよろしいでしょうか?」

「ああ、構わない。と、そうだ。登録用紙は三体分頼む」

「え? 三体分ですか?」

「ああ。あんまり大きい声で言わないでくれよ?」

「はい。守秘義務は守ります!」


 ぐっと拳を握る受付嬢。大丈夫なのか、と不安になるディナードであった。


 それから冒険者ギルド職員たちでロック鳥の話が行われる。伝えられた結果は、やがて国のほうに報告し、調査が行われる流れになるだろうとのことだ。調査の如何によっては、冒険者ギルドを介して討伐の依頼も出される可能性がある。


「ディナードさんの報告ですから、すぐに通るかと思います」

「そうか。早いといい。親子丼が作れなくなっちまうからな」


 さっきから食い物のことしか考えていないディナードである。慌てている受付嬢とあまりにも意識が違っていた。


 困惑気味な受付嬢であったが、三枚分の登録用紙を渡してくる。


「本当にこちらでよろしいのでしょうか?」


 レスティナとティルシアを見つつ告げる。


「問題ない。さて、書くか」


 ディナードはティルシアを肩から下ろすと、書類をすらすらと書いていく。


 レスティナは文字が書けるが、そこまで詳しいわけでもないので、基本的なところはディナードにお任せだ。その間に、ティルシアに自分の名前を書けるように教えていた。署名は基本的に自筆の必要がある。そこまでの知能がない魔物は例外として。


 さて、そうして書いていたディナードがレスティナとティルシアの分を書き終えて隣を見ると、背が低いためカウンターに飛び乗っていたゴブシがいつの間にか書類に筆を走らせている。


「おいおい、落書きするな――」


 そこまで言ったディナードは息を呑んだ。

 ゴブシはすべてきっちりと人の文字で項目を埋めているのだ。人の言葉を理解していたのも、間違いではなかったのだろう。


 だが、ディナードは一番下の署名のところに目を落とす。

 そこに書かれていたのは――


『ゴブライアン・ゴブ・エイゴブラハム・ゴブードン』


「おいおい、嘘を書くなよ」


 ディナードはその文字に二重線を引き、「ゴブシ」と書き直した。そいつの手を握って間接的に動かしたため、一応は本人の署名ということだ。


 あんぐりと口を開けて見てくるゴブシ。


「よし、三体分だ。不備はないはずだ」

「はい。確認いたしました」


 用紙が持っていかれてしまうのを、ゴブシは唖然としたままゆっくりと手を伸ばし――けれど、その手が届くことはなかった。


 バタン。扉の向こうに受付嬢は消えていった。


「さてと、まずはメシにするか。それから服でも買いに行こう」

「……あの、ディナードさん。お金が……」


 レスティナが申し訳なさそうに、おずおずと告げてくる。彼女は狐たちの里で暮らしていたため、人の金なんて持っているはずがない。


「心配すんな。俺はこれでもそこそこ金はあるんだ。これが大人の余裕ってやつよ」


 余裕を見せつけようとするディナード。

 そんな彼の服が引っ張られる。そこにいるのは、顔を赤くしているゴブシだ。


「おいおい、なにするんだよ。伸びちまうじゃねえか」

「ゴブゥー! ゴブブ!」

「わかってるって。メシにするから、落ち着け」


 抗議してくるゴブシを適当にあしらうと、ディナードはティルシアを肩に乗せ、レスティナを連れて移動し始める。そうなると、ぷんぷんしていたゴブシも慌てて彼らのあとを追い始めたが、くるりと反転。荷物を忘れそうになっていたのだ。


 そして背嚢を掴むと、ディナードたちに続いてドタドタと冒険者ギルドをあとにする。

 なにかと騒がしいゴブリンであった。

いつもお読みいただきありがとうございます。

中世ヨーロッパでは、マンドレイクは鎮痛剤や鎮静剤として用いられていたそうで、主成分はアトロピンだそうです。これはサリンなどの神経ガスの治療に用いられるものです。

マンドレイクは作用が強すぎてとても使えませんが、魔物では神経毒の治療という設定があっても面白いかもしれませんね。


また、昨日に引き続き日刊ランキング1位を維持しております。

今後とも拙作をよろしくお願いします。

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