42 ドラゴンミート
魔物の群れをかいくぐってやってきた彼らは、いよいよ魔王の住処に接近する。
ルシリーが鼻先を動かしていたが、やがてディナードたちを振り返る。
「この先にいるんだな?」
「こゃん」
「……こゃん、って言われてもな」
ディナードが困ると、レスティナが代弁してくれる。
「間違いないそうです」
「よし、それじゃ行くか。……なにかあったら、レスティナたちは先に逃げてくれ」
「……わかりました」
「ルシリー、頼むぞ」
ディナードがぽんと頭を撫でようとすると、ルシリーはぷいとそっぽを向いて避けてしまった。
彼は行き場を失った手を眺めるばかり。
「……一緒に帰らないとダメだそうですよ」
「そうだな。そのとおりだ。さあ、魔王を倒しに行くか」
妖狐三匹とゴブリン一匹を引き連れ、ディナードは森を進んでいく。
できるだけ物音を立てないようにしていると、レスティナやティルシアもひっそりとついてくる。
彼女たちは元々野生で暮らしていたのだ。そして、逃げ続けてきたために、このような技術を身につけてきたとも言える。
ディナードはそこに魔物たちの生活を感じ取るとともに、もっと人のような平穏な生活をしてほしいと思うのは、エゴだろうかと思わずにはいられなかった。
だが、今はそれよりも考えるべきことがある。
(……あいつか)
木々の合間から覗くと洞窟が見える。
そしてその奥に潜む存在があった。
全身には小判にも似た鱗がびっしりと敷き詰められており、体は前後に長く、体長の半分近くを占める尻尾が印象的だ。
口はやけに大きく、腹はややでっぷりしている。
あれこそが魔王の姿である。
しかし――
(魔王って言うから、もっとたいそうなものかと思っていたが、ただのドラゴンだな。サイズも小さく、五十食分ってところか)
ディナードはそんなことを考える。
ドラゴンが強力な魔物であることに違いはないが、ただのドラゴンなのだ。
ルシリーたちが見守る中、彼はつかつかと歩み寄ると、ドラゴンが目を覚ます。
「人に仇成す魔物よ。弁明があるならここで聞こう。さもなくば、ステーキになるといい」
ディナードの宣言を聞き、ドラゴンはグルルと唸り声を上げる。
人語を理解しているのかどうかはわからないが、明らかに敵意を向けてきている。
「なにしているんですか! 早く……!」
隙だらけのうちに倒してしまえ、とルシリーは焦るのだが、これはもはやディナードの矜恃とも言える。
その返事は、行動で起こされた。
「グルォオオオオオ!」
魔王は勢いよく寝床を飛び出すと、ディナード目がけて飛び込んでくる。その速さはすさまじく、常人であれば気づいたときには食われていただろう。
だが、ディナードは背負っていた鍋を取り出すと、すかさず構えた。
ガキン!
特製の鍋はドラゴンの突進をも受け止めて、傷一つつかない。
さらに腕を振るって押し返すと、ドラゴンはパッと飛び退いて再び寝床へと下がる。
ディナードはすっと包丁を抜き、相手へと突きつける。
「なかなか筋肉があるようだ。さて……どうやって仕留めたもんかね」
ディナードはまじまじと相手を眺める。
鱗にぶち当てれば、硬くてうまく刃が通らない可能性がある。それに、胴体はあまりにも太い。一太刀で落とすのは難しいだろう。
考えているうちに、魔王が再び攻めてくる。
鋭い牙が彼を噛み砕こうと伸びてくると、ディナードは素早く鍋で弾く。何度も頭を叩きつけられて、防戦一方になってきた。
ドラゴンと普通の人では、あまりにも力の差がある。
「ディナードさん!」
「だいじょうぶ!?」
「ゴブッ!」
不安と応援の声が上がる。ルシリーはいつでも戦闘に加われるように、四つ足で地面をしかと踏んでいた。
だが、ディナードは口角をつり上げた。
「決まりだな。思ったほど、首の筋肉は厚くない」
力の差があるのは、あくまで常人に限っての話だ。並々でない力量を持つ彼は、これくらい敵ではない。
場数を踏んできた彼にとっては、死地たり得なかった。伊達に歳を食っていないのである。
「グルルルルルルル!」
ドラゴンが雄叫びを上げて飛びかかってくると、ディナードは包丁を収めてタイミングを見計らう。
そして喉を食いちぎろうと頭を伸ばしてきた瞬間に、わずかながら横にずれる。そして相手の頭を小脇に抱えると、
「ふんっ!」
思い切り首を蹴りつける。
衝撃でぐにゃりと首が曲がるなり、すぐさま今度は担いで投げ飛ばした。
ドラゴンの勢いを生かして、ぐるんと前方に一回転するように地面に叩きつけると、竜の背は大地を揺らす。
魔王が突然のことに茫然自失となっている間に、ディナードは素早く包丁を取り出すと、さっと首を切る。
切っ先は鱗の間を走り、深く入り込んでいく。
どっと血が流れ出し、ドラゴンがびくりと体を仰け反らせる。流れるような動きに、ルシリーたちは息を呑んだ。
それでもなおも暴れようと魔王が動くと、ディナードは包丁で完全に首を切り落とした。
魔王といえども、頭を失ってはもう、どうにもならない。あっという間の攻防であった。
「よし、終わったぞ。あとは血抜きだ」
彼が呼ぶと、レスティナとティルシア、そしてゴブシが駆け寄ってくる。
「やりましたね、ディナードさん!」
「まだだ、血抜きをしねえと」
「すごい!」
「うまそうだよな」
「ゴブッ!」
「待ってろよ、すぐに準備する」
ディナードと会話が噛み合っているのは、唯一ゴブシだけであった。
とことことやってきたルシリーは、まだ呆然としていた。
「い、いったいどうなっているんだ……?」
「ディナードさんはすごいんですよ」
「人間業じゃない。とても信じられるか」
ルシリーが呆れていると、ティルシアがえへんと胸を張った。
「やったね、るしりー!」
「……あ、ああ。実感が湧かない。少し叩いてくれないか」
ティルシアが困っていると、ゴブシが走ってきてルシリーを思い切りぶっ叩いた。
ベチンッ!
「いたいじゃないか!」
「ゴブッ!?」
ルシリーに叱られてしまったゴブシは困惑している。
そんな彼らを横目に見ながら、ディナードはため息をついた。
「おいおい、遊んでないで手伝ってくれねえか。本番はここからなんだ」
彼はすでにドラゴンの血抜きを済ませて、解体に入っていた。
背中側の鱗の合間に刃を入れて、すっと引いていく。切れ込みが入ったところを思い切り引っ剥がしてこじ開ける。
白い線維が見えると、そこに刃をすっすと入れて少しずつ剥がしていく。レスティナはナイフを使って、反対側を進めていく。
「随分、あっさり切れるんだな」
「ディナードさんの包丁が特別なだけですよ。普通のナイフだと、鱗に引っかけると刃こぼれしてしまいます」
「ルシリーも……いや、無理そうだな。じっとしててくれ」
「な、なにを……! 私だって……!」
彼女はナイフを持つのだが、あまりにも不慣れだったので、ゴブシにすら笑われる有様だ。
そんなゴブシはレスティナの代わりに、力を要する作業を行っていた。このゴブリン、こういう作業にはなかなか慣れている。
そして前足の足首のところをぐるりと一周するように、切れ込みを入れる。そこも剥いでいくと、手袋のように先っぽだけ皮が残る。
やがて、お腹のほうまで皮が剥げると、つるんとした胴体が剥き出しになった。
「よし、ドラゴンの皮が取れたぞ!」
ディナードは具合を確かめて満足する。
肉のことを考えれば、さっさと腹を切って内臓を取り出したほうがいいのだが、皮がもったいないので、背中から剥いたのだ。
彼の包丁ならば、あっという間に作業が行えるため、そこまで時間もかからない。
「すごいです! これはどうするんですか?」
「売り払っちまって、その金でうまいもんを食おう」
「……大事な素材なのではありませんか?」
「といっても、食えねえからな」
ディナードはそちらにはさして興味を抱かずに、ドラゴンのお腹に包丁を入れる。すっと引いていくと、でっぷりしたお腹の中身が露わになる。
まず、たっぷり蓄えられていた脂肪だ。それから赤身の肉。
「ほう……ドラゴンの肉は脂身が少ねえって聞いていたが、どうやらこの腹のところだけはしっかりついてるみたいだな」
「この魔王は森を食い荒らしていたんだ」
「ふむ。うまそうだ」
さらに進めていくと、内臓がぎっしり詰まっている。特に印象的なのは長くたっぷり中身が詰まった腸管だ。
「大食漢なんだな」
ディナードは内臓を傷つけないように、慎重かつ大胆にお腹を広げてかき分けていくと、その向こうには卵巣が見える。おそらく、中にはたっぷりの卵が入っている。数は小さなものが数十くらい。
「こいつが、でっぷりした腹の正体だな。よし、尻尾で出汁を取って、卵でスープを作るか」
「おいしい?」
「どうだろうな。ま、作ってみようぜ」
それから、まずは肺や肝臓、心臓を取り出す。首はすでに切れているため、そちらで残りのくっついている組織を裂けば、一気に引っ張り出すことができる。
ずるん、と中身が出てくると、ルシリーが声を上げた。
「うわっ!」
「……お前さん、ずっと自然の中で暮らしてきたんじゃないのか?」
「こんなバラバラにするのは初めてだ」
「それじゃうまくねえだろうな」
ディナードは苦笑いしつつ、腸管に手を伸ばす。
これを傷つけると中身が出て、肉が汚染されてダメになってしまう。
そうならないように慎重に、骨盤を割ってから肛門の周りを切り裂いて、肛門ごと引っ張り出す。見事に内臓を取り出すことができた。
魔法で水を生み出すと、肉の部分をジャブジャブと洗っていく。血が洗い流されており、糞などによる汚染もない。
「あんまり臭くはないな」
「そうですね」
ゴブシとティルシアは顔を近づけてみて、首を傾げた。
これまでに嗅いだことがない臭いのようだ。
これでひとまずは作業はお終い。ディナードは冷却の魔法を使ってドラゴンの肉を冷やしていく。
体温が十分に下がってから、枝肉に切り分ける予定だ。
さて、これからどうするか……とディナードが考えていると、今更魔王の様子を見にきた魔物どもが見える。
すっかり剥ぎ取られた魔王の鱗を見て、驚き慌てふためくそれらであるが、数が多く、取り囲まれかねない。
「ディナードさん、どうするんですか!?」
「そうだな……あいつらも捕まえるか」
「あの……そうではなく……」
「コカトリスのやつがいるな。またあいつを食うか」
ディナードはたくさんの魔物を前にしても、そんな調子であった。
そしてゴブシたちに、
「よし、内臓の処理は任せる」
と告げると、包丁片手に魔物目がけて飛び込んでいくのだ。
「人に仇成す魔物よ。弁明があるならここで聞こう。さもなくば、唐揚げになるといい」
切っ先を突きつけながら宣言するディナード。
その姿を見た魔物たちは……。
「おい、ちょっと待て、なんで逃げるんだ。晩飯が食えねえじゃねえか!」
かかってこいと挑発する彼であるが、魔王を殺すような輩に挑もうとする魔物もいなかった。
「……まあいいか。今日は大物が取れたからな。明日にしよう」
ディナードは渋々、魔物を捕まえるのは諦めるのだった。




