4 ロック鳥の目玉焼き
ディナードは、先ほどロック鳥の蹴りを受け止めた鍋を水で洗うと、今度は卵に手をかざし、魔法で生み出した水をかけていく。
「ディナードさん、それはなにをしているのです?」
レスティナが首を傾げる。そしてティルシアも狐耳をぱたぱたと動かして興味津々だ。
「お前さんたちは魔物だから知らないかもしれないが……いや、あるいは深窓の令嬢方だから下々の苦労もわからないかもしれないが――」
「もう、ディナードさん。からかわないでください」
レスティナが頬を膨らませる。ディナードもちょっと言いすぎたか、と反省しつつ、咳払い。
「ロック鳥の卵を持ってきたんだ。間違いなく卵の表面は汚れているだろ?」
「ええ、そうですね。ですが、割ってしまえば問題はないのではないです?」
「割るときに混じるかもしれない。鳥ってのは、うんこが出てくるところと卵が出てくるところが一緒なんだ。そんなもん、平気で食えるか?」
鳥類や爬虫類、両生類では総排泄腔と呼ばれる器官があり、直腸・排尿口・生殖口を束ねている。それらが一緒くたになって出てくるのだ。綺麗なはずがない。
ロック鳥も鳥類と構造は類似しているため、卵の産卵は同じ方法だ。
「そうなんですね……」
「ああ。だから、洗ってやるんだ。街で食うような卵はすでに処理してあるから、使う前に洗うとかえって菌が紛れ込んじまうって話もあるが、ロック鳥の卵はでけえから殻も分厚く、汚染される心配はない。だが、こいつは家禽じゃねえからな。こんな野生の環境で育ってるんだ、あちこちで菌が増殖していてもおかしくない。」
そう言いながら、ディナードは取り出した小瓶から出す液体を水に混ぜて卵にかけていく。
「それは……?」
「消毒するんだよ。卵の殻にくっついている菌だけじゃねえ、親の腸内にも菌はいるからな。ましてこいつは魔物だ。普通じゃねえ菌がいたっておかしくはない」
「……焼いたら殺菌されないのですか?」
「おおかたはなんとかなるだろうが、万が一残ることもある。用心するに越したことはない」
ディナードはそうして卵の洗浄を終えると、魔法で炎を生じさせて木々をくべる。
ゴブリンはすっかり目を丸くして腰を抜かし、ティルシアがびっくりして、耳と尻尾を立てた。
ディナードは火の様子を見て、すすなどが問題ないことを確認する。薪などと違って、そこらにあるものだから、安定して燃えるわけではないのだ。
「特に問題ないな」
「……なにを作るのですか?」
レスティナが尋ねてくると、ティルシアは目を輝かせながら尻尾を振っている。この子狐はかなり食いしん坊らしい。
「たいしたもんじゃないぞ。卵しかないからな。目玉焼きでいいだろう?」
「はい。それなら簡単ですね」
「まあそうなんだが……火の調節が難しくてな。あんまり繊細なものはできない」
いよいよ鍋に油を引き、鍋を熱していく。
そしてさほど熱くならないうちに、卵を割る準備を始める。
「ロック鳥の卵はでかいから、中まで火が通るように弱火で焼くんだ。一流料理店なんかでは、大人の身長の何倍もあるばかでかい鍋に薄く広げて作るんだが……今回はこんな鍋だから薄くはできないが、まあ我慢してくれ」
ディナードは言いつつ、ロック鳥の卵を割ると、鍋に近づけてゆっくりと中身を落とす。
低く投入することで卵黄球をつぶさずに熱することができ、非常に柔らかくすることができるのだ。
ジュウジュウと音がし始めると、ゆっくりといい匂いが漂ってくる。
ゴブリンは思わず鍋のほうに顔を近づけては、はっとして離れる。そしてまた匂いにつられては、頭をぶんぶんと振って理性を保っていた。
ディナードは魔法で水を生み出し、鍋の中に少量入れると、蓋をして蒸し焼きにする。
蒸さずに片面だけを焼く方法もあり、そちらでは卵黄が半熟のままにしておくことができるが、ロック鳥の卵では大きさ的に少々厳しい。それゆえにこのように蒸すことにしたのだ。
そうして蓋で目玉焼きが隠れてしまうと、ゴブリンもティルシアも、中が気になって仕方ないようで、蓋を取りたがっている。
けれど、ここは我慢どころなのだろう。
ティルシアが前足を伸ばしかけると、ゴブリンがそっと押し戻す。だめだ、と首を横に振りながら。
そしてゴブリンがうっとりしてついそちらに近づいてしまうと、ティルシアは前足でパシンとゴブリンの頬を叩く。
はっとしたゴブリンはまたしても首をぶんぶんと振る。
(……なにやってるんだ、こいつら)
ディナードは呆れる。
ゴブリンが子狐程度の知能があってすごいと言うべきか、はたまた子狐がゴブリンを相手にするほど子供っぽいと言うべきか。
どう思っているのかとレスティナに視線を向けると、彼女は微笑ましそうにティルシアを眺めていた。
(そうか、そうだよな。こんな平和なのも、久しぶりなのかもしれねえ)
さて、そうして頃合いになると、ディナードは告げる。
「もうそろそろ、蓋を取ってもいいぞ」
彼の言葉を聞くなりティルシアは人化して、早速蓋を持ち上げようとする。が、子狐の姿に慣れていたり、まだ幼かったりすることもあって、蓋は重かったようだ。
よたよたする彼女を見て、ディナードは手助けすべきかと悩む。
ティルシアが中を見たがっていたから、任せることにしたのだ。そういう実体験が子供にはいい刺激になるのだから。
けれど、怪我をしては元も子もない。
手を出しそうになったディナードを、レスティナが視線で制する。
と、ゴブリンがティルシアと一緒に鍋の蓋を持ち上げた。先ほどから協力していたこともあって、彼女が反発することもない。
いつの間に仲良くなったんだ、とか、別種の魔物なのに通じるところがあるのか、とか、いろいろ思うところはある。
だが、やはり一番思い知らされたのは、
(子育てってのは、難しいもんだな)
ということであった。
そしていよいよ鍋の中が露わになる。蓋を取った瞬間、温かく心地よい湯気がふっと浮かんでくる。ティルシアが目を細めて見るそこには、黄金色の目玉があった。
白いところはふわふわしており、一方で黄身はつるつると美しく輝いている。
「おー!」
ティルシアが感嘆する。
そんなところを見て、ディナードは鍋を持ち上げて移動し、火を消しておく。ティルシアの視線がずっと鍋を追ってきているのを確認し、塩が入った小瓶を手渡す。
「一振りだぞ。たくさんかけるとしょっぱくなっちまうからな」
任せられたことが嬉しくて、ティルシアはうんうんと何度も頷く。そして、えいっと振りかける。
ドバッと中身が飛び出してしまった。
予想外の結果に、呆然とするティルシア。完全に固まっている。
ディナードは頭をがしがしとかいていたが、やがてティルシアの頭をぽんぽんと撫でた。
「よしよし、いいじゃねえか。さてと、あとは胡椒だな」
ディナードは器用にも塩がかかっていない部分に塩をかけて、それから胡椒をかける。ゴブリンは先ほどからうずうずして待ちきれないようだ。
「さてと、切り分けるか。半熟って言うほど柔らかくもないから、ぐちゃぐちゃにもならないだろ」
ディナードは調理用のナイフで目玉焼きを切ると、とろりと黄身が崩れる。しかし、液体というほど柔らかくもないため、さほど広がることはない。
彼としては、半熟のものもしっかり焼いたものも嫌いではないため、十分なできだ。
それからレスティナたちの手を洗い、ディナードが皿に取り分けていると、彼女がフォークを用意してくれる。ティルシアが箸をうまく使えないから配慮したのだろう。
そうして食事が始まると、ティルシアの狐耳が元気よく起き上がった。
「ん!!」
ぱあっと明るい笑顔になるティルシア。どうやら、おいしいのだが、どう表現していいのかわからないのだろう。レスティナも彼女の面倒を見つつ、一口頬張る。
「ディナードさん、とても濃厚な味がします」
うっとりするレスティナ。
そんな姿を見ているとディナードはついつい、自分がいつのまにか幻惑の魔法にかけられているのではないか、という気になってしまうのだ。
けれど、体のどこをどう調べてみても、そんな気配はないのである。
それに、付き合っているうちにレスティナの人柄もわかってきた。たぶらかすような女性ではなく、天然で人を惹きつける魅力があるのだ。
ディナードはそんな考えを誤魔化すように説明をする。
「ロック鳥の卵は栄養満点だからな。栄養不足の病人に食わせたところ、たちまち治っちまった、なんて話もあるくらいだ。それは眉唾物だが、とにかく健康にはいい食いもんだ。魔物なら、ますますそうなんじゃねえかな」
彼が言い終わると、レスティナもティルシアも感心したようにディナードを眺めていた。そして彼の隣では、ゴブリンがうんうんとしたり顔で頷いている。口元を黄色く汚しながら。
「……いや、お前ただ食いたいから取ってきただけだろ」
とはいえ、ロック鳥の卵を持ってきたのはこのゴブリンなのだ。ディナードもそれ以上話を続けることもなく、自分の目玉焼きに手をつける。
黄金色の黄身が美しく、宝石に間違えられたこともあるという。
その味を一言で表現するならば、濃厚。ロック鳥のぎゅっと濃縮されたうまみが広がる。
……が、その前に辛いほどの塩の味。
(子育てってのは、しょっぱい思いをしながらするもんなんだな)
中年にこの塩分はなかなか堪える。
今日の晩飯は少し塩分控えめにしようと思うディナードであった。
いつもお読みいただきありがとうございます。
鶏卵と言えばサルモネラ菌です。食中毒の原因となる菌ですね。
市販の卵は消毒が行われており、洗う必要はありません。しかし、卵の内部が汚染されているものが、1万個中に3個ほどあるそうです。
これだけを見ると宝くじのような確率ですが、液卵は2万個の卵をまとめて処理するそうで、一つでも汚染卵があると全部に広がってしまいます。
70度1分の加熱で死にますが、自家製マヨネーズなど、加熱殺菌ができないものは要注意です。
また、おかげさまで日刊ランキング4位まで上がりました。
可愛い狐娘さんと旅する話を書きたくて、個人的な好みがとても反映されているので、ここまでたくさんの方に読んでいただけるとは思ってもいませんでした。
今後ともよろしくお願いします。