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19 ワイルドボア騒動 中編



 馬車が進むこと半日。ようやく農村に辿り着いた一行は、日が暮れていることもあって、そこで一泊することにした。


 調査はあとからでも問題なかろう。


「ようこそいらっしゃいました」


 村人たちが歓迎してくれる。魔物の被害がないときは、適当な扱いになるのだろうが、こんな状況であれば根無し草の冒険者相手にも丁寧なものだ。


「まずは泊まるところを用意してほしいんだが……」

「粗末なもので申し訳ございません。用意できるのは空いている一軒だけでして……」

「それで構わない。早速案内してくれ」


 ディナードたちが案内されたのは、彼らが言うとおり実に粗末な小屋だった。しかし、この村の家はどこもそのようなものだから、特別ひどい扱いというわけでもないのだろう。


 片やどこにでも行くような冒険者、片や野生で暮らしていた魔物たち。特に気にすることもなく、くつろぎ始める。


 長旅で疲れているのだ。このまま寝てしまいたいくらい。

 けれど、その前にやらなければならないことがある。


「まずは、晩飯だよな。一応、その前に畑も確認しておくか」


 ディナードが言うと、皆がついてくる。

 外はすでに暗くなってきている。村民たちはもう家々に戻っているのだろう。


 彼らは畑を見ていくと、確かに巨大イノシシが荒らしたと思しき痕跡がある。しかも、作物を踏みつぶしたり、泥浴びしたりしていたようなところさえ見られた。


「こりゃあ、困るわけだ」


 ディナードが眺めていると、レスティナが人化を解除する。


「田舎とはいえ、一応は人前だぞ?」


 そう告げるディナードは、辺りを見回す。けれど、人影はなかった。

 一方でレスティナはとことこと辺りを動き回りながら、鼻を動かしている。そして小さく鳴いた。


「こゃー」

「ほうほう」

「こゃゃん」

「なるほど。さっぱりわからん。前にも言ったが、俺はキツネの言葉は知らない」


 レスティナは人化すると、山のほうを示した。


「向こうの山に匂いが続いていますね」

「追えそうか?」

「ここに来たのは結構前のようですから、どうでしょう? ですが、縄張りはさほど広くないでしょうから、近くまで行けば、気づけるでしょうね」

「随分と優秀な鼻だな。頼りになる」


 ディナードはレスティナの鼻を撫でるようにつまんでみる。そうすると、彼女は頬を膨らませるのだった。


 そんなやり取りをしていると、ゴブシはすっかり食い荒らされた畑を眺めて、ディナードのほうを見る。


「ゴブッ!」

「いくら売り物にならないとはいえ……勝手に持っていくわけにはいかないぞ」


 ゴブシはがっくりと肩を落とした。

 それに、わざわざだめになったものを食わずとも、晩飯くらいは用意してくれるだろう。


 ディナードはそんな期待をしつつ、村人の家を訪ねる。


「ちょっとごめんよ。あの家には食い物の貯蓄がなかったんだが、なにか分けてもらえないものかね?」

「これはこれは失礼しました。私どもの食事でよろしければ、すぐに用意いたしましょう」


 ゴブシは喜び、お腹が空いていたのだろうティルシアは我慢できずにワンピースに隠された尻尾を振る。レスティナは慌てて彼女の尻尾を布の上から押さえた。


 けれど、そうして出てきた食事はやはり粗末なものだった。


「これは……野鳥の肉か」

「はい。最近は山に行く者も減りまして、このような小物がときおり取れるくらいです」


 おそらくは潰されて売り物にならなくなった野菜を用いたスープの中に、鳥の肉がほんのわずかばかり入っている。


 ダシが出ているし、柔らかくて味も悪くない。

 けれどいかんせん、量がない。あまり腹も膨れなかったが、明日以降に期待することにして、黙々と食べていく。


「そういえば、ここの村にワイルドボアが訪れたのはいつだ?」

「二日ほど前です。それ以前にも来ているため、恐ろしくて山にはとても入れません」

「そりゃ大変だ。さっさと倒しちまわねえとな」

「心苦しいのですが、どうかお願いいたします」


 ディナードはそんな会話をつつも、


(いつまでもこんな質素な生活したくもないし、とっとと終わらせてうまいもん食いに行きてえな)


 というのが本心であった。

 イノシシは昼行性ゆえに今晩から見つける作業はしないが、依頼に時間をかける気もない。


 それはなにも彼だけではない。ティルシアはスープをすすりながらも、先ほどとは打って変わって、あからさまにしょんぼりしている。


 せめて量があればよかったのだが、そういうわけでもなく、ゴブシは食べ終わってなお、食い物を探してあちこちに視線を向けていた。


「ほら、戻るぞ。いつまでもいても邪魔になる」


 食事が終わると、ディナードはさっさと引き上げる。無駄話をする気もなかったのだ。

 そうして仮の宿に戻ると、彼は袋の中から保存食の肉を取り出すと、ゴブシに放り投げた。


「それでも食ってろ。腹くらいは膨れるだろう」


 ゴブシは黙々と食べ始める。

 そしてティルシアには、


「明日はうまいもの食わせてやるからな」


 と微笑む。彼女は嬉しげに尻尾を振りながら、ディナードに飛びついてくるのだった。

 なんとも食いしん坊な子狐である。



    ◇



 そして翌日、ディナードは早速、山中に足を踏み入れていた。

 あちこちに倒木が倒れていたり、斜めになっていたりと、非常に歩きにくい場所だが、彼はすいすいと進んでいく。


 そんな彼の近くには、妖狐が二頭。レスティナは優れた嗅覚と聴覚を用いて魔物を探り、ティルシアも慣れないながらに頑張っている。


 彼女たちが地面に鼻を近づけているのを見て、


「気をつけろよ、頭をぶつけちまうからな」


 などとディナードは言ってみるのだが、山中での活動は彼女たちのほうが長いのだから、心配などいらないかもしれない。


 そう思った直後、


「ゴブッ!」


 枝に頭をぶつけて鳴くゴブシの声が聞こえた。


「……そういえば、お前でかくなったんだったな」


 ゴブシはゴブリンリーダーになったため、体が少し大きくなっている。山中では人がいるわけでもなく小型化の魔法を使う必要もないため、そうして通常の大きさに戻っているのだ。


 けれど、慣れていないのか、ときおりこうして頭をぶつけている。野生で暮らしていたとは思えない間抜けっぷりだ。


 呆れつつも、比較的体が大きいディナードはよっこらせ、と木々を押しのけながらレスティナの先導についていく。


 と、彼女はなにかを見つけたらしく、「こゃー!」とディナードに向かって鳴いた。


 そちらに行ってみると、大きな茶色く濁った水たまりがあった。体についているダニなどを落とすために泥を浴びる沼田場だ。


 その痕跡からは、ワイルドボアの大きさが推測できる。


「でけえな。こりゃあ、かなりの年齢かもしれねえ」


 村人が討伐を投げ出すのも頷ける。これでは矢も通らないだろうし、そこらの兵をかき集めても、大型兵器を持ち込めない山中で戦うのは難しいかもしれない。


 だからわざわざディナードに頼んだのだろう。


 そうしていると、ティルシアが「こぁーんっ」と呼んでくる。そちらには、水の跡が点々と続いていた。ワイルドボアがここで泥を浴びた後、移動していったのだろう。まだ遠くには行っていないはずだ。


「お手柄だ」


 ディナードはティルシアの頭を撫でてから、その先に視線を向ける。レスティナはとことこと歩き出し、ワイルドボアの匂いを探っていく。


 彼女たちに任せ、ディナードは手袋をはめ、いつ襲われてもいいように準備しておく。


 と、木々の向こうに茶色いものが見えてた。かなりの巨体で、遠くから見ているのにちっとも小さく見えない。


 けれど、ディナードはまったく怯むこともなかった。


「よし、やるか」


 彼が動き出すとともに、レスティナが素早く駆け出す。その速さはディナードでも追いつけないほどだ。


 そしてワイルドボアの前に出ると、大きく口を開けて「こゃゃゃ!」と威嚇する。

 その大イノシシは突如現れたレスティナを警戒して距離を取る。そしてティルシアもすぐにその後ろから接近すると、足を噛んで動きを止める。


 が、直後、ワイルドボアは彼女を振り払い、反撃として突進し始める。

 ティルシアは尻尾を巻いて逃げ出し、レスティナは間髪を容れずに飛びかかった。


 ワイルドボアは振り向きレスティナに相対する。そこに


「ゴブッ!」


 勢いよく飛びかかったゴブシは、ワイルドボアの体当たりを受けて突き飛ばされていった。


 ディナードはそんなゴブリンの姿を横目に見つつ、声を上げて注意を引きつける。


「人に仇成す魔物よ。弁明があるならここで聞こう。さもなくば、ぼたん鍋になるといい」


 思い切って大イノシシ目がけて接近。ワイルドボアはもはや逃げられる距離にはない。


 相手が退けるべく体当たりを仕掛けようとした瞬間、ディナードは一瞬で距離を詰めた。そして巨大な包丁を振り上げる。


 鋭い軌跡がイノシシの首を裂く。

 正確に頸動脈に沿って切り込みを入れると、血が流れ出した。


「ブモォ!?」


 ワイルドボアは倒れ込み、それから痙攣しつつもがき始める。


「距離を取れ!」


 ディナードは暴れる魔物から距離を取り、警戒を強める。だが、とめどなく流れ出す血が地面を赤く染めていき、ワイルドボアはやがて大人しくなった。


「……魔物にしては、あっさりした最後ですね」

「ああ、どんな生き物でも血がなくなりゃこんなもんだろ」


 心臓を突いても血は出るが、生きているうちに大きな動脈を切ってしまったほうがしっかり血は抜ける。


 おいしい肉にするにあたって、この血抜きが肝要なのだ。放血を行わないと臭みが残ってしまう。


「ティルシア、さっきはよくやったな」

「こゃー!」


 嬉しげに尻尾を振る彼女。少し自信がついたようだ。


 ディナードはそれから、坂になっている部分を見つけると、そこにワイルドボアをつるすようにして、魔法により水を生み出した。


 表面を洗うように水が生じると、やがてちょろちょろと地面を流れていく。


「下流にいないようにしてくれ」


 言われると、レスティナとティルシアがディナードのところにやってくる。そして彼女は人化すると尋ねてくる。


「それはなにをしてるのですか?」

「イノシシの表面にはダニがくっついているんだ。こいつらにかみつかれると、感染症にかかっちまう」


 外部寄生虫と呼ばれているダニは、それ自体が体内に潜り込んだり病気を引き起こしたりするのではなく、一時的な吸血の際に、人体の血液に触れるため、病原体を媒介するのだ。


 水を見ていると、かなりの数のダニが流れていることがわかる。


「すごいですね」

「山に行ったら、こいつらには悩まされるからな。帰ったら、どこか食われていないか確認しておくといい。あと、人化するなら衣服も足までしっかり覆うものにしとけ」


 レスティナは言われたとおりに、今回はズボンにしておいた。

 そうしていたディナードだったが、ふと、かなりの大きさのダニを見つける。ぱんぱんに膨れ上がり、色は真っ赤だ。


「こりゃ珍しい。固まってるな」


 ゴブシは食えるのかとディナードに視線を向けてくる。さすがにこれには苦笑い。


「血が濃縮されたもんが、ワイルドボアの魔力の影響を受けて固まったんだ。宝飾品にはなるが、食えるもんじゃねえ」


 ゴブシはがっかり。あからさまに落胆する。


 ディナードはそれから、大きな包丁でワイルドボアの腹を縦に裂いていく。


「随分大胆にやるんですね」

「いや、ここは丁寧にやるところだ。なにしろ、内臓を破くと臭くてたまったもんじゃねえからな。だが、すぐにやらないと肉まで臭くなっちまうし、今は冬でもないからのんびりやってりゃ腐ってしまう」


 ワイルドボアの皮膚は厚く、とても丁寧に切り裂くなどという芸当はできない。それに死後、魔力の影響でお腹もほかほかになってしまう。


 とはいえディナードは魔法で水を生み出せるため、川などの水場を探す必要もなく、すぐに内臓を取り除くことができる。これが遅れたら、とても売り物にはならなくなるだろう。


 それだけではない。腸管を傷つけると、細菌などにより肉が一気に汚染されてしまうのだ。そこの部分は捨てなければならなくなる。


 イノシシには細菌や寄生虫がたくさんついている。

 皮膚にはダニがいて疥癬症で皮膚がかさかさになったり、腸管にはにょろにょろと細長い回虫がいたりする。


 筋肉に住んでいて人に寄生するものも多い。

 妊婦では胎児に奇形など重篤な障害を引き起こすトキソプラズマや、摂取すると食中毒を起こす住肉胞子虫、呼吸器症状を引き起こす肺吸虫、全身に炎症を起こし死に至る場合もある旋毛虫、全身に生息して脳を荒らすと深刻な症状を起こす有鉤条虫など、寄生虫がとにかく多い。


 それゆえにディナードは細心の注意を払いつつ進めていく。

 縦に切り裂くと、白い腹膜が見えてくる。誤って一緒に腸を傷つけないように持ち上げながら膜を切ると、内臓が露わになる。


 死んで間もないため、こちらはかなり熱くなっている。湯気が出ているくらいで、このままだとすぐに肉が痛んでしまいそうだ。


 ディナードは上は胸骨と肋骨の間を首まで、下は陰茎を避けて股下まで一気に切り裂くと、食道を引っ張って一塊のまま内臓を取り出す。ワイルドボアはかなりの巨体ゆえに、内臓の大きさも半端ではない。


「ふぅ……こりゃ大仕事だった」


 ディナードは一息つきつつ、内臓を取り終えたイノシシの腹を水で洗う。血が残っていると臭くなってしまうのだ。


 すると、ジュウジュウと音を立てて湯気が上がり始めた。ワイルドボアの行き場を失った魔力が熱に変わったのだ。


 これが、ワイルドボアは食べられないと言われる理由である。

 大きな獲物だと喜んでいたゴブシだが、これを見ると焼き肉だと勘違いして大喜び。


(……こいつ、なに見ても食い物にしか見えないんじゃないのか?)


 一方でレスティナたちは、さすがにこの光景を見て涎を垂らすことはないようだ。


 そこまで野生染みていないことに、ディナードは少しばかり安堵する。とはいえ、レスティナとティルシアも元々は魔物として暮らしていたため、ショックを受けるようなこともなかった。


 ディナードは肉がダメにならないよう冷却の魔法を使用する。

 この魔法がなければ、とても冷やしきれないのだ。


 硬い皮膚を容易く切り裂き、水を豊富に利用し、冷やすこともできる……そこまで条件が揃わねばならない。魔法を使える者をわざわざ用意してまで、こんな魔物を食おうなどという人間もいないのだ。

 

 だからギルドの職員も、首を傾げずにはいられなかったのだろう。


「さてと、帰るか。それにしてもこいつ……やっぱり脂肪が少ないな」


 結構やせ細っているため、内臓を取り出してしまうと、あまり食べるところがないように思われる。といっても、元々のサイズがサイズなので、かなりの大きさではあるのだが。


 ワイルドボアをゴブシからもらった袋に入れておく。と、そこに穴が空いていることが判明する。


「……さっき、突き飛ばされたときに空いたのか」


 新しいものを買い直すか、縫うかすればいいのだが、当たり所が悪ければ、ゴブシもこうなっていたかもしれない。


 けれど、このゴブリンは怖いもの知らずのようだ。けろりとしている。


「よし、村に戻ったら解体するぞ」


 いよいよ、イノシシの肉を食えるのだ。しかし、その前にやらなければやらないことはたくさんある。


 ディナードは炎の魔法で包丁を熱して殺菌しつつ、村に向かい始めるのだった。


いつもお読みいただきありがとうございます。


昆虫は頭、胸、腹の三つに別れて足も三対になっていますが、ダニは頭胸部と腹部の二つに別れ、足が八対になっています。しかし幼虫では足は三対だというのですから不思議ですね。


イノシシにはマダニがくっついています。

新しい感染症である重症熱性血小板紫斑病(SFTS)のウイルスを媒介することがわかりました。これは症例数は少ないですが、致死率は高いと3割にも及ぶそうです。

このほかにも様々な感染症を媒介することが知られています。

山歩きなどをした際に皮膚にくっついているのを見つけた際は、マダニを無理に取ろうとすると一部が残ったりするので、皮膚科などを受診してください。


今後ともよろしくお願いします。

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