嫌いと哀れ。
「うっかり間違えて殺しちゃったり、したくないしされたくないですよね?……私の、機嫌を気にしつつ楽しくお話ししましょう」
「この状況で楽しく出来るとは思えないがな」
この状況でも自分の優位を疑わない魔王様を椅子から取り上げて床に叩き付ける。
積まれた書類を薙ぎ倒して彼は驚いたような顔をした。
「お話ししましょうとは言いましたが口答えは求めてません」
お綺麗な顔を歪めて彼は私を睨む。
どうやらまだ自分の置かれた立場がわかっていらっしゃらないようだ。
苛々した気分もそのままに足を倒れ伏した彼の頭の、すぐ隣に下ろす。
「立場を弁えてください。この場では私の方が立場が上だってことくらい、気付いてくださいよ。……この顔色見てわかるでしょう。機嫌とか、最悪なんです」
「昨日と大して違いなんて分からないがな」
そんなに昨日の私は酷い顔をしていたのだろうか。昨日の私に鏡を所望する。
とりあえず、少しだけ落ち着いた。主に私が。
口答えされるのは嫌いだけれど、この生真面目な魔王様のつっこみは嫌いじゃない。鬱陶しくなったら黙らせれば良いだろう。
「よし、少し落ち着きましたよ。気を取り直してお話ししましょう。座ってください」
「今のくだりで落ち着く理由がわからないが……」
「気にしないでください。るっくんが顔に似合わずツッコミ体質だということがわかっただけよしとします」
きっとこの無駄にプライドの高そうな魔王さまのことだ。正座など知らないだろうし、知っていたところでしてくれやしないのだろう。
でも。今からするお話はお説教に程近い尋問によく似た『オハナシ』だから、正座をして欲しい。寧ろしてくれなきゃ困る。
「というわけでるっくん、此方をご覧ください」
ポケットの中に無造作に突っ込まれた、青いようなぼんやり赤いような光を漏らすスーパーボール大の歪な石を取り出す。
揺れる光と共に零れ落ちる隠し切れない程の、どろりとした威圧感。目の前の彼らが魔力と呼ぶものに程近い。というより、魔力と呼ばれるものが、それによく似ているというべきか。
これ即ち『神様の力』。
上司から預かっている、いざという時のチートな物品。どんな力でも抗えない命令の素が形をとったもの。これに意思を乗せることで一時的に私も神様的なモノになれる。
私の手の中のそれを目にした魔王様は驚愕に目を見開き、そして後ずさった。酷いなぁ。彼も同じようなものを垂れ流しにしてるのに。
「おま、え……そんなものを無造作に!危ないだろう!」
「大丈夫です。間違えたとしても飴と間違えて食べる程度です」
「大丈夫じゃないだろう!そんなもの!体に毒だぞ!」
「心配してくれてるんですか?るっくんてば優しいんですね」
「表情変わらないままに言われてもちっとも響かないんだが……」
どうやら私の表情筋はまだ死んだままらしい。残念。
仕方がないのできらきらを掲げ、そして命令する。
「るっくん、『正座してください』」
途端、まるで理解出来ない、というような顔をした魔王様が動き出す。
操られているとは到底思えないような滑らかな動きで、当然の様に立ち上がり、ぎこちなく膝を折る。
そして生まれる極東人の剣士顔負けの凛とした佇まい。
魔王様は正座した。
「さぁ、気を取り直してお話ししましょうか」
▲▽▲
「今朝、私はとても不愉快なものを見ました。あなたの言っていたところによると特典、ってやつですね」
「……ヒナか」
「あんなの、特典でもなんでもないでしょう。感情を喰らうだなんて。優しさの欠片もない。あんなの、幸せなんかじゃない。……このままだと彼女、壊れますよ」
思い出す。今朝。私を起こすため、そして目の前の彼の元へ連れていくために私の元まで迎えに来た彼女のことを。
部屋を出て、向かう途中。それを忘れられない。吐き気のするような光景。大嫌いで、そしていつか私がなんの慈悲も与えずに殺す彼女なのに。それでもなお哀れみを覚える程の、その様。
導かれるように抜け落ちた『驚き』の感情。
「壊れたなら、その時だ」
透明で乾いた声が落ちた。
確かに私を正面から睨みつけるその紅が無感動に作り物じみた美しさを湛える。
彼の吐いた言葉が信じられないような気がした。
「アレは兵器だ。人格が有ろうが無かろうが、壊れていようが、構わん。役に立ちさえすれば、なんだって」
彼女は、確実に壊れて、人も簡単に殺せて、まるで平和呆けした日本人には見えない彼女は。
年頃の乙女のように恋をした彼女は。
遣り方を間違えて、私に似ていたから勝手に私から嫌い認定受けて。性格が気に入らないから後で惨めに処分することは勝手に決めた彼女は。
嗚呼。彼女は独りぼっちのこの世界で縋るヒトを間違えてしまったようだ。
何故だか、少しだけ寂しかった。
「兵器……ですか」
「だから使えるうちはきちんと使えるよう手入れもする。……お前は、私に似ている。だから、わかるだろう……?」
その言葉は、まるで毒のようだった。優しく、甘い甘い、蝕み染み渡る、毒。
正座させられてもまるで立場は立ったままの私が下で、尚且つ彼は私を取り込もうと請うのか。
その目には優しさが無情と共にとろりと満ちていた。彼女が彼を見ている時と同じ目。絡め取り、使う上の人の目。
成る程。彼女はこれに殺られたのか。特典があったり特別たっていったって、ベースになってるのは所詮ただの平和呆けした少女なんだ。すぐに堕ちる。
でも私はそう安穏とした生活が出来たわけでもないからな。普通の人でわからない程度の隠し方じゃあまだ足りない。
私はそんなのより更に厭なモノを抱え込んで、与えられて生きてきたんだ。生温すぎて笑える程。不愉快な程。
「……笑わせないで、下さいよ」
もう、良いよ。
そんなんで×××××が堕ちるわけない。
名前を奪われ、尊厳なんてものも人格なんてものも人権なんてものも、全部何処かに置いていったって、私が私であるなら、もうあげない。
「私は、貴公が大嫌いです」
やっぱり、片付きかけた時点で早々にこいつは殺そう。
そう決めて、手の中の銀色を確認する。腹癒せに投げた昨夜の夕食時にくすねたナイフは彼の直ぐ後ろの壁に深く深く、突き刺さった。
△▼△
「楽しそうですね、あなたは昨日も今日も」
「当たり前じゃない。楽しいことばっかり。辛いなんて無いの。それに、ルクは、優しいわ」
幸せそうに微笑む顔が無性に虚しく映った。綺麗で不愉快なのに、それ以上に空っぽな物に見えた。
辛いも何もかも感情を喪って、幸せだけ残ったらこうなるのだろうか。それは、とても寂しい。
幸せが、辛かったことと比べた上で成り立つのなら、こんなの、幸せになれない。過去の辛いと比べるとして、その過去の辛いも喰われてしまうのだろうか。
そうなれば何も残れないというのに。
彼女は私と似ている、だなんて。そんなの間違いだ。
彼女のうちにあるのはぼんやりとしたカタチのない穴だらけの幸せだけ。
似てるだなんて、そんなの、あって欲しくもない。
目の前で柔らかく笑う彼女は、朝とは違い、少し哀れに映った。
絆されるようなこころは何処かに忘れてきてしまったけれど、一息に処分してやろうか、なんて慈悲は何処からか湧いてしまう気までした。
理由も意思もないから考えようとしてはいけないけれど、ほんの少しだけこの世界に興味まで湧いてくる。
嗚呼、まったく。今日も気分が悪い。