耳を劈かないロックンロール。
唐突に。ロックンロールが頭をかち割ろうとしやがった。続いて高音シャウトが頭を劈く。
のろのろと手を耳に当てて、聞こえないようにだなんて無駄な抵抗を試みた。
実際に音が鳴っているわけではないから頭の中でうわんうわんと反響する音はちっともおさまらない。それどころかだんだんとその音を大きくして気持ち悪い程。
最早返事をする他、この音をおさめる手立てはないだろう。
「……こちら対世界本部第×部署遊撃部隊シシィ個人回線です。只今電話に出ることが出来ませんのでぴーと言う音の後に続いて部署、所属、お名前、そしてご連絡先を明確にした上でご用件をどうぞ折り返し連絡させていただきま……
『巫山戯んじゃねぇよ、がっつり返事してんじゃねぇか』
「主任でしたか。ご用件は何でしょう」
『主任でしたか、じゃねぇだろ。……お前、昨日の連絡サボったな』
ばれてる。いや、もしかしたらまだ希望は死んでない筈かも知れないかも知れない、と信じたい。
雑なくせに上司の説教はちみちみちみちみと女々しく面倒臭くて鬱陶しいことこの上ないから。
「何のことでしょう、恐らく此方と其方では時間の流れが違うかずれてるかそんな感じのことが起きていたんでしょう。此方ではまだ一日経ってないってことで……」
『ことでってなんだ、誤魔化せてねぇよ。馬鹿なのか』
成る程、お説教が始まるようだ。
△▼△
「どうしたの、顔色悪いわよ?」
「……いえ、ただちょっとロックンロールかつシャウトかつ説教がコンボ決めて来ただけです」
「……わけわからないわよ」
上司のお説教は結局昨日の彼女が呼びに来るまで続いた。
来てくれてありがとう。そしてもっと早く来てくれれば良かったのに。
二人並んで歩く。彼女の顔色は滅法良い。対象的に私の顔色は死体のようになっているのではないだろうか。げっそりと。
足音を吸い込むふかふかの絨毯は昨日の魔王様とやらの部屋のものとは違い手入れが行き届いていることが見て取れる。昨日は目につかなかった細かなものが妙に気になる。
「……そういえば、質問があるのですが」
ふと、気付いて思い出す。進めば進む程にだんだんと密度を増していく透明な、どろりとした不思議物体。これ、何だろうって。
ソレは目の前の上品かつ古ぼけた重厚な扉の向こうからまるで冷気のように流れ出てくる。
「これ何ですか?」
透明などろりをすすす、と指で誘導して。彼女に示すべく、今日は手で扉を開けようとした彼女より早くその透明どろりを使って扉を開け放つ。
「……え、ユゥイちゃん、扉……開けた?」
驚いた風の彼女。どうにもこうにも名前にちゃんを付けられるのは気持ち悪い。それが彼女の口から吐かれるのならば尚更だと言うことがわかった。
「開けました。その際に私が使ったこれ、についてお聞きしたい」
「んー、なんて言えばわかりやすいかしら」
驚きによく似たその表情は何かに導かれるようにしてすぐに、薄れて。そして当たり前のような何の感情も特徴もないお綺麗な彼女の顔に戻る。
もしも。これが、神様から与えられたと言う此方に適応するための力だと言うのなら悪趣味極まりない。
感情が欠けている。欠けていなくても薄れて消える。だなんて。
気持ちが悪い。吐き気がした。
彼女はそんな私の気持ちなど露知らず。
開かれた扉から雑多に書類で汚された部屋に進む。
「これはねぇ平たく言うなら魔力って言うものね。この世界の人たちが基本的に生まれながらに持ってるものらしくて……そう、魔法とか使うのに必要なのよ」
「八十点ってところだな」
書類で隠れた向こう側から声が飛ぶ。
近寄ればその声の主たる魔王様が目に映った。今日も麗しの魔王様はお人形じみたお綺麗なお顔に、能面の如き無表情を張り付け、そのくせ眉間に不機嫌そうに皺を寄せると言う無駄に難しそうな顔をしている。
「部屋に入る際はノックを忘れるなと言っただろう」
「……ノックする前にこの子が扉を開けちゃったのよ」
「お前より後ろにいるくせにどうやって」
「魔法で」
その言葉を聞いて魔王様の目が此方に向けられる。それと同時にどろりが此方に流れてくるような感覚を覚えた。
よくよくどろりが流れ出る場所を辿ってみれば何故か彼に行き着いた。
「黒髪黒目とやらは魔法が使えない筈だと聞いたが」
「そもそも魔力を作る器官が無い筈なのよ私たちには、だから、魔力を認識することも出来ないし操作なんてもってのほか、な筈なのよね」
ーーーそこんとこどうなの?
二対の視線が此方に向けられる。
「……よくわかりませんが、そういうものなんだなって思いました」
▲▽▲
「……まぁ、わたしは今日の仕事に行ってくるわね。ユゥイちゃんはルクの言うこと聞いておけばまぁ間違いないと思うわよ」
丸投げ。
彼女は背を向け部屋を逃げるように飛び出て行った。
開かれた扉から段々と小さくなる背中が見える。
ふと、残された彼に目を向けると険しい顔をして遠のく背中を睨み付けていた。
その顔には欠片程の優しさも、甘さも、無くて。代わりに冷たく凍った無情と欠片程度のの哀れみ。
「難しい顔していますね『るっくん』?」
「誰がるっくんだ。巫山戯ているのか」
「ルク君と言おうとすると噛みそうになることに気付きました。馬鹿にして『るっくん』です。可愛いでしょう?」
「可愛さなんて求めていない。馬鹿にしているだろうお前……」
こういう上司と似ていないタイプで、しかも堅物で更に人を見下したようなヤツをからかうのはとても楽しい。けれど、それだけだ。楽しいだけでつまらない。
消えた背中から此方に目を向け直して彼は私を睨みつける。
睨みつける他に何もしてこないのはきっと私にまだ何も見出していないからだろう。
利用価値も、処分する意味も。
手を打つ。
扉が弾かれたように閉じる。
目を見開く彼。
彼の干渉が及ばないよう、世界を区切り、そして少しずらす。干渉されると面倒だから透明どろりこと魔力は使わず、相当昔に習った技術を用いて。
ひと息に近寄る。そして魔王様の眼前、書類を避けて机にだん、と足を載せた。
胸ぐらを掴む。
何故だか無性に苛ついていた。
「ねぇるっくん、オハナシしましょ?是非、お話したいことがあるんですよ」
紅く綺麗で透明な無情にほんの少しの驚きとおそれが灯ったのが見えて、ほんの少しだけ胸が空く思いがした。
ほんの少しだけ。だけれど。