夕焼けをのぞむ。
目を開けた。天井はなかった。代わりにあった上司の妙に綺麗な顔に頭突きをかました。
「おはようございます主任。どういったご用件でこちらに?」
ふらふらと離れよろめき、声にならない悲鳴をあげて顔を押さえる上司に言う。
体にもう不調はなかった。きちんと世界に接続され、隔絶されている。術式に欠けはなく、思考はいつも通り死んでいる。
伸びをして体の調子を確かめるが、何も変わらない。薄布一枚挟んで世界に触れているような微妙な距離感。
「お前が、どうにも、馬鹿なことを、仕出かしたと、聞いて?……それで尻拭いに来たんだよ!」
「あら、それはどうも申し訳ございません。引き篭もりが出てくるなんて相当ですね。どうもお疲れ様です」
「お前にだけは言われたくないがな」
さて、これはどういう状況だろう。空は綺麗に青くって嫌な感じだし、足元覚束ないふわふわした感覚はまだ夢の中みたいだ。
足元覗けば何も無い中空を踏んでいて、その暫く下に茶色の地面と虫けらのように蠢く豆粒程度の人影。近づき、離れ、光が瞬いて、幾つもの赤が散っている。
さながら下界とでもいうべきそれを見下ろした上司は無駄に綺麗な顔を顰めている。見方を変えればヒトの愚かさを憂う神様とか言っても通じそうだ。
「見よ、これが美人補正である」
「馬鹿かお前、見てるとこが可笑しいんだよ」
小さく鼻を鳴らして上司はふわり、腕を上げ遠くを指差す。地面、人影、城。さらにその向こう、地平線の彼方を。
「……え?」
それは、奇妙な光景だった。思わず声に出して驚く程度には、見たことのないものだった。少なくとも私が生きていたこの短いようで長い人生の中では。
比喩でなく景色が滲んでいた。
まるで、乾く前の絵の具の画面に水を落としたような色彩。空の青と地面の茶、微かに見えた何かの緑が混ざり、溶け出していた。
その淵から世界がだんだんと溶けていくような錯覚を覚える。
滲んだ色の中心に溶け出した絵の具が落ちていく。吸い込まれていく。そのくせ貪欲に色を飲み込むその奥は何もない色があるだけで、寒気がした。
「そうか、お前は見るの初めてか」
「……なんですか、あれ」
「軌道修正しかねた世界の行く末だ。終わるんだよ、台本にない形で、世界が」
「私は失敗しましたか」
「お前が此処に来た時点で、もう既に軌道修正は無理だったろうよ。こればかりはお前の責任とは言えねえな」
上司が不味そうに煙管を吸って、臭い煙を吐いた。
ゆらゆらと立ち昇る煙がある地点を境に掻き消える。それでも飽くことなく、ふわりふわり、昇り、消える。
「あれ、見えている人っているんですか」
「仕掛け人の奴らと召喚された奴ら。……あと魔王とかいう赤目の奴らか」
「特別だとは思ってましたけど魔王様一家は特別でしたか」
「初めに召喚された異世界人を×××××た奴らが記憶やら力やら継承し続けてきたんだ、当然だろう、混ざってるんだから」
「主任はそれをご存知でしたか」
「お前より少し遅れてな」
赤い目をした彼女から貰った資料に書かれていたこと。それに対して私が抱いた感情は同情。どこまでいってもどうせヒトのやることなんて変わらない。
「勇者気取りの彼は見えているんでしょうかね」
「見えていても理解なぞ出来んだろう、そもそも中身がないんだからな」
「辛辣ですね」
「アレが、折角助かったくせに自分から進んで命を投げ出すような奴でなければ言葉は選ぶさ」
けれど、と彼は言う。
「どうせ、選ぶ言葉も持ち合わせていないしな」
どうしようもないな、全く。そう呟いて欠けていく端を向いた。滲む世界の色は、さながら夕陽のようで。日が沈むように眩しく光りを放つ。悪足掻きのようなその様は例えようもなく哀愁を誘った。
空の青は薄れる。
幽かな緑は呑まれた。
地面の色は溶けていく。
世界は赤く塗り潰された。
「なんていうか」
透明な赤は不謹慎ながら綺麗だった。
これが、世界の行く末を掻き回す彼女がきっと愛した色であり、景色であろう。不覚にも同調してしまう。
終わる世界は例えようもなく、美しかった。
例えそれが、あってはならないものだったとしても。
「夕焼けみたいですね」
少し、驚いたような顔で上司がこちらを見て、そして逸らした。
「……そうか」
その言葉を聞いて、やっぱり私はゆういでしかないんだろう、そう思う。どうしようもなくそのことが身に染みた。
嗚呼、くそったれ。何故だか無性に白湯と変わらないあの紅茶が飲みたいよ。




