斯く微睡む。
嫌な夢を見たような気がした。唐突に視界が開けて光が目を焼く。驚いて目を覆った。
暫くして、目を覆った手を外す。見慣れた天井が見えた。染みの数も覚えている。何故か不思議な感覚だった。
体を起こして、手早く着替えて、朝ご飯に遅れたら怒られるから、と、当たり前のように手を動かしていた。けれどふと、止まった。何故だかわからないけれど、異常な違和感。
夢なんて見たことがなかったのにいきなり夢を見たからだろうか。それにしては内容を覚えていないのが気に食わない。どんなに忘れたって言ったって、起きてすぐなら覚えていると誰かが言っていた気がするのに。とんだ嘘吐きではないか。
手に持った袴の紅が嫌に鮮烈に焼きついた。
◇◆◇
「Q#8、おはようちょっと遅かったね。どうかしたの」
「おはよう、別に何でもないよ」
なんでもないよだなんて澄まして自分の席に着いた。
何故だか、自分の名前が一瞬認識出来なかった。可笑しい。私の名前の筈なのに。
私のものと瓜二つな顔が小さく首を傾げていて、何故か縊り殺したくなってしまった。私も不思議になって合わせて小さく首をかしげる。
まるで狐に摘まれたようで、何かなんだかよくわからなかった。
◆◇◆
「今日は有為叔父さんが来るから支度しなくちゃ」
「そうだっけ?」
「そうだよ。やっぱり今日のQ#8はなんか変。何かあった?」
「別に。何もありませんよ」
自分で言って首を傾げる。するりと口をついて出た嘘は自分の言葉でない気がした。
強いて言うならそう。それこそ夢を見ているかのような。夢から醒めても夢を見ているかのような。
はたまた、夢から醒めた夢を見ているのか。
なんにせよ、なんとなく。遠い気がした。
「ゆうい」
ふと、私たちを呼ぶ声が聞こえた。
「僕らはどっちも“ゆうい”だし、叔父さんも“ゆうい”でしょ?母上様も“ゆうい”なんだから誰だか分からないよ」
まるで唐突に湧いて現れたとしか思えない叔父に隣にいた奴が笑いかける。
「ああ、そのことなんだけどね。僕"ゆうい”の名前捨てたから」
叔父もにこやかに笑っていた。
にこやかに爆弾を落としていた。
神々廻さんちの直系にして筆頭。認識としてはにこにこしていてお正月にはなかなかお年玉を弾んで下さる叔父様。その方は何か可笑しなことを宣ったようだ。
この家においては、名前を捨てるっていうことは、つまり、あれだ。家を捨てるということになる。そうでなくともきっと間違いなくこの家の誇りやらなんやらに泥を塗った。
確かにちょっと不思議な考えをお持ちで親族からは煙たがられてはいる叔父さんだが、直系ということに救われて排斥されることもなく暮らしてきた筈である。一応、巫山戯てこんなことを言う人ではない。そんなこと言ったら間違いなく本家の方々が挙って叔父さんを〆る。
そんな叔父さんに、まぁ少し影響されつつ無邪気に育ってきた私たち双子であるが、今回ばかりはちょっと笑えない。
もっとファンシーかつフラットな取るに足らないことならば笑い飛ばしていたであろうが。寧ろこんなんじゃなければなんでも笑っていた気がする。
ちらりと横を見れば私と同じ顔が強張っていた。ついでに固まっている。
仕方ないからちょいとつついてやる。
はっとしたような弟が印象的だった。
仕方がないので和やかな雰囲気を求めた私は軽く問う。
「……えと、つまり今は何て呼べばいい?」
「Q#8ちゃん、気にするところ其処なの?」
「え、うん」
「取り敢えず有為叔父さんって呼んでくれればいいよ」
「わかった叔父さん」
「聞いた意味ないよ!?」
ほんのジョークがどうして通じないのだろう。場を和ませようとしただけなのに。それなのに何故か隣からの視線が痛くて困る。
「……いや、だって叔父さんには変わりないだろ?」
仕方なく言い繕った。
「じゃなくて、あり、す?叔父さんはなんでそんなこと」
「え、恋をしたからだよ?いやぁ恋は人生を変えるよね」
「そもそも叔父さん人間じゃないがな」
「Q#8ちゃん手厳しい」
生真面目な弟が頑張って先程までゆういと呼んでいた叔父をありすとよぶ。
ていうか恋て、恋て。誰にだよ。ていうか叔父さん今いくつだっけ。まだ結婚してなかったの?
あ、でもこういう話はデリケートな話って奴だったか。
「ありす叔父さん結婚、まだだったの?」
弟にデリカシーはなかった。
「僕に百越えてるようなババアか四歳くらいのガキと番えっていうの?」
叔父さんも叔父さんだった。
「まぁ僕こんな思考じゃん?生まれてくる子がどうなるかー、っていうのも心配してるらしいよ。そうしたらいつの間にか適齢期逃しちゃっててさぁ……。それでも僕の価値ってほら、血だけだからさ」
「そうでなくとも精神に異常あるやつ多いからこれ以上変な奴生まれても困るんだろ」
「Q#8ちゃん辛辣……」
「本当のことでだろ?」
まぁ本当だけどね、だなんて、ぶつぶつ不満げに呟く叔父さん。
「んでもって、昔から執着心が強かった叔父さんが恋をした、と。いやはや相手の人が可哀想だね。ご愁傷様ーっていうか。……んでその哀れな子羊は何処の誰かな?」
「Q#8……言い方……」
「そうだよ、彼女は可哀想じゃない、ね、遊忌」
「いや、十分可哀想だと思うけど」
叔父さん撃沈。
口調は違えど双子である。双子の神秘というやつか、案外私たちの思考は似ている。
ああ嫌だ。
……嫌だ?
「……でね、僕この家にいても彼女とは一緒になれそうもないから家を出ることにしたんだよ」
「でも老害達がそんなの認めるとは思えない、ね、Q#8」
「そんなに簡単なら散々騒ぎ起こしてる私たちの方が先に追い出されんだろ」
「ゆういは何してるの……」
「「子供らしく可愛らしい、何てことはない悪戯だよ?」」
ほら、子供だから常識は知らないし、思うがままに行動していただけであります。そしたらいつの間にか壁が穴だらけになってたりしただけだ。何てことはない可愛らしい鬼ごっこ兼かくれんぼである。わたしが鬼で弟も鬼で、逃げる側に嫌いな人をチョイスし見付け次第潰せごっこをしていただけである。
頻繁に。
「……うん、何も言わないよ」
叔父さんは少し引いていた。叔父さんに引かれたくはないのだが。
「で?ありす叔父さんはどうやって家を出たの?お爺様方なら足捥いで監禁くらいするでしょ?」
「叔父さんの監禁とか誰得って感じだけど」
「うん、Q#8ちゃんちょっと黙ろうか」
酷い。思ったことを言っただけなのに。
叔父さんは息を整えて、改めて言い直す。
「そのことなんだけどね、僕、まだ家でれてなくてさぁ。家出るの、ゆういに手伝って欲しいんだ」
私と弟は首を傾げる。一族から離反するために一族の中枢に助けを請うのか。よく分からないな。
「陸平の家をなくせ、ってね。元老どもからそういう命令を賜ったんだよ。そうしたら何処へなりとも勝手に消えろってね」
私たちは今度は逆の方にこてり、首を傾げる。
「何故」
弟が問うた。
「神降ろし、したらしいよ」
「で?」
「半分、成功だってさ」
「半分?」
「拒絶反応、少々。けど少しずつ定着してるらしい。無理矢理だけどね」
「現人神の誕生かな?」
「そうなっちゃいけないんだよ、だからこうして元老どもから直々に潰せとのご下命を賜った」
成る程、と頷く。
「神々廻としてはとても困ってしまうね」
「だからこその叔父さんか」
「分家筋じゃあ辛いだろうし、出来損ないとはいえ本家出身だからありす叔父さんの血は濃いしね」
「でも陸平の家ひとつと考えれば叔父さん単体だと無理か」
「強いけどその分弱いからね」
ぴたり、添うように思考が重なる。半分ずつ使うことが許されたひとつを全てふたりで使うように。Q#8が全てで遊忌が全て。
「面白そうじゃない?」
「暇潰しには丁度良い」
「足引っ張らないでよね、ありす叔父さん」
「邪魔はしてくれるなよ、叔父さん」
「邪魔するようなことすれば後ろから首飛ばしてあげる」
「足引っ張りやがったら首と胴体は一生お別れだからな」
「おお、ゆういは本当に怖い」
叔父さんが肩を竦める。
そして、悪い人の笑みを浮かべる。
「でも、ゆういこそ僕の邪魔はしないでね」
「勿論」
◇◆◇
「準備は?」
「平気と思う」
「思うってなにさ。どうせ僕らがやるのはありす叔父さんが蹴散らした後を歩いて行って最後に元を潰すだけでしょ。いつもの鬼ごっこより簡単」
「それは分かってるさ。でもなんだかね。随分久しぶりのような気がするよ」
手の中の扇を握り直す。手首を返して閉じたそれを広げた。
要の金属も、紙も、すべてよく手に馴染んだもの。握り込めば吸い付くように感じる。何も可笑しなことなどなかった。それは普通で、当たり前で。ほんの一日二日で借り物のように感じることなど、そんなことあっては困るというのに。
それなのに、どうしても違和感が拭えない。借り物のような。それでいて私のもののようで。
言葉すら、覚束ない。
「なんだか、今日のQ#8は遠いね」
「奇遇だね、私もそう思っていたところだ」
ふわり、振り返る。
思考は同じ。性格は真逆。存在は半分。弟と便宜上呼んでいる半身を見た。
「遊忌」
「何か?」
「名前、くれない?」
「きっと平気だろうね」
彼は首を傾げる。
「けど、それに意味なんてないよ」
そういえば、そうだったね。
ぱしり、音を立てて扇を閉じた。
◆◇◆
「叔父さんってばいじきたなーい」
「後片付け面倒くさーい」
「服汚れちゃーう」
「歩きにくーい」
「……なんでゆういはそう五月蝿いかな……」
「五月蝿いなんて酷い。私たちは叔父さんがどうして持って頼むからついてきたのにぃ」
「本当なら今頃トキメキ★ドキドキ夢の大乱闘ごっこやる予定だったのにさぁ」
「なにそれ。ゆういは暇なの?」
「「とてもね」」
飴色の床を滑るように進む。所々に部分の欠けた動かない体が落ちていた。廊下の壁は白く、赤い花がよく映える。
先頭を少し疲れたように見える叔父さんが歩き、その後ろを私たちがだらだらとついていく。
同じような太刀筋に飽きを覚えて適当に吹き飛ばしてしまった弟は短気だと思う。だって汚くなっちゃったじゃん。
「叔父さんもう疲れたの?」
「年だねぇ」
「若くないのに張り切っちゃってね」
「今いくつだっけ。五十六十もうちょいかな?」
「いや、案外もっといってたりして」
「好き勝手言いやがって」
振り返って叔父さんは言う。
「ていうか君らは何もしてないじゃん。僕の後ろを適当に歩いてるだけでしょう。文句なんて……
「「だからそれがつまんないんだってば、分からずやー」」
叔父さんは溜息を吐いて、私たちはつまらなそうにきゃらきゃらと笑った。
はたり、前を歩く人が足を止める。なんだか懐かしい香りの空気が漏れ出る扉があった。
なんて言うんだろう。ふわりとじわりと滲む、肌馴染みの良い、それでいて肌を刺すような棘のある空気。柔らかに包み込むように、引き裂くように、そんな拒絶の雰囲気。
「なんか懐かしい?」
「うん、懐かしい?」
「成る程、本家と似てる」
「Q#8と似てるよ」
「遊忌とも似てる」
「ありす叔父さんともね」
「ゆうい」
その扉を向いた叔父さんが呼ぶ。
「この扉、開けてくれないかな?どうやら僕らは少々遅かったみたいでね。神域になってるよ」
見れば叔父さんの手は見るも哀れな状態だ。真っ赤になっている。皮がめくれ爛れ、血がぽたり、一つ落ちる。
「ありす叔父さんくさい。肉が焼けてるよ」
煙が緩く昇る。
「知ってる。結構痛い」
痛そうだもんね。
しかし神域とな。面倒なことになった。
基本的に神様は自分の土地を定めて他の神の干渉を拒み出す、それを神域と呼ぶ。他はどうだか知らないけれどこの世界では少なくともそうだ。そして勢力を伸ばし世界を司るものになろうとする。
狭いけれど、神域を作ったということはそれだけ定着したということ。定着すればするほど神域は広がるのだから。
定着しているからこその神域。まだ一部屋程度とはいえ、それは確実に神々廻を蝕む。
それを壊すのはなかなか面倒。布地に糸が縫い付けられているからと、それを引き剥がすような。そして、それは叔父さんには荷が重い。きっと今の当主でも。
「じゃ、開けるから退いて」
下がった叔父さんと入れ替わりに前に出る私たち。前に出ればびりびりと刺すような刺々しさが立ちはだかる。
「中にいるのは?」
「人柱だけかな。それ以上いても喰われるだけでしょ」
「ふぅん」
この扉は謂わば世界を区切る仕切り。門。鳥居のようなもの。閉じたそれを無理矢理開こうとする私たちは神様のおわす場所を土足で荒らす盗人となんら変わりない。
けれど、別にそんなのどうだっていい。だって他人だもの。太々しくいこうぜ。的な。
隣の彼と息を合わせる。
私は扇を掲げて、彼は鈴をかざす。
「「ひらけー、ごまー」」
そして、振り下ろし、丁寧に扉を蹴り開ける。
扉は当たり前のように、そして勢いよく開いた。
ぱちぱちと気の無い拍手が聞こえる。
「やる気ないねぇ。そして相変わらず雑だねぇ」
「必要がないからね」
そして踏み込む。嗚呼つまんないなぁ。
◇◆◇
肌を刺すような空気は慣れたもの。なんかなまっちょろい。神降ろしだなんだ言って、叔父さんの手をボロボロにするくらいだからもっと高位の神様を期待していたのだけれど、残念だ。
「こんなに低位だとは思ってもみなかった」
ぼそり、呟いた声に頷く一人とため息を吐く一人。
勿論溜息を吐いたのが叔父さんだ。
「……ゆういにはこれが低位かぁ」
「だってそうでしょう。遊忌の機嫌が悪い時の方がビリビリしてる」
「Q#8に言われたくないよ」
全面鏡張りの部屋。目の前には柱に括られた一人の女性が。鎖が擦れて血が滲んでいる。鮮やかな紅の着物もぼろぼろだ。きっと暴れたのだろう。
何より目を引くのは捩じくれた一対の角。艶やかな髪を掻きわけて伸びていた。閉じた瞼の端から溢れる赤い血が美しい顔を彩る。
ぐるる、と獣の唸るような声が目の前の彼女の喉から漏れる。意識が戻ったらしい。空気の孕んだ刺々しさが増す。
ぐるり、彼女の開かれた瞼、眼窩の中で黒い眼球がぐるりと回る。焦点の合わない濁った金の瞳が此方を捉えた。縦に割れた瞳孔は、赤。
ぱかり、開かれた口から咆哮。びりびりと空気を震わせる。叔父さんが辛そうな顔をしているのが印象的。
ギシギシと柱が軋み鎖が悲鳴のような音を上げる。
「あーあ」
弟がぽつり、呟いた。
「どうした」
「なんか、興醒め。Q#8もでしょう?」
「まぁね」
まるで手負いの獣が遥か格上の天敵に見付かって、必死に威嚇をしているような錯覚を覚える。
だからだろうか。この程度の奴を始末することすら出来なくなった神々廻の家に失望してしまったようだ。古び薄れ行く血と形骸化した権威に縋るしか出来ないようで、哀れみさえ覚える。
「帰ろ、Q#8。意味、ないでしょ?」
「ないな、意味なんて」
「それにつまらないよ、もう」
「飽きた、ともいうな」
「そうそれ」
「ちょ、ゆうい!これ如何するつもり?」
叔父さんが必死な顔をして柱に縛り付けられた神様のなりそこないを指差していう。
私と弟は肩を竦めた。
「そんなこと知らない。勝手に壊せば?」
「僕じゃあ壊せないんだってば」
「神々廻も墜ちたものだねぇ」
「ゆうい基準で語られても困るよ」
「そういう叔父さんだってゆういだろ?何甘ったれたこと言ってるんだ?」
「言い方を変えるよ。遊忌やQ#8基準で語られても困るって話だ。このままにしておけば神々廻の権威が揺らぐって知っているだろう」
叔父さんの言葉に私たちは顔を見合わせて首を傾げる。そしてそれを正して同時に鼻で笑ってやる。
なんだ、そんなこという叔父さんの方が神々廻の家に縛られたままだね。出て行くとか言っていたくせに。名前を捨てると言っていたくせに。
なんて情けない。これじゃあ私たちの方が余程異常じゃないか。
「叔父さん情けない」
「だらしない」
「馬鹿みたい」
「愚かしいんだ」
ひとつ、息を吸う。
「家を出たいんでしょう?」
「名前を捨てたいんだろ?」
「じゃあ神々廻の権威なんて如何でも良いじゃん。有為叔父さんなんて言ったところで所詮有為叔父さんに過ぎないんだね。ちょっと興醒めした」
「ちょっと失望だ」
叔父さんが何かいいかける。
けれどそれを遮って空気になりかけていた神の依り代を扇で指し示す。
「けど、良いよ」
「叔父さんはゆういではあっても私たちではないからな。そういう考えもあるんだ、そう思っておく。そして、今迄の叔父さんの行いに免じてあれは私たちが叔父さんの代わりに叔父さんのために、壊して差し上げよう」
ぴしり、と、閉じていたそれを開く。
しゃららと、横で鈴の音がなる。
手に握った扇は媒体。神様の力を効率良く、そしてそれが体を壊さないように使う為の道具。暴走させないために。
「「さぁ」」
息を揃えて言う。
「お前は嫌いだ」
弟が言う。
「私の世界に相応しくない」
私が言う。
「よって、拒絶する」
ぴしゃり、それを閉じ、しゃらり、鈴の音が響く。
ざぁ、と世界が書き変わる音がしてざらざらと柱に縛られた依り代が崩れていく。
嗚呼、なんて脆いのだろうか。
◆◇◆
「お疲れ様」
「疲れてはいないよ、疲れるようなことないから」
ぱちぱちと気の無い拍手が叔父さんの手元から。
部屋の全面に張られた鏡は依り代が消し飛んだ弾みに罅が入り、濁り、最早何の用もなさない硝子だ。
鎖は彼女とともに灰になり、紅の着物だけがはらり、ひとつ残り彼女がいたことを証しするのみ。
「でね、非常に申し訳ない話なんだけどね」
「お?」
「数が少ないとは思わなかった?」
「陸平の家にしてはね」
「その分家の方に逃げてるらしい。多くが」
「分家って……鏡向こうの人たち?」
「そう」
それは困った。血ごと根絶やしにしろって話じゃなかったっけ。
あれ、でも鏡向こうは別の世界に当たるから神々廻の管轄外?管轄外に此方のルールを持ち込むのは越権行為?放置でいいのかな。
「どうしようか」
「放置で良いよ。飽きたし」
それもそうだ。
「じゃあ叔父さん。もう此処からは叔父さん一人でどうにでもなるよな?私たちはそろそろ帰るよ」
好きにしろ、という風に肩を竦める叔父さん。それにくるり背を向けて弟と手を取り合う。
「それじゃあ帰ろうか」
景色が歪んで、世界は黒く塗り潰された。
最後にぽつり。声が響く。
「けどさ、早々に見切りをつけたほうがいいと思うよ、神々廻には。どうせもう、長くない」
◇◆◇
ぱちぱちと気の抜けた拍手が聞こえる。叔父さんの拍手に似ている。この適当加減がなんとも。
砂嵐に彩られた大きなスクリーンを茫、と眺めていた。先程まで懐かしい記憶を映し出していたそれが今吐き出すのはただのノイズだ。
「いやぁ、まさか忘れているとは思わなかったよ。懐かしいねぇ。いや、私からすればまるで昨日のような出来事だけれどもね?」
そう、確かに私は忘れていた。
陸平さん家の滅亡のこと。ぼんやり覚えてはいたものの理由やら方法やら、誰と行ったのか。それらすべて。
けれど仕方ないだろう?誰に文句が言えよう。
だって、そんなこと覚えておける余裕なんてなかったんだ。世界は優しくもなんともなかった。神々廻の家はその後すぐに壊れた。私は帰る場所を無くし、縋る半身と分かたれ、今や対立する立場だ。
幸せとは言えずとも温い平穏に浸っていた日々のことなんて、ねぇ。
「いやいや同情するよぅ。そんなことどうでもいいほどに刺激的な人生を送ってきたじゃあないか。それは素晴らしいことさ。そちらの方が価値があるに違いないねぇ。だからこそ、同情しようじゃないか」
「なかなか可笑しな事を言いますね、どちら様ですか?」
「あれぇ?君がそれを聞くのかね?いやはやそれこそ可笑しな話だ。そしてその取って付けたような敬語もなかなか板についたものだねぇ」
声の主を振り返る。
そこには薄っすら笑ったヒトがいた。長い黒髪が揺れている。
そのヒトはくるり踊るように回った。靡く黒髪がまるで紗のようだった。
その姿に、見覚えはなかった。
「……誰?」
「見てもわからないかぁ。いやぁ、わからないよねぇ。ふふふ」
「とりあえずまずはその間延びした口調をなんとかしては如何です」
「良いんだよ。私がどう喋ろうと誰にも影響を与えないのだからね」
妙な既視感と、込み上げる懐かしさ。
これは、何だ?
「君も、なかなか面白い人生送ってるよねぇ。見てる此方としては楽しくって仕方ないよ」
「人の人生盗み見るなんて変態ですね。変態のお友達でも紹介いたしましょうか?」
「必要ないよ。どうせ会えないしさ」
あ、何かに似てると思ったら初代魔王様に似てるんだ。見た目が、とかそうではなくてそこにあるのにないような、距離感。まるで、夢の中に出てくる登場人物のような。
「成る程、此処から出れないと仰る」
「そういうわけじゃあないよ。ただ私は何に触れることも許されず、知覚されず、あることにならないだけ」
「ほほう。なかなかそれは退屈そうな」
「うん、退屈すぎて死んじゃうぅ。だからぁ、こうやって覗いて遊んでるの。映画見てるみたいで面白いよ?」
「暇潰しにはなりそうですね」
「うん。でもさぁ、最近それにも飽きてきちゃってぇ」
にぃ、と真っ赤な口元が避けて笑みを刻む。まるで三日月のように、歪に歪む。
「こうやって干渉始めたの。世界のシナリオが狂い出すんだよ。私の手で。暇潰しには丁度良くってね」
「神様気取りですか」
「うん。だって私は神様だもん」
「は?名簿に載ってませんよ、あなたのような方は」
「当たり前だよ?私はそういうんじゃないの」
ざ、ざ、とスクリーンに映った砂嵐が枠を溢れて暗い世界を侵食し始める。
それは目の前の方にも手を伸ばし始め、ぶれる。
「……あー、時間切れだねぇ。もうちょっとお話しできるかなぁって思ったんだけどなぁ。いやぁ、ゆういちゃんてば愛されてるぅ」
「何を言って……ていうか、なんで私の名前」
「知ってるよ?知ってるに決まってるだろぅ?だってそれはさぁ……」
振れ幅が大きくなり、もう、殆ど砂嵐に呑まれた彼女は嗤う。白い顔だけがぽっかりと浮いているように見える。
一際赤い唇が言葉を紡ぐ。
「私の名前だもん」
彼女は続けた。
「改めまして、ご機嫌よぅ?私こそ、幽依。全ての始めのゆういだよ!」
そして、世界は砂嵐に呑まれた。




