別れは必ずしも悲しみで溢れていない
私はこの話に自分が経験したことを記そうとおもいます。変な文章かもしれませんので期待しないでください。大体言いたいことは、出会いと別れをそしてその間についてです。これを頭に入れて読んでみてください。
私は、出会いと別れというものがとても似ているものだと思う。
両方とも自分の人生というものに大きく影響を与えるからだ。例えば小学校のときにとある人にあったとしよう、それがどのような人かはその人じゃないとわからない。同い年かもしれないし、大人かもしれない。優しいかもしれないし厳しいかもしれない。
そしてその人が友達になったとしよう、自分が今まで出会ってきた人の中で最も仲の良い友達だ。そうすると、その人は君の人生に多大な影響を与えるだろう。そう今までにないくらい大きな影響だ。しかしその人がどんな人であろうとその出会いは自分が思っていたよりあっさりしたものだったはずだ。そして同じようにその人との別れもあっさりする。
私は今まであってきた人の顔を思い浮かべるクセが有る。しかもその思い出す人は決まってもう会わなくなった人である。昔の思い出を楽しく一人で思い出す、それがまた楽しい。そう思いだしているうちに
「あれ、俺いつからこの人と合わなくなったんだ?」と思う。学校が別れたから?引っ越したから?
違うそんなわかりやすいものではなかったはずだ。何故かいつからか大した理由もなく気づいたら離れていた、そのようなものだったはずです。普通生きているうえではこのようなことは起こらないと私は思う。
別にこの考え方が間違っているわけではない。ただあっているわけではない。
しかも更に不思議なことがある。それはこういう別れに限っていなくなったあとも大しておおきな損失感がない。「今まで仲良かった友達とわかれて寂しくないわけ無いだろ」と言う人もいるかも知れない。
しかし、考えてみてほしい。本当にあなたはそこまで寂しいのか?ただ今この状況に対して対抗心を燃やしているのではないか?
私には小学校に通っていた頃とても仲が良い友達がいた。そいつとはとても中が良く毎週一回は一緒に遊んでいた。中学校に上がると私は中学校を受験したためそいつと学校が離れることになった。しかしそれでも毎週一回は絶対に会いそれで一緒にゲームなどもした。今思い出すだけでもとても楽しかったと思える。
しかし転機が訪れた、それは高校進学だ。もちろん中学校が違う私達は勉強で忙しくなり、一緒にいる機会が急激に減った。その頃は、勉強で忙しいから今はしょうがない程度でしか考えていなかった。
ところが受験が終わって春休みになってもそいつとは遊ぶことがなかった。ためにメッセージを送る程度の関係になり、そこから全く喋らなくなった。
そいつとはそのころの自分の人生の中で最も仲の良い友達だったと思う。しかしそれでも喋らなくなったことを実感しても大して寂しくはならなかった。とても不思議な感覚だった。今までさんざんいろいろなことを一緒にして楽しくやってきたのに会わなくなったのにまるでどうせそこにいるだろうと考えていた。
これが私が真の別れというものを実感した初めての時だった。別に、別れというのは必ずしも何らかの気持ちで溢れていないといけないわけではない。むしろそれは良くない別れだろう。何かをきれいに忘れることができないのは常に前に進み続けている自分たちにとっていらないものであるからである。別に人と別れたほうがいいと言っているわけではない。もし別れるのであれば自分から別れなくとも自然とその時は来るただその時を待っていればいいだけだ。
最後に、出会いと別れはよく似ている、両方あまり大切ではないからだ。どっちも大した原因で起こるものではなく対し記憶に残るものではない。しかしその記憶に残らない出会いと別れを受け入れることで人は成長をし続ける。新しい出会いで新たのことを学び、学んだら別れをし、また新たな出会いをする。
このように何度も同じことを繰り返し人間は成長する。皆がよく言う出会いを大切にとは別に出会いを大事にしとけってわけではない。ただ出会ってから学んだことを大事にしろということなのだ。
もし何か人間関係で悩んでいるならこの話を参考にしてほしい。必ず何処かで助けになってくれると思います。
短時間で書いた作品にしては結構よくできたのではないかと思います。もし参考にしていただけるなら大変嬉しいです。一応はじめての作品ですので至らないところもあるかもしれませんが、これからはそのような思いがなくなるよう頑張ります。




