第9話「王都からの使者」
その知らせは、唐突に舞い込んだ。
数日ぶりの吹雪が止み、空が澄み渡ったある日の午後。王都の紋章を掲げた一台の豪華な馬車が、アイゼンハルト城の門を叩いたのだ。
到着したのは、父であるベルンシュタイン伯爵家の執事長と、王宮からの監査官を名乗る男だった。
応接室に通された彼らは、出された茶にも口をつけず、ふんぞり返るような態度でヴォルフガングと対峙していた。私はヴォルフガングの隣に控え、不安な気持ちを押し殺して彼らを見据えた。
「して、何の用だ。予告もなしに辺境まで押しかけてくるとは、随分と暇らしいな」
ヴォルフガングの声は冷たく、室内の温度が一気に下がったような錯覚を覚える。
監査官の男――小太りで神経質そうな顔つきのベータ――は、ハンカチで額の汗をぬぐいながら甲高い声を上げた。
「閣下、そのような物言いは心外ですな。我々は王命を帯びて参ったのです。なんでも、こちらに嫁がれたリリアーナ嬢に関して、看過できない報告が上がっているとかで」
「看過できない報告?」
ヴォルフガングが眉をひそめる。
実家の執事長が進み出て、慇懃無礼な態度で私に一礼した。昔から私を蔑んでいた目つきは変わっていない。
「はい。リリアーナ様がこの地で、何やら怪しげな薬を作り、民を惑わせているとの噂がございます。ベルンシュタイン家としても、無能な娘が嫁ぎ先で不祥事を起こしているとなれば、家名の恥ですので」
私は拳を握りしめた。
怪しげな薬? 民を惑わせている?
彼らは私が作った治療薬のことを言っているのだ。あれは正当な知識に基づいたもので、ハンスや多くの兵士を救った。それを、こんな風に歪曲するなんて。
「訂正していただきましょう。妻が作ったのは北部の風土病に効く正規の薬だ。現に私の部下たちも救われている」
ヴォルフガングが静かに、しかしドスの利いた声で反論する。
しかし、執事長は薄ら笑いを浮かべて首を振った。
「おやおや、閣下ともあろうお方が、すっかり『石女』に騙されておられるようだ。その薬には、オメガのフェロモンを用いた違法な幻覚作用があるとの疑いがかかっております。魔女のような真似事は、教会の教えにも背く大罪ですよ」
「なんだと……?」
ヴォルフガングの体から、怒気の混じった強烈な威圧感が噴き出す。
監査官がビクリと体を震わせたが、執事長はなおも続けた。
「つきましては、リリアーナ様を一度王都へ連れ戻し、厳正な検査を受けていただく必要があります。これは伯爵閣下のご意志でもあります」
連れ戻す。その言葉に、背筋が凍った。
彼らの目的は、私の薬学知識ではない。もっと別の何か――おそらく、私が「つがい」として覚醒し、魔力が増幅したという情報をどこかで嗅ぎつけたのだ。
役に立たないと捨てたくせに、価値が出たと分かれば回収しに来る。どこまでも強欲で、自分勝手な人たち。
「断る」
ヴォルフガングが即答した。
「リリアーナはアイゼンハルト家の人間だ。不当な連行など許さん。今すぐ立ち去れ。さもなくば、領空侵犯と見なし排除する」
彼の殺気に、さすがの監査官も顔面蒼白になった。
「し、しかし王命ですぞ! これに背くとなれば……!」
「王命だと? くだらん言いがかりをつけるために、貴様らは王の名を騙ったのか? いいだろう、その件については直接陛下に問い合わせてやる」
ヴォルフガングはハッタリではなく、本気で通信用の魔道具に手を伸ばした。
分が悪くなったと悟ったのか、執事長は舌打ちし、憎々しげに私を睨んだ。
「……本日はこれにて引き上げますが、このまま済むとお思いにならぬよう。リリアーナ様、あなたには『教育』が必要なようだ」
彼らは捨て台詞を残して去っていった。
馬車の音が遠ざかると、ヴォルフガングは深いため息をつき、私を抱き寄せた。
「すまない、不快な思いをさせた」
「いいえ……守ってくださって、ありがとうございます」
彼の腕の中で震えを鎮める。
けれど、胸のざわめきは消えなかった。あの執事長の目は、諦めた人間の目ではなかった。
もっと卑劣な手段を使ってでも、私を手に入れようとする執念のようなものを感じたのだ。
「警備を強化しよう。お前は城から出るな」
「はい」
ヴォルフガングの判断は正しかった。しかし、敵の悪意は私たちの予想を遥かに超える形で忍び寄っていた。
城の中に、既に裏切り者の手引きがあったとしたら。
外からの攻撃には鉄壁のアイゼンハルト城も、内側からの毒には脆いということを、私たちは思い知ることになる。




