第8話「刻印と誓いの朝」
窓の外から差し込む鋭い朝の光が、重いまぶたを透過して意識を覚醒させた。
目を開けると、見慣れない高い天井が視界に入った。豪奢なシャンデリアが朝日に輝き、部屋の空気はまだ少しだけ冷えている。
ここは私の部屋ではない。
一瞬の混乱の後、昨夜の出来事が鮮烈な記憶となって脳裏に蘇った。
熱、甘い香り、ヴォルフガングの黄金の瞳、そして肌を焼き尽くすような彼の手の感触。
顔が一気に熱くなり、私は慌ててシーツを引き上げた。
隣を見ると、そこは既に空だった。ただ、枕に残された微かなくぼみと、森の針葉樹のような清冽な香りが、彼がそこにいたことを物語っている。
「……夢じゃ、なかったんだ」
指先で唇に触れる。彼と口づけを交わした感触が、まだ熱を持って残っている気がした。
ヒートの激しい衝動の中で、私たちは確かに心を通わせた。獣のような本能に流されるだけでなく、互いの魂を求め合うように、何度も名前を呼び合った。
首筋に手をやると、そこには彼が刻んだ「噛み跡」――つがいの証があった。まだ少し痛みは残るが、それは所有の烙印というよりは、彼の一部になれた証のようで、不思議と愛おしかった。
これで私は、名実ともに彼のものになったのだ。もう誰にも、どこの家の所有物だとも言わせない。私はヴォルフガング・フォン・アイゼンハルトの唯一のオメガなのだから。
ドアが控えめにノックされ、ミレナの声がした。
「リリアーナ様、失礼します。朝のお支度に参りました」
許可を出すと、ミレナが入ってきた。彼女は私の首筋の痕に気づくと、パッと顔を輝かせ、すぐに口元を押さえて嬉しそうに目を細めた。
「まあ……! おめでとうございます、奥様」
その呼び名に、胸がくすぐったくなる。
「ありがとう、ミレナ。でも、その呼び方はまだ慣れないわ」
「何をおっしゃいますか! 旦那様があんなに幸せそうな顔で執務室へ向かわれるのを、私たちは初めて見ましたよ。城中の使用人が、今朝はスキップでもしそうなくらい浮かれているんですから」
ヴォルフガングが、幸せそうな顔。
その光景を想像しようとしたが、いつもの無愛想な鉄仮面しか思い浮かばず、思わず吹き出してしまった。
身支度を整えて食堂へ向かうと、ヴォルフガングは既に席についてコーヒーを飲んでいた。
私の姿を認めると、彼はカップを置く手がわずかに止まり、少しバツが悪そうに視線を逸らした。あの傲慢不遜な「北の怪物」が、まるで初恋に戸惑う少年のようだ。
「……おはよう」
「おはようございます、ヴォルフガング様」
私が席に着くと、彼は咳払いを一つして、真剣な眼差しを私に向けた。
「体の具合は、どうだ。まだ辛くはないか」
「はい、おかげさまで。その……昨夜は、ありがとうございました」
「礼を言われるようなことではない。……俺のほうこそ、理性が利かず、すまなかった」
彼はテーブルの上で私の手に自分の手を重ねた。大きく、ごつごつとした武人の手だ。けれど、その温もりは驚くほど優しい。
「リリアーナ。改めて言わせてくれ」
黄金の瞳が、私を射抜くように見つめる。
「俺はこれまで、オメガという存在を蔑み、避けてきた。だが、お前は違う。お前が俺の城に来てくれたことに、今は感謝している。……俺の妻として、ずっとそばにいてほしい」
ストレートな言葉に、涙腺が緩む。
実家では「欠陥品」と呼ばれ、価値のない石ころのように扱われてきた私が、こんなにも必要とされている。
「はい……! 私でよろしければ、喜んで」
私が頷くと、ヴォルフガングはようやく安堵したように口元を緩めた。その笑顔は、昨夜見た時よりもさらに柔らかく、氷雪を溶かす春の日差しのようだった。
その日、私たちは公然のパートナーとして過ごした。
もう隠れる必要はない。私は彼の隣を歩き、城内の人々も私たちを祝福の目で見守ってくれた。
昼下がりの温室で、私は彼に薬草の講義をした。彼は私の話を真剣に聞き入り、時折私の髪に触れたり、頬を撫でたりと、スキンシップがやたらと多い。
アルファはつがいとなったオメガに対して独占欲が強くなると聞いていたが、これほどとは。
幸せすぎて、怖くなるくらいだった。
この平穏が、ずっと続けばいい。
誰もがそう願っていた。しかし、北の風は気まぐれだ。雪解けの季節の前に、最後の寒波が訪れようとしていることを、私たちはまだ知らなかった。




