第6話「目覚めの予兆」
視察の日が近づくにつれ、私の体調は不安定になっていった。
最初はただの微熱かと思った。だが、体が熱く、肌が敏感になり、些細なことでも心臓が跳ねる。
そして何より、ヴォルフガングの気配に対する反応が鋭くなっていた。
彼が廊下を歩いているだけで分かる。彼の残り香があるだけで、頭がくらくらする。
(風邪かしら……。でも、こんな感覚は初めて)
まさか、これが発情期の前兆だとは夢にも思わなかった。だって私は「石女」なのだから。医師からも「一生ヒートは来ないだろう」と診断されていたのだから。
視察の前日。私は温室で準備をしていた。
突然、強烈な目眩が私を襲った。
「っ……ぁ……」
膝から崩れ落ち、荒い息を吐く。
全身が燃えるようだ。血管の中を熱い何かが駆け巡り、思考が甘く溶けていく。
そして、自分の体から何かが溢れ出すのを感じた。
甘く、芳醇な花の香り。
今まで無臭だった私が、濃厚なフェロモンを放ち始めていたのだ。
「まさか……嘘……」
恐怖で手が震える。
今ここでヒートが来たら、どうなる?
この城には多くのアルファの兵士がいる。そして何より、ヴォルフガングがいる。
彼はオメガを嫌っている。私がフェロモンを撒き散らせば、軽蔑されるかもしれない。「やはりお前も、男を誘うだけの汚らわしいオメガだったのか」と。
ようやく築き上げた信頼関係が崩れてしまう。
それが何よりも怖かった。
私は必死に立ち上がり、ポケットから持参していた強力な抑制剤の小瓶を取り出した。王都を出る時、念のためにと渡されたものだ。
震える手で蓋を開けようとしたその時――。
パリン。
手が滑り、小瓶が石畳に落ちて砕け散った。
中の液体がこぼれ、土に吸い込まれていく。
「あ……ああ……!」
絶望で目の前が真っ暗になった。
その時、温室の扉が勢いよく開かれた。
「リリアーナ! ここにいたのか。明日の出発時間についてだが……」
入ってきたのはヴォルフガングだった。
彼は一歩踏み込んだ瞬間、動きを止めた。
黄金の瞳が大きく見開かれ、鼻翼がヒクついている。
温室に充満し始めた私の甘い香りを、彼が感じ取らないはずがない。
「っ……来るな!」
私は叫んだ。自分の体を抱きしめ、後ずさる。
「来ないでください……! お願い、見ないで……!」
涙が溢れて止まらない。
ヴォルフガングの表情が険しくなる。彼の喉がゴクリと鳴った。
アルファの本能が刺激されているのだ。理性的な彼の瞳が、徐々に獣の色を帯びていくのが分かった。




