第5話「雪解けの予感」
ハンスの一件以来、城内の空気が劇的に変わった。
私とすれ違う使用人たちは、今や尊敬と感謝の眼差しを向けてくれる。「リリアーナ様、おはようございます」「何かお手伝いしましょうか」と声をかけられることも増えた。
私はもはや「王都から来た邪魔なオメガ」ではなく、「みんなを救った博識な奥様」として受け入れられつつあった。
そして何よりの変化は、ヴォルフガングの態度だった。
彼は相変わらず無愛想で口数は少ないが、私を避けるようなことはしなくなった。むしろ、私が図書室にいると、ふらりと現れて同じ空間で書類仕事を始めたりする。
言葉は交わさない。けれど、暖炉の薪が爆ぜる音だけが響く静寂は、不思議と居心地が良かった。
ある日の夕食時。
いつもなら自室で一人でとる食事だが、今日は執務室に呼ばれた。
長いテーブルの端と端。ヴォルフガングと向かい合って座る。
「……食え」
彼の短い言葉で食事が始まった。北部の食材を使ったシチューは絶品だった。
「先日の薬草だが、栽培量を増やせるか」
唐突な問いかけに、私はスプーンを止めた。
「はい、温室の環境を整えれば可能です。何か問題でも?」
「軍部でも使いたい。魔獣討伐の際、毒を受ける兵が多い。お前の作った薬は解毒作用も高いと聞いた」
彼は私を戦力として認めてくれているようだった。
「かしこまりました。詳細なレシピと栽培法をまとめます」
「頼む。……それと」
彼は言い淀み、視線を少し泳がせた。
「来週、領内の視察に行く。……ついて来い」
「え?」
思いがけない言葉に、私は目を丸くする。
「私が、ですか? 足手まといになるだけでは……」
「お前は薬草に詳しい。自生している植物の調査も兼ねたい。それに……」
彼は一度言葉を切り、私をじっと見つめた。
「ずっと城に閉じこもっているのも退屈だろう。雪の降っていない北の景色も、悪くはないぞ」
それは、彼なりの精一杯の誘い文句なのだろうか。
私の胸が高鳴る。
「はい! 喜んでお供いたします!」
私の弾んだ声に、彼はふっと小さく笑った。初めて見る、彼の穏やかな表情だった。その笑顔があまりに魅力的で、私は一瞬息をするのを忘れた。
その夜、私はなかなか寝付けなかった。
ヴォルフガングのあの笑顔が脳裏から離れない。
彼に近づくにつれ、感じる不思議な感覚。彼の近くにいると、これまで感じたことのない微熱が体の奥に灯るような気がするのだ。
私の体は「欠陥品」のはずなのに。フェロモンも出なければ、本能も感じないはずなのに。
なぜ、彼の匂いを嗅ぐとこんなにも安心し、同時に胸が苦しくなるのだろう。
私は自分の体の異変に、まだ気づいていなかった。
長年眠っていたオメガとしての本能が、運命の番である彼に触発され、ゆっくりと、しかし確実に目覚めようとしていることに。




