第1話「値札のついた欠陥品」
【登場人物紹介】
◆リリアーナ・ベルンシュタイン(オメガ)
王都の名門伯爵家の娘だが、オメガ特有の芳香が無くヒートも未到来のため「欠陥品」として冷遇されてきた。控えめだが芯は強く、薬草学や古代語の知識が深い。銀髪に紫の瞳。
◆ヴォルフガング・フォン・アイゼンハルト(アルファ)
北の国境を守る辺境伯。類稀な戦闘能力と強烈なアルファの威圧感を持つが、それゆえに他者を寄せ付けない。過去のトラウマからオメガを毛嫌いしており、「北の怪物」と恐れられている。黒髪に黄金の瞳。
◆ハンス(ベータ)
ヴォルフガングの忠実な執事。厳格だが、リリアーナの誠実さにいち早く気づく。
◆ミレナ(ベータ)
リリアーナ付きとなる侍女。北部の出身で気風が良い。
石造りの回廊を歩くたびに、コツ、コツ、と私の足音だけが空虚に響く。
豪勢な調度品で飾られたベルンシュタイン伯爵家の廊下は、私にとって針のむしろでしかなかった。すれ違う使用人たちは一様に頭を下げるものの、その視線には侮蔑と憐憫が入り混じっている。
彼らが私に向ける感情は、言葉にしなくとも肌で感じ取れた。
――ああ、あれが「欠陥品」のリリアーナ様だ。
――オメガのくせに匂いもしない、子供も産めない石女だなんて。
慣れてしまった自分が悲しい。私は唇を噛み締め、背筋を伸ばして父の執務室へと向かった。今日呼び出された理由は分かっている。十八歳になった私に対する、最後の通告だろう。
重厚な扉をノックすると、中から不機嫌そうな声がした。
「入れ」
扉を開けると、父であるベルンシュタイン伯爵が、革張りの椅子に深く腰掛けて葉巻をくゆらせていた。煙の向こう側から、私を品定めするような冷たい目が光る。
「リリアーナ。お前も十八になったな」
「はい、お父様」
「オメガとして覚醒して六年。未だに発情期も来ず、フェロモンの一つも出せんとは……本当に我が家の恥晒しだ」
吐き捨てられた言葉に、私はただ黙って床を見つめることしかできなかった。
この世界では、第二の性であるアルファ、ベータ、オメガが社会階層を形成している。支配階級であるアルファ、労働力の担い手であるベータ、そして希少な愛玩・生殖枠とされるオメガ。
本来ならば、伯爵家のオメガとして生まれた私は、有力なアルファの元へ嫁ぎ、優秀な子孫を残すことが義務付けられていた。艶やかな容姿と、アルファを魅了する甘美な香り。それがオメガの価値そのものだからだ。
けれど、私にはそれがない。
検査の結果は間違いなくオメガだったが、私の体は何年経っても子供のままで止まっているかのようだった。アルファを惹きつける香りもなければ、周期的な熱にうなされることもない。ただの、出来損ない。
「だが、そんな役立たずのお前にも、ようやく買い手がついたぞ」
父の言葉に、私は顔を上げた。買い手。結婚相手ではなく、まるで家畜のような言い草だ。
「……どなたでしょうか」
「北のアイゼンハルト辺境伯だ」
その名を聞いた瞬間、心臓が早鐘を打った。
アイゼンハルト辺境伯。ヴォルフガング・フォン・アイゼンハルト。
極寒の地を治め、国境から侵入する魔獣をその武力でねじ伏せる「北の怪物」。最強のアルファとして名高いが、その残虐性と冷酷さは王都にまで轟いている。噂では、気に入らない部下をその手で惨殺したとか、過去に送り込まれた婚姻者を一晩で追い返したとか、ろくな話を聞かない。
「あの方は……オメガを嫌っていると伺っておりますが」
「だからこそだ。あの男は、うるさいフェロモンを撒き散らすオメガを極端に嫌うらしい。お前のような『匂いのない不良品』ならば、飾りとして置いておくには丁度いいそうだ」
父は歪んだ笑みを浮かべ、机の上に一枚の書類を放り出した。
「結納金は破格だ。お前を育てるのにかかった費用など、釣り銭が来るほどにな。北へ行け、リリアーナ。そして二度と戻ってくるな」
それは事実上の追放宣告だった。
実の親に売られ、怪物と呼ばれる男の元へ捨てられる。
けれど不思議と、涙は出なかった。この屋敷で飼い殺しにされ、使用人たちの陰口に耐えながら一生を終えるよりは、凍てつく北の大地の方がまだ呼吸がしやすいかもしれない。
私は静かに一礼をした。
「……謹んで、お受けいたします」
それが、私の人生が大きく動き出した瞬間だった。
愛など期待していない。ただ、誰にも迷惑をかけず、ひっそりと生きていける場所があるなら、それでいいと思っていたのだ。
その時の私はまだ知らなかった。
自らを「欠陥品」と信じて疑わなかった私が、北の地で本当の意味を知ることになるなんて。




