知られざる特技。あるいは、とっておきの解決法
【ここまでの話】
Y市K街にある古い喫茶店Paradiso。そこで飼っている黒猫のレヴナントが失踪した。
高校一年生の「私(語り手)」は飼い主である同級生のサキ、ケイと共に迷子猫捜索に繰り出す。
その過程で「私」は一人の黒人の老婆と出会う。彼女は猫の捜索に力を貸すと言う。
怪しさに溢れた提案だったが、他にあてもない。
とりあえず話だけでも聞いてみようと、「私」はサキとケイが待つParadisoへ向かう。
私たちが喫茶Paradisoの前に到着すると、サキちゃんとケイは既にそこで待っていた。着いて早々、サキちゃんは私の隣りにいる黒人のおばあさんを見て目を丸くする。それから私を手招きし始めた。不思議に思って近寄ると、サキちゃんは私とケイを引き寄せ、三人でおばあさんに背中を向けて団子になる。サキちゃんが声を潜めて言った。
「……あの人、この前二人に話したおばあさんだよ」
ケイは「ふーん」と小さく発して、いつもの気だるげな調子で返す。
「そこの交差点で呪いの儀式、やってたって噂の?」
「そうそう。間違いないよ」
サキちゃんは強く頷いた。私はにわかに不安になって小声で言った。
「どうする? 連れてきちゃったけど、やっぱり何だか怪しいし――やっぱり、やめておく?」
私がそう持ちかけると、サキちゃんは深刻な顔つきになる。決断の時だった。ケイはおばあさんを見ながら「てかあのセーターに描いてあるの、ソラールの太陽じゃん」と、話の腰を折るような独り言を半笑いでぼやくだけだったので、ちゃんと無視した。サキちゃんは少しの沈黙の後、首を横に振った。
「結局、何にも情報入って来てないし、せっかくだし話だけでも聴いてみようよ」
私は「分かった」と同意した。
「でも話を聞いた後、それからどうするかはちゃんと三人で考えて行動しよう。いい?」
私がそう釘を刺すと、少ししてからサキちゃんは力なく笑って「ありがと」と言った。
……話は逸れるけど、ちょうど良い機会だ。私は午前中に会った時からずっと気になっていた事を彼女に尋ねることにした。
「……ところでさ。その頭の奴は何?」
そう言われたサキちゃんは首を傾げ、両手で頭のてっぺんを探り出す。
「へ? どれ?」
「そこじゃなくて、もうちょっと後ろのとこの――そうそれ。その根っこの所の」
私は彼女のポニーテールの根本にあるクリップらしきものに言葉で誘導する。
「それ絶対髪飾りじゃないよね」
サキちゃんはその物体を髪から外し、不思議そうに眺めた。見るからに今気づいたようだ。やがてとぼけたように言った。
「ん、これ? これはねー、あー、カポだねこれ」
「ナニソレ」
「カポタスト。ギターで使うやつ」
「……あえて? そういうファッション?」
「ううん、全然間違えて付けてる。今気づいた」
サキちゃんはコロコロと笑いながらそのアクセサリ紛いの物を外して、彼女の着ている白いダッフルコートのポケットに放り込んだ。
……その「カポ」とやらの下から出てきたヘアゴムはどう見ても絆創膏だったが、かろうじてちゃんと役割を果たしていそうだったので、私は何も言わないことにした。
サキちゃんはこの数日間、様子がおかしい。猫の失踪は想像以上に彼女の心にダメージを与えていた。昨日の昼のお弁当はコシャリ(エジプトの郷土料理らしい)だったし、登校の時は確かに揃っていたはずの靴が、下校時に片足がどういう訳かスニーカーからピンクのクロックスに変わっていた。一昨日はスマホと間違えて家の空調のリモコンを持ってきていたし、ミスチルの桜井の事をずっと桜田と言っていた。
……最後のはただの勘違いかもしれないけど。他にも例はあるが、枚挙に暇がないのでこのくらいにしておく。
私たちは階段を上がって喫茶Paradisoに入った。今日は休業だった。店主であるサキちゃんのお父さんが、黒猫探しに奔走しているからだ。サキちゃんが店の鍵を開け、私たちは窓際のテーブル席に座った。三人揃っておばあさんに向かい合う位置に腰掛けたので、ちょっと狭い。サキちゃんがいそいそと五人分のコーヒーを作って持ってきてくれる……一人分多い。おばあさんが彼女を鋭い眼光でじっと見つめていた。とりあえず余った分は脇に避けておく事にした。店内に音楽はかかっていなかった。
落ち着いたところで、おばあさんは藤のトートバッグから何やら色々と物を取り出して、机の上に並べ始めた。空色の巾着袋――手のひらよりやや大きめのサイズ。次にY市の、とりわけここK街近辺の地図(たぶん、ネットから印刷したもの。A4サイズ)。小さなくたびれた革のポーチと、ついでにジッポライター。これらの小道具が一挙に押し寄せ、机の半分を占拠する。
「何を始めるんですか?」とサキちゃんが恐る恐る、おばあさんに尋ねる。しかしこのおばあさん、目の前の優位性著しい自らの戦略的布陣を眺めるのに夢中なのか、反応がない。もう一度同じことを、今度は私がスマホの画面に文字を打って尋ねる。おばあさんの視線の先まで画面を持っていって見せると、彼女は思い出したような様子で自分のタブレット端末を手にとって、文字を打ち返す。
【ごめんなさいね。いくつになってもこの作業は夢中になってしまうものです。ちっとも周りを見ようとしない!】
そう述べたおばあさんの目が、異様にぎょろついているように見えた。威圧感を覚えた私は少し萎縮してしまう。落ちくぼんだその目を見ていると、見透かされているような気分がして居心地が良くなかった。物事の裏側を覗く事に長けた瞳。静かで、用心深い追跡者。そんなイメージを受けた。
私は気持ちを切り替えて、サキちゃんにこのやり取りの事――おばあさんとは文章で会話している事――を話した。すると彼女は何やら考えるような素振りを取り出す。顎に手をやってうつむく、わざとらしいポーズ。渋い顔と、もったいぶった仕草――間もなく彼女の中でひとつの結論が導き出された。
サキちゃんはおばあさんの方に向き直って右手を持ち上げた。それから顔の横で握りこぶしを作り、それをぐいと下に引いた。今度は顎の高さに両手を持ってきて、人差し指だけをくの字に曲げる。それを見たおばあさんは驚きの表情を見せた後、サキちゃんと同じような手の動きを返す。サキちゃんは突然、嬉しそうな声を上げて笑った。
今度はサキちゃんが胸の前で指を数本立てたりしまったり、また握りこぶしをつくったり、それをもう片方の手と合わせたり、ひらひらやったりした。かと思えば、左右の手を糸巻きの歌のようにくるくるやったり、それら動作の節目に合わせて頷いたり、眉や口角を上げ下げしたりした。それが終わると、またおばあさんが両手と表情を使ってサインを送った。サキちゃんは目をぱちくりさせて唸りつつ、先ほどよりゆっくりした動作で手を動かした。それに対しておばあさんが更にジェスチャーを返すと、サキちゃんがまた笑った。
そのような応酬が長い間続いた。ようやくそれが一段落を迎えると、サキちゃんは私とケイに説明を始めた。
「えっと、このおばあさん耳が聞こえないんだって。昔、事故で聴力を失くしちゃったらしいよ」
どこからその情報がやってきたのか分からなかった。私の理解が追いつかないまま、サキちゃんの口から続きが語られる。
「しかもその数年後に今度は病気で声帯も取り除いちゃったから、喋れないみたい。元料理人で、腕もそこそこ良くって、なんか有名なホテルで料理してた事もあるらしいよ。出身はアメリカだけど、結婚がきっかけでだいたい30年前に日本に来たんだって。一通り日本語も読み書き出来るし、しゃべれたんだけど、出来るようになったすぐ後に事故に遭ったから、すごく苦労したって」
……一気に情報が押し寄せてきた。私は話を聞くので精一杯だった。サキちゃんは更に畳み掛ける。
「趣味はゲーム。最近はマインクラフトでレッドストーン回路を勉強したり、研究したりするのにハマってるんだって」
意外と現代っ子だった。いや、それよりも――と、私が頭の中を整理していると、ケイが聞きたかったことを代弁してくれた。
「てかその前にさ――サキ、手話出来たんだ」
サキちゃんは「うん、実はね」と照れくさそうに頭を掻いた。
「小さい頃に習ったんだ。でもあたしが出来るの、日本手話だけだけど」
私が感心して「外国語は手話も違うんだね」と言うと、サキちゃんは「そうじゃなくてですねえ~」と、手をひらひらさせた。
「英語とかは確かに手話も違くなるんだけどね。そうじゃなくって、日本の手話ってざっくり二種類あるんだ。日本手話と日本語対応手話って言うんだけど、文法とかが違うんだ。で、さっきおばあさんが最初にあたしに返した時、日本語対応手話の方だったから、なんだか良く分かんなくなっちゃってさー。それで聞き返したら、日本手話の方で合わせてくれて――」
……なんだかサキちゃんが大きく見えた。すごいや、サキちゃん。私は目を輝かせて聞いた。
「それで、レヴの事は何か言ってた?」
「占うって」
「ん?」と私は反射的に聞き返した。サキちゃんは今、何と言った? 私はつい一秒前に聞いた事を頭の中でリピートしようとする。するとサキちゃんがそれには及ばず、という風にこう言い直した。
「レヴの居場所を占ってくれるってさ!」
対面に座るおばあさんは巾着の中身をひとつずつ取り出して、丹念にそれをチェックしている――石か何かのようだった。それの表面には、見たこともない細い字体の文字が書いてあった。何十個もあった。チェックが終わると、おばあさんは全ての石を再び巾着袋にしまい、今度はK街の地図を広げ始めた。
――え、もしかしてこれ占いの道具? 何で地図? もしかしてダウジング? あふれ出る私のクエスチョンマークをよそに、サキちゃんが満面の笑みでこう告げた。
「古代文字を使った由緒正しい占いなんだって!」
おばあさんは今の言葉が聞こえていたかのような、絶妙なタイミングで顔をこちらに向け、ニヤリと不敵に笑った。海外ドラマならここでブラックアウトして次回に続く――そんな劇的な瞬間の演出だった。
参考資料
・Pat Metheny「From This Place」,2020年
・くるり「There is (always light)」,2014年