表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰色の街より  作者: kusyami
第一章 喫茶Paradiso
6/39

灰色の世界①

 私はその日の夜、夢を見た。夢の中で私は、どこかの商業施設のワンフロアに立っていた。そこがどこなのか、私はすぐに分かった。馴染み深い景観――YC駅前にかつて存在した商業ビル。四階建ての細長いビルで、そこまで大きなものではなかった。テナントにはレストランやゲームセンター、服店に楽器店なんかが一貫性なく入っていた。

 今、そのビルはもう存在しない。私が中学生の頃、火事で焼け落ちた。放火と、それに伴うガスの誘爆によって。去年の10月の事だった。犯人はまだ見つかっていない。

 私はその、既に存在しないビルの二階、一人分の幅しか無いエスカレーター乗り場の前にいた。


 違和感にはすぐに気がついた。ピントのズレたあやふやな平衡感覚。自分の意思があるにも関わらず、自分自身を別の視点から客観視している不可解な多重性。突然放り込まれた空間を確認して、何とか状況を把握しようとする私――それを違う視点から観察する私。そのふたつが同時に存在する矛盾。それにも関わらずその時、私はこれが夢の中の出来事だと思っていなかった。ここまで違和感を並べられているにも関わらず、それらの奇妙さは思考の外側に存在していた。

 そんなだから私は、辺り一帯が色のないモノクロの世界であることも受け入れていた。そしてここが、一年前の火災事故で跡形も無くなってしまった場所であることも特段、気にしていなかった。


 私はエスカレーターのある中心部から移動し、ぐるりとフロアを見て回った。そこまで大きいビルでは無かったので、すぐに一周してしまう。

 誰もいなかった。人一人存在しない、無人の空間。私だけがこの灰色の世界を動き回っている。

 今度はエスカレーターに乗って一階に降りる。そこにも誰もいなかった。ドトールコーヒーのテーブルには人っ子一人座っていないし、ゲームセンターにも誰一人存在しない。完全な無音に包まれた静寂の世界。

 三階も同様だった。そこに入っている100円ショップに人の影はなく、売り場もレジカウンターももぬけの殻だった。壁も床も、商品棚もそこに並ぶ商品も、全てが濃淡でのみ表現された白黒の世界――不思議なことに夢の中の私はこの状況において、「少し変だな」程度の感想しか抱かなかった。


 漂白された世界を一通り回った私は、最後に一番上の階のレストランフロアを見ることにした。そこにもやはり人はいなかった。私はどうしていいか分からなくなった。とりあえずエレベーターで元いた二階に戻ろう。そう思って奥まった空間にあるエレベーターホールに向かうと、その手前で私は思わず立ち止まった。エレベーターの前には、もやもやと緑色に光る球体が浮いていた。

 突然現れた非現実的な物体に、私は思わず息を呑んだ。無意識に二三歩後ずさって、距離を取ろうとする。やがてそれが、その場で浮遊を続けているだけの物だと分かると、私は警戒しながらもそれを観察した。

 その発光体が放つ光は鮮烈だったが、直視出来ないほど眩しくはなかった。大きさはバランスボールくらい。一見してすごく綺麗な色だった。親しみと温かみを感じるライトグリーン。辺り一面がモノクロである事も、その鮮やかさに拍車をかけていた。しかしこういう手合こそ、どんな危険を裏に潜ませているか分からない。慎重に事を進める必要がある。相手が何者か分からないうちは警戒を続けるべきだ。

 そんな思いとは裏腹に、私の頭は様々な連想を好き勝手に浮かべ始めた。宙に浮く発光体――ポケモンのエナジーボール。初代「世界樹の迷宮」のマップを徘徊する強敵のグラフィック。APEXのホライゾンのウルト。MOTHER2のパワースポットの番人。

……ゲームばかりで気が抜ける。私はその脱力的なイメージをどうにか振り払って、注意深く観察を続けた。


 そうやって時間だけが流れた。何も起こらなかった。相変わらずその発光体はその場に留まり続けている。どうやら害は無さそうだった。そもそも、と私は思った。そもそもこれが、私に敵意を向けてくるタイプのオブジェクトであるなら、赤い色をしているはずだ。いや、そうであるべきだ。だから大丈夫。私はこのゲーム脳に基づいた絶妙な判断を信じて、じりじりとその発光体に近づいていった。


 その緑色の光る球体は人型に姿を変えていた。いつそうなったのか、まるで分からなかった。ずっと見続けていたはずなのに、その変化に私は気が付かなかった。さっきより光が強い。そのせいで詳細な輪郭が把握できない。何となく、女性の姿をしているような気がした。

 私がまた連想ゲームを頭の中で展開しそうになったその時、そのヒトガタはゆっくりと人差し指を立て、右に向かって指差しをした。そしてこう言った。

「右」

 頭の中に直接響くような声だった。その声は脳の中で反響を繰り返す。どこかで聞いたことがある気がした。エコーが強くて声の実態が掴めない。私はとまどいながらも、言われた方向を見た。私の立っている場所のすぐ右は壁だった。視界が灰色の壁一色に染まる。

 シュールなやり取りだった。絶対違う。そういう事じゃないよこれ、と私は思った。再びそのヒトガタの方を見やると、また声が響いた。

「右」


……ここで私は起きてしまった。私はベッドから半身を起こし、自分にかかった布団を見て、ようやく今まで夢を見ていた事に気がついた。あれは何だったのだろうか。私は起き抜けに、ぼんやりした頭であれこれ考えを巡らせていた。洗面所で顔を洗い、朝食のトーストにかぶり付く頃には、私はこの夢の中での出来事を、ほとんど思い出せなくなっていた。

参考資料

・Pat Metheny「From This Place」,2020年

・くるり「There is (always light)」,2014年

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ