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灰色の街より  作者: kusyami
第一章 喫茶Paradiso
4/39

その黒猫はいつだって正しい

「そういや中間テスト、どうだった?」

 サキちゃんは、コーヒーのおかわりを注ぎにカウンターへ行った帰りにそう尋ねた。

「ちなみにあたしは終わってる」

 人懐っこい笑みと共に繰り出されたその言葉には、一切の後ろめたさが無かった。ケイは「だろうね」と言って、コーヒーカップを小さく揺らす。

「なんせテスト範囲、2日前に聞いてきたしね。そりゃそうだと思った」

 指摘を受けたサキちゃんは、目を固く閉ざした。それから「へ!」と、三下の悪徳商人の“おもねり”みたいな奇妙な鳴き声を上げる。ケイはその良く分からない、解釈困難なリアクションを無視して続けた。

「って事は結局、お二人とも、もれなくダメだったようで」

「……ん? という事はぁ?」 

 同族の気配を感じ取ったサキちゃんは、そう言って私に視線を据えた。彼女は嬉しそうな笑みを浮かべ、思い切りテーブルに身を乗り出す……顔がすごく近い。彼女のくりっとした両の目は期待の輝きで溢れんばかりだった。それは、この話題から身を潜めてやりすごそうとしていた私を、たやすく炙り出した。早めに白状するべきだった。

「……同じくダメでした」

 私は小声でそう打ち明けて目を逸らした。サキちゃんはそれを許さず、首を大きく曲げてその視線の先に回り込んでくる。そして私にこう訊ねた。

「敗因は?」

……逃げられなかった。私は早くも開き直る事にした。

「ゲームしてたら自然とそうなったよ」と私は一呼吸置いて言った。

「でも、そうしたいからしたんだ」

「何か、一番シンプルにダメそうな理由だね」

「……サキちゃんの敗因は?」

 私は反撃した。すると彼女は、まるで世間話の切り出し方と同じようなトーンでこう言った。

「あたしは普通に動画見てた」

「私と変わらないじゃん」

「“終わった人”の動画チャンネル。シャンクスのモノマネのやつ」

 サキちゃんがいらない注釈を入れる。ケイが彼女の隣で「字面に結果が引きずられてるじゃんね」と呟いた。サキちゃんは勢い良く姿勢を戻し、「また次、頑張ればいいの!」と言った。


「そういうケイは? 割とダメそうと見た!」

 余計な決めつけの言葉と共に、彼女は矛先を替える。ケイは予想に反して、落ち着いた様子だった。およそ自分には関係の無い話題、そういう態度だった。やがてそんな彼女の口から「残念だったね」という勝利宣言が告げられた。

「手応えあり、だった」

「嘘だあ」と、サキちゃんがすかさず否定する。ケイがにやけた。

「普段は授業態度、終わってるけどさ。悪目立ちしたくないじゃんね。こーいう時、ポイントだけは抑えてるわけ」

 サキちゃんは納得出来ていなさそうだった。確かに不自然だった。どうしてこんな普段だらしなく授業中に寝てたり、こそこそソシャゲしてたりする奴が……あるいは嘘か。サキちゃんは何やら難しそうな顔を見せ、唸ったり天井を見上げたりしてしばらく考え込んでいた。そうまでしても、彼女は結局何も思い至らなかったらしかった。やがて彼女は()()に口を開いた。

「あ、不正だ」

「してない」とケイはジト目を僅かに開きながら即答する。サキちゃんは止まらなかった。

「カンニングだ?」

「してない」

「窓の外の目立たない場所でカンペを掲げる協力者を雇ったんだ?」

「雇ってない」

「成績上位の人の弱みを握って、モールス信号で合図を送ってもらってたんだ?」

「握ってないし、そんな麻雀のコンビ打ちみたいな事もしてない」


 真相は闇の中だった。私たちが怪しんでいると、出し抜けに私の足元から「ニャッ」という声が聞こえた。テーブルの下を覗き込むと、黒猫がちょこんと行儀良くしていた。いつの間やらここまでやってきていたようだ。

 それは喫茶Paradisoでサキちゃんが飼っている猫だった。元ノラで8歳の黒猫。オス。名前はレヴナント。命名者はサキちゃん。なんでこんな物騒な名前なのかは分からない。決めた本人でさえ分かっていない。突然閃いて付けた名前らしい。鳴き声に特徴があって、肯定を表明する時は短く「ニャッ」、否定の意思表示の時は長めに「ニャァー」と鳴く。

 私がこの恐るべき名を持つ猫の名前を呼ぶと、私の右くるぶしに向かって突進してきた。そのまま何度か小さく旋回を繰り返した後、サキちゃんの膝の上に音も無く跳び乗った。彼は差し当たって、その全身をサキちゃんにくしゃくしゃにされた。どうも膝上に跳んだ時の彼の未来予想と、実際の結果との差異に納得がいかなかったらしい。彼は飼い主の元を早々に離れて、今度は隣りにいたケイの膝の上に移った。


「そうだ、レヴさんに聞いてみよう!」

 サキちゃんは、ケイの膝上で細かく足蹴を繰り出すレヴを見て閃く。私も便乗して「確かに」と、さも深刻そうに首を縦に振って言った。

「レヴさんに見極めてもらおう」

 この黒猫はひどく聡明で、今まで一度も判断を間違えた事がない。レヴさんはいつだって正しい。彼の緑色の慧眼にかかれば、全てが白日の元に正しく晒される。おざなりな論理の欠点はたやすく批判の的に早変わりし、どんなに巧妙な嘘も簡単にやっつけられてしまう。

 ケイはこの決定に何か言いたそうにしていた。やがて諦めたのか、彼女は何も言わずに膝上の猫を両手で持ち上げた。その柔らかい身体がぐにゃあと、割とよく伸びた。そうしてレヴナントの上半身がテーブルの上に現れた。準備オーケー。サキちゃんは満足そうに頷き、黒猫に語りかけた。


「レヴさん、レヴさん、教えて下さい。ケイがしたのはチートですか? それともチーミングですか?」

「ニャァー」

――即、否定された。テーブル席に衝撃が走る。醜く狼狽(うろた)える者さえいた。その張本人であるサキちゃんは、諦めきれずにもう一度同じことを聞く。

「ニャァー」

 答えは同じだった。そして私たちは、このあまりに強力な証言を覆すことが出来なかった。逆転のカードはゼロ。果たして決着は付いた。

 私たちはその場で被疑者に謝罪をした。それから二度と同じ事を繰り返さない事を誓った。サキちゃんはいそいそとカウンターに向かい、スタッフ用の作り置きコーヒーで二杯目のカフェオレを作った。それをうやうやしくケイに差し出すと、彼女は「うむ」と真面目ぶった。その温かい一杯にはいつもの通り、目を覆いたくなるほど大量の砂糖が流し込まれる事になった。それは勝利宣言の代わりだった。こうしてまた、歴史の本の一ページに文章が記された。このようにして私たちは毎日を生きている。


――私たちは数分後には何事も無かったように、ソシャゲの協力レイドで遊んでいた。ふいにサキちゃんが、昨日見た客について「そういやさー」と話を切り出す。

「昨日うちに来たお客さんがさぁ」

 言いながらサキちゃんはボスキャラにデバフをかける。

「私の顔見てめっちゃ驚いてたんだよねー。何だったんだろ?」

 私は全体回復のスキルを使いながら「何か変なこと言われたの?」と訊く。サキちゃんは「ううん、何も」と、首を横に降った。ケイが固有スキルで状況をリセットしながら「どんな人?」と質問した。

「黒人のお婆さん」

 サキちゃんが返事をする。ケイは少し間を置いてから「孫と間違えられた?」と予想する。サキちゃんが唸った。

「ん~、そうなのかなあ。10分くらいで帰っちゃったんだけど、その間ずーっとあたしを見ててさぁ。普段見かけないお客さんだし、外国の人だし、注文も指さしでやってて一言もしゃべらないしで気になっちゃった。で、夜ご飯の時お母さんにその人の事聞いたらさ、その人は近所に住んでる人だろう、って」

 私は「お母さんの知り合いなの?」と問いかける。

「お友だちとか?」

「友達っていうか――この辺りで有名な人なんだってさ。昔、そのお婆さんの飼ってた猫が、商店街の組合の軽トラックに轢かれちゃったらしくって……その次の日に近くのT字路で――あのミニストップがあるとこ――あそこでその人が、変な気味悪い儀式みたいなのやり出したんだって」

 話を聞いていたケイが「何だそれ」と声を上げた。サキちゃんは「ほんと、ナンダソレだよね」と同意した。

「なんかさ、最終的にそれが警察沙汰にまでなっちゃったらしくってさ。この辺りで有名な事件らしいよ。あたしはちっとも知らなかったけど」

 何だか“訳あり”そうだった。私が「何でそんな事したんだろうね」と疑問を口にすると、サキちゃんが続きを語った。

「噂でしか無いけど、ってお母さんが言ってたけど――猫が轢かれちゃった交通事故って、商店街の人たちがうやむやにしちゃったんだって。それでその人たちを憎んでるんだって。で、その仕返しに商店街に呪いをかけようとしたんだろう、って。その人、ネイティブアメリカンの呪術を代々継承して来た家系なんだってさ。ホントかな? それで皆、その人に怖がって近づかないんだってさ」

 私は「変わった人なんだね」と、ボスに斬りかかるケイのキャラを回復しながら月並みな感想を言った。ケイはタップ操作を一度ミスったが、無事ボスは倒せた。そうやってレイドが終了したと同時に、この話も途切れた。外を見ると、もうすっかり暗くなっていたので、私たちは帰る事にした。会計の時、店主さんは何も言わず、ただ黙って割引した金額を提示してくれる。いつもありがとうございます。


 駅の改札でケイと別れて電車を待つ間、私はサキちゃんの誕生日プレゼントについて考えていた。猶予はあと2週間――何をあげたら喜んでくれるだろう。頭の中でいくつかの候補があがる。が、どれもピンとこない。

 色々と考えてはみたが、やがて方向性が何をあげたら迷惑がられないかという方に変わってきたので、一旦棚上げすることにした。そのあとすぐに電車が到着したので、私はそれに乗って家路についた。


 翌日の放課後、サキちゃんから黒猫のレヴナントがいなくなった事を聞いた。

参考資料

・Pat Metheny「From This Place」,2020年

・くるり「There is (always light)」,2014年

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