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灰色の街より  作者: kusyami
第四章 向こう側
33/39

対峙

《ここまでの話》

喫茶Paradisoから姿を消した黒猫レヴナントを探していると、今度は飼い主のサキがいなくなった。

黒人の、声帯が無い、ろう者の霊能力者のおばあさん「ミセス・ウィークエンド」は、サキは生霊に憑かれていて、「向こうの世界」に連れて行かれたという。

“つながり”で出来たこの世界の裏側には、もうひとつの世界がある。

“つながり”を失ったものがたどり着く世界。

ツムギはケイと共にサキを追って、その世界を目指す。


主な登場人物

・ツムギ(私) 

Y市の高校一年生。新作ゲームにうつつを抜かし、年末の中間テストで散々な結果を残した。

・ケイ(長良 景子)

Y市の高校一年生。「私」のクラスメイト。くせ毛気味の黒髪ショートヘア。ちっこい。いつもやる気の無いジト目と平坦な声をしていて、何を考えているのか分かりづらい。“誤ったつながり”が見え、ミセス・ウィークエンドの下でアルバイトをしている。

・サキ

Y市の高校一年生。「私」たちのひとつ隣のクラス。良く下校時に二人に置いていかれる。長い金髪をポニーテールにしている。スラッとしていて、朗らかな笑顔と目の持ち主でクラスの人気者。喫茶店Paradisoの店主の娘で、忙しい時は店の手伝いをする。喫茶店で黒猫レヴナントを飼っている。絶賛、行方不明中。

 ケイに蹴り飛ばされた「()()」は力ない様子で横たわっていた。脱色された世界の、灰色の床の上でぐったりするそれを遠巻きに見ながら、私は言った。

「これがさっき言ってた?」

「そ。()()ってやつ」

 ケイは体勢を整え、私の前に立った。

「こいつ、()がある」と、彼女が言った。

「何処かで誰かの“つながり“を奪ってきたんだろうね。今度はわたしたちの“つながり”も取ってやろう、なんて考えかね」

「それってもしかして――」

 私が最悪のケースを話そうとすると、ケイが「変な事聞くけど」と遮った。

「――ツムギさ。今でも、何となくサキが四階にいるような気がする?」

 私は答えに詰まった。すぐに言葉が出てこなかった。ケイが私の様子を見て、「ゆっくりでいいよ」と言った。

()()はわたしが見ておくから、さ」

 床に倒れた「何か」を彼女が顎で示す。私は深呼吸しながら自問自答した。


 やがて答えは出た。

「まだいる……気がする。でも願望かも」

 自信は無かった。ケイは「何か」を警戒しながら言った。

「どっちでもいい。大事なのはツムギがそう思ってることなんだ。そう思えるなら、それはホントにそうなんだよ」

 私はケイの言葉を頭の中で何度もリピートした。が、すぐには理解は出来なかった。すると、彼女は私の肩を小突いた。

「これも初めに言ったじゃんね。分かんなくていいって。とにかくサキは無事ってコト」

 私は深く頷いた。その時、壁際で寝転んでいた「何か」が動き出した。


 その「何か」は起き上がってじっとこちらに顔らしきものを向けていた。

 目はついていなかった。だが、確実に()()()()()()。そう思った。ケイが一歩前に踏み出て間合いを少し詰める。


 「何か」の姿に、さっきまでのサキちゃんの面影は無かった。人の形をしているだけの何か。のっぺらぼうの棒人間。匿名性のかたまり。

 私はこの見た目に既視感があった。

 美術室に置いてあるデッサン人形。

 ターミネーター2に出てくる、液体金属の敵ロボット。

 小さい頃にうっかり読んでトラウマになりかけた、エドワード・ゴーリーの絵本『狂瀾怒濤、あるいはブラックドール騒動』に出てくる黒い異形。

――様々な連想が頭に去来した。


 その「何か」はサキちゃんのカラーを保っていた。頭らしき部分は黄色だったし、それ以外の各部位の配色も、彼女が着ているであろう服装の色合いだった。

 何だか無性に腹が立った。あんまりだと思った。私がきつく「何か」を睨みつけると、ケイが「そゆことね」と言った。

「ようやく分かったよ。多分擬態だよ、あれ。落ちてたサキのスマホから“つながり”を吸収でもしたんじゃないかな」

「っていうことは、サキちゃん本人は無事?」

「さっき言ったじゃん。ツムギがそう思うなら、だいじょぶだって。そゆこと」

 そゆことだった。ケイが更に「何か」に向かって一歩踏み出す。

「行って。大きな音出したし、コイツ以外も寄ってくるかも。急いで。後から追いつくから」

私は「何か」から目を逸らさずに、「うん、分かった」と頷いた。

「でも、大丈夫?」

「だいじょぶ。慣れてる」

「……武器とかあるの?」

「いや、ステゴロ」

「マジか」

「マジ」


 私は上りのエスカレーターに走った。「何か」もそれに呼応するように駆け出す。それをさせまいと、ケイが回し蹴りを放った。また同じ位置まで「何か」は吹っ飛んでいった。「何か」はさっきと違ってすぐに起き上がる。

 今度はケイに標的を変え、じりじりと歩を進めていく。

 私はエスカレーターを駆け上がりながら、手すりから身を乗り出し、「気をつけてね!」と言い残して上階を目指した。


 四階に着いた瞬間、さっきまで聞こえていた格闘の音が聞こえなくなった。振り返ると、階下に続くエスカレーターの通路が真っ黒に塗り潰されていた。

 後戻りは出来ないようだった。

 私はフロア全体を歩き回って、サキちゃんの姿を探す。


 私は小さく駆けながら、ぐるりとフロアを一周した。ここにはいくつかのお店が出店している。

 イタリア料理店、回転寿司屋、ハンバーグ専門店、ファミレス――私はひとつずつ店を回って、サキちゃんを探した。

 どこにもいなかった。忙しない靴音だけが、無音の空間に虚しく鳴り響いた。


 収穫ゼロのまま、元来たエスカレーターの位置まで戻ってきてしまった。私は焦っていた。あまり悠長にしている時間は無い。いつ新しい脅威に晒されるか分からない。

 それに今は一人だ。抗う力の無い私が「何か」と出くわしたら一巻の終わりだ。

 今度は店内をひとつずつ見て回ろう。そう思って一歩踏み出した所で、何かの気配を感じた。

 右の方からだった。立ち止まって振り返ると、エレベーターフロアに続く道が見えた。

……そう言えばそっちはまだ見ていなかった。

 そう思って私が歩いていくと、エレベーターの前で緑色の発光体が宙に浮かんでいるのを発見した。


……私はまた取り留めのない連想の輪を繋げそうになった。が、ようやく今まで忘れていた事を思い出して、思わずため息をついてしまう。


 そうだ。この光景は夢の中で見たものだ。灰色のフロアも緑色の発光体も――今から一週間前、ちょうど黒猫レヴナントがいなくなったその日に見た夢に出てきたものだ。

 私はこの緑の発光体がこの後どうなるか知っている。不思議な感覚だったが、その確信があった。

 そう確か夢の通りなら、ここから人の形っぽくなって――

 私がそう思っていると、本当にその通りになった。その発光体はヒトガタに形を変えた。 

 夢と同じだった。そう次は――

 そう、何となく女性のような気がした――私はそんな感想を抱いたのだ。そう思っていると、発光体はその通りになった。

 それからこの発光体は右を指さして――

……今度も同じようになった。そのヒトガタは夢と同じように、指で右を指した。そして言った。

「右」

 その声は頭の中に直接響いた。

 本当に夢と同じ。私は思わず笑いそうになった。その再現性の高さに、ではない。ある事に気がついてしまったからだった。


 それは大きく分けてふたつ。まずひとつめ、彼女の言葉の意味。夢の中での私は勘違いしていた。

 それは私の右隣りにある壁を指している訳ではない。すぐ奥にある室内非常階段の入口――それを示していたのだ。

 もうひとつある。そして愉快さの元凶はこっちだった。それはこの発光体の正体についてだった。


 私は何も言わずに彼女の右手にある非常階段に歩いていって、重い入口を開けた。扉をくぐると、私は振り返ってその発光体に笑いかけた。

「ありがとう、ナナミ」

 返事は無かった。柔らかい光が顔らしき部分を私に向け、こちらを見据えていた。私が噛み締めるようにゆっくりと扉を閉めると、その隙間から彼女が手を振るのが見えた。

 控えめで小さな仕草。記憶と同じ。私は無意識に微笑をたたえていた。

 私は躊躇いながらも、小さく手を振り返し、閉まっていく扉の隙間から彼女を覗き続けた。

 扉が完全に閉まると、私は耳の痛くなるような無音の中に取り残された。

 私は扉に頭と両手を付けて俯いた。片方の頬に涙が伝った。

――私はこの瞬間、曖昧なこの灰色の世界において、明確に一人ぼっちになった。


 大丈夫。大したことじゃない。私は袖口で頬を拭い、周囲を見渡す。

 非常階段の中は暗く、目が慣れるまで時間がかかった。しばらくすると、モノクロの景色の中に浮かぶ濃淡が、少しずつ把握出来るようになってくる。

 この非常階段は何度か利用した事があった。全ての階がこの階段で繋がれている、折り返し式の階段。

 目の前の景色も、どうやらその記憶と違わないようだった。手すりや薄暗さも一緒。ただ一点、異なる点があった。

 最上階のはずのこの四階に、上の階へ続く階段が用意されていたのだ。


 どこに繋がっているのだろう、という興味が湧くその前に、私の頭にある奇妙な考えがよぎった。

――私は()()()()()()()()()()()()、何となく理解していた。

 サキちゃんがいる、と思った。

 不可解な感覚だった。正確に言えば、「思った」というより「感じた」という方が正しかった。私はこの階段の続く上階に、彼女が待っている事をほとんど確信していた。


 これがケイたちの言う直感なのだろうか。

「分からなくてもいいんだよ」と、ケイに言われたことが頭に響いた。私は迷うこと無く上の階を目指した。

 踊り場まで階段を登って切り返すと、サキちゃんがいた。


 彼女は階段の段差に座り、壁にもたれて眠っていた。服装はさっき出会ったニセモノと同じだった。

 私は少し警戒しながら彼女ににじりよった。私が近づいても反応は無い。

 穏やかな寝顔だった。その顔を見て私はまた泣きそうになったが、今度は我慢した。


 薄暗くてよく分からなかったが、サキちゃんの膝の上で黒い何かが動いた。真っ黒な影のような塊。私はまた神経を張り詰めた。

 正体を見定めようと、私はその何かに顔を近づける。

 その何かはもぞもぞと動き出し、突然こちらに顔を向けた。僅かな明りを反射する二つの水晶がそこにはあった。

 キレイな緑色をした両の目。なるほど、と思った。私はその黒い塊の正体に、思わず小さく笑ってしまう。

 私はしゃがんでそれと目線の高さを合わせた。それからその緑色の目に“いつものように”質問をした。

「サキちゃんの事、守ってくれてたの?」

 彼は何も言わなかった。その代わりに大きなあくびをしてみせる。喫茶Paradisoの飼い猫――黒猫レヴナントのご登場だ。


「帰ろう」

 私がそう話しかけると、黒猫が「ニャッ」と短く鳴いて肯定を示した。それに呼応するように、眠っていたサキちゃんが目を覚ました。

参考資料

・Pat Metheny「From This Place」,2020年

・くるり「There is (always light)」,2014年

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