彼女はいかにして失敗したか
高校生活最初の年末――12月は、私の大きな過ちと共に始まった。
私は誓って、油断していたという訳ではない。その上、それに対して何ら対抗手段を講じなかった、という訳でもない。言ってしまえば今回の件は、“内なる生存競争”がもたらしたものだった。二つの対立項が生み出す葛藤。それらの衝突と番狂わせの決着。それがすべての原因だった。
私はそうなるであろう事を、途中から半分受け入れていた。ある時点から、それはあるべき正しい姿として私の目に映るようになったのだ。要するに私は“自ら作り上げた都合の良い真実”のもたらす誘惑に負け、判断を誤ったという事になる。
この話には教訓がふたつある。ひとつめは、“人は簡単に本質を見誤る“ということだ。物事にはひとつひとつ、適切なラベルが貼ってあるものだ。だが人は見間違える。ほんの僅かな認識のズレひとつで。いとも簡単に。そしてひと度そうと思い込めば、たちまちにしてその銘柄に固執するようになる。このラベルには「真実」と書いてある、そう信じて疑わない。例えそれが避けるべき劇薬だったとしても。もうひとつの教訓は――
「――黙り込んで突っ立っちゃって、どうしたのさ?」
聞き慣れた気だるげな声が、私の耳を震わせた。どうやら隣にいるケイが不審がったらしい。考え事に夢中になっていた私を現実に連れ戻したのは、その一言だった。おぼろげになっていた視界の四隅が、一斉に解像度を上げる。
横断歩道の信号はいつの間にか青に変わっていた。棒立ちの私の周囲を、同じように信号待ちしていた人々が行き交う。私が取り繕うように慌てて歩き出すと、ケイも一拍遅れて小走りで着いてくる。掴みどころのない、浮世離れした走り方。彼女が一歩踏み出す度に、くせ毛気味の黒いショートヘアが、その性質を体現するようにふわふわと揺れた。
「――あと、さっきからなんか上の空だし」
追いついたケイが難色を示す。私が彼女の方を見ると、いつものジト目と目が合った。私はその奥にある真意を読み取ろうとする。メリハリの無い喋り方と表情。それが彼女だった。そのせいで、何をどの程度訴えかけているのか判断が難しい。今回のこれは――シンプルに、不服と非難の目つきだった。
「それにずっとブツブツ何か言ってるの、不気味じゃんね」
私は「嘘?」と反射的に声を上げた。
「……私、なんて言ってた?」
「良く分かんないけど、“生存競争”とか“真実が”とか――」
そこそこ口に出していたみたいだった。
「呪詛みたいにブツブツ」
「忘れてください」
私はちゃんと敬語で返した。するとケイはそんな私の態度に何やらか思い至ったのか、怪訝そうな顔をやめ、にやりと片方の頬を歪ませて私を見た。
「中間テストの惨状でも回想してた?」
「……してた」
……私は正直に言った。
「言ってたもんね、楽しみにしてたゲームの発売日とテスト週間が被ってるって」
この“おちびさん”は珍しく軽やかな調子で、さも愉快そうに言った。
「しかも、そのタイトルがねぇ――」
そう言って、私はため息をつく。
「昔好きだったやつの続編だっけ?」
「よりにもよって、ね」
「我慢できなかったんだねえ」
「出来ませんでした」
「哀れだねえ」
「はじめは、ちょっとだけのつもりだったんです」
「尚のこと、哀れだねえ」
私が肩を落とすと、ケイは片手で口元を隠しながら小さく笑い続けた。彼女があんまり長い間そうするものだから、私は段々そわそわしてきた。小刻みに揺れ続けるそのちっこい肩を見ていると、次第にそれは苛立ちに変わっていった。そうなった後はもう、ただ一直線に落ちていくだけだった。
「だってさあ! しょうがないじゃん!? あの名作の数年ぶりの続編だよ!? 前作は私にとって魂の一作だったんだよ!? 抑えられるわけ無いじゃん! 初めてプレイしたのは、10歳の時! 今でも覚えてます! それはもう、ハマリにハマったわけですよ! やりすぎて、どの武器で殴ったらどの敵に、どのくらいの乱数幅でどのくらいのダメージ量になるか計算できたくらいですよ! もちろん、敵ごとの耐性も行動パターンも全部把握してました! 縛りプレイもしました! RTAみたいな事もやりました! やり込めばやり込むほど、考え抜かれた至高のレベルバランス! 神がかったステージ構成! プレイする度に新しい発見のある、奥深さ! 古くさいとさえ言えるほどの堅実さと、決して目新しいというだけでない、ブラッシュアップされた革新性が同居する見事なゲーム体験! そんなゲームの続編ですよ!? やらずにいられます!?」
私は一息で思いの丈をぶちまけた。それから末尾に「オススメです!」と、念の為に加えておいた。自分でも分かるほど痛々しかった。そんな私を、ケイは立ち止まってじっと見つめる。それからそっと私の肩に手を乗せた。
「テスト前はゲーム、控えよう」
「……うん」
もうひとつの教訓。テスト前に新作ゲームをプレイすべきではない。一度途絶えたと思っていたシリーズの復活作ならなおさら。ちょっとプレイを初めたら最後、取り憑かれたように止められなくなる。
……あと、もうひとつあった。八つ当たりはやめよう。
参考資料
・Pat Metheny「From This Place」,2020年
・くるり「There is (always light)」,2014年