リンネ管理局②
あの後俺たちはリンネ北部に現れた遺跡の最下層から1時間半をかけて脱出することに成功した。三人そろってあの化け物の体液塗れだったお陰で滑ってるわ臭いわで散々な状態だった。
俺たちは真っ直ぐリンネ首都アルストロにあるリンネ管理局本局へと向かった。俺は雇い主であるケージにいったん寄宿舎に寄って行くように進言したが、奴は危険な生物が遺跡内にいたから至急報告しなければならない、と無視した。
もっとも、その肝心な生物は俺達が処理したし、最下層に落ちてみたものはその怪物の干物とそれを食い散らかした後だけで、おそらく生存していた化け物はあの一匹だけだと思われる。つまりは脅威なんておそらくなく、単に嫌がらせ目的以外何物でもなかった。
聞いた俺は呆れてエセ侍殿と目を見合わせたが、向こうさんも肩を竦めていた。
帰路の途中から奇異の目で見られ、首都についても通りすがる人々に不快そうな表情で見られていた。
局でも当然同様。行く先々で局員が露骨に距離を置き、不愉快な様子を隠しもせずに俺たちのことを睨みつけていた。
帰局してからまっすぐに第二北部管理課長バクスターに報告に向かった。彼は俺達の雇い主を見るとまたか、と言いたげな表情を浮かべるのだが今回は露骨に不機嫌な様子を隠さずにこちらを睨んでいた。
ケージはバクスターに遺跡に危険な生物がいたことを報告した。…………よくもまぁ小賢しくも雇い主は嘘がない範囲で迂遠な報告が出来るもんだ。
鋼の忍耐で一応話を聞いていたバクスターであったが、ケージの報告を聞き終わった後、速攻で足言葉尻を捕まえ始めた。それに切り返していくが形勢が徐々に苦しくなる。数刻問答が続いていたがいよいよ課長の堪忍袋の緒が切れ、バクスターは当然のことを当然のように激怒した。反論にならない反論をするも問答無用。始末書と報告書と反省文の提出を言い渡され、局備え付けのシャワールームに叩き込まれたのだった。
◇
そして現在。帰路の時点で日が傾き始め、局に到着した時点で終業十五分前。なんやかんやあって気付けば終業三十分後。俺たちの雇い主は自席で処理が追い付かない報告書やら始末書に囲まれ、蹲ってうめき声をあげていた。
「ほら言わんこっちゃない」
シャワールームで汚れを落とし、替えの服に着替え、タオルを首に掛けた俺カズヤは、紙の束で見えなくなったケージに言った。
「うるせー。俺達だけ被害をこうむるのはおかしいんだ。こういうのは連帯責任っていうだろう」
実に身勝手な言い分だった。
「いわねーだろ、普通」
「本当に懲りぬなぁ、主殿は」
俺と濡れて無駄に艶っぽいアオエはそろって雇い主に呆れた。
「そういうお前らだって不満あるだろう、この待遇」
身体を起こしたケージが万年筆をこちらに向けて言った。
「それを言っちまうと本当に全ての苦情がアンタのところに向くことになるが。ただでさえ全方位から文句言われてんのに、その比率を95パーセントから100パーセントにするつもりか?」
当然そうなる。直接的な雇用主は目の前の局員その人なのだから。
「お前たちまで裏切るつもりか!?」
「主殿の失言であろうて」
肩を竦めてアオエは言った。
「俺の味方はこの世にいないのかー!」
両手を上げてふざけて嘆くように吐く。時々ウチ等の雇い主様こうして子供っぽくなる。本気では言ってないだろうが、偶に面倒くさい。
「また問題を起こしたの、ケージ」
そんな面倒くさい状態のケージに声を掛ける物好きがもう一人現れた。
「なんだメアリー。まるで俺が問題児の様な言い方じゃないか」
ケージは椅子に寄りかかり、廊下側を振り向いてやってきた人物、メアリーに対して言った。
「まるで、というかまさしく問題児だと思うけど?」
廊下から北方管理課のオフィスにやってきたのは腰まで伸びた長い髪が特徴の、柔らかな雰囲気の嫋やかな女だった。
管理局内部調査部第一中央管理課所属管理局員メアリー。容姿端麗、頭脳明晰。美人さん、というよりかは可愛いよりの女で、明るくしっかりした人物だ。
彼女は俺達に気付くと軽く手を振り、こちらも手を上げて返した。
「馬鹿言え。俺ほど仕事熱心な奴はいねーぜ?」
よく言う、と言いたいところだが確かに業務には忠実ではあるからあながち間違ったことは言っていない。問題はその努力の方向性が明後日の方向にかっ飛ぶのだ。
「そうね。その情熱が空回りしていなければこうはなっていないんだけどね」
そんな似たような感想をメイリーは言った。
「俺の熱量にみんながついてこれないんだ」
聞いたメアリーは頭を指で押さえてため息をついた。
「あのね、ケージ。私、本当に心配しているのよ?」
「何を?」
「貴方、管理局をクビになったらいよいよ行くところなんてないじゃない?」
可愛い顔して結構辛辣なことを言う。だが、それにはこちらも同意でこの御仁が他の仕事をしている様子はちょっと想像できない。天職、とはまた別のケージに似合った仕事なのだろう。
それはそれとして噂では局員内で雇用主がいつクビになるかの賭けをしているという。
「俺はなんだってできるぜ。なんたってスーパーマンだからな」
舐めんなよ、と嘯いてみせるケージ。聞いたメアリーがまた溜息を吐いた。
「真面目に聞いて」
「いつだって真面目だぜ」
もう、膨れるメアリー。
「いや、雇い主に言うのもアレだけど、メアリーさんよ、心配してやる義理はねぇんじゃねぇかな?」
「概ね同意」
そろって駄目な雇用主を心配してくれてる物好きな女に向かって言った。何せこんな調子だし、労力の無駄という。
「お前ら、一体誰の味方だ?」
聞いたケージは俺達を半目で睨んだ。
「もちろん、中立」
「右に同じ」
何も雇用主だからと言って味方になるわけでない。あくまでビジネスの関係なのだ。
「ほら、この通り仲間にも裏切られる。いつも言っているだろう、メアリー。こんな男に構っていたら碌なことにならないと」
今度は凛とした声が廊下から声が聞こえた。振り返るとそこに立っていたのはカールした赤い髪が特徴の、キリっとした雰囲気の美女だった。
「なんだ、“騎士”ロゼッタ様じゃねぇか。俺に喧嘩売ってんのか?」
現れた凛々しい女、ロゼッタに向かってケージは皮肉っぽく言った。
“騎士”ロゼッタ。メアリーの“契約者”であり元居た世界では“白薔薇騎士団”の団長だったとか。“白薔薇騎士団”とか言われても何のこっちゃ、という話だがそれを言ったら“臥薪部隊”も理解されないのと一緒なんだけれども。
性格は清廉潔白が服を着て歩いているようにお固く、また凛々しくもあるお伽噺の騎士様だ。
今はつっけんどんな態度を取っているが、普段はそうでもない。というか、うちの大将限定であり、他への対応は歯の浮くようなセリフを平然と話す。まさしく王子様といった感じた。なので局内でファンクラブが存在しているという。
よく二人並んで歩いているところを花に例えられ、百合と薔薇と言われている。どちらがどちらかは語るまでもない。
「随分と自分を高く買っているんだな。お前の安売る喧嘩なんぞ買う価値もない」
「ロゼッタ、私いつも言ってるよね、みんなと仲良くしてって」
メアリーはロゼッタを窘めた。
「ああ、だから言われた通りみんなとは仲良くしている」
実にツンとした返しだった。しかし、それについてはほぼ同意見ではある。
もう、メアリーは困ったように言った。
「ロゼッタ様は皮肉を言いに来たのか?」
「戯言しかはかない男よりかはマシだと思うがね」
「ロゼッタ!」
「いいよ。俺は寛容だからな」
聞いたロゼッタが流石に眉をひそめた。
「あ、いたいた。おーい、“魔法使い”」
ロゼッタが口を開こうとした瞬間、廊下から呼び声がかかり一斉にみんなが振り返った。
「その“魔法使い”ってーのやめてくれない?」
呼ばれた当人は明らかに不機嫌で、ケージは廊下の局員に返した。ちなみに、"魔法使い"という雇用主のあだ名は育ちに関係するらしく、何でも少年期にマギアで育ち、その後にリンネに戻って来たのだとか。
マギア以前はリンネに住んでいたらしいが、なんでかそれについては語ってくれない。ま、人に言いたくないことなんざよくある話だし、飛ばされてきた俺達だって似たようなものだ。
「何だっていいだろう。それよりも局長がおよびだぜ。話は詳しく聞いてないけど、思い当たる節は山ほどあるだろう。幸運を祈っているよ」
心底面倒くさそうな局員は、伝えたからなー、と言って去っていく。
不機嫌な雇用主も一変、北方管理課内に微妙な空気が漂い始める。関わりのない管理局局長からの名指しでの呼び出し。それも思い当たる節は両手でも手に余る。
自然、全員の脳裏にはある二単語がよぎり。
「…………いよいよか」
そんな不吉な言葉を口走るロゼッタに怒るメアリーであった。