記憶喪失の魔王⑦
夜空に浮かぶ三日月、寝静まった街並み。通りに人の気配なく、暗闇が辺りを包んでいる。露店は全て畳まれ、その賑わいは遠く、静寂が辺りを包み込む。
そんな畳まれた露店の一つ。木で組まれた屋台の影に俺たち三人は隠れていた。
「なぁ大将。本当に来ると思うか」
上下黒い服に包まれ、マシンガンという遠距離武器を手にしたまま座り込んでいるカズヤは小声で言った。
「さぁ、来ないんじゃねぇ?」
立膝で通りの様子を伺うようにしゃがみ込む俺はそんな風に答えた。
「おいおい、初めから諦めムードはやめてくんない?」
呆れたようにカズヤは言った。
「とりあえずかかりゃ儲けもんだって話はしてんだろう。最初から期待するよりハナから諦めていた方が精神衛生上よろしいと思うのは俺だけか?」
「違いねぇな」
言ってカズヤは小声で笑った。
「いや、それだと僕は困るんだけれども」
困ったように隣で呟くリンネ。
「いや、そうは言うけどな。アンタが括りつけられて1日。俺たちが保護して1日。で、今日この思い出の場所で隠れているのでおよそ3日目。普通盗品だってすでに捌かれているぜ」
パクったものなんぞさっさと処理するに限るし、持っている必要もないし最悪捨てればいい。正直なところ手元に残しておいて得な事はないのである。
「期待を持たせたいのかトドメを指したいのかはっきりしてほしいな」
「まぁ、あきらめな。ところであちらさんのご様子は?」
カズヤがこっちを見て言った。
「異常なし。普通の輩もくる気配が微塵もない」
屋台からこっそり顔を覗かせて通りの様子を伺う。まぁ、一般人は真夜中だから来ることはないんだが、目的の連中も現れる気配も皆無である。
そして、視線の先には唯一の人の姿。フードをすっぽりと被り、全身を隠すようなローブを着ている。顔は陰っていて見受けられない。
俯き気味で、どこか不安そうな気配を纏わせているその人物はこちらが用意した餌。辺りを伺うように見渡して所在なくしている。
振り向いた際にフードの中の顔が覗く。青白い光に照らされたその容姿は絶世の美女のそれだった。
◇
――――さて。
話は少し戻り、俺たちがどうしてこのような黒髪の絶世の美女を用意できたかといえばこういうオチになる。
◇
「……………いいのかなぁ」
適当な椅子に座って目の前で起こっている光景を見ながら、困った表情を浮かべたリンネ。
「主殿。貴様ら覚えておけよ」
臓腑の底から恨みを吐き出したような、もはや呪詛に近い声で椅子に括られたアオエは言った。
「まぁ、これも人助けだと思って。ね」
そういって宥めつつ、こぼれそうな笑いを堪えてアオエに言って聞かせた俺。一体全体何が起きているかというと、今目の前でアオエがメアリーに化粧されているのだ。つまり、女装である。
そもそもアオエは中性的かつ顔立ちがいい。自前の長髪もあって遠目で見ると一瞬男か女か見紛う程なのだ。素体が良質ならば化粧を施せば間違いなく化けるはず。さらには細身であるのできっと見事な女になるはず、とこうしてメアリーの協力のアオエ女装化を進めているのであった。
「ケージ。一応聞くけど、アオエさんはちゃんと納得づくなんだよね?」
といいながら動かす手は止めないメアリーは俺に聞いた。
「ああ。心広いアオエ殿はちゃんと人助けの為に理解してくれている」
カズヤと一緒に懇切丁寧にお願いした結果、快く引き受けてくれた結果である、まる。その言葉を聞いてアオエは大分蔑んだ感じで鼻で笑った。
「メアリーに何かあったらわかっているな?」
後ろの方でお目付け役の如く壁に寄りかかっていたロゼッタは、正しく射殺すような視線でこちらを睨み、そんな物騒なことを言った。
「ロゼッタ殿。某はそれほど見境がない訳ではない。それはそれとしてあの二人をしばく際には助力を頂けるかな?」
「承知した。快く手を貸そう」
「オイ、なんか盟約出来てんだけど」
「大丈夫だ、多分」
その際はカズヤを生贄に俺が逃げるだけである。
「さて、完成。うん、渾身の出来」
そういって腰に手を当て胸を張るメアリー。出来栄えを確認と思ってアオエのツラを見て度肝を抜かれた。
「いや、すげーな。顔立ちは整ってたけどこうも化けるもんか」
「はぇぇ、すっごい」
「こりゃ声出さなきゃ男だってわかんねぇわ」
三者三様に声を上げる俺達。椅子に括られたアオエの首から上には見たこともない美女の頭があった。
「しかし、様になるものだな」
壁に寄りかかっていたロゼッタも近づいて、感心したように言った。
「ロゼッタ殿。それは褒めているのかけなしているのかどちらであるか?」
「褒めている、がどうあってもけなされているようにしか聞こえまい」
「いや、あっちの二人と違い悪意はなかろうて。素直に誉め言葉として受け取っておこう」
心外な。アオエの言いようはまるでこちらが純然な悪意しかないかのようだった。
「それにしたって、私に相談してくれればこんなことしなくても手伝ったのに」
「「いや、駄目だろ」」
ほぼ同時にロゼッタと俺が言って、ほぼ同時に俺達は顔を見合わせた。
「二人して何なの。私も局員なんですけど。それも北側さんと違って私ちゃんと中央の人間です」
「いや、普通に管轄外だろ。これは俺が局長から直接命令を受けて調査していることなんだから、他の局員に手を借りんのは筋違いだろ」
「アレ、でもさっき他の局い…………、」
何か言いかけたリンネの足を思いっきり足を踏みつけた。そのまま蹲るリンネは蹲り、さらにカズヤがその首に腕を回した。
「この阿呆の為にメアリーが危機的状況になる必要はない。そんなことになるくらいなら私がこいつを全裸で簀巻きにして放置する」
「オイこら、どういうことだロゼッタ?」
そのまんまだが、とロゼッタ。この女過保護が過ぎんだよ。
「それにしてもそんな話聞いてなかったな。確かに、ここ最近異世界の人を見ることは少なくなったなって思ってたけど」
そういえば、とよくよく考えたら当てはまることが起きているのか、メアリーは不思議そうに言った。
「そりゃ課長クラスしか情報把握してないからな。それに、第一課のパトリック課長は何考えてっかよくわかんないし」
「そう? 素直な人じゃない?」
「そうかぁ、あの仏頂面」
正直怖いんだよなあの人。大体眉間に皺寄せてムスッとしているから話しかけづらい事この上ない。
「嘘、これが某の顔?」
俺達が会話しているとそんな感想が背後から聞こえた。振り返ると手鏡で自分の顔を確認して素直に驚いているアオエの姿があった。
◇
ということで現在に戻る。
「とりあえず、この後の謝る言葉考えておいた方がいいんじゃね。あのエセ侍、これが終わったら割とマジで騎士様とカチコミかけかねねぇぞ?」
三人そろって月明かりの元にいる美女の様子を伺っていると、隣のカズヤがそんなことを言った。
ここに来る前、準備が完了した段階で早速報復に出かけたアオエだったが、メアリーにあまり激しく動かないようにといわれて自重したのだ。
「こんな時こそ土下座では?」
アオエもカズヤも知っている似たような謝り方らしい。特に重要なタイミングでするそうで、五体を地に伏せて頭を下げるらしい。
「頭踏まれるだけだぜ」
呆れたようにカズヤはそんなことを言う。まぁ、俺もそんな気はする。
「しかし、かれこれ3時間だ」
すっかり日付が変わり、夜も深くなって一向に人がくる気配はなかった。
「ま、こねぇわな」
そもそも同じ犯行現場で事件を起こす馬鹿もいない。もっともはなから来ると思っていないし、初日で解決できるなら苦労はしない。
「しゃあない。アオエに撤収を…………、」
これ以上待っていても無駄と判断した俺はいったん切り上げようと思ったのだが、
しっ、カズヤが急にこちらの言葉を遮った。
よくよく見れはいつもの気さくな表情はひそめて、鋭い眼光をした無表情になっていた。その視線を追う。
「…………マジかよ」
通りを見て絶句する。
月明かりに照らされ佇むアオエ。それに近づく三人組の姿があったのだ。