二
「ただいま」
ドアを開け、声を大きくしてそういうと、キッチンの方からパタパタとスリッパが擦れる音がした。
「おかえりーって、あらあら。お客さん?」
「ううん。違う」
「それじゃあ…」
お母さんの目が、繋いでいる手の方に向けられる。
「恋人?」
菅井君の方を向くと
「なんで聞くんだよ。まあ、そうじゃないのか?」
「だって」
「あらあら、まぁまぁ。そうだったのね。若い子はいいわねぇ」
「ふふん。いいでしょう」
「さ、上がって上がって、荷物は適当なところに置いていいわよ。コーヒーとお茶どっちがいい?」
「お構いなく」
「そんな硬くならなくても、肩の力を抜いてちょうだい」
「はい」
菅井君が息を吐き、肩を落とす。
「それで?コーヒーとお茶」
お母さんの代わりに聞く。
「それじゃあお茶で」
「分かったわ。ゆっくりしていってね」
「はい」
お母さんがキッチンに戻って行った。
「とりあえず、私の部屋に行こうか」
「ああ」
手を繋いだまま二階に行き、自分の部屋のドアを開く。
「あれ?入らないの?」
菅井君が一歩も動かないでいるのを見て、そう尋ねる。
「いや、なんか、女子の部屋って初めてだから、緊張して。まぁ心の準備というか…」
「ほら、入った入った」
ぐいっと繋いでいる手を引っ張り、菅井君が一歩だけ部屋に入る。
「あー……もういいや」
お構いなしに部屋に入って来る。
「適当に座ってね」
「おう」
ベッドのすぐそばにある座布団に腰をかけると、菅井君も隣に座ってきた。
「さっき、チラッと見えたんだけどさ」
菅井君が慎重に言葉を選んでいるのがわかる。
「うん」
ああ、あれだな。と、見当がつく。
「勉強机の上に、『遺書』って書いてある封筒が見えたんだが」
「うん」
やっぱり、と思う。
「もし、私が死んで、お母さんが遺書を探してるみたいだったら、言ってあげて」
「分かった」
ガチャリ
ドアが開いた。
「お待たせ。お茶と、バウムクーヘンね。菅井君アレルギーとかあったかしら。小麦とか…」
「いえ、ありません」
「そう。良かった。お茶のお代わり欲しかったら、陽茉利に言ってね」
「はい。分かりました」
ニコッと微笑み、ガチャンとドアを閉め、去っていった。
菅井君が麦茶を一口飲む。
「佐野木」
「ん?」
「手術、本当にしないのか?」
「…うーん」
そういえば、嘘をついていたんだった。
「あのね」
控えめに、口を開ける。
「分かってる」
無意識に目を見開く。
でも、すぐに元通りになる。
そういえば、嘘を見抜くのが得意って言ってたな。バレるのは当然だ。
「でも、嘘であって欲しい」
真顔で言われて、ドキリとする。
「まずは」
口を開く。
「嘘ついてごめんね。手術は…できない」
なんとなく目を逸らす。
「…うん。やっぱり。でも、逆に良かった」
「え…?」
「いや、なんか。だってさ、ひどいと思うけど余命っていうのがなかったら俺たち出会わなかったもんな」
「確かに」
「でも、延命治療、ってのがあるなら…」
「延命治療かぁ」
「嫌なのか?」
「うん。失敗したら、余命が縮むんだって」
「そうか、それなら、まぁ延命治療は嫌だよな」
「そう。だから、もう、これでいいの。うん」
「そっか。俺もその意見に賛成だ」
バウムクーヘンを手に取り、一口齧る。欠けたバウムクーヘンを小皿に戻す。
「ねぇ、菅井君」
体ごと、菅井君の方に向ける
「ん?」
「もう。阻止しなくていいよ」
「…阻止しないんじゃなくて、できない。だろ」
「うん」
首を縦にふる。
「だから、ね。私の最期を、見届けて欲しいな」
「当たり前。何があっても、見届ける」
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思った」
「どういたしまして」
菅井君が繋いでいる手を上に上げ、クスッと笑う。
ふぅ、と一息つき、体を戻す。
「後、もう八時間と少しくらいじゃないかなぁ」
繋いでいない手を、床に手をつけ体重をかける。
「少ないな」
「そうかな」
「多い?」
「うーん、微妙」
自分で言って、よく分からなくなった。約八時間本当に微妙だ。
「理子にも遺書見せてあげてね」
「おう」
「菅井君にも書いたから、読んでね」
「なんかむず痒いな。もう遺書は書いてあるのに、書いた本人がここにいて、触れているなんて」
「それはこっちのセリフ」
なんだか恥ずかしくてなって、目を逸らす。
体重をかけた手をズボンで拭き、バウムクーヘンを取り、食べ進める。
菅井君もバウムクーヘンを手に取り、私と同様にバウムクーヘンを食べ進める。
何気なく気まずい空気になる。
こういう空気はやっぱ誰でも嫌になる。
「あのさ」
菅井君が口を開く。
「なあに?」
「暇、なんだけど」
少し言いにくそうに言葉を発した。
「まぁそうなるよね」
その言葉に納得する。
「あー…本読む?最終的には菅井君のものになるし」
「いやー、でも、片手じゃ読めない」
菅井君が左手をぶらぶらと揺らす。
「それはそうか。じゃあ今だけ特別に手を離す」
パッと、自分から手を離す。さっきからあった温もりが急になくなって、空気で手が冷たくなるのを感じた。
「どれが読んでいい本?」
菅井君が本棚の近くにより、本の背表紙をテンポよく押していく。
「全部」
「オッケー」
読みたい本があったのか、了承した瞬間に一冊の本を本棚から取り出す。
「お、読みたい本あった?」
「うん」
「題名教えて」
「…”私”」
「ああ、それ」
「うん」
菅井君が隣に戻り、本を開く。
私も立って本棚の前に立ち、一冊の本を取り出す。
「佐野木も何か読むのか?」
「うん」
「題名」
「”君が消えるまで”」
「初めて聞く題名だ。作者は?」
「ナカムラヨウ」
「漢字は?」
「仲がいいの仲に、村人の村。下の名前は訓読みで要って読む。仲村要」
「珍しい名前だな」
「きっと芸名だよ」
菅井君の隣に戻り、本を開く。
この本は、どんでん返しがすごいから結構読んでいる。
ふと、菅井君の方を見ると、真剣に本と向き合っていて可愛いな。と思った。
本に視線を戻し、読み進めた。