課外活動 - 2
合宿の朝は早い。
露に濡れた空気が肌にまとわりつき、どことなくじめっとしている。鳥の歌声も、人の生活音もない。ただ薄暗い森の気配だけがそこにあった。
カラッと晴れた王都の朝が少し恋しくなる。眠気で擦る目の奥がまだ重い。
「先日、見かけない魔獣の群れを確認した。」
部長の声は静かだが、その背筋に張り詰めたものがあった。
「猿の魔獣だ。普段はもっと北に棲むはずの中型魔獣が、この近辺まで下りてきていた。」
考え込む癖なのか、部長の指先が無意識に剣の鞘を撫でる。
「異常事態が起きているのかもしれない。」
「部長、アシュトン男爵への報告は?」
「既に済んでいる。だが、特に変化は感知していないそうだ。たまたまの流入ではないか、とのことだ。」
どうやら、珍しいことではないらしい。
生息域を外れた魔獣が森へ流れ込み、冒険者に駆除を依頼する──北部ではよくある話らしい。
「現在、男爵は冒険者を派遣予定だ。だが、また遭遇する可能性は高い。全員、警戒を怠るな。」
連絡事項は以上。
今日も昨夜と同じように、私たちは森へ入る。ただ、その胸中には昨日と違うざらりとした重さが宿っていた。
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「それにしても、本当に昨日のは驚きましたね。」
「まあな。実力的には全く問題はなかったが、なんせ初めての校外戦闘をする奴らが2人もいたからな。上手く行って良かった。」
「そういや、班割りは実力と経験で上手く分けているんでしたっけ。」
「そうだ。1年の奴等は基本的に1班に1人だ。何かあってパニックを起こされても十分年長がカバーできるようにな。……まあ、この班は、戦闘力で何とかできるだろうってことで2人になった訳だが。」
ちらりとこちらに向けられた視線を避けるように、明後日の方向を向いた。
「それにしても、なんか昨日と違わないか?」
その言葉に、今までのほほんとしていた空気にピリッと緊張が走る。
訪れた静寂の中、冷たい湿気が頬をそっと包み込むが、その不快感を払う事もせず、魔力探知に集中する。
一体何が違うと言うのか。
「……生き物が、やたらと静かだな。」
ほんの十秒程度の探索の結果、絞り出された答えは、非常にシンプルだった。
昨日は確かに生き物の存在が確認できた。ひっそりとした森の中に、静かに息づく命があった。それは魔力探知を使えば分かるし、それを調査するのが私達の目的であったから、間違いはない。
しかし、今は違う。
薄い靄の向こうにあるはずの命の粒が、ほとんど感じられない。
「おかしいな、昨日はそこそこの生き物が観察できたはずだが、今は微弱な魔力すら感じられない。」
「いや、微弱な魔力は感じますよ。地中深くに反応がぽつぽつとあります。」
「土竜か小動物が隠れているのか?しかし、昨日は地上や木の上にいたはずだろう?それに鳥はどうした、高い木の上で静かに留まっていた鳥たちはどこに行った?」
「それは……分かりません。どこかへ飛んで行ってしまったのかも。」
「どこへ?」
その言葉へ返答が出来ず、答えに詰まってしまう。
皆考えていることは同じだ。
疑問を抱きながらも、無言で少しずつ歩みを進めて行く。
「ああ、こんなにも静かだと話でもしないと気が滅入りそうだ。誰か、なんか雑談の話題でもないか?」
「今日の夕飯の話でもします?昨日のお料理はおいしかったですね、特に鹿肉なんて生まれて初めて食べましたよ。」
「……この辺りの食事は比較的塩気が多い印象ですね。子供の頃何度か北部に来た時はあまり好きではなかったのですが、こうやって体を動かした後の塩味は特段美味しく感じます。」
「ああ、北部は冬に狩りや漁がしにくいから塩漬けにして保存する方法が有名でだな……おい待て、何か聞こえないか?」
部長の言葉に全員ピタリと口を閉じ、静かに耳を澄ませる。自己強化を掛けた聴力でギリギリ聞こえる程度の僅かな音。
気のせいかと疑っている間に、その音は少しずつ大きくなっていく。静かな森には似つかわしくない騒音が、確実にこちらへ近づいてくる。
「魔獣の足音。それも、1つとか2つじゃない。」
「群れだ。」
視線を向けた先、木々を押し分けるように黒い影が蠢いた。
鹿のように枝分かれした角。牛に似た大きく四角い顔。そして岩を砕くような頑丈な脚。
その名は鹿牛。中型魔獣として有名な偶蹄目の魔獣。
だが、問題は数だ。視界を埋め尽くすほどの大群が、砂煙を巻き上げて一直線に迫ってくる。
馬の嘶きと牛の唸りを混ぜ合わせたような不気味な叫び声。
器用に木々を避けながら、まるで狙い澄ましたかのように私たちの方へ突進している。
「……散開!」
掛け声と共に、全員が弾けた。
さっと左右に綺麗に分かれ、突進してきた群れを回避する。
向かって右側には部長とアーノルド、左側には私とダニエル。
大半の魔獣は私達に目もくれず、ただ進行方向へと突っ切るだけ。
しかし、その中の数匹が私達を目に捕らえた。明らかな敵意を目に宿し、群れから脱し、急激な方向転換でこちらを向いた。
魔獣の名にふさわしい程に立派な角を振りかざしながら突っ込んでくる。
私は横へ跳ねて躱し、ダニエルは空へ浮き上がる。
掠めた鹿牛は急停止し、再びこちらへと殺気を向けてきた。
咄嗟に横へ躱し、ダニエルは空中へと浮き上がった。攻撃が掠った魔獣は途端にブレーキを掛けたように減速し、再びこちらを視界にとらえて走り出した。
「応戦するぞ。」
ダニエルが杖を構え、魔力を込める。空中から適当な雷弾を1発でも当てれば相手は昏倒するだろう。そう思っての一発。
だが、その1発を繰り出そうとした瞬間、突如背中にぞわりとしたものが走った。
「ダニエル!」
考えるより先に体が動く。私は咄嗟に空中へ飛び出すと、ダニエルの首根っこを掴み、そのまま共に地へと叩き落した。
「何するんだ!」
ダニエルが抵抗して起き上がろうとした瞬間、その頭上をさっと鋭く光る何かが掠め、ダニエルは息を飲んだ。
「鳥型魔獣……」
巨大な猛禽の姿。
数メートルの翼を器用に操り、木々の隙間を縫うように飛び回っている。やたら動きが速い上、しおりに似たような姿の魔物が幾つもあったせいで、具体的な名前までは分からない。
「空を飛んだから、空中から見つかったのよ。さっきまではこの辺にいなかったのに……あの鹿牛の群れについてきたのかも。」
「打ち落とすか?」
「無理、速い。それに、あいつだけじゃない。」
空を見上げると、同じ魔獣が数羽、こちらを旋回しながら威嚇している。
「さっきまであんなに静かだったのは何だったんだよ。地上にも魔獣、空中にも魔獣。おい、部長たちは?」
「未だに魔獣の群れに分断されてる。応戦するには狭いし飛べないしで最悪の立地だから、2人で戦うには少し心許ないわね。」
地上に墜ちてきた私達に突進してきた鹿牛をジグザグに走って避け、その次は空中から掴み攻撃を繰り出してくる巨大鳥を風魔法を使って回避。
「クソ、木と草が邪魔で思ったように狙いが定まらない。炎魔法が使えたら此奴ら纏めてぶっ飛ばすんだが、森を燃やすわけにもいかないし……一旦逃げるか。」
私は頷き、一目散に魔獣の居ない方角へと走り出した。
当然、後ろから魔獣が襲い掛かってくる。
しおりで予習しておいた対処法でなんとか避けはするが、攻撃に転じる余裕はない。
隠密魔法を使おうとも思ったが、生憎ダニエルは隠密魔法が苦手だったことを思い出した。
1人で逃げたって仕方ない。
ただひたすらに一緒に逃げ回り、敵の追跡を撒くことにした。
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それは当然の結末だった。
「ここ、どこ?」
「さあ?」
地図を見ても分からない。前を見ても森、後ろを見ても森。左右どちらを向いても景色は変わらない。
道なき道を進み続けたらこうなるのは分かっていた。仕方のない選択だったが、状況は笑えない。
「遭難?」
「悔しい事にな。」
はあ、とため息をつく。幸いまだ日は高い為、息は白くない。ただ、寒くなる前には帰らないと凍え死んでしまう。
「元来た方角は分かる?」
「忘れた。」
「通信機は?」
「部長が持ってる。」
「つまり、割と綺麗に詰んでるってことね。」
ダニエルは首を竦めて肩をすとんと落とした。
さて、どうするか。
「空を飛べば一発で分かるんだけど。またあの鳥に追われたらたまったもんじゃないし。」
「木々が邪魔にならない程に高く飛べばいいんじゃないか?」
「それだと鳥に袋叩きにされるじゃない。あの鳥が何匹この森にいるかも分からないのに、それは危険じゃない?」
「いや、隠密魔法で隠れながら上空に浮けばいいだろ?お前、精神魔法系得意だろうが。」
「……あれ、何で知ってるの?言いふらしたことないと思うんだけど。」
「馬鹿言え、大会で精神魔法使っといてバレないとでも?エミリアは気づいていなかったが、俺は気づいたぞ。あと学園祭での演劇。無知な観衆は演技力の賜物だと勘違いしていたようだが、俺の目はごまかせない。」
「見ててくれたの?嬉しいねえ。」
まさかあの演劇をダニエルが見ていたとは。気恥ずかしくなってきた。
でも、良い案だ。それなら何とかなりそうだ。
どうせバレてるならこれ以上隠すことも無い。
「……本当に見えなくなりやがった。」
すっと隠密魔法をかけると、私の姿はダニエルの視界から消えた。精神魔法をこっそり修行し続けて早3年。以前とは比べ物にならない程上達した。
そのまま魔力を発散させないようにそっと上空へ飛び立つ。高い木々の枝の先に目を刺されないよう細心の注意を払いながらゆっくり昇っていく。
分厚い葉の層を抜けた先で、視界は一気にクリアに広がった。遠くに見えるのは、薄雲に覆われた青空と眼下の風景。
いつもより高く飛んだせいで、ちょっと足が震える。無意識のうちに両手で杖を強く握りしめていた。
だが、鳥型魔獣の姿も見えなければ鳴き声も聞こえない。良かった、ダニエルの提案通り隠密魔法が通ったようだ。
さて、どっちだ?
ぐるりと首を回し、地上の様子をさっと確認する。木、木、山、たまに川。雄大な自然、膨大な情報量のせいで目がくらくらする。
必死に目を凝らして確認するが、こうも情報量が多いと確認するだけでも頭が痛くなる。ただでさえ隠密と飛行で思考を割かれているもんだから、余計につらい。
何周かぐるぐると回ってじっくりと観察した結果、何とか一方向だけ、何とか木々とは異なる風景を見ることができた。濃い緑ではなく、川の薄青でもなく、遠くに見える雪の白でもない。
灰と茶の混ざった色。即ち、レンガ造りの建物と石畳の道。
目に魔力を込めて視力を無理矢理上げていく。間違いない。若干の光が見える。
人里だ。
ここからかなり離れた場所だ。思ったよりも遠くに来てしまったらしい。
太陽との位置関係を確認し、しっかりと頭に叩き込んでおく。天体による方角確認のやり方は既に履修済みだ。
さて、地上におりてダニエルに朗報を伝えねば。そう思い、一応ぐるりともう一度周囲を見渡しておく。
その時。
「光?」
紫の光がぼんやりと、視界の端に映った。見間違いじゃない、確実に光っている。森が薄暗い分、良く見える。
薄暗い森の中に、光は無いはずだ。人は暮らしていないはずだし、探索中の部員は光を使わない。光を使えば野生生物が驚いて逃げてしまうかもしれないし、逆に光に反応した魔獣に襲われる可能性があるから。
では、発光するタイプの魔獣がいるのか?いや、そんな種類の魔獣はこの森にいなかったはず。そんな特徴的な魔獣が居たら、真っ先に記録されているはずだから。
では、あれは一体何なのか。
目を凝らして見ると、やはりあれは人工的な光だ。それに、あそこだけ木々の密度が若干薄い気がする。
あそこになにかあるのか?
夢中で眺めていると、遥か下から魔力の膨らみを感じた。一瞬魔獣かと身構えたが、なんてことはない、あの魔力は恐らくダニエルだ。
早く帰ってこいとの合図だろう。
仕方ない、余り待たせる訳には行かない。
私はあの光の正体について考えながら、ゆっくりと地上へ降りて行った。




