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我が子をたずねて三千世界  作者: カルムナ
学園高等部編
79/80

課外活動 - 1

 ガタン、と車体が大きく揺れた。押し上げられるような衝撃に、閉じかけていたまぶたが跳ね上がる。

 眠気の残る目をこすって起き上がると、窓の外からはまぶしい光が差し込み、列車の揺れに合わせてきらめいていた。


 伸びをしようとしたが、長時間同じ姿勢で座っていたせいで体は石のようにこわばり、思うように動かない。


「なんだ、起きたの?」

 向かいの座席から声がした。

 眠たげな瞳のエミリアがこちらを覗き込む。


「この列車、よく揺れるから。」

「そう? 馬車に比べればずっとマシよ。」

「私、荷馬車くらいしか乗ったことなくて……」

「それは失礼。平民さん。」


 いつもの皮肉交じりの調子に、逆に安心する。私は大きく背伸びをして、固まった体をほぐした。


「外、見てみたら?」

 エミリアが顎をしゃくる。窓を覗き込んだ瞬間、思わず息を呑んだ。


「……わあ。」


 一面に広がる緑。深い森の海と、その背後に連なる山々。どこまでも続く大地の広がり。

 まるで世界そのものが新たな幕を開けたかのように、眩しく胸に迫ってくる。


 この世界に生まれてからずっと王都で育ち、学園に入ってからも石畳と建物に囲まれてばかりだった。

 この間のフランソワ領訪問でさえ、人の営みが息づく町の風景にすぎない。

 けれど今目にしているのは。人の手の届かない、本物の大自然。


 窓の外に吸い込まれそうになりながら思った。

 ここが、これから私たちの課外活動の舞台。

 夏休みの半分を差し出して、私たちは'北の大地'に足を踏み入れるのだ。


 ---


 列車を降りた途端、冷たい風が頬を打った。

 夏だというのに、吐く息はうっすら白い。

 思わず肩をすくめながら、持参したコートを羽織る。忠告してくれた先輩に心の中で感謝した。


「ようこそ、アシュトン領へ。」

 両手を広げて皆を歓迎する彼こそがこの土地の領主のアシュトン男爵である。見た目はまだ若く、30代前後に見える。

「狭く、何もない土地ですが……学園の皆様のお役に立てるのなら喜んでお力添えいたします。」

 丁寧なあいさつに対し、部員の各々は丁寧な礼を返した。


「さて、予定はこの旅のしおりに記載してある。各自確認する様に。」

 配られた旅のしおりはそこそこの分厚い。

「この地域に生息している魔獣の情報を乗せてあるから、しっかり読み込んでおくように。」

 パラパラと確認すると、確かに多種多様な魔物の簡易的なイラストと特徴、対策が記載してある。

「戦うにしても、まずは座学が必要だ。しっかり勉強する様に。明後日には簡単なテストを出すから、それに合格できない奴は置いていくぞ。」



「せっかくの休みなのに、勉強やらなきゃいけないなんて……」

「正直やってられないですよねえ。」

 エミリアと私、そして先輩の女子生徒2人。

 邸宅の一部屋にて、勉強会である。


「アシュトン領と言えば、小型魔獣が多いことで有名ですから。」

「モンテクリスト領に比べたらずっと安全らしいわね。あそこは地獄だって聞いたわ。」

「年中魔獣と戦っているという話を聞きます……」


「そう言えば、先輩方は去年もここに来たんですよね?」

「うーん、確かに去年も課外活動として北部には来たわ。でも、こことは違う場所だったよね?」

「そうね、毎年微妙に場所が違うらしいわ。アシュトン領に来るのは初めてかも。北部はいくつもの小さい領と大きい領が入り混じっているからねえ。」

「だから、魔獣の情報は毎年覚え直さなきゃいけないのよ。去年の場所とは違った魔獣が生息しているから。」

 面倒くさいわ、とため息交じりにページをパラパラめくった。


「メーティアはこういう座学得意そうよね。得意というか、やる気があるというか……」

「魔獣関連には興味があるんですよ。何というか、未知のものを知るのはワクワクするので。」

 どちらかと言えば、魔法に関するものは何だって興味がある。不思議な力に人は惹かれるものだ。

 この世界における魔法や魔獣は、私にとって常に謎めいた存在だった。

 元から暮らしている人々にとっては、化学式を覚えるのと同じくらい退屈なことかもしれない。けれど私には、ひとつひとつが驚きで、胸を高鳴らせる。


「不思議な生き物ですよね、魔獣って。」

「生き物が意思を持つなんて中々ないことなんだけれどね。それでも、この北部では良くある事だわ。何でも、良くない魔力が漂っているせいだとか何とか言われている――って教科書にもあったわね。」

「北部といっても、こういう比較的暖かくて小さい領に出てくる魔物なんて小型か中型魔獣ばかりよ。ネズミが賢くなったとか、ウサギが猛スピードで跳び回ってるとか、そんな感じ。大きくても犬とかサルとかその辺りかな。毎年そう言う奴等を相手にするのが殆ど。ま、下手に危険な魔獣が出てこられても困るんだけどね。」

「そういうものなんですか。」


 考えてみれば当然か。絶対死ぬことのない学校内とは違い、自然溢れる大地に人体保護の魔法はかかっていない。

 一応教授が保護魔法をかけてはくれるが、結界式の魔法と違い、'絶対'という訳でもない。

 そもそもそんな魔法があれば北部の戦士たちが既に活用しているだろう。高度な魔術師が定期的にメンテナンスをする余裕があってこその安全性だ。


 絶対的な安全性がない以上、仮にも貴族の集まる学園の生徒を危険な目には合わせられない。だから、魔獣との戦い方を学ぶとは銘打っているものの、小型の魔獣としか戦わないのだろう。

「小型魔獣でも戦いの経験にはなるわよ。弱い相手なら楽に勝てる、なんてものは幻想だったとすぐに気づけるわ。」

「所詮私達は井の中の蛙ってことなのよ。」

 くすくすと笑う先輩達に、私の頭の上には疑問符が浮かぶ。

 エミリアも先輩たちの言葉に疑問を持ったようで、私と一瞬視線が交わる。が、互いに口を開くことは無かった。

 百聞は一見にしかず、明後日になれば分かることだ。


 ---


 鬱蒼とした雰囲気、とはまさにこのことだ。

 鳥のさえずりすら聞こえず、ただ自分たちの呼吸と心臓の鼓動だけがやけに大きく耳に響く。足音は土と苔に吸い込まれ、まるで森そのものに呑まれてしまったかのようだ。

 色の濃い針葉樹が風に揺らされることも無く、時が止まったように聳え立つ様が何とも異様で、背筋がぞわぞわする。


 無事全員小テストに合格した私達は、森の一歩手前で集合していた。


「では、計画通りに行動する。それぞれの班、全員揃っているな?点呼!」

 ルーカス部長の声で、それぞれのグループで点呼する声が聞こえる。

 自分達のグループは部長が1人、ダニエルが1人、そしてもう1人の先輩が1人。私を合わせて計4人だ。


「よろしくな。」

 高等部2年の先輩。名をアーノルド・フェリスティと言う。

 どこかで聞いたことのある苗字だと思ったら、薬草学の先生であるアドリアン・フェリスティの親戚らしい。

「よろしくお願いします。」

「……よろしくお願いします。」

 ダニエルと2人で緊張気味に頭を下げると、彼は軽く笑って頷いた。


「では、そろそろ行こうか。」

 班の準備ができた後は、予め決められたルートに従い、森の調査を行う予定である。

 調査とは、即ち生息する魔獣たちを観察し、記録を残すこと。地味だが大切な作業だ。


 調査の始まりは静かだった。けれど、無音の森は決して空虚ではない。鳥もネズミもリスも昆虫も、その全てがひっそりと気配を悟られぬように自然の中で息づいている。

 目に映らぬ影がひっそりと動き、弱々しい魔力の痕跡がぽつり、ぽつりと漂っている。

 魔力探知で意識を広げれば、鳥やリス、昆虫たちが森の奥で息づいていることが伝わってくる。普段目で見て確かめるだけの「生き物の気配」を、感覚そのもので捉える――その新鮮さに思わず胸が高鳴った。


 だが、観察対象はあくまで魔獣だ。

 ネズミとコウモリを掛け合わせたような小型の魔獣が突進してきた時は、反射的に雷弾を放って昏倒させた。痙攣した魔獣が地に伏すのを確認し、息を整えてから特徴を記録する。


「大丈夫か?」

「ええ、何とも。」


 戦闘自体は難しくはない。いつもの訓練と比べればかなり簡単な部類だ。

 だが、いざという時のセーフティーネットが無いと言うのはそれなりにストレスだ。常に気を張っていなければならない。

 それに、対人戦では基本的に1対1だった一方で、ここでは敵の数すら分からない。1体の敵を相手にしているかと思えば、いつの間にか背後から奇襲されることもあるのだ。

 魔力探知を切らさないことは戦術部における基本だが、実際に襲われる可能性を考え続ける事自体精神的負荷がかかる。


「魔獣との戦闘技術を学ぶというよりは、学校外での戦い方を覚えるって感じですね。」

「そうだな。あくまで学校内は守られた土地で、俺らはそこでお遊戯会をしているだけに過ぎない。実際に戦場で戦う時は単純な技術と力の勝負ではなく、判断力の有無が重要になる。その片鱗を学ぶための課外活動だ。」

 この森は木々のせいで狭く、攻撃も視界も通りにくければ、スムーズに逃げることもできない。如何に無駄のない動きができるかが、今まで以上に求められる。


 また、魔獣は基本的に狂暴で人間どころか他の生き物にすら攻撃的になる為、駆除することが求められている。逆に言えば、魔獣以外の一般生物や植物への攻撃は最低限にとどめる必要がある。

 いつもなら校庭を好き勝手破壊しても、部長の強烈デコピンを食らった後に地面を埋め直して終わりだが、自然は一度破壊すれば中々元には戻らないのだから。


「どうだ、課外活動は。思っていたのとは違うか?」

「……そうですね、戦術部のやることですから、てっきり派手な戦闘になるかと思っていました。しかし、これはこれで大事なことが学べそうです。」

 ダニエルに賛同する様に、私も頷く。


「将来の参考になります。」

「そうか、君は冒険者志望だったな。それなら良い経験になるだろう。」


 予め決まっていたルートも終わり。そろそろ引き返そうという時、ぞわりとした感覚に襲われた。

 背筋を冷たい手でゆっくりと撫でられる感覚。

 そこそこ大きい魔力反応。それも1つではなく、多数。


 即報告をしようと口を開くと、先輩達も気づいていたのか、黙って頷いた。

 各々杖や剣を握り、警戒心を強める。静かな緊張とは裏腹に、森に似つかわしくない程に騒々しい音が近づいてきた。


「ギイッ!」

 上空――ではなく、高い木の上を縫うように突撃してくるのは、無数の魔獣の群れ。見た目と移動方法からして、元は猿だったのだろう。

 読んだしおりにもあった。確かここよりも北の奥の方に住んでいたはずだが……


「ギギギ!」

 猿の魔獣は特に攻撃的だ。猿は遺伝学上他の生き物よりも人に近い。

 即ち元から知能が高く、また容姿も人と似ている。生き物は、己に近いが仲間では無い生き物を、特に脅威として認識しやすい傾向がある。

 猿たちの鋭い眼線がこちらを凝視している。つり上がった眉は、やはり人に近い。


「対策は分かるな?」

「後ろに回らせない、群れに飲み込まれない。」

「よろしい。」

 部長の言葉が合図となり、一斉に技を放つ。魔獣もまたその勢いに呼応する。

 地上では私たちが迎え撃ち、上からは猿たちが次々と襲いかかってくる。互いの視線が鋭く絡み合い、森の静寂は一瞬で修羅場に変わった。


 鬱蒼と茂る森の中では人は上手く飛べない。枝と葉に引っかかって動けなくなってしまう上、上空は別の魔物にも見つかりやすい、格好の的となってしまう。

 だから、私たちは上方にいる猿たちを下から攻撃する必要がある。


 逆に言えば、猿たちの様に葉と枝に邪魔されず、寧ろ隠れ蓑として使いこなせる技術があるのなら、上にいることはそれだけで地の利となりえる。

 猿たちもそれを理解しているのだろう、余裕をもった戦いをする気でいる。


 だが、生憎地の利がある相手との戦い方はよく知っている。

 散々空中に逃げる相手を叩き落してきたのだ、今更手こずることは無い。


 猿たちの移動する先を予測し、雷弾を確実に当てていく。

 一発当たれば身体は痺れ、木の上に捕まり続けることもできなくなる。無防備に気絶した魔獣たちが1匹、また1匹と地上に墜ちてくる。


 ダニエルも珍しく炎魔法ではなく、雷魔法を使っている。流石に森で火は良くないと考えたらしい。

 顔がどことなく不服そうだ。拘りの強い奴だ。

 部長は相変わらず剣から魔法を出している。剣士とは何だったのか理解に苦しむ。


 そんなこんなで特に苦戦することもなく、戦闘は猿の群れが半数まで減ったところで中断された。

 群れが逃げ出したのだ。


「まあ、流石にここまで削ればいいだろう。無理に追う必要はない。」

「しかし、こんな浅い場所にこれだけの魔獣の群れが出てくるとは珍しいですね。普段はもっと山の奥の方に住んでいるらしいのですが。」

「そうだな、何か異変があったのかもしれない。……俺達が森に入ったから怒っているのだろうか。」

「……うーん、でもあの様子だと、どちらかというと――」

 アーノルドは言い淀んだが、その先の言葉は言わなかった。

 言わずとも、何となく察せられた。


 奴等が逃げた方向は、やってきた方向とは真反対。

 つまり、彼らは縄張りを維持するためにここに来たわけではなく、どちらかと言うと、何かに追われて逃げているような――そんな不気味さを感じた。

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