もうすぐ夏休み
「結局、あれは何だったんだろう。」
数日後、生徒会メンバーが発表された。
その名簿には、やはりシュルト殿下とカロリーネの名があった。他の三人の名前は知らなかったが、デリケ曰く「まあ妥当な家の子たち」らしい。
朝会で一人ずつ挨拶が行われたが、殿下の表情はどこか浮かない。華やかな場にありながら、彼だけが沈んだ影を背負っているように見えた。
「というか、カロリーネ様に絡まれたんですって?大丈夫だった?」
「ちょっと忠告はされたけどね、別に喧嘩したわけではあるまいし。」
「あの方、社交界でも結構苛烈な方でね……家の派閥同士の争いでも結構派手にやると噂よ。」
派手にやるとは何なのか想像もつかないが、温和なデリケたちにそう言われるくらいには苛烈なのだろう。
寧ろあの程度の忠告で済んでよかったのかもしれない。
「その、ね。噂でしかないのだけど、シュルト殿下とカロリーネ様の仲があまり良くないらしくて。カロリーネ様の強気な性格と、シュルト殿下の温柔な性格が相性悪いのかしらね。」
相性とかそういう話でもなさそうだが、とひそかに考えるも、口には出さなかった。
まあ、親の決めた結婚なら気が合わないこともあるだろう。上手くやっていくかはともかく、共にやって行かねばならないのだ。
ふと、図書館で彼を慰めた時のことを思い出した。震えながらすすり泣いていた彼の言葉が、彼の本心であろう。
しかし、私と彼とでは身分が違い、更に今後は差が開く。もう会わないと決めたのだから、関わることもない。下手に関われば、こちらの首が飛びかねない。
そんなのは覚えていたって仕方がない。忘れることにしよう。
彼は今後、一人でも成長して変化していくことだろうし、きっと大丈夫。
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いつもと何ら変わらない、とある日の部活動が終わった後。
「高等部のみ残る様に。」
部長の一声で、中等部の生徒は退出し、場には高等部のみが残った。
「居残りなんて珍しいわね、一体どうしたのかしら。」
エミリアが大きな欠伸をしながら呟く。今日の練習では一段と派手に暴れたせいで、運動着はすっかり土にまみれている。
居残った一年生――私を含む数人は不安げに顔を見合わせていたが、二年、三年の先輩方は落ち着いた様子で、むしろ楽しげに口元を緩めていた。
「さて、一年生諸君は困惑していることだろう。」
部長が前に立ち、淡々と告げる。
「無理もない。この課外活動については、中等部には秘匿されているからな。」
課外活動の言葉に、1年生全員が目を僅かに大きく見開いた。
「そう、課外活動だ。部活動において、高等部以上は学校外で活動することを認められている。まあ、この話をすると中等部が羨ましがるという理由で、秘密にしているんだが……実は毎年の恒例行事として行っている。」
ルーカスがにやりと笑う。
「課外活動で何をやるか、気になるだろう?そうだな、簡単に言えば、実戦だ。」
実戦。
その言葉が持つ意味は明白だ。今までのような模擬決闘ではなく、命のやり取りを含む『本当の戦い』を指している。
「この部活動では、今まで人との決闘をメインに訓練をしていた。だが、この世界の戦いとはそんな単純明快な戦いばかりではない。奇襲や人数差のある戦い、相手も人以外の存在である可能性もある。そこで、だ。この課外活動では、魔獣との戦いをメインに学ぶ。」
魔獣との戦い。正直なところ、その言葉に少し心が躍ってしまった自分がいる。
そっと周囲を見れば、一瞬だが、自分と同じ顔をしていた。揃いも揃って戦闘好きだ。
「そういうことだ。出発先はアシュトン領の北部森林だ。アシュトン邸宅を貸して貰えることになっている。そこで2週間は滞在し、訓練に励むこととなる。質問はあるかね?」
ルーカスのあまりにも端的な説明に、困惑した様子のエミリアがそっと手を挙げた。
「2週間とありますが、そんな長期間で一体何をするのですか?具体的な予定を教えて頂けます?」
「それはついてからのお楽しみだ。」
自信満々にそう言い切る部長に、エミリアは若干呆れながらも、それ以上聞き出すことはできなかった。
「……2週間も学校から離れるなんて。長期休暇が半分無くなってしまうじゃない。」
「その分楽しめるようにはなってるんじゃない?」
「そりゃあ、先輩方がどことなくウキウキしてるから、そうだとは思うけどね……」
エミリアと私は肩をすくめた。
アシュトン邸宅。それは文字通り、アシュトン男爵の邸宅であろう。
アシュトン男爵は北の大地に小さな領地を持っており、そこの北部森林と言えば、魔獣が出る危険地帯であると有名だ。
だが私が気になるのは、別の点だった。
アシュトン男爵の正式な名はアシュトン=ハワード。つまり、ハワード家の分家だ。
分家制度がほとんど存在しないこの国において、分家があるのはごく一部の名門だけ。しかも彼らは魔獣――そして、かつて魔物が攻めてきた場所と近い土地に暮らしている。
以前フランソワ子爵からも聞かされた。「貴族を調べるときは、分家筋を当たるのが手だ」と。
調べるなら、どう動くべきか。事前に計画を練っておかねばならない。
ふと、視線を横にやると、そこには誰とも話さず大人しく座っているダニエルがいる。
彼とは、大会後一度も話をしていない。というより、ダニエル側がこちらと口を利く気がないように思える。
挨拶は最低限返してくれるが、それだけだ。話しかけようとしても、大抵黙ってどこかへ行ってしまう。
劣等感。それ故に、ダニエルは私と口を利かないのだとエミリアは言っていた。
正直、何に対してそんなに劣等感を抱いているのかが分からない。ダニエルだって充分才能を持っているし、何より学年末試験では毎回学年1位だ。
皆彼を認めているし、実際ダニエルは休み時間に貴族の子らと一緒にいるところを見かける。
いくら銀行の跡取りが大変だからといっても、傍から見ればその実力が不足しているなど誰が思うだろうか。
彼は自分の事を客観視できていない。それに、様子が日に日に悪化し続けている。
努力し続けていた時も、私に負けてからも、変わらず常に暗くなっていく。
何故か。そう考えた時に、ガルス殿下の言っていたことが頭を過ぎる。
『魔力を使い過ぎると感情のコントロールができなくなる。そんな状態が長期間続くと、やがて精神は過去のトラウマに蝕まれ正気を保てなくなってしまう。』
その時のガルス殿下は確かグリーベル教授に助けて貰ったと言っていた。
生憎丁度グリーベル教授はいない。
ここ数か月間、どうも忙しいということで代理の教授を置いてどこかへ出かけてしまっているそうだ。
代理の教授も優秀で生徒の事をよく見てくれているが、ダニエルの状態について何か口を出すことはしていない。
気づいていないのか、気づいた上で口を出す程でもないと思っているのか、重症だと見抜いた上で放置しているのか。
どちらかと言えば、精神崩壊の治療経験が無いと言うのが正しい気はする。
精神崩壊を起こせる程の魔力を持つ人間は、大人でもそうそういない。大会の時に腕をくっつける為に保健室に行ったはずだが、そこの看護師も何も言わなかったことを考えると、寧ろグリーベル教授が経験豊富過ぎると言うのが答えだろう。
では、どうすれば彼を救えるのか。
いや、私には救えないのかもしれない。できることがあるとすれば、グリーベル教授の帰還を待ち、すべてを訴えること。
この状態で課外活動を無事に終えられるかだけが不安だ。




