生徒会と身分
その日の昼休み、いつも通りの皆で昼食を食べていた時の事。
「ねえメーティア、生徒会に入らない?」
突如として現れたシュルト殿下がそう言い放ち、私は固まってしまった。もちろん、友人たちもそのまま道連れに。
とりあえず返事は後ほど――とだけ言い残して、殿下はどこかへ立ち去っていった。
私たちは慌てて食事をかきこみ、人目を避けて誰も使っていない空き教室に駆け込んだ。
そして今、その静けさの中で顔を突き合わせている。
生徒会。それは生徒たちを取りまとめるための組織――などと、言葉にすれば簡単だが、実態はもっと複雑だ。
高等部の中でも特に優秀とされる数人が選ばれ、部活動の予算編成や委員会の統括など、生徒間の制度全般を管理する重要な役職である。
「選ばれるメンバーは大抵家柄の良い家の子達ばかりよ。最低でも伯爵家以上の出自が求められるとか。」
「どうしていい家柄じゃないとダメなのかしら?」
「そりゃあ、生徒会ってのはこの学園の象徴みたいなものでしょう?将来、国を支える者たちの中からさらに選りすぐった精鋭が集まる場所なのよ。上に立つ素質を鍛える場でもあり、同時に一般生徒がその素質を見定める場でもあるの。だからこそ、平民を混ぜるわけにはいかないの。」
イザベルの素朴な疑問に、デリケは丁寧に答えた後、私に視線を移した。
「この学園が平民に門戸を開いたとはいえ、生徒会の伝統まで崩すとは思えない。だから、メーティアが殿下に誘われること自体、正直おかしいのよ……一体、何を考えているのかしら。」
珍しく本気で焦った様子のデリケに、他の皆も沈黙する。
「メーティア、貴方、そもそも殿下とどんな関わりがあるの?生徒会について何か話したりした?」
「まさか。殿下とはたまに図書館でお話しする程度で、生徒会の存在なんて殆ど知りませんでした。」
私とシュルト殿下の関係は、表向き何の繋がりもないことになっている。それは、私自身のためでもあるし、殿下の立場を守るためでもあった。変な噂が立てば、双方にとって困るのだ。
しかし、今日殿下は昼食をとっていた私に堂々と話しかけてきた。それも、爆弾級の話題を添えて。
たまたま早い昼食で、食堂の端の席に座っていて良かった。他生徒は近くにいなかったから、人目はそれ程つかなかったはず。例え殿下が私達に話しかけた所が目撃されていたとしても、遠くてその話の内容までは聞こえていないだろう。
「本当に?隠れて逢引とかしてない?」
「してない。」
「本当の本当に?」
「してないってば。」
私の肩をがっしり掴みながら揺さぶるデリケの必死な様子からは、本気で心配しているのが伝わってきた。
「実際してないならそれはそれでいい。でも、そういう風に見られるのがまずいのよ。」
「確かに婚約者がいる相手と逢引するのは不味いわよね、特に相手が第二王子ともなれば。」
マデリンの一言にデリケは静かにうなずいた。イザベルもそれで察したらしい。
「えっ、じゃあ……婚約中のシュルト殿下がメーティアと浮気してるかもって、そんな噂が立つかもってこと?」
「そう。たとえ本人にそんなつもりがなくても、周囲はそう受け取る可能性があるのよ。」
「貴族女性は噂話が大好きですからね。特にシュルト殿下は婚約後も人気が衰えず、密かに婚約を掠め取ってやろうと考えてる御令嬢もいるとか何とか……」
「メグ、貴方平民なのになんでそんなことを知ってるのよ。」
「商人の耳は貴族よりも敏感なんですよ?」
「……えっと、もしかしてそれなりに不味い状況だったりします?」
私の言葉に、その場にいた全員が重々しく頷いた。
「貴方は演劇といい大会といい、何気に目立っているから、既に全校生徒で貴方の名を知らない人はいない。殿下はそれもあって生徒会に勧誘したのかもしれないけれど……ちょっと軽率、かもしれないわ。」
「或いは、殿下に悪意があるかのどっちかね。」
皮肉めいたメグの言葉に、頭を横にブンブンと振る。
「そんな悪い関係ではないけれど……」
「じゃあ、きっとそこまで深く考えていないのね。ほら、男性って女性社会にはちょっと疎いところがあるじゃない?自分の行動がメーティアにどんな影響を与えているのか分からないのかも。」
「ねえメーティア、どうするの?」
皆の視線が一斉にこちらを向く。
「……取り合えず、お断りするしかないですよね?」
その言葉に、デリケ達は多少ほっとした表情を浮かべた。
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数日後、私は殿下に呼ばれ、生徒会室の扉の前に立っていた。
「……と、言う事で生徒会に入るのはお断りさせて頂きたく……」
私の言葉を聞いたシュルト殿下は、どこか寂しげに目を伏せた。
「そっか、僕の行動が、君にとって良くない影響を及ぼすかもしれないんだね。」
どうやら、理由は理解してもらえたようだった。私は密かに息をつく。
「ご期待に添えず、申し訳ありません……ところで、どうして私をお誘いくださったのでしょうか?」
それは純粋な疑問だった。
デリケの話によれば、生徒会に入れるのは基本的に名家の子女だけだという。であれば、そもそもなぜ私が候補になったのか。
「……えっと、単純に僕が誘いたかったからだよ。」
「と言うと?」
「君は学業において優秀な成績を修めているし、部活動にも相当力を入れている模範的な生徒だ。そんな君こそ生徒会にふさわしいと思ったんだけれども――」
「例えその方がどれ程優れた実績を納めていようとも、生徒会に相応しいかどうかは別問題ですわ。」
凛とした声が響く。
私が振り向くと、そこには見覚えのある少女が立っていた。波打つ黒髪に深紅の瞳。引き締まった背筋と、鋭い視線。
カロリーネ・フィオレンティーノ公爵令嬢。シュルト殿下の婚約者であり、その背後には数人の取り巻きが控えていた。
「生徒会は、良家の子女たち――いずれ国を担う者たちが、社会を学び導く場。いかに学業成績が優れていようとも、彼女はその資質を持ちません。国家を導く立場にない者が、指導者の場に加わるなど、言語道断です。」
その言い方には棘があったが、傲慢というよりは、信念に根差した強さを感じた。
彼女の瞳は真っすぐで、その言葉には一定の理もある。後ろの生徒たちも、無言で頷いている。
だが、殿下は一歩も退かず、むしろ強い眼差しでカロリーネを睨み返す。
「そんなことは分かっている。この生徒会の伝統について、君に耳にタコができる位には何度も聞かされた。でも、今のこの学校は変わってきている。貴族だけでなく、平民も受け入れられるようになった。これは、この国の方針が、“家柄”より“能力”を重視する方向へと移っているからだ。ならば、僕たちもその変化に適応すべきじゃないか?」
その言葉には、彼女への反発心が色濃くにじんでいた。やはり、彼らの関係は良好とは言い難いのだろう。
「いいえ、例えこの学校が平民を受け入れるようになったとしても、生徒会の役目が変わる訳ではありません。それとこれとは別問題なのです。」
「君はいつもそうやって僕の意見を否定する。……この国では今、昔に比べて、貴族だけでなく平民も力を付けてきている。これからの社会を纏めようとするなら、貴族だけでなく平民の意見も取り入れることが大事になってくるだろう。そう言う意味で、優秀な平民を1人取り入れても良いじゃないか。」
「それでは、示しがつきません。特に高位貴族には、どう説明なさるおつもりで? 彼らを導くには、それ相応の家柄が必要です。……正直申し上げて、殿下が彼女を誘ったのは、その実績や能力ではなく――ただ“お気に入り”だから、そうではありませんか?」
2人の視線の間に火花が散っている気がする。が、そのうち一方の視線がこちらへと向く。
彼女と私の視線がぶつかり、一瞬の沈黙が訪れる。
しかし、その沈黙をすぐに殿下が破った。
「違う、彼女はそんなんじゃ……」
「度々図書館で一緒に勉強なさっているらしいですね。婚約者がいる身で、婚約者以外の女子生徒と親しくするのは余り堅実とは言えませんわ。……貴方も気を付けた方が良くってよ。」
まさか、図書館での接触がバレていたとは。誰かが近くにいる気配は無かったのに。
カロリーネはジロリとこちらを見ると、私が返事を返す間も待たずに殿下へと視線を戻した。友人達は一切口を挟む事無く成り行きを見守っている。
「……そうか、君の考えは分かったよ。それに、言われなくとも彼女は既に生徒会への入会を辞退した。それでいいか?」
「ええ、今回のところは。ですが、今後もこのような軽率な行動は慎んでください。特に、貴方様はこの国を担う者ですから。……思ったよりも聞き分けが良いのですね。ですが貴方、婚約者の居る殿方とあまり親密に振る舞うのは良くありませんよ。今後は彼との接触を控えてください。」
言い返したいことはあるが、言っても仕方がない。ぐっとこらえると、私は素直にうなずいた。
「……分かりました。」
「待て、彼女とは図書館で勉強していただけだ。密室で会っていた訳でもないし、恥ずべき振る舞いをしていた訳でもない。共に勉学に励む行動を何故制限されなければならない?」
「下手な噂を避ける為です。あくまで私が確認したのは、二人が頻繁に同じ空間にいたということだけ。そこで何をしていたのかは存じ上げません。確認しようと近づけば、そこの生徒に魔力探知でバレてしまいますから。ですが、情報がないということは、想像の余地があるということ。噂が立てば、あなたも彼女も傷つくことになります。それがお分かりにならない?」
「尾行してたのか?」
「勘違いなさらないでください、共に時間を過ごそうとしても貴方がいつも忙しそうでしたから、一体何をしているのかと疑問に思っただけです。」
「ストーカーじゃないか。」
その後も、二人の小競り合いは続いた。言葉遣いこそ丁寧だが、張り詰めた空気がひりつくようだった。
どうやら、普段からこうした言い争いが絶えないらしい。後ろの令嬢たちも、すっかり慣れている様子だ。
勿論、私自身は殿下に対してそう言う気はない。が、カロリーネ視点そんなことは分からないし、確かに婚約者が異性と2人きりで会っていれば内心穏やかではないだろう。
デリケ達が言っていたように、変な噂になる懸念もある。ここは、カロリーネの忠告を受け入れるしかない。
だが、それでも殿下は納得していないようだった。
拳を握りしめ、怒りを露にしている。人形の様だった彼が、負の感情を表に出しているのは珍しい。
私は大人だ。大人だから、年の功で子供が何を考えているかは何となく察せる。
シュルト殿下は、少なからず私に好意を抱いている。それは恋情かもしれないし、友情の延長かもしれないし、興味の延長かもしれない。
最初はただ利用されているだけだと思っていたが、そうでもない。意外に殿下は感情的な人間だと、最近ようやく理解できたのだ。
いずれにしても、彼はその感情故に私を生徒会に誘ったのだろう。理屈をいろいろ並べ立てては居たが、結局のところは結論先ありきの論理だ。
正直言って、私は彼の事は子供だと思っている。子供だから守りたいとも思うし、同情もするし、気にもかける。
しかし、もし、彼が私に言抱いている感情が恋情だとしたら。私は、その感情に絶対に応えられない。
私が愛する相手は、後にも先にもあの人だけだから。
ならば、私はそっと離れるべきだろう。感情がより重くなる前に、そっとフェードアウトしよう。そうすれば、時と共に感情は少しずつ薄れていくはずだ。
暫く待っていると、口論はひとまず執着したらしい。私は一礼すると、殿下も申し訳なさそうな顔で軽くこちらに手を振った。
もう今後は彼と話すことも無いだろう。心配ではあるが、仕方ない。
社会とは、そういうものだ。




